彼と彼女の365日

如月ゆう

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September

9月5日(木) 熱中症

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 …………おかしい。

 暦上ではもう秋だというのに、それを感じさせない外気の真夏っぷり。
 照りつける太陽は、ジリジリと肌を焼き、滴る汗はまさに滝のようだ。

 男であるが故の杜撰さ。
 そして、所詮は学校の催し物に過ぎないとタカをくくっていたせいで日焼け止めの一つも塗っていなかったのだけど、その判断を今更ながらに後悔していた。

「ヤバい…………。暑い……っていうか、熱い。肌が焼ける」

 学校側から支給された、所属ブロックごとの色分け帽子――それと、持参したタオルの併用技で何とか顔に日陰を作ることには成功しているが、露出した腕や膝下の肉が焼けている感覚が手に取るように分かってしまう。

「あぁ……低温でじっくり炙られる食材って、こんな気分なんだろうなぁ」

 暑すぎて、そして熱すぎてイライラは募る一方。
 触れば焼けた皮膚から熱が伝わり、心做しか感覚が少し薄くなっているように感じた。

 ――その時、ドサリと左肩に重みが加わる。

「どうした、かなた? ただでさえ暑いんだから、今日くらいは離れて欲しいんだが……」

 そう言って、目を向けた。

 上気し、赤く染った頬。
 瞑られた瞳。
 苦しげな熱い吐息。

 …………何かがおかしい。

「おい、かなた? どうした?」

 話しかけるも一向に返事はなく、あるのは呼吸音のみ。
 身体を起こさせようと触れてみれば、まるで発熱でもしているかのように熱を帯びていた。もはや、人の持つ温度ではない。

「そら、何かあったのか?」
「か、かなちゃん……?」

 俺たちの両隣にいた翔真と菊池さんも、事態の異変に気付いたのだろう。
 懸念の視線はすぐに確信へと変わった。

「悪い、二人とも。保健室に連れてくから、荷物とかよろしく。あと、事情説明も」

「分かった」
「ま、任せて……!」

 ぐったりとしたままの彼女を背負えば、俺は校舎へと急ぐ。
 なるべく速く、けれど落とさないように、なるべく衝撃を与えないようにしながら。

 部活をしていて、鍛えておいて良かったと、この時ばかりはそう思った。


 ♦ ♦ ♦


 到着した保健室。
 けれど中には誰もいない。否、いなくなった。

 駆けつけた当初は女性の養護教諭がおり、簡単な診察の結果、熱中症と判断されたのだけど、そのすぐ後に練習で怪我をした生徒が現れたらしく、寝かせて水分を摂らせるように俺に指示して、慌てて外出してしまったからだ。

 そのため、勝手に備え付けのベッドの一つを拝借し、静かに寝かせてあげる。

 顔が赤い。
 悪あがきに過ぎないが、少しでも冷やしてあげようと頬や首筋、額に自身の手をあてがった。…………熱い。

 これで、熱伝導でも起こって多少なりとも楽になるといいのだが……。

 ともすれば、指先に濡れる感覚が訪れる。
 見れば、汗が大量に滲んでいた。

 偶然、首に巻いたままここまで持ってきていたタオルを掴むと、それを丁寧に拭き取ってあげる。

「……………………そ、ら……?」

「気が付いたか?」

 薄く目を開け、かなたは小さく呟いた。
 だが、いつも以上に声に力がない。

「起きたなら、これ飲め」

 そう言って手渡したのは経口補水液。
 聞いたことも見たこともないものだが、保健室の冷蔵庫に入っていた物だし、まぁ大丈夫だろ。

「…………わざわざ、買ったの?」

「馬鹿言え。先生が『起きたら飲ませろ』って言ってたヤツを取ってきただけだ」

 勘違いしてる幼馴染を諭し、背中に手を当てて身体を起こしてやる。
 持たせたペットボトルを一緒に支え、傾けてあげれば、小さくと、だが確かにコクコクと喉が動いた。

「――……ありがと」

「おう」

 飲み物を受け取り、先程まで使っていたタオルを代わりに手渡す。

「取り敢えず、これで身体の汗も拭いとけ。カーテン閉めて、見えないところで待ってるから」

 いくら幼馴染といえども、風呂にまで入った仲であろうとも、それはそれとして下着を見るのには抵抗があった。

 だから一旦出直そうと、ベッドから離れるように動けば、しかし、小さな引っかかりを覚えて足が止まる。
 目を向ければ、服の裾が摘まれていた。

「……………………何?」

「…………背中、拭けない」

「…………はぁー……」

 もう、反応はそれだけだ。それしか出ない。
 呆れて言葉が出ない、とはまさにこの事なのだろう。

「……マジで言ってる?」

「…………? ……もちろん」

 マジかー……マジなんだろうなぁ…………。

「分かったよ、背中向けろ」

 素直に後ろを向く彼女。
 その体操服の裾を捲れば、肌色の柔肌が目に入る。……ついでに、下着の紐も。

 もう一度ため息を吐き、無心を胸に、ゆっくりと手を動かしていく。
 濡れた皮膚をなぞるように丁寧に、しかし、タオルの布地以外では濡れないように繊細に。

「……………………ごめん、そら」

「…………あ? 何が?」

 一心不乱に、無我の境地で取り組んでいると、ふと声が掛かった。
 けれど、言っている意味も、謝っている対象も分からないため聞き返してしまう。

「……………………迷惑、かけた」

 本当だよ、今とかな。
 なんて、言葉は飲み込む。なぜなら――。

「別に、気にすんな。迷惑をかけてもいい唯一の存在、それが家族だ。……それに、俺もよく迷惑かけてる」

 お互い様なのだ。
 あの時から、今の今まで。

 そして、最早それを謝り合う関係性ではない。
 笑って気にせず、当たり前のように支え合おうとそう決めたのだから。

「あとな、普通に練習サボれてラッキーなんだわ。だから、むしろ感謝しかねーよ」

 ……こんな風にな。

「…………それ、大丈夫?」

「任せろ、もう明後日が本番なんだ。パネルの動きも、演舞も全部完璧さ」

 幼馴染の心配にも余裕で応えてやる。
 だというのに、何故かかなたは首を振るばかり。

「…………じゃなくて、先生のこと」

「あー……確かに、うちの担任は文句言ってきそうだな。でもまぁ、いい感じの言い訳はあるし大丈夫だろ」

 何せ、こちとら養護教諭から介護を頼まれているんだ。
 これが、いい免罪符として働くだろう。

「…………そう。じゃあ、がんば」

「……は?」

 グッと応援するように握り拳を作る彼女。
 ――と同時に、ゆっくりと誰かが肩に手を置いてきた。

 思わず、生唾を飲み込む。
 振り向くまでもない。その人物の正体など、手に取るように分かる。が、振り向かなければ何も始まらない。

 故に、恐る恐る振り向けば、心に浮かんだ言葉は『案の定』だ。

「そうですか、そうですか。では、私も先生としてじっくりその言い訳を聞きましょう。保健室で幼馴染の女の子の服を捲っても許される、さぞかし画期的な言い訳なんですよね……そらくん?」

 ニコニコ笑顔のままに登場する三枝先生。
 なのに、不思議とその背後には修羅の顔が見えて仕方がない。

 俺は何もかもを諦め、大人しくその場に正座をする。
 当然のごとく、こってりと叱られる今日であった。
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