彼と彼女の365日

如月ゆう

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June

6月8日(土) 文化祭二日目・午後

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「うっ…………ごほっ、ごほ!」

 気怠い身体を壁に預け、呼吸をするために天を仰いだ。
 空は青く、太陽は澄んだ光を放っているというのに、俺の心はどんよりと曇っていた。

「いやぁ、久しぶりだな蔵敷。中学から音沙汰なかったから寂しかったぜ」
「ホントだよ、全く。まぁでも、こうしてまた会えたんだ。昔みたいに仲良くしようぜ?」

 くそっ……好き勝手言ってくれやがって。
 去年を何事もなく過ごせたものだから、警戒心が薄くなっていたな。

 痛むお腹を押さえ、俺はそう思う。

「……おいおい、何だよその反抗的な目はよぉ?」
「もう一度躾けてやる必要があるかな――オラっ!」

 顔に向けて右からフック気味のパンチが飛来したために、俺は叩いて落とす。

『――あっ?』

「悪いな、顔は止めてくれ。所用で怪我するわけにはいかないんだ」

「舐めてんのか、てめぇ……!」
「あの頃みたいに、また抵抗できない体にしてやろうか、あぁ?」

 腹部を前蹴りされてたたらを踏む。
 しかし、すぐ後ろは壁であり、上手く衝撃を流せずモロに身体に響いた。

 その間に考えていることはただ一つ。
 早く飽きて帰らないかな、というその一点のみ。

 正直に言えば、こいつら二人くらいわけないのだ。
 イキがっているだけで、抵抗しない弱者にしか暴力を振るえない奴らだということを知っている。

 それでも手を出さないのは偏に、問題になって劇に間に合わなくなるのが困るから。
 敢えて逃げ出さずこの場に残っているのは偏に、俺たちの出し物に乱入されるのが嫌だから。

 全ては必死に頑張り、努力し、楽しみにしていた幼馴染のため。

 だからいつもは口をつく煽りも極力出さないようにと黙り込み、劇に支障のない程度のダメージで済むよう地味に立ち回っていた。

「ちっ……生意気な奴だ、本当に」
「お前さ、自分が原因でこうなってるって自覚あんの?」

 はっ、自覚ねぇ……。
 あったから、甘んじて手前ぇらの暴力に何も抵抗しなかったんだろうが。いい加減気付けっての。

 ……まぁ、言って長引いても困るから心に留めておくけど。

「分かってるさ。全部俺が悪くて、お前らはそれを正し、粛正する正義の味方――なんだろ?」

「だったら、未だに倉敷さんと一緒に過ごしてんじゃねーよ!」
「笑ってんじゃねぇ! マジで殺すぞ、カスが!」

 連続する殴打に、ボクシングのガードのような姿勢で頭を守った。
 また、全身に力を込め、内股気味に急所を守り、致命傷だけはないようにひたすらに耐え抜く。

「はぁ、はぁ……どうだ。そろそろ思い出してきたかよ、自分の罪を」
「お前はここにいていい人間じゃねーんだよ! さっさと、退学するなり転校するなりしてろ。二度と関わるな」

 散々な言われようだな。
 体の節々は痛み、こっちも息が切れている。

 だけど、今日という日はとことん間が悪いらしい。
 腕のガード越しに辺りを見渡せば、見知った顔――翔真や三枝先生、クラスメイトの一部の姿を捉えた。

 向こうも気付いたようで慌てて駆けてくる。
 が、この二人は皆の接近に少しも勘付いていない。

 あーあ、もっと穏便に済んで、何事もなく合流するはずだったんだがな……。

『――倉敷さんをアレだけ虐めていたクソ野郎が!』

 響き渡る俺の過去が、走り寄ってきてた皆の足を止める。
 その不自然な気配の揺らぎに気付いたようで、二人は後ろを向き、そして新旧のクラスメイトは対峙した。

「――あっ……あ、貴方たちは何をしているんですか!」

「やば……先公じゃね? 逃げるぞ!」
「クソ、チクリかよ……とことん汚いな」

 数舜遅れて、先生が動く。
 いつもとは服装が違ってクラスシャツを纏ってはいるけれど、その口調と雰囲気から先生であることを理解したのか、二人は慌ててその場を後にした。

 ……てか、チクってねーよ。
 また、俺の罪状が増えそうだな……これ。

「大丈夫ですか、そらくん?」

 心配そうに駆け寄ってくる先生を手で制し、俺はひとまず服についた砂を払った。
 幸いにも目立った外傷はない。もしかしたらお腹のあたりは痣になっているかもしれないが、まぁ見えないし問題はないだろう。

「えぇ、見ての通りです。むしろ、わざわざ探す手間をかけてしまい、すみませんね」

「いえ……それは別にいいのですけど……」

 チラと向けられた先生の視線は、未だに無言なクラスメイトの方を指している。
 異様なほどに静かで、何かを考えているかのように重たい空気。

「…………そら」

 沈黙を破ったのは、翔真だ。
 親友、学級委員、クラスのまとめ役、イケメン、学園の貴公子――口を出すポジションとしては事欠かないな。

「さっきの……中学の時か? 倉敷さんを虐めていたって話……本当なのか?」

 聞かれて当然の質問。皆が気になっているだろう疑問。
 それを尋ねられ、俺は薄くため息を吐く。

「あぁ、本当だよ」

 誰かの息を吞む音が聞こえた。
 それはもしかしたら、特定の誰かではなくこの場の皆なのかもしれない。

 ポケットからスマホを取り出し、時間を確認すれば、当たり前ではあるけどすでに劇の上映開始時刻を過ぎている。
 けれど、進行が正しく進んでおり、計算が間違っていなければまだ間に合うはずだ。

「……先生、まだ劇に間に合いそうなんで行った方がいいですよね?」

「えっ……? え、えぇ……そうね」

 ならば、あとは走るだけ。
 答えてくれた先生も、俺の答えを聞いて立ち止まるクラスメイトも、過ぎた過去も、弁明も、全てを置き去りにして俺は足を動かした。


 ♦ ♦ ♦


 結論から言えば、劇そのものは無事に終えることができた。

 懸念していたアイツらによる妨害も、その後に待ち受ける復讐も、今日のところは何もなく無事に過ぎ去った。

 その片づけをすべく、現在はかなたと二人でゴミ出しに来ている。

「…………なぁ、かなた。一つだけ、どうしても確認したいことがあるんだけど、いいか?」

「何?」

 数日かけて作った書き割りをものの数分でバッキバキに解体し、詰めた袋。
 それを必要もないのに一緒に持って歩く、道の途中で俺は声を掛けた。

「俺の帝役としての出演って、最初から決まってたことだろ。どうしてそんなことをした?」

「疑問調ですらない……逆に、どうしてそう思ったの?」

「台本読みに不自然なくらい俺を付き合わせたり、翔真が露骨に立ち稽古に参加させてきたり、衣装のサイズが小さいという割には面白いほどに俺にピッタリだったり……おかしなところなんていくらでもあるが、まだ言うか?」

 パっと思いつく感じた不審感を、一つずつ挙げていく。

「うぅん、もういいよ。……それで理由だっけ?」

「あぁ、理由だ」

 元から隠そうとも思っていないのだろう。
 半ば俺の言い分を認めたような物言いで、話は移る。

「前にも言ったんだけどね……。思い出が欲しくて、その思い出をそらにも一緒に持って欲しかったの」

 その一瞬、袋の持ち手がギュッと掴まれた。
 二人で持ち上げているせいで、そのシワの感覚を指先が捉えた気がする。

「中学時代はもちろん、去年もアレのせいで気を張ってばっかりだったから……友達もできた今年くらい、何かをして楽しみたかった。そらにも楽しんで欲しかった」

「余計なお世話だ。おかげで柄にもないことばかりさせられたし、余計なことまでバレて教室の空気が最悪だよ」

「それは……ごめん」

 けどまぁ、かなたを責めたってしょうがない。
 コイツは、コイツなりに俺のことを考えて行動してくれたのだから。

 クラスを全部動かして、協力してもらってまで。

 それに責めるのなら、あの空気を読めない二人がウチの文化祭に来たことが悪い。マジで、なんで来たんだよ。本当に。

「こういうのは嫌いだ。楽しかったかと言われればそうでもない」

 それは、俺の嘘偽りない本音だ。
 騙されて気分がいいわけない。理由が何であれ、そこにはマイナス評価が入る。

 また、色々なことが重なり、楽しかったとも一概には言えない。
 散々な目にあった。それは今なお、現在進行形である。

「……でもまぁ、ある意味で忘れられそうにない出来事にはなったさ」

 しかし、だからといって、悪かったかと聞かれればそういうわけでもない。

 終わり良ければ総て良し。
 それは逆説的に、終わりが悪ければ総て悪いということであり、なれば、終わりが普通であるとき総ては普通なのだ。

「……ん、なら良かった」

 俺の言いたいことを汲み取れてくれたようで、満足そうにかなたは頷いた。

 俺と彼女はこれで良い。
 良くて、それだけで総てが良くなり、結果オーライ。

 けれども、それと同時に生まれた蟠りもまた存在する。

 森羅万象、すべては等価交換。
 こうして良いことがあれば、悪いこともあり、忘れられない思い出が手に入れば、同時に何かを失っているもの。

 元から無いと信じていたクラスメイトからの信頼を、俺は今、本当に失ったのだった。
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