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June
6月29日(土) 九州大会・個人戦・二日目・下
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運命の第三セット。
泣いても笑ってもこれが最後、という状況で俺の心は凪いでいた。
二セット目の中盤あたりからだっただろうか。
不思議と体が軽く、球はいつも以上によく見え、息切れしているはずなのに疲れは全く感じない、無限に動けそうなほどに体力が湧いてくる感覚。
これがいわゆる『ゾーン』と呼ばれる状態なのかもしれない。
負ける気がしなかった。
今ならどんなコースにでも完璧に打ち分け、コート上に落ちる球なら全て拾えると確信している。
そうして始まったラストゲームは、一方的な展開を見せた。
シャトルを打つ頃には既に相手の返す位置まですべて理解でき、ジャンピングスマッシュをショートサービスラインの内側に打ち込むと同時に俺は前へ走る。
迷いはない。もはや未来予知に匹敵するほどの予測。
即座にプッシュで後方に押しやれば、それだけで点を得られた。
「ワン・ラブ」
また、逆にどれだけスマッシュを打ち込まれ、そこにフェイントを織り混ぜられようとも全てのシャトルの落下地点が手に取るように見えてしまう。
拾い、拾われて、ストレスが溜まったのだろう。珍しくもやぶれかぶれに放ってきた翔真のスマッシュであるが、それは動く必要さえなかった。
見向きもせず、勝手に放っておけば自然と逸れてラインを割った。
「トゥ・ラブ」
順調に、確実に点を重ねていく。
圧倒的なまでに一方的に。
……けれど、そう上手くはいかないのが世の常であった。
「――フィフティーン・ラブ」
いつの間にか全体の七分の五を無傷で稼いでいた俺であったがしかし、急な体の変化に気付く。
重たかった。足も腕も。
先程の軽快さはどこにいったのかと、自分に尋ねたくなるほどに動かなかった。
シャトルさえも重く感じ、意識して拳に力を込めないと今にもラケットを落としてしまいそうだ。手が震える。
ゾーンが終わった――それだけじゃない。
多分だけど、俺の中にあるはずの体力を全部使ってしまったんだ。
昔読んだ少年系のスポコン漫画にも挙げられていたけど、体力を湯船に溜まった水として考えたとき、『ゾーン』とはその栓を抜くことである――と。
その意味がやっと分かった。
調子に乗った、セーブできなかった、フルで動きすぎた。
こうして頭だけは未だに動き、気力もまだ十分であるというのに……体がついてきてくれない。
それをすごくもどかしいと思う。
得点したために、こちらからのサーブ。
息を薄く吐き、いつも通りの動きでサービスを開始した――のだが、打った瞬間に気付いた。気付いてしまった。
弱い、と。
案の定、シャトルはネットを超えることなく引っかかり、ポトリと静かに落ちていく。
「フォルト、ワン・フィフティーン」
傍から見ればただの凡ミス。
よくある事だと笑って次に繋げるような、そんな一シーン。
しかしそれが、今年に入って初めてのサーブミスであるとするなら、俺のことを知っている奴らはどう思うだろうか。
何かに勘づいた翔真がとった行動は、この試合初めて見せるロングサーブであった。
速く、ジャンプしてもギリギリ届かない高さに設定された、意地悪な球。
それを追ってバックステップを踏む俺であったけれど、途中で足が縺れてその場に尻もちをついてしまう。
……正直いってダメだった。身体が死んでいる。
ともなれば、どうなるのか。
分かりきった展開であるが、あれだけ突き放していた点数差はあっという間に元通り。
そして、打開する術はない。
反応が重要なスポーツにおいて、身体が追いつかないなど敗北宣言に等しいのだから。
いくら頭が動くからって、それでどうにかできるわけでは――。
――ない、と答えようとして思考を打ち切る。
立ち止まったままに手首、腕、肩と動かし、足踏みをして具合を確かめた。
「取られた十五点分の時間で、ちょっとは動けるか……」
もちろん、本調子の十パーセントにも満たないだろうが、最低限の動きはできそうだ。
「……なら、やってみる価値はあるかもな」
どうせこのまま負けを待つくらいなら、何か思いついたことをやってやろう。
そんな心意気とともに俺は構える。普段よりもかなり後ろの立ち位置で。
そうすれば、体力の危機を察している翔真は……いや、そうでなくともセオリー通りにショートサーブを行うので打つ瞬間に合わせてなるべく急いで、しかし体力は極力使わないように拾いに行く。
間に合うと同時に俺は返すが、けれど球は浮いてしまい甘い返球となった。
それを当たり前のように、そして確実に決めるために翔真はスマッシュの体勢をとる。
落下するシャトル、それを半身に構え、全身を使って振るうラケットによって生まれるショットの初速は優に三百キロを超えていることだろう。
にも拘わらず、俺はネット際で立ち尽くし、まるでバレーのブロックでもするかのように、ある位置に面を立てれば、吸い込まれるようにしてピッタリとガットに触れ、失った勢いのままにシャトルがネットを越えることはなかった。
『…………う、うおぉぉぉ!』
スマッシュをネット際でブロックする――なんて言う荒業に観客は沸く。
一方で翔真は何が起きたのか分からないように呆然と眺めており、俺はといえば「上手くいってよかった」という無感情な安堵に包まれていた。
「……し、シックスティーン・フィフティーン!」
主審も遅れてコールするが、動揺を隠しきれていない。
当たり前だ、あんなもの普通はできるはずがないのだから。
俺もそう。言うなれば、翔真が相手だからこそできた、今日限定のスーパープレイ。
長年一緒に練習し、一生の中で一番戦ったからこそ、その予備動作でコースを予測することができた。
そして同時に――。
「コレでまだ、戦える……!」
身体はもうボロボロだ。ダッシュできる自信もない。
それでも、光を見出してしまったのなら俺はこの足が折れるまで、腕がちぎれるまで、命尽き果てるまで挑もうと思う。
それが親友との約束なのだから。
♦ ♦ ♦
それから、一進一退の攻防は続いた。
あのプレイ以降、相手はネット近くの球は全て叩き落とされると警戒し、クリアなどの頭上を越えるショットを使うほかなく、しかし、それだけでは俺の体力を無闇矢鱈に回復させてしまうだけ、というジレンマを抱えている。
一方のこちらも、体力がない以上は残っている分をなるべく消費せず有効活用するしかなく、前後の揺さぶりに対応する術は持っていないため、相手の打つ前に予測して先に動いておく、という綱渡り的な行動をとっていた。
つまりは、俺の予測が外れて点を失うか、翔真が攻めどころを誤って点を獲得するかの持久戦。
お互いに裏の裏まで読み、フェイントを重ね、それさえも予測し、気が付けば二十九対二十八という長丁場だ。
俺のサーブ、ブレイクすれば勝ちであるこの場面。
ロングサーブから始まったラリーは数多の予測と読みの上に成り立ち、だからこそ、些細な歪みが展開を一変させる。
前に落とされることを読み、拾いに行った俺であるが、そこで汗に足を滑らせ、浮いた球を返してしまった。
しかも、踏ん張るために手を付いてしまい僅かに身体が硬直する。
そこを見逃すわけもなく、叩こうと翔真はスマッシュを放つ。
幸いだったのは、そのコースが手の届く範囲内であったということ。決めることを優先し、とにかく適当に打ったのだろう。
膝立ちのままラケットを伸ばせば、それはブロックショットとなって行く手を阻み、落ちる。
勝った、と一瞬だけ慢心した。
だから、飛び込んで接地するギリギリのシャトルを拾われたと気付いたときにはかなり焦ってしまった。
ただ返すだけの球であり、浮き上がった絶好球に対して急いで立ち上がると、いつもの癖でジャンプスマッシュを打ってしまう。
けれど、その打球の進む先には相手のラケットが。
体は宙に浮いており、前に詰められない。
妨げられたシャトルはゆっくりと、俺の落下に合わせて一緒に落ちていき、それを見守ることしかできなかった。
「この……天才めが……!」
最後の最後。
この土壇場で追いついてきやがった。それも、この第三セットで使った俺の技を盗んで。
確かにお互いがお互いと研鑽してきた時間は同じだ。
俺に翔真の動きが予測できるなら、翔真だって俺の動きが予測できることは考えられる事実。
けど、ここでやってくることかよ……。
「トゥエンティナイン・オール」
審判のコールが響く。
本来ならまたデュースとなり二点先取が続くのだけど、大会のルールとしてそれは三十点で打ち止めとなっているので、文字通り、本当に最後の一球であった。
だから、このラリーだけは残った体力を、余すところなく本気で使う。
来るのはロングサーブ。それもかなり深く、インかアウトかの判断が難しい。
だったら、打って続ける。カットショットで前に落とすと、同時に俺は全力ダッシュをした。
返しのヘアピン――それだけなら、ここまで走る必要はない。憎らしくも、ネットインで入れてきたそれを前に飛びついて拾うと、球は浮き上がる。
反応よくそれをプッシュで返そうとする翔真に対し、俺はそっとラケットを差し込んだ。
跳ね返るシャトル。高く、ゆっくりとコートの後方へ飛んでいく姿を見ながら俺は思った。
「あぁ……これで終わってくれ……」
先程のダッシュが全力だった。
もう一歩も動きたくないし、動かしたくない。気力も尽きた。
「――っ! 終わらせるわけないだろ……!」
なのに、翔真は諦めてくれない。
走る、駆ける。疾く、速く。前に飛び込みながら、こちらを見る余裕もなくがむしゃらに、ただコートに入れるだけのノールックバックショット。
「……だったら、付き合ってやるよ」
高く上がって助かった。
フラフラの身体を、ラケットを使って起こし、落下地点に移動する。
汗で滲む視界、反射する照明。
頭上に手を掲げ、半身になり、正真正銘最後の一撃を放とう。
返されることは考えない。
その場で跳び、腕を振り、一心不乱に打ち込んだ。
コースは翔真の飛び込んだ位置から一番遠い、コートの前方。
けれど、だからこそ読まれるコースで、しかも触れさえすれば俺は返せずに勝てるという状況に、翔真が諦めるはずもない。
想定していたコースの落下地点に完璧にラケットを構える姿を眺めながら、俺は着地に失敗して転ぶ。
そんな折、俺も、翔真も信じられない光景を目の当たりにした。
真っ直ぐ進むと思っていた打球はしかし、ネットに触れることで唐突に進路を変える。
誰も想定していない変則的な動き――いや、ある意味この試合で一番見たであろう軌道変化に、反応できたものはいなかった。
意図的ではない。
そうであったなら、それこそきっと返されていたであろう。
俺の……執念の一打が呼んだ奇跡。
シャトルは静かに、寂しくポトリと落ち、会場は静寂に満ちる。
「ゲーム! マッチ・ウォンバイ・蔵敷!」
その後に満ちる歓声を、俺はただただ聞いている事しかできなかった。
泣いても笑ってもこれが最後、という状況で俺の心は凪いでいた。
二セット目の中盤あたりからだっただろうか。
不思議と体が軽く、球はいつも以上によく見え、息切れしているはずなのに疲れは全く感じない、無限に動けそうなほどに体力が湧いてくる感覚。
これがいわゆる『ゾーン』と呼ばれる状態なのかもしれない。
負ける気がしなかった。
今ならどんなコースにでも完璧に打ち分け、コート上に落ちる球なら全て拾えると確信している。
そうして始まったラストゲームは、一方的な展開を見せた。
シャトルを打つ頃には既に相手の返す位置まですべて理解でき、ジャンピングスマッシュをショートサービスラインの内側に打ち込むと同時に俺は前へ走る。
迷いはない。もはや未来予知に匹敵するほどの予測。
即座にプッシュで後方に押しやれば、それだけで点を得られた。
「ワン・ラブ」
また、逆にどれだけスマッシュを打ち込まれ、そこにフェイントを織り混ぜられようとも全てのシャトルの落下地点が手に取るように見えてしまう。
拾い、拾われて、ストレスが溜まったのだろう。珍しくもやぶれかぶれに放ってきた翔真のスマッシュであるが、それは動く必要さえなかった。
見向きもせず、勝手に放っておけば自然と逸れてラインを割った。
「トゥ・ラブ」
順調に、確実に点を重ねていく。
圧倒的なまでに一方的に。
……けれど、そう上手くはいかないのが世の常であった。
「――フィフティーン・ラブ」
いつの間にか全体の七分の五を無傷で稼いでいた俺であったがしかし、急な体の変化に気付く。
重たかった。足も腕も。
先程の軽快さはどこにいったのかと、自分に尋ねたくなるほどに動かなかった。
シャトルさえも重く感じ、意識して拳に力を込めないと今にもラケットを落としてしまいそうだ。手が震える。
ゾーンが終わった――それだけじゃない。
多分だけど、俺の中にあるはずの体力を全部使ってしまったんだ。
昔読んだ少年系のスポコン漫画にも挙げられていたけど、体力を湯船に溜まった水として考えたとき、『ゾーン』とはその栓を抜くことである――と。
その意味がやっと分かった。
調子に乗った、セーブできなかった、フルで動きすぎた。
こうして頭だけは未だに動き、気力もまだ十分であるというのに……体がついてきてくれない。
それをすごくもどかしいと思う。
得点したために、こちらからのサーブ。
息を薄く吐き、いつも通りの動きでサービスを開始した――のだが、打った瞬間に気付いた。気付いてしまった。
弱い、と。
案の定、シャトルはネットを超えることなく引っかかり、ポトリと静かに落ちていく。
「フォルト、ワン・フィフティーン」
傍から見ればただの凡ミス。
よくある事だと笑って次に繋げるような、そんな一シーン。
しかしそれが、今年に入って初めてのサーブミスであるとするなら、俺のことを知っている奴らはどう思うだろうか。
何かに勘づいた翔真がとった行動は、この試合初めて見せるロングサーブであった。
速く、ジャンプしてもギリギリ届かない高さに設定された、意地悪な球。
それを追ってバックステップを踏む俺であったけれど、途中で足が縺れてその場に尻もちをついてしまう。
……正直いってダメだった。身体が死んでいる。
ともなれば、どうなるのか。
分かりきった展開であるが、あれだけ突き放していた点数差はあっという間に元通り。
そして、打開する術はない。
反応が重要なスポーツにおいて、身体が追いつかないなど敗北宣言に等しいのだから。
いくら頭が動くからって、それでどうにかできるわけでは――。
――ない、と答えようとして思考を打ち切る。
立ち止まったままに手首、腕、肩と動かし、足踏みをして具合を確かめた。
「取られた十五点分の時間で、ちょっとは動けるか……」
もちろん、本調子の十パーセントにも満たないだろうが、最低限の動きはできそうだ。
「……なら、やってみる価値はあるかもな」
どうせこのまま負けを待つくらいなら、何か思いついたことをやってやろう。
そんな心意気とともに俺は構える。普段よりもかなり後ろの立ち位置で。
そうすれば、体力の危機を察している翔真は……いや、そうでなくともセオリー通りにショートサーブを行うので打つ瞬間に合わせてなるべく急いで、しかし体力は極力使わないように拾いに行く。
間に合うと同時に俺は返すが、けれど球は浮いてしまい甘い返球となった。
それを当たり前のように、そして確実に決めるために翔真はスマッシュの体勢をとる。
落下するシャトル、それを半身に構え、全身を使って振るうラケットによって生まれるショットの初速は優に三百キロを超えていることだろう。
にも拘わらず、俺はネット際で立ち尽くし、まるでバレーのブロックでもするかのように、ある位置に面を立てれば、吸い込まれるようにしてピッタリとガットに触れ、失った勢いのままにシャトルがネットを越えることはなかった。
『…………う、うおぉぉぉ!』
スマッシュをネット際でブロックする――なんて言う荒業に観客は沸く。
一方で翔真は何が起きたのか分からないように呆然と眺めており、俺はといえば「上手くいってよかった」という無感情な安堵に包まれていた。
「……し、シックスティーン・フィフティーン!」
主審も遅れてコールするが、動揺を隠しきれていない。
当たり前だ、あんなもの普通はできるはずがないのだから。
俺もそう。言うなれば、翔真が相手だからこそできた、今日限定のスーパープレイ。
長年一緒に練習し、一生の中で一番戦ったからこそ、その予備動作でコースを予測することができた。
そして同時に――。
「コレでまだ、戦える……!」
身体はもうボロボロだ。ダッシュできる自信もない。
それでも、光を見出してしまったのなら俺はこの足が折れるまで、腕がちぎれるまで、命尽き果てるまで挑もうと思う。
それが親友との約束なのだから。
♦ ♦ ♦
それから、一進一退の攻防は続いた。
あのプレイ以降、相手はネット近くの球は全て叩き落とされると警戒し、クリアなどの頭上を越えるショットを使うほかなく、しかし、それだけでは俺の体力を無闇矢鱈に回復させてしまうだけ、というジレンマを抱えている。
一方のこちらも、体力がない以上は残っている分をなるべく消費せず有効活用するしかなく、前後の揺さぶりに対応する術は持っていないため、相手の打つ前に予測して先に動いておく、という綱渡り的な行動をとっていた。
つまりは、俺の予測が外れて点を失うか、翔真が攻めどころを誤って点を獲得するかの持久戦。
お互いに裏の裏まで読み、フェイントを重ね、それさえも予測し、気が付けば二十九対二十八という長丁場だ。
俺のサーブ、ブレイクすれば勝ちであるこの場面。
ロングサーブから始まったラリーは数多の予測と読みの上に成り立ち、だからこそ、些細な歪みが展開を一変させる。
前に落とされることを読み、拾いに行った俺であるが、そこで汗に足を滑らせ、浮いた球を返してしまった。
しかも、踏ん張るために手を付いてしまい僅かに身体が硬直する。
そこを見逃すわけもなく、叩こうと翔真はスマッシュを放つ。
幸いだったのは、そのコースが手の届く範囲内であったということ。決めることを優先し、とにかく適当に打ったのだろう。
膝立ちのままラケットを伸ばせば、それはブロックショットとなって行く手を阻み、落ちる。
勝った、と一瞬だけ慢心した。
だから、飛び込んで接地するギリギリのシャトルを拾われたと気付いたときにはかなり焦ってしまった。
ただ返すだけの球であり、浮き上がった絶好球に対して急いで立ち上がると、いつもの癖でジャンプスマッシュを打ってしまう。
けれど、その打球の進む先には相手のラケットが。
体は宙に浮いており、前に詰められない。
妨げられたシャトルはゆっくりと、俺の落下に合わせて一緒に落ちていき、それを見守ることしかできなかった。
「この……天才めが……!」
最後の最後。
この土壇場で追いついてきやがった。それも、この第三セットで使った俺の技を盗んで。
確かにお互いがお互いと研鑽してきた時間は同じだ。
俺に翔真の動きが予測できるなら、翔真だって俺の動きが予測できることは考えられる事実。
けど、ここでやってくることかよ……。
「トゥエンティナイン・オール」
審判のコールが響く。
本来ならまたデュースとなり二点先取が続くのだけど、大会のルールとしてそれは三十点で打ち止めとなっているので、文字通り、本当に最後の一球であった。
だから、このラリーだけは残った体力を、余すところなく本気で使う。
来るのはロングサーブ。それもかなり深く、インかアウトかの判断が難しい。
だったら、打って続ける。カットショットで前に落とすと、同時に俺は全力ダッシュをした。
返しのヘアピン――それだけなら、ここまで走る必要はない。憎らしくも、ネットインで入れてきたそれを前に飛びついて拾うと、球は浮き上がる。
反応よくそれをプッシュで返そうとする翔真に対し、俺はそっとラケットを差し込んだ。
跳ね返るシャトル。高く、ゆっくりとコートの後方へ飛んでいく姿を見ながら俺は思った。
「あぁ……これで終わってくれ……」
先程のダッシュが全力だった。
もう一歩も動きたくないし、動かしたくない。気力も尽きた。
「――っ! 終わらせるわけないだろ……!」
なのに、翔真は諦めてくれない。
走る、駆ける。疾く、速く。前に飛び込みながら、こちらを見る余裕もなくがむしゃらに、ただコートに入れるだけのノールックバックショット。
「……だったら、付き合ってやるよ」
高く上がって助かった。
フラフラの身体を、ラケットを使って起こし、落下地点に移動する。
汗で滲む視界、反射する照明。
頭上に手を掲げ、半身になり、正真正銘最後の一撃を放とう。
返されることは考えない。
その場で跳び、腕を振り、一心不乱に打ち込んだ。
コースは翔真の飛び込んだ位置から一番遠い、コートの前方。
けれど、だからこそ読まれるコースで、しかも触れさえすれば俺は返せずに勝てるという状況に、翔真が諦めるはずもない。
想定していたコースの落下地点に完璧にラケットを構える姿を眺めながら、俺は着地に失敗して転ぶ。
そんな折、俺も、翔真も信じられない光景を目の当たりにした。
真っ直ぐ進むと思っていた打球はしかし、ネットに触れることで唐突に進路を変える。
誰も想定していない変則的な動き――いや、ある意味この試合で一番見たであろう軌道変化に、反応できたものはいなかった。
意図的ではない。
そうであったなら、それこそきっと返されていたであろう。
俺の……執念の一打が呼んだ奇跡。
シャトルは静かに、寂しくポトリと落ち、会場は静寂に満ちる。
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