マウンド

丘多主記

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夏の大会編

攻めろ!

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 先頭の幸長が出て、無死一塁。打席に入るのは二番、伸哉。バッターとして見ても、かなり厄介な選手だ。

 とりあえずここで切ろう。二試合とも見たが、こいつは一度もバントをしていない。ここは、じっくりと低めを攻めればいい。

 翔規は、伸哉をそう分析していた。

 伸哉は相手の守備陣形を見る。守備陣形はやや後ろに下がっており、バントを警戒する様子は一切ない。

 高校野球において二番打者にこの対応はケースにもよるが、滅多にない。

 薗部のサインを伸哉は見る。サインは全て偽装サイン。つまり指示は特になし。相手はバントを一切警戒していない。とすると、ここで一番効くのは。

 伸哉は考えた。

 翔規が投じた一球目。幸長の盗塁を警戒してか、外に大きく外れボール。ランナーも伸哉にも動きはない。

 セットポジションについて、投じた二球目。これも大きく外れボール。これで、ツーボール。

 翔規は困惑していた。これまで見た試合映像では、何かを仕掛けてくることの多かったこの打順で何も動いてこないからだ。

 翔規に迷いが生じ始める。翔規は何度も何度もプレートを外し考える。そして翔規はある考えに辿り着いた。

 悩んでいてもしょうがない。アウトコースへのスライダーを投げるだけだと。

 翔規は投げる球を決め、セットポジションについた。

 確かにいいバッターだが、大島程ではない。こいつなら百パー抑え切れる。そう確信して投じた三球目。翔規が投げた刹那。伸哉は突然バットを横に構える。セーフティバントだ。

 ギリギリながらもボールはバットに当たる。そして、ちょうどいい具合に、一塁側に転がる。

「なんだとぉっ⁈」

 投げ終わった翔規の重心は完全に三塁側に向いている。処理できるわけがない。

 そして内野手も全くと言っていい程バントを意識していなかったためか、突然の変化に対応出来てない。

 結果セーフティバントは成功し、幸長どころか伸哉までもが出塁した。

 翔規が落ち着かぬまま、無死一、二塁という状況で打席には三番の二蔵が入る。

 俺の仕事はアウトになっても構わないから、ランナーを進める事だ。

 二蔵は息を深く吐き呼吸を整え、集中する。

 対してマウンド上の翔規は肩を大きく上下に揺らす。見るからに凄い量の汗が流れている。

 ここで二蔵は思った。相手が疲れてるんだから、俺が打ちにいく必要はないんじゃないかと。

 ベンチからの指示は一切ないが、二蔵はバントの構えを見せプレッシャーをかける。

 翔規とキャッチャーは、バントを警戒したせいか初球は、外に大きくはずしてきた。余程伸哉のバントが効いているようだ。

 二球目、三球目も同じようにバントの構えを見せ、二球とも大きく外に外れボール。

 カウントはノーストライクスリーボールと、翔規が追い込まれた。

 ここでキャッチャーの小嵐こがらしが一旦、タイムを取ってマウンドに向かう。

「翔規っ。一旦落ち着け。あいつは、構えだけで、絶対にやってこんから。逃げたら、負けだぞ。忘れんなよ!」

 翔規の胸を、少し小突いて、キャッチャーは、戻っていった。

 ありがとよ小嵐。おかげで目が覚めたぜ。翔規は深呼吸をして呼吸を整え、気持ちを落ち着かせた。

 そこからの翔規は今までの乱れっぷりが嘘のように、簡単にストライクを取り、今度は逆に二蔵が追い詰められた。

 二蔵はかなり焦っていた。

 折角スリーボールまで追い詰めたのに、ここに来て追い詰められたからだ。

 一方の翔規は気持ちが、すっかりノってきていた。小嵐の出したサインに、大きく頷き、投じた六球目。真ん中低め。さほど球速の出ていない。

 ここに来て失投か。ラッキー!

 二蔵はここぞと言わんばかりに、バットを出しかけた。だがここで、翔規の特徴を語る上で最も重要であることを、思い出した。

 そう、スライダーの事である。翔規のスライダーはさほど球速は出ない。まさに今投げられたボールくらいだ。

 翔規が投げたのは自身の代名詞でもあるスライダーだった。ボールはインコースへ食い込むように、大きく鋭く変化し始めてくる。

 二蔵は出しかけたバットをひたすら止める。止まれ、止まれ、止まれ! と念じながら、身体全部でスイングを止めた。

 キャッチャーの捕球した位置を見ると、振っていなければボールになる球だ。

 祈るように審判のコールを待つ。主審が一塁塁審を指差す。一塁塁審は手を横に広げる。ノースイングの判定でボールだ。

「ボール、フォアボール」

「危なかったぜ……」

 二蔵は何とか塁に出塁することに成功し無死、満塁。明林にとって絶好のチャンスで四番の彰久に打順が回った。
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