彼と彼女の365日

如月ゆう

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July

7月27日(土) 思いを馳せる者たち①

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「亮吾くーん……そろそろ終わりにしないっスか?」

 そんな言葉が耳朶を打ち、俺は我に返る。
 同時に乱れる息、溢れる汗。全身が急に火照ったように感じ、服の前襟や袖で何度と拭うもそれは留まる所を知らない。

 来ていた練習着はしとどに濡れ、ポタリポタリと床にまで広がっていた。

「あーあ……それ、誰が掃除すると思ってるんスか? マネハラっスか。マネージャー・ハラスメントっスか!」

「わざわざ二回言わなきゃ伝わらない単語を言うなよ、分かりづらいだろ」

 そう言って顔を上げれば、辺り一面にはシャトルが埋もれそうなほどに散らばっており、窓から覗く外の景色はすでに暗闇で覆われている。

 一方の声を掛けてくれた彼女――ウチの唯一のマネージャーであり、一つ下の後輩でもある琴葉は、檀上に腰を掛けたまま脚をプランプランと前後に揺らしていた。

「……それで? まだ続けるつもりなんスか?」

 脈絡はない。
 自身のどうでもいい発言も、それをわざわざ拾ってあげた俺の返しも、全てを無視して尋ねる。

「あっ、一応言っておくと、亮吾くんが自主練を始めてそろそろ六時間が経つっス。何にしても、水分補給はした方がいいっスよ」

 フリフリと、チャポチャポと、手に持つペットボトルを振りながら。

「…………はぁ、分かったよ。終わるから、片付けるのを手伝ってくれるか?」

 そのやり取りに俺はため息を零した。
 確かに、琴葉の言う通り、もういい時間だ。

 ともすれば、壇上からスタッと床に降り立った彼女は、ポーズを決めて申し出たお願いに元気よく返事をする。

「もちっス、おけっス、かしこまりっス。何てったって、ウチは――」

「――アイドルか? それは初耳だな」

「違うっスよ、マネージャーっスから! マネージャー! ……というか、選曲古すぎて今時の子は誰も分かんないっスよ」

 ……お前は知ってるだろ。
 と、そう指摘しようかと考えていたら、不意に何かが投げられた。

 部活で培った反射神経。それを存分に発揮して受け取ってみれば、そこには何て事のないただのペットボトル。
 より具体的にいうなら、先程まで琴葉が揺らしていたスポーツドリンクだ。

「それと、亮吾くんは休んでていいっスよ! ウチの仕事なんで!」

 ――そういうことらしい。
 どういう風の吹き回しかは知らないけれど、ならば言葉に甘えよう。

 服を脱ぎ、タオルで一度汗を拭き取れば、制汗剤を使用する。
 その間にも、彼女は落ちたシャトルを慣れた手つきで筒に戻し、一面だけ作られたコートを元の状態にし、モップ掛けで床を綺麗に仕上げていた。

「ふぅーん、随分と仕事が板について――って、これ飲みかけじゃ……!?」

 そんな後ろ姿を眺め、呟きながらペットボトルを呷るためキャップを捻ると、新品独特の堅い感触が伝わったこず、慌てて口から離す。
 また、同時に本人を見やれば、ケタケタと面白そうに笑っていた。

「そりゃ、そうっスよ。ウチだって待機とはいえ六時間この場にいたわけですし、夏場ですから喉が渇くのも当然っス」

「だからって、二本用意すれば済む話じゃ……」

「ウチの自腹っスから! そんなお金はないっス!」

 そう、語りながら。

「……さいですか」

 …………でもまぁ、せっかく貰ったんだし、俺のために買ってきてもらったんだし……飲むか。

 思い切って呷れば、温い液体が喉を潤す。
 電解質特有の僅かな苦み、そして水やお茶では味わえない――この体に染み渡る感覚。

「――そ、そういえば……何でこんな時間まで練習しようって思ったんスか? お爺ちゃ……監督は来週に備えて身体を休めるために、土日の練習を休みにしたのに……」

 問う琴葉であるが、モップ掛けを彼女は未だに続けているためその顔は見えない。
 もう一口呷り、天井に輝く照明をボンヤリと眺めながら俺は答えた。

「……………………聞かなくても分かるだろ」

 そんなもの、たった一つしかない。

「畔上翔真くん……ッスか?」

「……あぁ」

 見られていないと、そう分かっていながら敢えて頷く。

「――二度だ。去年の屈辱から県大会、九州大会と二度のチャンスがあったにもかかわらず、俺は彼と戦うことができなかった。後は、もう全国しかないんだよ。今までよりも、さらに過酷なこの大会にしかチャンスは……!」

 ……別に後悔しているわけではない。その逃した二度の機会であるが、そこから学ぶことも確かにあったから。
 そうではなく、けれども全力を尽くして目的を果たそうと励んでいたら、気付けばこうなっていたという話だ。

 心が逸って、何もしないということが耐えられていないだけ。

「……………………いや、別に今回戦えなくても次の新人戦で戦えるっスよね? 亮吾くん、まだ二年生なわけだし……」

「…………………………………………」

 などと語っていれば、空気を読めない娘はそんなマジレスを返す。

「…………あのさ、違くない?」

「何がっスか?」

 そうじゃない、と俺は思う。
 確かに戦う機会はまだたくさんあるけれど、期間にして来年まで続くけれど、だからってそういう話にはならない。

 去年味わった屈辱だ。それを清算するための戦いだ。
 いわば、この夏の大会はその節目であり、集大成ともなるわけで……。

「だから、どうしてもこの夏の間に戦っておきたいのさ」

 真摯に、真っ直ぐ思いを伝える。
 まぁ、それで理解されるというわけでもなく――。

「んー……よく分かんないっス!」

 ――一蹴されるだけだけれど。

 でも、それでも、ニパッと笑ってくれる琴葉はこう告げてくれる。

「けど、亮吾くんの頑張りたい――って気持ちは伝わったわけで、ならウチはどこまでも応援してあげるだけっスから!」

 その言の葉は、夏の湿った風に乗り、確かに俺の心に届いた。
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