マウンド

丘多主記

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夏の大会編

エースの矜持

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 梨沙の心配をよそに、伸哉の快投はその後も続く。菊洋打線にヒットどころか、誰一人として塁に出させない圧巻のピッチングを見せていた。

 明林打線は、五回二死ランナー二塁という場面で、彰久が二本目のタイムリー安打を放ち、六対零。差をさらに広げていた。

 そして七回表。逸樹との本日三度目の対決。この打席でも、ストレート二球であっというまにツーストライクへ追い込んだ。

 次はおそらくフォークかシンキングのような、落ちる系の変化球だろう。逸樹はヤマを張る。

 絶対にここで一本打ちたい。絶対に。

 無意識のうちに、逸樹はバットをギュッと強く握り締めていた。そして心なしか、構えがすこしぎこちなさそうだった。

 そういう様子も、伸哉は、一切見逃さなかった。

 伸哉は何度も首を振り、彰久にその球のサインを出させ、投じた三球目。

 投げたのは、逸樹が予想していた、速い変化球とは対照的な、スローカーブ。

 まずいっ! 遅すぎて、待ちきれない!

 前の二球より、はるかに遅いスローカーブに、バットが止まらず、またも、空振り三振を喫してしまった。




「ふうー。なんとか乗り切った。スタミナもまだ残ってるみたいだし、次もいける。勝てるぞ。僕たち」

 ベンチの後方に座り、ぎゅっと、力強く握り締めた。

「お疲れ様です。伸哉君」

 薗部が満足そうな表情を浮かべ、伸哉のところへ、駆け寄って来た。

「お疲れ様って、まだ七回ですよ? まだまだ試合は終わってませんよ?」

 伸哉は薗部の言葉に疑問を感じた。普段の薗部なら試合中には絶対に言わない一言だ。

「いえ。伸哉くんに、次の回から、セカンドの守備について貰い、幸長くんをマウンドにあげるからですよ」

 伸哉は何を言ったのかわからなかった。いや、伸哉でなくとも、ここまで好投していた伸哉をマウンドから下ろすのは、誰だって理解出来ないことだ。

「理解できてないようですね。一つ言いますと、伸哉くん。君は明らかに飛ばしすぎている」

 伸哉は閉じていた口が開きかけた。

「三回あたりから気づいてましたよ。いつも以上に汗をかいていたし、腕がよく振れていた」

 薗部には暴露ていたのだ。始めから誤魔化せるわけはなかったのだ。

「だ、だけど。まだ僕はヒット一本しか許していません。そして、飛ばしていようが、僕はまだ投げられーー」

「君が、いくら投げれると言っても、一年生のうちから無理をさせるのは、その後の怪我につながる。それに、疲れが出た時に打たれるなんて馬鹿らしい。私の采配は、あくまで、勝つ確率を上げるためのものですよ。いいじゃないですか。全国でも屈指のスラッガーから、三度の三振を奪えた。それでいいじゃないですか。守備の準備をして下さい」

 薗部は伸哉の元から去ろうとした。聞き分けのいい伸哉なら、きっと、嫌でも素直に従ってくれるだろう。そういう考えで。

 周りの部員もやって欲しくはないが、きっと伸哉なら、簡単にその指示を受けてしまうだろう。そう思いながら聞いていた。だが、周囲の人間は忘れていた。伸哉のマウンドへの執着心を。

「嫌です。降りたくないです」

 部員達、そして、薗部は伸哉の予期せぬ一言に耳を疑った。

「今、なんと言いました?」

「降りたくない。僕はこのチームのエースだ! こんなところで、マウンドは絶対に譲らない‼︎」

 薗部は少し黙り込んだが、程なくしてこう答えた。

「君が降りたくない、って言っても、これはチームです。怪我のリスクも打たれる可能性も高い投手をマウンドに上げようだなんて、僕には出来ませんね。諦めてください、これがチームなんです」

 薗部は伸哉を説得するが、伸哉は食い下がる。

「何を言っているんですか。僕はこのチームのエースですよ。エースが、こんなところで下がってちゃ話にならない。そして、疲れてても、いかなる時でも、誰が相手でも抑えなきゃ、ダメだ。ここで下がったら、この先は絶対に勝てない。僕は、絶対に断言出来ますね」

 伸哉は薗部をジッと睨みつけるように、目を見つめる。伸哉の思いもよらぬ反論に薗部はため息をついた。

「はあ。君はもっと、物分りがいいと思ってたのですが、仕方が無い。幸長くん。準備して下さい」

 薗部は伸哉を無視し、幸長に準備をさせようとする。だが、幸長は一向に動く気配を見せない。

「幸長くん。私は準備をして下さい、と言ったんですよ?」

「そうですか。ですが、僕はまだ、心の折れていないエースを差し置いて、マウンドに上がる気なんて、さらさらありません」

 幸長からも、思わぬ反論が返ってきた。

「幸長くん。君まで何を言っているんだ」

「残念ですが、僕は絶対に変わりませんよ。伸哉クンが、マウンドを譲る気になるまで」

 幸長は外野用の自分のグローブを取って、ベンチの前列へ行った。

「監督。俺たちからもお願いです。伸哉に投げさせて下さい」

「俺からも、同じく、お願いします」

 そう言って来たのは、益川と、加曽谷だった。

「ちょっと待って。二人とも、今日負ければ、君たち三年生の。高校野球は終わるんだよ?」

「構いません」

 そう答えたのはベンチ裏にいた、もう一人の三年生の馬場だった。これには益川と加曽谷も驚いていた。

「県内一の弱小と言われた俺たちが、一回も勝てなかった俺たちが、伸哉っていう、凄いピッチャーがいたから、どんなに練習がきつくても、俺達は今まで以上に頑張れた。そして、ここまで来れたんです。伸哉が打たれて負けたって、俺達は、伸哉がいたから強くなれた。だから、後悔はしません。だから、ここは伸哉に投げさせて下さい。お願いしますっ!」

 馬場は深く頭を下げた。すると、ベンチにいた部員全員が、お願いします、と声を上げて、頭を下げた。

「………わかりました。投げさせましょう。ただし、逆転されたら、誰がどう言おうが代えるつもりです。だから、伸哉くん。しっかり、投げ切ってこの試合を締めて来なさい」

「わかりました!」

 伸哉は力強く返事をした。
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