彼と彼女の365日

如月ゆう

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May

5月21日(火) 祭りの予感④

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 文化祭の準備を始めて早や二週間。
 本番まであと二週間とちょっと――という準備半ばな日でありながら、進捗はまずまずな状況であった。

 衣装はまだ用意できてはおらず、書き割りの出来も七割ほど、演者の台詞暗記も完璧ではなく、全てが中途半端。

 ここでまだ半分と捉えるのか、もう半分しかないと捉えるのかで人間性が問われそうだ。
 ……などと、余計な思考を挟みつつ与えられた仕事を俺は淡々とこなしていく。

 そんな現在地は自分たちのクラスがある実習棟ともう一つ存在する教育棟との間に生まれた芝生の隙間地――通称、中庭。
 ペンキが教室の壁や床に飛んで汚れては嫌だから、という理由。そして大きさ的な場所の都合により、こうして書き割り担当者たちは足を運んでいた。

 とはいえ、別に俺は絵を描けるわけでもない。
 なのに、なぜ書き割り担当をしているのかと言えば、単に色塗りを任せられているだけだ。

 鉛筆から油性ペンですでに下書きはされているために、あらかじめ決められた色をペタペタと刷毛で塗る単純作業。
 必要なのは根気と塗色の正確性であり、下っ端専用の仕事とも言えよう。

 まぁ、逆に言えば、これをするだけでクラスでも仕事をしたということになるのだから、安いものか。
 普段から無駄な思考に脳のリソースを割いている分、こういった頭を使わない作業は存外に楽しいものだしな。

 立ち上がり、グッと背伸びをしてみれば、屈みっぱなしで凝り固まった腰がポキリと小気味の良い悲鳴を上げた。
 空は夕焼けと呼ぶにはまだ青く、足元に広がる無機質な竹林もまた青い。

 ペンキが飛ばないように刷毛を静かに缶の中へと放り戻せば、グルリと辺りを見渡す。
 もちろん、ここにいるのは俺だけではないのだが、だからといって下っ端だけとも限らない。

 俺たちとはまるで違う身分。比べ物にならないほどの重要度を持つ方々。
 まさに演劇という出し物における主役であり、文字通りの意味でも主役であるかなたたち演者もまたそこいた。

 しっかりとステージと同じだけの広さを確保し、台本を片手にその場所全体を使って読み合わせと実際の動きを確認する――要は立ち稽古というやつだ。

 声が響いて他クラスの邪魔になるのを防ぐため……らしいが、それにしてもこの方法はどうなのだろう。
 何もない空間でひたすらに演技をするだけでも苦行だというのに、それをこんな人目の付きやすい場所で行うなど正直に言って正気の沙汰ではない。

 ……それとも、この恥もまた本番における練習とか?

 まぁ、何にしてもご愁傷様である。
 一心不乱にこちらを睨む幼馴染に肩をすくめ、集中して練習するように首で示してやれば、俺は再び腰を屈めて元の仕事へと戻った。

「精が出るな」

 左から右に、上から下に、色ムラが出ないように手を動かしていると、そんな声が上から掛かる。

「お前ほどじゃないさ、翔真」

 見上げれば、そこにはカッターシャツの袖を捲り、いつもより一つ余計に胸元のボタンを開けた青年が立っていた。
 無意識なのか、敢えてなのか、差す太陽と被るような立ち位置にいてくれているおかげで眩しくない。

「書き割りの方の調子はどうだ?」

「さぁ……全体のことは知らん。こっちだけで言えば――まぁ、ご覧の通りって感じだ」

 全体の七割ちょっと、といった具合だろう。
 自分でも割と進められているのではないか、と自負していたりする。

「そっちはどうなんだ? 演技の練習」

「やっぱり、台詞を覚えるのが大変みたいだな。いや……覚えるというよりは、緊張下で間違えないようにするのが――って感じか」

 まぁ、だろうな。
 いくら覚えたって、人間なんだからど忘れくらいある。それを動きを交えて、しかも大勢の前で見せるのだから困難極まりないだろう。話す言語は日本語じゃないし。

「それでも、主役で一番台詞量の多い倉敷さんが淡々とこなしてくれているのは助かってるよ。おかげで進みは悪くない」

「アイツは暗記も強いし、それくらいで臆するような性格じゃないからな」

「それはそらもだろ?」

 笑いながら幼馴染について語れば、同様に笑ってそんな返しをされる。

「聞いたよ、帝役の台詞は完璧らしいな」

「そりゃ……あんだけ読み合わせの練習に付き合わされたら、さすがに覚えるさ」

 昼夜・平日休日を問わず、暇があれば事あるごとに頼まれたからな。
 それだけ反復すれば、誰だって覚えるってもんだ。

「しかし、何でまたそんなにやる気があるんだろうな……」

 普段のかなたは、俺ほどではないにしてもここまで行事にのめり込むタイプではない。
 現に、今もまた恨めしそうに、面倒くさそうにこちらを睨んでいるし。

「さぁな、そらに分からないんじゃ誰にも分からないさ。まぁ、こちらとしてはやる気があるに越したことはないから良いんだけど」

 うーむ、何か釈然としない。
 妙な不信感が身体にまとわりついているようなそんな折、俺たちのクラスから中庭に向けて声が飛んできた。

「おーい、誰かー! 全体のことが分かるやつなら誰でもいいから来てくれ!」

 咄嗟に俺たちは振り返り、演者の動きを指導していた実行委員の男子生徒に目を向けるが、手が離せないのか首を横に振る。
 また、生憎と女子生徒の方は別の場所で別作業中だ。

「分かった! 俺が行く!」

 そんな中でもすぐに行動に移したのは翔真だった。
 実行委員と即座にアイコンタクトで意思を通じ合わせると、互いに頷き、彼は立ち上がる。

 まぁ、よく実行委員から相談を受けていたようだし、人選としては最良であるのだろうけどな。

「――ってことになった。悪いけどそら、俺の代わりに帝役の立ち稽古を頼む」

 と思っていれば、余計な飛び火が俺を襲う。

「は!? いや、何でだよ。お前がやらないと、意味のないことだろ」

「俺は動きも大体把握したから、問題ない。それより、俺抜きで進めたら俺と関わりのある役の人らがどう動けばいいか分からなくて困るだろ? だから頼むよ」

 言うが勝ちで、逃げるが勝ち。やり逃げの精神なのか、それだけを早口に語れば翔真は全力疾走で校舎の中へと駆けて行った。
 後に残されたのは、スピーディーな事態の移り変わりに呆然とする人々。

 取り敢えず、チラと演者たちの方を覗き見てみれば、若干一名、仲間を見つけたような笑みで手招きをする少女がいる。

 ……畜生め。
 呟きはするものの、俺に拒否権はもうなかった。
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