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July
7月27日(土) 思いを馳せる者たち①
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「亮吾くーん……そろそろ終わりにしないっスか?」
そんな言葉が耳朶を打ち、俺は我に返る。
同時に乱れる息、溢れる汗。全身が急に火照ったように感じ、服の前襟や袖で何度と拭うもそれは留まる所を知らない。
来ていた練習着はしとどに濡れ、ポタリポタリと床にまで広がっていた。
「あーあ……それ、誰が掃除すると思ってるんスか? マネハラっスか。マネージャー・ハラスメントっスか!」
「わざわざ二回言わなきゃ伝わらない単語を言うなよ、分かりづらいだろ」
そう言って顔を上げれば、辺り一面にはシャトルが埋もれそうなほどに散らばっており、窓から覗く外の景色はすでに暗闇で覆われている。
一方の声を掛けてくれた彼女――ウチの唯一のマネージャーであり、一つ下の後輩でもある琴葉は、檀上に腰を掛けたまま脚をプランプランと前後に揺らしていた。
「……それで? まだ続けるつもりなんスか?」
脈絡はない。
自身のどうでもいい発言も、それをわざわざ拾ってあげた俺の返しも、全てを無視して尋ねる。
「あっ、一応言っておくと、亮吾くんが自主練を始めてそろそろ六時間が経つっス。何にしても、水分補給はした方がいいっスよ」
フリフリと、チャポチャポと、手に持つペットボトルを振りながら。
「…………はぁ、分かったよ。終わるから、片付けるのを手伝ってくれるか?」
そのやり取りに俺はため息を零した。
確かに、琴葉の言う通り、もういい時間だ。
ともすれば、壇上からスタッと床に降り立った彼女は、ポーズを決めて申し出たお願いに元気よく返事をする。
「もちっス、おけっス、かしこまりっス。何てったって、ウチは――」
「――アイドルか? それは初耳だな」
「違うっスよ、マネージャーっスから! マネージャー! ……というか、選曲古すぎて今時の子は誰も分かんないっスよ」
……お前は知ってるだろ。
と、そう指摘しようかと考えていたら、不意に何かが投げられた。
部活で培った反射神経。それを存分に発揮して受け取ってみれば、そこには何て事のないただのペットボトル。
より具体的にいうなら、先程まで琴葉が揺らしていたスポーツドリンクだ。
「それと、亮吾くんは休んでていいっスよ! ウチの仕事なんで!」
――そういうことらしい。
どういう風の吹き回しかは知らないけれど、ならば言葉に甘えよう。
服を脱ぎ、タオルで一度汗を拭き取れば、制汗剤を使用する。
その間にも、彼女は落ちたシャトルを慣れた手つきで筒に戻し、一面だけ作られたコートを元の状態にし、モップ掛けで床を綺麗に仕上げていた。
「ふぅーん、随分と仕事が板について――って、これ飲みかけじゃ……!?」
そんな後ろ姿を眺め、呟きながらペットボトルを呷るためキャップを捻ると、新品独特の堅い感触が伝わったこず、慌てて口から離す。
また、同時に本人を見やれば、ケタケタと面白そうに笑っていた。
「そりゃ、そうっスよ。ウチだって待機とはいえ六時間この場にいたわけですし、夏場ですから喉が渇くのも当然っス」
「だからって、二本用意すれば済む話じゃ……」
「ウチの自腹っスから! そんなお金はないっス!」
そう、語りながら。
「……さいですか」
…………でもまぁ、せっかく貰ったんだし、俺のために買ってきてもらったんだし……飲むか。
思い切って呷れば、温い液体が喉を潤す。
電解質特有の僅かな苦み、そして水やお茶では味わえない――この体に染み渡る感覚。
「――そ、そういえば……何でこんな時間まで練習しようって思ったんスか? お爺ちゃ……監督は来週に備えて身体を休めるために、土日の練習を休みにしたのに……」
問う琴葉であるが、モップ掛けを彼女は未だに続けているためその顔は見えない。
もう一口呷り、天井に輝く照明をボンヤリと眺めながら俺は答えた。
「……………………聞かなくても分かるだろ」
そんなもの、たった一つしかない。
「畔上翔真くん……ッスか?」
「……あぁ」
見られていないと、そう分かっていながら敢えて頷く。
「――二度だ。去年の屈辱から県大会、九州大会と二度のチャンスがあったにもかかわらず、俺は彼と戦うことができなかった。後は、もう全国しかないんだよ。今までよりも、さらに過酷なこの大会にしかチャンスは……!」
……別に後悔しているわけではない。その逃した二度の機会であるが、そこから学ぶことも確かにあったから。
そうではなく、けれども全力を尽くして目的を果たそうと励んでいたら、気付けばこうなっていたという話だ。
心が逸って、何もしないということが耐えられていないだけ。
「……………………いや、別に今回戦えなくても次の新人戦で戦えるっスよね? 亮吾くん、まだ二年生なわけだし……」
「…………………………………………」
などと語っていれば、空気を読めない娘はそんなマジレスを返す。
「…………あのさ、違くない?」
「何がっスか?」
そうじゃない、と俺は思う。
確かに戦う機会はまだたくさんあるけれど、期間にして来年まで続くけれど、だからってそういう話にはならない。
去年味わった屈辱だ。それを清算するための戦いだ。
いわば、この夏の大会はその節目であり、集大成ともなるわけで……。
「だから、どうしてもこの夏の間に戦っておきたいのさ」
真摯に、真っ直ぐ思いを伝える。
まぁ、それで理解されるというわけでもなく――。
「んー……よく分かんないっス!」
――一蹴されるだけだけれど。
でも、それでも、ニパッと笑ってくれる琴葉はこう告げてくれる。
「けど、亮吾くんの頑張りたい――って気持ちは伝わったわけで、ならウチはどこまでも応援してあげるだけっスから!」
その言の葉は、夏の湿った風に乗り、確かに俺の心に届いた。
そんな言葉が耳朶を打ち、俺は我に返る。
同時に乱れる息、溢れる汗。全身が急に火照ったように感じ、服の前襟や袖で何度と拭うもそれは留まる所を知らない。
来ていた練習着はしとどに濡れ、ポタリポタリと床にまで広がっていた。
「あーあ……それ、誰が掃除すると思ってるんスか? マネハラっスか。マネージャー・ハラスメントっスか!」
「わざわざ二回言わなきゃ伝わらない単語を言うなよ、分かりづらいだろ」
そう言って顔を上げれば、辺り一面にはシャトルが埋もれそうなほどに散らばっており、窓から覗く外の景色はすでに暗闇で覆われている。
一方の声を掛けてくれた彼女――ウチの唯一のマネージャーであり、一つ下の後輩でもある琴葉は、檀上に腰を掛けたまま脚をプランプランと前後に揺らしていた。
「……それで? まだ続けるつもりなんスか?」
脈絡はない。
自身のどうでもいい発言も、それをわざわざ拾ってあげた俺の返しも、全てを無視して尋ねる。
「あっ、一応言っておくと、亮吾くんが自主練を始めてそろそろ六時間が経つっス。何にしても、水分補給はした方がいいっスよ」
フリフリと、チャポチャポと、手に持つペットボトルを振りながら。
「…………はぁ、分かったよ。終わるから、片付けるのを手伝ってくれるか?」
そのやり取りに俺はため息を零した。
確かに、琴葉の言う通り、もういい時間だ。
ともすれば、壇上からスタッと床に降り立った彼女は、ポーズを決めて申し出たお願いに元気よく返事をする。
「もちっス、おけっス、かしこまりっス。何てったって、ウチは――」
「――アイドルか? それは初耳だな」
「違うっスよ、マネージャーっスから! マネージャー! ……というか、選曲古すぎて今時の子は誰も分かんないっスよ」
……お前は知ってるだろ。
と、そう指摘しようかと考えていたら、不意に何かが投げられた。
部活で培った反射神経。それを存分に発揮して受け取ってみれば、そこには何て事のないただのペットボトル。
より具体的にいうなら、先程まで琴葉が揺らしていたスポーツドリンクだ。
「それと、亮吾くんは休んでていいっスよ! ウチの仕事なんで!」
――そういうことらしい。
どういう風の吹き回しかは知らないけれど、ならば言葉に甘えよう。
服を脱ぎ、タオルで一度汗を拭き取れば、制汗剤を使用する。
その間にも、彼女は落ちたシャトルを慣れた手つきで筒に戻し、一面だけ作られたコートを元の状態にし、モップ掛けで床を綺麗に仕上げていた。
「ふぅーん、随分と仕事が板について――って、これ飲みかけじゃ……!?」
そんな後ろ姿を眺め、呟きながらペットボトルを呷るためキャップを捻ると、新品独特の堅い感触が伝わったこず、慌てて口から離す。
また、同時に本人を見やれば、ケタケタと面白そうに笑っていた。
「そりゃ、そうっスよ。ウチだって待機とはいえ六時間この場にいたわけですし、夏場ですから喉が渇くのも当然っス」
「だからって、二本用意すれば済む話じゃ……」
「ウチの自腹っスから! そんなお金はないっス!」
そう、語りながら。
「……さいですか」
…………でもまぁ、せっかく貰ったんだし、俺のために買ってきてもらったんだし……飲むか。
思い切って呷れば、温い液体が喉を潤す。
電解質特有の僅かな苦み、そして水やお茶では味わえない――この体に染み渡る感覚。
「――そ、そういえば……何でこんな時間まで練習しようって思ったんスか? お爺ちゃ……監督は来週に備えて身体を休めるために、土日の練習を休みにしたのに……」
問う琴葉であるが、モップ掛けを彼女は未だに続けているためその顔は見えない。
もう一口呷り、天井に輝く照明をボンヤリと眺めながら俺は答えた。
「……………………聞かなくても分かるだろ」
そんなもの、たった一つしかない。
「畔上翔真くん……ッスか?」
「……あぁ」
見られていないと、そう分かっていながら敢えて頷く。
「――二度だ。去年の屈辱から県大会、九州大会と二度のチャンスがあったにもかかわらず、俺は彼と戦うことができなかった。後は、もう全国しかないんだよ。今までよりも、さらに過酷なこの大会にしかチャンスは……!」
……別に後悔しているわけではない。その逃した二度の機会であるが、そこから学ぶことも確かにあったから。
そうではなく、けれども全力を尽くして目的を果たそうと励んでいたら、気付けばこうなっていたという話だ。
心が逸って、何もしないということが耐えられていないだけ。
「……………………いや、別に今回戦えなくても次の新人戦で戦えるっスよね? 亮吾くん、まだ二年生なわけだし……」
「…………………………………………」
などと語っていれば、空気を読めない娘はそんなマジレスを返す。
「…………あのさ、違くない?」
「何がっスか?」
そうじゃない、と俺は思う。
確かに戦う機会はまだたくさんあるけれど、期間にして来年まで続くけれど、だからってそういう話にはならない。
去年味わった屈辱だ。それを清算するための戦いだ。
いわば、この夏の大会はその節目であり、集大成ともなるわけで……。
「だから、どうしてもこの夏の間に戦っておきたいのさ」
真摯に、真っ直ぐ思いを伝える。
まぁ、それで理解されるというわけでもなく――。
「んー……よく分かんないっス!」
――一蹴されるだけだけれど。
でも、それでも、ニパッと笑ってくれる琴葉はこう告げてくれる。
「けど、亮吾くんの頑張りたい――って気持ちは伝わったわけで、ならウチはどこまでも応援してあげるだけっスから!」
その言の葉は、夏の湿った風に乗り、確かに俺の心に届いた。
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