彼と彼女の365日

如月ゆう

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August

8月28日(水) 大雨洪水警報

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 雨が降っていた。
 朝、起きてみればザーザーと。

 しかし、それは昨日の夜からなので特別驚いているわけでもなく、スカートの裾が濡れて面倒だとか、革靴だから雨で気持ち悪くなるだとか、そんな風に憂鬱になるだけ。

 だから、いつも通りに朝ご飯を食べて、支度をして……けれども一向に私の幼馴染は来ないので、眠たい目を擦りながら隣の家のインターホンを鳴らしに行く。

 その間にも降り落ち、傘へとかかる水滴の重みは思いの外すごい。
 パチンコ玉と勘違いしそうなほどであり、奏でられる音は心地良いといえよりも、むしろ騒々しかった。

「はいはーい」

 ガチャリと重厚な音を立てる扉。
 同時に声が聞こえ、姿を現すそらを見て私は目を疑う。

「――って、どうした? 学校は休みだぞ」

 ついでに、耳も疑った。

「……………………は?」

「いや……だから、休み。警報出たから」

 すでに登校時間だというのに、部屋着のまま登場したそらはそう言う。
 その事実に、私は唖然とするしかない。

「てことで、帰れ。お前の大好きな二度寝ができるぞ」

「……ん、そうする」

 幼馴染の提案に頷いた私は、さらに一歩踏み出して傘を閉じた。

「――おいおい、そう言いながら家に上がり込む気満々なのはどういう了見だ?」

 手で制され、行く手を阻まれる。

「…………だから、言った通りに家に――」
「お前の家は隣だ」

「……遠い」
「歩いて一分もかからんぞ」

「じゃあ、こっちの方が近い」
「お、おう……ただの事実で反応しにくい」

「…………ダメ、なの?」

 どれだけ言い募っても否定を重ねるそらに面倒くさくなり、私は単刀直入に聞いてみた。
 このまま帰っても暇だから――と、それだけの理由で居座ろうとしていたので、何か不都合があるのなら諦めるつもりである。

 ……まぁ、答えは最初から分かりきっていることなんだけど。

「ダメ……ではないな…………」

 想像通り、想定通りの解答。
 ただでさえ出不精なそらが、こんな大雨の中を出歩くとは考えられない。

 だけども私は、その意味のなかった否定を責めるでもなく、ただジッと幼馴染の目を見つめ続けるに留まった。

 数瞬の攻防。つかの間のやり取り。
 それが終われば、彼は一つため息を吐く。

「はぁー…………分かったよ、上がれ」

 身体を半身にし、さらに扉を開けて中へと促してくれたので私はいそいそとお邪魔した。

 玄関先で靴を脱ぎ、ついでに濡れた靴下も脱いでいると、洗面所からタオルを持ってきてくれる。
 それで綺麗に足を拭けば、もうこれで大丈夫。人の家を汚す心配はない。

 使ったタオルと靴下をまとめてそらに預けると、同時にポケットのスマホが震えた。

「なに、お母さん?」

『もしもし? ごめんね……今さっき、学校から休みって連絡が来たわ』

「あー……うん、そらから聞いた」

 付け加えならば、遅い。
 まぁ、二千人もの生徒に一斉連絡すればそうなるのかもしれないけど。…………いや、なるの? あとでそらに聞いてみよう。

「ついでに、しばらくはこっちに居るから。夕方には帰る」

『こっちに居る――って……はぁ、分かったわ。そらちゃんによろしく言っておいてね』

「はーい」

 プツリと切る。

「……その電話、かなたのお母さんか?」

 タイミングを伺っていたのだろう。
 スマホを元の場所に戻していると、すぐに話しかけられた。

「そう、いまさら休校の連絡が来たって」

「マジか……遅っ」

「だよねー」

 などと会話をしながら向かう先はリビング。
 珍しいこともあるものだ。自室じゃないなんて。

 付けっぱなしのテレビからは現在の大雨を報道するニュース番組が流れており、ソファ近くのローテーブルには大量の本が積まれている。

「…………本でも読むの?」

「あぁ、まぁな。丁度いい機会だし」

 そう言い、ソファに身を預けたそらは山の一番上の本を手に取った。
 何かの特典らしきキャラ物の栞を抜き取り、早速ページを捲っていく。

「じゃ、あとは好きにしてくれ」

 それだけを言い残して、独り取り残される私。
 ふむ…………なら、私の寝る場所もここでいいかな。

 シワになるのを恐れてスカートを脱げば、空いているハンガーの一つを使わせてもらう。
 そうして、そのまま私もソファへダイブ。彼の膝を枕代わりに寝転べば、お腹に顔を埋めて顔に射す光を遮断した。

「…………何してんの? てか、何その格好?」

 本から目を離したのだろう。
 その声音は、体育祭の練習用にと下に着込んでいた体育ズボンとブラウスというアンバランスな姿に呆れているようだ。

「どうせここで寝るなら、俺の部屋に行けよ。ベッドじゃないと、寝心地悪いだろ」

 だけど、そんな言葉も夢心地。
 温かな人の体温と、落ち着く匂いに自然と瞼は落ちる。

「……いい、それを補って余りある良質な枕がここにはあるから」

「人を枕扱いとは、上等じゃねーか……!」

 降りかかる怒号も、向けられる怒りもどこか遠い。
 私のこの声でさえ、思考なのか発言なのか曖昧になってきた。

「…………ついでに、頭を撫でてくれると……私の寝心地はもっと良くなると、進言する」

「残念だったな。俺の手は本を持ち、ページを捲ることで精一杯だ。そこに割くリソースはない」

 そっか…………。

「……………………なら、残念……」

 テレビの声も、閉じられた窓越しに奏でられる雨のメロディーも、紙の擦れる音も全てが私に昇華されて、次第に気にならなくなっていく。

 薄れる意識。緩やかな混濁。
 フワリと風が私の髪を心地よく梳いてくれる感覚を最後に、プツリと記憶は途切れるのであった。
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