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第二章 忌み者たちの出会い

第五話 少女の胸に突き刺さるは、斯くも無情な現実なりや

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 ふと、何かに駆り立てられたように俺は目を覚ます。
 眠気なんてものはなく、思考ははっきりとしており、胸には言い様のない蟠りが生まれていた。

 兎にも角にも行動をしなければ、という思いから部屋を見渡してみる。すると、閉じられた窓から外を覗くようにして、ルゥは立ち竦んでいた。

「……なんだ、もう起きていたのか」

 俺の言葉に反応して一瞬こちらを向くも、すぐに外へと視線を戻し、首だけで小さく返事をする。
 その時に見えた瞳は僅かに充血しており、その下には隈があった。案の定なのだろう。

「外に何かあるのか?」

 そう言ってルゥの隣に並ぶと、一緒に窓の外を覗く。
 まだ朝は明けてないらしく、世界はうっすらと青い。また、里の中は霧がかっており、あれだけ存在感を醸し出していた大樹は見る影もなかった。

 ただそれだけの、時間帯による景色の変化の筈なのに里に蔓延る空気は少し寒々しい。

 先程の問いの返答なのか、視界の端で首を振るルゥの様子が伺える。
 「じゃあ、どうして外を……?」と、そう聞くために口を開きかけ、しかし、それが言葉になることはなかった。

 憶測に過ぎないが、その理由は恐らく眠れなかったから、であろう。だとすれば、彼女が素直にそれを言うとも思えない。

 ――コンコンコン。

 その間隙を衝くかのように、部屋の扉が叩かれた。突然の出来事に俺達は顔を見合わせていると、再び音が鳴る。

 取り付けられていた鍵を外し扉を開けると、そこにはこの宿の持ち主が立っていた。

「こんな朝早くに悪いな。まだ寝ていたか?」

 その顔は昨日と比べてもかなり暗く、部屋内の光量が原因ではないように思える。
 聞かれた質問に対して、俺は首を振って答えた。

「いや、大丈夫だが……どうかしたのか?」
「あぁ、ちょっと大変な事態になっているみたいでな。長老衆から緊急令が出たんだが、その…………」

 そこでエルフの男は言葉を切ると、バツの悪そうに頭を搔く。言いづらい事のようで何度か口をモゴモゴと動かすけれど音にはならず、終いには溜め息をついた。

「はぁ……単刀直入に聞こう。その子は吸血鬼で、お前達は人間族の領土から逃げてきたのか?」

 尋ねられた俺も、彼と同様に息を吐く。しかし、それは正体がバレたことへの苛立ち――でなはく、落胆あるいは嫌なことだけ当たる自分の勘への諦観から生まれたものだった。

「…………あぁ、そうだよ」

 俺がそれだけを答えるとエルフの男は目を伏せ、ただ「そうか」と呟く。

「悪いが、即刻この里を出て行って欲しい。このまま匿って人間族との関係を悪くしたくはない、との長老衆からのお達しだ」

「了解した。……迷惑かけて悪かったな」

 踵を返すと、ルゥに声をかけて身支度を整える。そうして宿を出てみれば、俺はようやく起き抜けに感じた嫌な空気の正体を理解した。

 昨日は感じることのなかったもの。それを受けたルゥは僅かに身を竦ませる。四方から刺さる、里の住人の煩わしげな視線だった。

「付いて来い。里の外まで案内しよう」

 宿の主人に促された俺は、立ち竦んで動けないでいるルゥの手を引いて、その後を追いかける。

「……すまないな。怪我が治るまで泊める、という約束を守ることが出来なかった」

 先頭を歩くエルフの男がそんなことを言ってきたのは、里を出て、辺りに誰の気配もしなくなった森の中だった。

 彼は正面を向いており、どんな表情をしているかは分からない。逆もまた然りで、彼にこちらの様子は伝わらないだろうが、俺は心底驚いた顔をしている。

「……まさか、アンタからそんな言葉が出るなんてな。最初は、里に入れることさえ渋っていたくせに」

「当たり前だ。素性の知れない者――事実として、面倒な奴らだったが――をそう易々と受け入れられるものか。……だが、我らは誇り高きエルフ族、本来は結んだ約束を違えたりはしない。それ故の謝罪だ」

 真摯に紡がれる彼の言葉を聞き、見えないことを承知で首を振った。

「いや、それを言うならこちらこそ申し訳ない。その信頼を裏切るような結果になってしまった」

 互いに素直に謝罪や礼が言える性格ではないことを、短い時間ながらも気づいている。だから、それ以降俺たちは何も言わない。

 暫く経つと、彼は里のある方向とは逆を指差して、口を開いた。

「この先が、お前達の望んでいた西側だ。しばらく歩けば、右手にテルミヌス山脈も見えてくるだろう。……達者でな」

 それだけを告げると、もと来た道を引き返していく。

「……あぁ、そっちもな」

 小さく呟いた声が届いたかは分からない。だけども、その彼は後ろ手に手を振り、未だに晴れない霧の中へと消えていった。


 ♦ ♦ ♦


 本来なら先を急いで森の中を歩いているのだろうが、宿の主人が去った後も俺たちは同じ場所に突っ立っていた。

 原因は右手を繋いでいるこの彼女。案内人の手前、無理にでも手を引いて連れてきたのだがそれもここまでが限界だ。

「なぁ、ルゥ。一体どうしたんだ?」

 宿から今までずっと下を向き、黙りとしたままの彼女と顔の高さを合わせ、そう尋ねる。
 そのままじっと待つこと数分。ルゥはポツリポツリと心情を吐露してくれた。


「……私のせい、だよね? 私が吸血鬼だから……追い出されたん、でしょ?」

 それは後悔、あるいは嘆き。まだ十数年――大人の庇護下の元、伸び伸びと生きるべきであるはずの彼女は己の出生を憂い、悔やんでいた。

「奴隷だったのも、売られたのも、酷いことをされたのも、追いかけられているのも、追い出されたのも――全部、私が吸血鬼だから……なんだよね?」

 そう言って顔を上げたルゥの瞳には透明な雫が浮かび、その奥は理解できないという色で満ちていた。

「なんで、なの……? どうして、私はこうなの?」

 戦争に負けたから。吸血鬼として生まれたから。弱肉強食なこの世では仕方のないこと。
 人類の生みだした腐った考え方でなら、いくらでも理由はある。だが、その全ては唾棄したく、一蹴したく、理解はできても納得のいかないもの。

 だからと言って、優しい言葉をかけることは毒にしかならない。理想論で、詭弁で、ただの慰めにしかならない文言は心の乾きをより一層深めるだけだ。

「…………そう、だな」

 それを俺は知っているから、同調以外にしてやれる事が無かった。

 肩を貸し発露させることは可能だ。抱きしめて温もりを与えてあげることも出来るかもしれない。
 けれど、それは彼女の望むものでは無いだろう。

 現に、俺の腕に縋りはするも身体は預けず、ただ独りで耐え忍んでいた。

 一回り小さい少女の慟哭。それを目の当たりにしながら、かける言葉も無くひたすらに支えを全うするだけの少年。

 ――俺は無力だった。


 ♦ ♦ ♦


「…………ん、もう大丈夫……」

 未だに湿っぽさの残る声でルゥはそう言うと、俺の袖を掴んでいた手を離し、自らの足で立った。

 正直なところ、全く大丈夫そうには見えないのだが日は先程昇ってきたばかり。今日という日がまだ半日以上も残っている時間帯であるため、なるべく先に進んでおきたかった。

「……分かったよ。先を進もうか」
「うん」

 目元をゴシゴシと服の袖で拭うと、軽く充血した瞳のまま屹然とした表情を向けてくれる。

 健気な姿勢は美しい。独りで耐え抜く心の強さを携えたその姿は望ましく、そして好ましいものでもある。
 けれど、それをこの年齢の少女に強要している自分が少し情けなかった。

「俺は、だいぶ甘えてるのかもな……」

「…………?」

 呟く俺の言葉を上手く聞き取れなかったのか、ルゥは首を傾げてこちらを見つめていた。

 その頭をポンポンと叩き、俺は立ち上がる。

「ありがとう、って言ったんだよ」
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