彼と彼女の365日

如月ゆう

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June

6月18日(火) 決壊するクラスの蟠り

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 LHR――通称、ロング・ホーム・ルーム。
 小・中学校で言うところの『学活』にあたる時間であり、クラスで大々的な決め事を行うときなどに利用される時間なのだけど、文化祭という学園三大イベントも終えた今、特にやるべきことは何もなかった。

 加えて、七月の一週目から定期考査ということもあり、このまま何もないなら試験勉強の時間にでも充てようか――と、意見が出ていた矢先の出来事だ。

 それは唐突に、しかし予兆はあったように思う。

「……いや、何もないってことはないでしょ。そこの二人のこととかさ、ずっとこのままにしておく気なの?」

 声を上げたのは、私の席の左列、最前席に座る一人の男の子。
 名前は…………残念ながら覚えていない。

 まぁ、私ともそらとも、ましてや詩音とも仲のいい生徒ではないのだし、別にいっか。

 その人が無作法にもこちらを指差し、指名して議題に上げれば、他所からもまたそれに同調した意見が出る。

「ホントそれ。私、誰かを虐めてた人と一緒に授業とか受けてられないんですけど。何されるか分かったもんじゃないし」

 そして、不満というものは一度漏れ出してしまえば、雫の波紋のように周りに伝染し、とめどなく溢れ出すもの。
 これまでの、読むことを強要されてきた空気に対して、皆は怒りを爆発させた。

「大体さ、この前殴られてたのだって本人の自業自得なわけでしょ? 何でアイツが被害者ヅラしてんの?」
「だよな。倉敷さんはそうでも、もう片っぽは当然の報いだろ」

「でもさ、その倉敷さんもよく分かんないよね。何でそれでも一緒にいるんだろ?」
「一緒にいさせられてるんじゃないの? この学校にも無理やり付いてきたりして……」
「何それ、怖っ……。てか、キモイ……」

 それは最早、公開悪口に等しい。
 証拠もない憶測を披露してはそれを拾って責めたて、更に憶測を深め……永遠に尽きることのない最低なマッチポンプ。

「おい、皆そのくらいに――」

 前に立って司会をしていた学級委員の畔上くんが止めに入るも、起きてしまった民衆の暴動は王の言葉だけでは静まらない。

「止めるなよ、翔真。仲が良くて庇いたい気持ちがあるのも分かるけどさ」
「そうだよ、翔真くん。優しいのは皆知ってるけど、だからって虐めの元凶を野放しにするのは良くないよ」

 歴史は繰り返す――とはよく言ったものだと思う。
 悪と断じたもののために振るう刃は、誰しもが遠慮なく、容赦なく、慈悲もなく、あの時に見た光景と何も変わらない。変わっていない。

 薄ら寒くて、とても気持ちの悪いもの。

 でもそれは、今の私なら変えられる。

「おい、何か言えよ蔵敷」
「無視とか感じ悪……」

 勢いをよく机に手をつくと、私は立ち上がった。
 反動で椅子が後ろへと流れ、他の人の机と接触事故を起こし、クラスメイトは一様にビクリと跳ねる。

「かなた……?」

 その中でも、後ろに座る幼馴染だけはきっと違う理由で驚いているのだろう。
 この状況で、なぜ立ち上がるのか……と、そう思っているに違いない。

 分かる、幼馴染だから。
 分かる、長年一緒に過ごしてきたのだから。

 だから、他の何も分かっていない人間が、勝手にそらのことを語ることが許せない。

 シンと静まるクラスの中を私は歩く。
 前に置かれた教壇に向かって。既に立っていた二人を押しのけ、全体を見渡した。

「そんなに聞きたいなら、そんなに知りたいなら…………皆には全てを話す」

 教えずに済むのなら、それが良かった。
 知られずに済むのなら、それで良かった。

 でも、こうなってしまっては仕方がない。

 覚悟を決め、息を吐き、私は全ての事情を語る。
 昔は恐怖で言えず、言えなくて後悔したことを、内容を全て話した。

 だというのに――。

「…………話は分かったけどさ、マジなのかな?」
「…………もしかしたら、これもアイツが言わせてるんじゃないの?」
「ありそう、それ。本人は黙りだしね」
「だったら、ガチのクズじゃん。アイツらが殴ってた理由も分かるわー」

 ……だというのに、何でこうも同じ光景を見るのか。

 過去に危惧していた通りだ。
 何を言っても受け止めてもらえず、結局そらの立場を悪くするだけ。

 …………本当に気に食わない。

「…………………………………………るな」

 下を俯く。握る拳は震えた。
 唇を噛み締め、腕を振り上げ、私は開いた手を教壇に打ち付ける。

「――舐めるな!」

 私の放った一喝は、再びこの場を静めた。

「私がそらに、そう言わされてる……? こんな知り合いの誰一人いない学校に、わざわざ私が付いてきた……? 変な憶測でものを語るのは止めて!」

 …………今思えば、私が怒りを表したのはかなり珍しい方ではなかろうか。覚えているだけでも片手の指で事足りるし、あのそらでさえ驚きに目を丸くしているのだから、それを受けたクラスメイトなんて言わずもがなである。

 だけど、この時ばかりはそんなことを考える余裕もなく、ただひたすらに心に溜め込んでいた気持ちを吐き出していた。

「大体、何も関係のない赤の他人が私たちの問題に勝手に首を突っ込んで、それで勝手に騙って、責めるだけ責めて、挙句の果てに被害者の話さえ受け入れないって…………貴方たちがしたいことは何?」

 聞かなくても分かっている。
 ただストレスをぶつけたいだけなのだと。その名目として、私たちの置かれていた状況は格好の的だった。

 でもだったら、そんなしょうもないことに私たちを巻き込まないでほしい。関わらないでほしい。

「離れるのが嫌だからって仲直りして……二人でまた楽しく過ごして…………大切な人と一緒にいるだけなのに、それの何が悪いの!」

 久しぶりに出す大声に、息が上がる。
 顔は熱く、視界はチカチカと明滅し、力んだ腕が震えている。

 でも、言いたいことは言えた。これで更に文句が出るというなら、かかってこい。私はもう負けないから。

 そう覚悟するけど、みなは黙ったまま何も言わない。応えない。
 反応したのは、横から今までずっと話を聞いていた先生だけだ。

「…………それくらいでいいんじゃないでしょうか? かなたさんの身を心配する皆さんの気持ちは間違っていませんが、本人たちは解決したことだと言ってます。なのに疑う――というのは一年間過ごした仲間ではなく、つい先日初めて会ったような人の言葉を鵜呑みにするということですよ」

 優しい言葉がこだまする。
 しばらく静寂が続き、そして、畔上くんと詩音が口を開いた。

「そう、だよな……。そら、すまん! わずかでもお前のことを疑っていた……!」
「……気にすんな、疑うも何も事実だしな。ただ、その後にかなたと仲直りしたってだけで」

「私も、ごめんなさい。かなちゃん、それから蔵敷くん」
「……詩音は何も言ってなかったし、謝ることなんてないよ」

 ほんの少し弛緩した空気が解れる。そして、チャイムは鳴り響いた。
 気が付けば、もうこれだけ時間が過ぎていたらしい。

「もうこんな時間になりましたか……。掃除の時間ですし、取り敢えずはここでお開きということで。もし、まだ納得できていないという方がいるなら、先生に言ってくださいね。来週も同じ時間を取りますので」

 そう、にこやかに微笑みながら先生は言うけれど、それで本当に駆け込む生徒はこのクラスにはいないだろう。

 結局、なし崩し的に解決したような形となり、当然それ以降は何かを言ってくるような人もおらず、いつもの日常へと徐々に舞い戻っていくこととなる。

 過去は変えられず、それが今にまで影響を与えてしまったけれど、昔とは違い、一人きりじゃないから何とかできた。
 過去そのものは清算しておらず、いつかまた今の私たちに牙を向くことがあるかもしれないけど、今度は立ち向かえると教えてくれた。

 ただ一つ、今回の件で文句を上げたいことがあるとすれば――。

 私とそらが付き合っている、などという噂がその代わりとしてまことしやかに囁かれていること……だろうか。
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