彼と彼女の365日

如月ゆう

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June

6月28日(金) 九州大会・個人戦・一日目・下

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 セット間の小休憩。
 タオルで汗を拭き、ドリンクを飲みながら俺は思考する。

「…………まさか、自分の技が盗まれるとはな」

 いや、事実をいえば技と呼べるほどでのものではないし、何なら全てのバドミントンプレイヤーがネットインは常に狙ってプレイしているのだから、そんなに状況として変わったわけではないのだけど、問題はその頻度にあった。

「……頻繁にネットインを出されるのって、案外ウザイものなんだな」

 偶然じゃない、二回や三回に一回だけ放たれるネットインというのはそれだけで鬱陶しい。
 スマッシュを警戒する以上は前へ詰めるのが難しく、しかしそうなればネットインが今度は対処できない。

 だからこそ、優勢だった二セット目をひっくり返されてしまった。

 そして、いよいよ最終セット。
 相手のサーブから試合は始まる。

 送られてきたショートサーブを前に返し、前に返し、攻められる前に攻めるスタイルで展開していくが相手もそんなにヤワではない。

 ロビングで仕切り直され、立て直す時間を与えてしまっては、あとは相手のペース。
 まだネットイン技術が完璧ではないところを突き、少し深めに守って、ネットから外れたスマッシュだけを狙って攻めてみるもジリ貧でしかなかった。

 相手は数本に一度ネットインを決めてくる上に、それなりの本数を打たせているから、その精度も上がってきている。

「セブンティーン・エイト」

 だから、これだけ差が開くのも当然であった。

「はぁはぁ……やっぱりしんどいな…………」

 それは体力的に、そして精神的に。
 これまでの連戦に加えて、満足な場所に球が飛んでこないことに苛立ちを覚える。

 ……全く、我ながら嫌な戦い方をしていたものだ。

「諦めてはどうかな? ネットインにも慣れてきた。もう君に打つ手はないだろ」

「生憎と諦めないって、どこぞのイケメン君に言ってしまったものでね。それに、一つ言わせてもらうが……慢心していると足を掬われるぞ?」

 シャトルを渡し、自陣に戻る。
 相手のサーブから始まったラリーは、しかしいつもの展開を見せて、何度目とも分からず相手はスマッシュ体勢をとっていた。

 けれど、ここで初めて俺は動く。
 この第三セットで守り通していた位置から二歩ほど前――例えネットインが来ようとも返球できる場所で構えた。

 来る打球は当然のようにネットイン。
 それに一歩強く踏み込んだ俺は、シャトルが浮くことも厭わずに返す。

 もちろん、相手もそのことは承知のようで前へ駆け、ダメ押しとばかりに球を叩きにくるが――俺はそれを待っていた。
 前に出した脚を軸に体を回せば、打つのではなく壁を立てるように相手のコースへラケットを差し込む。

 まるで鏡の反射のように、放たれた瞬間に相手コート奥へと跳ね返ったシャトルは誰にも触れられることなくポトリと落ちる。

 世界一速いスポーツであるバドミントンではこんな超至近距離でのボレーなど困難な技であり、しかし、決まれば誰も対処のできない本当の必殺ショット。
 ――それを俺はやってのけたのだ。

『おぉぉー!』

 沸く歓声。それとは裏腹に国立亮吾は唖然とした顔でこちらを見ていた。

「俺の技を盗めば勝てると思ったか? あの技が最強だと勘違いしたか? 舐めるなよ、俺が一番使ってるんだ。弱点くらい知っている」

 湧き出る汗をユニフォームの襟部分を引っ張って拭き取れば、俺はそう告げる。
 全ては最初から仕組んだこと。仕組まれたもの。

「ナイン・セブンティーン」

 そして、今更に気付いたところで抜け出せない罠だ。

 何のために俺がわざわざ深く守り、ネットインを執拗に狙わせていたのか。
 理由は単純で、その感覚を体に染み込ませるためである。

 今度は俺からのサーブということでわざと甘めにロングサーブを打ち出してあげれば、相手はすかさずスマッシュの構えを取る。

 それを俺は、またしても二歩ほど前に立って待つわけであるが、これはネットインを警戒しての立ち位置なため国立の持つ本来のスマッシュには反応が間に合わない。

 放たれた打球はネットに触れず、真っ直ぐにコートに突き刺さった。

 ――と、思っていることだろう。
 けど、これこそが罠なのだ。

 慣れないネットインという技術。
 それを執拗に行わせた場合、逆にネットに当てない普通のスマッシュはどんな軌道を辿るだろうか。

 答えは簡単。
 ネットからかなり浮き上がった、甘い球筋となる。

 だから俺は、今の立ち位置でも反応が間に合う。そして、その打球を前に落とす。
 得意としており、必殺な、ネットインという意趣返しまで行った上で。

「テン・セブンティーン」

 審判のコールが静かに響いた。

 ……まぁ、先程の一件からネットインは失点に繋がるというプレッシャー、そして優勢から一気に劣勢へと傾いたその心境とを合わせれば、その結果は当たり前のこと。
 誰だって、安全に、安牌に、ショットは決めたいと思うからな。

 でもそれは、バドミントンにおいて致命的だ。

 それからというもの、国立はなおも必死に抗い、抵抗するも、一度打ち込んだ楔はなかなか抜けることなく、ネットインもスマッシュもその悉くを俺に返されて、一セット目と同様に一方的な流れになってしまった。

「トゥエンティ・マッチポイント・セブンティーン」

 あと一点。それで勝てる。
 相手コートに落ちたシャトルを取りにネット際まで足を伸ばせば、国立はわざわざ手渡してきた。

「……やっぱり強いな、君は。畔上翔真が戦いたがるわけだ。誤審がなければ、あの時勝っていたのも君かもしれない」

 まるでもう諦めたかのような言葉。
 しかし、それを許さない者が一人いた。俺でも、彼自身でもない、俺からすれば全くの赤の他人が。

「亮吾くん! 諦めるなっス! まだ勝てるっスよー!」

 思わず二人して……いや、主審も含めたこの場の全員で見上げると、そこには小さな女の子がこちらに向けて叫んでいる。
 そしてその横にはかなたが――……。

「琴葉?」
「かなた!?」

 告げる名前は違うけれど、息の合ったように叫ぶ俺たち。

 というか、この状況で何で俺の方が驚いているんだよ……。
 いや、それは確実に、本来ここにいるはずのない無断欠席したアホがそこにいたからなんだけどさ。

「……なるほどな」

 そんな中で一人呟く国立。
 一体何を納得したのか。

「お互いに負けられない理由ができたな」

「…………は? …………あっ、いや違――!」

「――両者、コートに戻りなさい」

 変な勘違いをされたことに訂正を入れようとするも、そこで主審に指摘され、渋々と戻る俺。
 ……くそっ、こうなったら試合に勝って憂さ晴らしだ。

 相手からすれば絶体絶命、こちらからすればこれ以上ない好機という場面。

 ショートサーブからスタートしたラリーは相手がいきなりロビングで返してきたために、同じくハイクリアを行って相手を後方に下げた。
 その打球も持ち前の制球技術を駆使してコートの隅ギリギリに落としている。

 インかアウトか、落ち切るまでの僅かな時間で悩んでいたようであるが、劣勢な状態に割り切ったのだろう。
 関係なくスマッシュを打ってくるため、それを相手の打点位置に寸分の狂いなく返していく。

 とはいえ、攻められていることには変わらず、左右に振られるわけだけど、コートの対角線――なんていう距離を行き来しているわけでもないため、無事にリターンすることはできていた。

 それを数度行う、傍から見れば激しい応酬の中で今度は俺が仕掛ける。
 相手の位置の対角線にあたるコート前方の隅へといきなりシャトルを落としたのだ。それもネットインというオプションまで付けて。

 しかし、予め読まれていたようで敵は間に合う。
 ただし、移動距離の長さという代償は大きかったらしく、返球が甘くなり球が浮き上がってしまったけれど。

 そこを叩いて終了――とばかりに俺はプッシュを繰り出すが、そこで予想外のことが起きた。
 球を返すその瞬間、目の前には鏡合わせのようにもう一本のラケット面が現れたのだ。

「――くそっ、こんな技まで真似してんじゃねーよ……!」

 思わずついた悪態であるが、当然動きが止まるわけでもなく、放たれた球は相手のラケットによって跳ね返り、ゆっくりと打ち上がる。

 この時幸いだったことは二つ。
 一つはラケットの角度が甘く、シャトルが浮き上がったこと。そしてもう一つは、感覚的にアウトだと確信できたことだ。

 ……思い出すのは県大会の光景。
 あの時もこんな風に打ち上がり、追いかけ、そして俺が負けたんだっけか。

 自分の感覚を信じていれば、わざわざ走らず見届けていれば、あんなことにはならなかったというのに。
 もっと違う結果にだって、きっとなっていた。

 だから、間に合うのかも分からない打球を追う必要はないじゃないか。それに、まだ勝っている。もしインだとしても、次取ればいい。

「――って、そんなわけないだろ!」

 身体を翻し、俺は駆ける。

「そんなものは全力じゃない!」

 上を向き、ただただひたむきに一つの白い羽根を追って。

「これを見逃して負けたら、きっと俺は後悔する! だから――」

 しかし、そこで俺の足は止まった。
 諦めたわけじゃない。先にシャトルが落ちたわけでもない。

 それは感覚的なもの。
 長年の経験が動きを止めさせ、足元を見ればその白線はあった。

 同時にすぐ前に落ちるシャトル。そこはすでに俺たちの戦場コート内の向こう側。

「ゲーム! マッチ・ウォンバイ・蔵敷」

 審判のコールが心地良く耳に届いた。
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