彼と彼女の365日

如月ゆう

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August

8月9日( ) 勉強合宿・四日目

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 勉強合宿も遂に四日目。
 明日は朝食を済ませばそのまま帰宅、お昼前には解散するということで、実質最終日ともいえる今日この日。

 配布された予定表に何も記載されていないその理由、三泊五日という謎の言葉の意味を俺たちはようやく教えられる。

 それは一枚の紙。
 夕食と風呂を終え、教室へと戻ってみれば、前のホワイトボードにデカデカと掲示されていた。

 どうやら今晩の予定表のようであるが――。

「…………寝る時間、どこ?」

 隣に立つ幼馴染のかなたが呟く通り、そこには午後八時半から翌朝の七時までの時間帯にたった二文字――『自習』という単語だけがある。

本気マジか…………?」

 無意識にそんな言葉が出た。
 正直予感はあったし、生徒間でも話題になっていたが……まさか、本当に実施するとは。

 三泊五日――それはすなわち一泊足りないということであり、要するに徹夜のことを指していたのだ。

「……あの噂は本当だったんだな」
「昨日のテスト、頑張って良かったぁ……」

 同じ場にいて、同じように眺めていた翔真と菊池さんもまた俺たちの隣でそう呟く。
 そんな二人はあまりこの催しに否定的ではないようだけど、周りのクラスメイトたちは違った。

 面倒だとダレる者から、これもイベントの一環だとはしゃぐ者、軟禁ともいえる理不尽さに怒る者など、まさに阿鼻叫喚。
 良い意味でも、悪い意味でもお祭り騒ぎ。

 こんなことで、俺たちは地獄の十時間半を乗り越えることができるのだろうか。


 ♦ ♦ ♦


 徹夜開始から六時間半が経過。
 現在は午前三時。

 始めのうちは楽しげに、ワイワイと雑談を交わしながら勉強を進めていた皆であったが、次第に口数が減り、筆記用具の音だけが響くようになり、その眠気は今やピークに達そうとしていた。

 男子も女子も、誰であろうとところ構わず睡魔に負け、ある者はいびきをかき、またある者は白目を向いてしまったりと、最初とは違う意味で阿鼻叫喚。
 中々に酷い光景と化している。

「…………ごめん、もうダメ」

 そして、犠牲者はウチの中からも現れた。
 遺言のようにそう言い残したかなたは体を横に倒すと、俺の太腿を枕代わりに寝始める。

「おい……起きろ。バレたらペナルティなんだから」

 しかしながら、徹夜と謳っておきながらのこの所業は果たして許されることなのであろうか?

 答えは否。ノーである。

 不定期に巡回に来る先生――彼らに三回名前を呼ばれるまでに起きなければ、罰として演習プリントを手渡され、夏休みの宿題として増えてしまうのだ。
 しかも、起こさなかった連帯責任として隣の人も一緒に。

 故に、俺は起こしにかかるのだが、もう既に寝ぼけているのか彼女の駄々っ子が炸裂する。

「…………やー、起きん」

「そのまま寝るなら、お前の財布で勝手に眠気覚ましのコーヒー買うぞ」

「…………好きにしー」

 ダメだこりゃ。
 プイっと顔を背け、ギュッと人のズボンを握りこんでテコでも動こうとしない。

 おまけに、かなた特有の癖である博多弁まで出てるし、割とガチで寝に行ってるな。

「はぁー……悪い翔真。コーヒー買ってきてくれないか?」

 ため息を吐き、持っていたペンを机に置くと上半身だけで振り返る。
 夏だから……ということでトイレと外の通路の自販機の使用が認められているためにそう頼めば、何故か怪訝そうな顔を向けられた。

「いいけど……まさか、本当に倉敷さんのお金でか?」

「……んなわけあるか。俺がちゃんと払うよ」

 持ってきた財布から三百円を取り出すと、翔真に手渡す。
 俺の分も合わせて二本分。決して、買いに行ってくれる親友の分ではないことをご容赦願いたい。

「了解。行ってくるよ」

 スタスタと彼が教室を出て行けば、再び訪れる静かな空間。
 微かに届く下からの小さな寝息に少し口元が緩んでいると、珍しいことに菊池さんから声が掛かる。

「かなちゃん、本当に寝てるの……?」

「まぁね。かなたは元々こんなに夜更かしするタイプじゃないし、仕方ないんだろうけど……」

「じゃ、じゃあ……蔵敷くんはよく夜更かしするんだ?」

「あぁ、そうだな。少なくとも、この時間までならよく起きてる」

 ……本当に珍しいな。俺と彼女がまさか二言以上も会話をするなんて…………今まであっただろうか。
 と、俺は驚いていた。

 周りからはよく一緒にいると思われがちであるけれど、俺と彼女の関係性は言わば、友達の友達。
 あくまでもかなたと共にいる子でしかなく、同じ部活のマネージャーであることは知ってるけれど、特にそこで絡んだこともないし。

 だから、このタイミングでの会話は、俺の方でも少々想定外な出来事だと感じている。

「…………でも、それを言うなら女子の方はキツそうだよな。男子ほど夜遅くまで起きてるイメージないし、大変じゃ……?」

 事実、この場に寝ているうちの七割は女子だ。
 『夜ふかしはお肌の敵』とはよく聞く言葉だしな。

「う、うん……そのはず…………なんだけど」

 しかし、そうなってはいない菊池さんの状態にはなにか理由があるようで……。

「しょ、翔真くんと隣同士で一晩過ごすなんて……緊張して眠るどころの話じゃないよぉー……」

 と、いうことらしい。
 呟き声が聞こえ――いや、俺は何も聞いてない。あー、声が小さくて聞こえなかったなー。

「…………? 何の話をしているんだ?」

『……………………!?』

 ともすれば、タイミングが良いのか悪いのか翔真が戻ってきた。
 先程の発言を聞かれてやしないかと二人で焦っていたが、小首を傾げるその姿を見る限りでは大丈夫なのだろう。

「……俺が夜更かししてる、って話だ。コーヒー、ありがとな」

 二缶とお釣りを受け取れば、それはどちらもブラック。
 まぁ、眠気覚ましにはもってこいか。

「あー、確かにそらは遅くまで起きてるよな。――あっ、はい菊池さんの分も」

「えっ……!? あ、ありがとう…………あの、お金……」

「いいよ、別に。俺が勝手に買ってきたんだしさ」

 やだー、翔真パイセンかっこいいー!
 返答の流れまで、全てがスマートすぎる。これはモテるわ。

 恐らくは四人中三人だけだとバランスが悪く感じて奢ることにしたのだろうけど、そう簡単にできることではないと俺は思う。
 世のモテない男子はこういう所なんだろうな。……俺も含めて。

 さて、そんなこんなで武器も手に入り、もうひと頑張りしようとなったわけだが、相も変わらずかなただけは人の太腿で寝ていた。

「…………ホント、このマイペースさんはいつ起きるんだか」

 コーヒーも用意したし、無理にでも起こして飲ませるか……?
 そう思い、柔らかそうな頬に手を伸ばす。

 けれど、安心したように目を瞑っているその横顔を見たら、やる気も失せるというもの。

「…………これは、コーヒー代だからな」

 ムニッと優しく摘むと、程よい弾力が返る。
 目にかかる前髪を横に払えば、少しだけ身動ぎをした。

「――そらくーん。やけに楽しそうですねー?」

 そんな姿が面白く、夢中で遊んでいれば頭上から声が掛かった。

「……………………あっ、やべ……」

 顔を上げるとそこには、笑顔のまま頭に青筋を浮かべる我が担任が。

「かなたさんも気持ちよさそうに寝ていることですし、さぞやお暇なことなのでしょう。プリントでもいかがですか? ――ざっと二十枚ほど」

 あー……終わったな、俺の夏休み。
 状況が状況だけに断ることもできず、ただただ俺は途方に暮れる。

 そんな中でも、我が眠り姫だけは静かに健やかに、何も知らず夢の世界を旅しているのだった。
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