マウンド

丘多主記

文字の大きさ
上 下
32 / 75
練習試合編

伝令

しおりを挟む
 八回の表。七回の待球作戦の影響が出たのか、伸哉のボールのキレとスピードが目に見えて落ち始めてきた。

 疲労で腕が重くなり手に力が入らない。

 しっかりボールを握り、重い腕を精一杯振って投げるが、アウトコースとインコースの細かいコントロールも次第に効かない。

 ついにはボールが高めに浮き始めてきた。

 当然、久良目商業のバッターがそこを逃すはずがない。先頭打者は七球使って何とか抑えたものの続く一、二番に連続ヒットを浴びワンナウトランナー一、二塁。そして、前のイニングからライトに回った大地がバッターボックスに入った。




「か、監督……」

 涼紀は不安でたまらなかった。もし、伸哉が打たれて一点を入れられたら……。そんなことばかりが頭を巡っていた

 薗部も伸哉の心配をしていたが、それ以上に守備の事を心配していた。

 ここまで一応ノーエラーであるが、このイニングに入ってから動きが悪くなっていた。無理もない。ずっと勝ちのないチームに勝つチャンスが来たのだから意識するなと言う方が無理である。

 ここは伝令を使おう。薗部がベンチとグラウンドの境目に出て手を挙げる。二度目の守備のタイムを使うようだ。

「ここは重要な場面です。涼紀君。伝令頼みましたよ」

 薗部は彰久に守備のタイムを取らせ、そして、指示を涼紀に伝えてマウンドに行かせた。




 内野陣が一斉にマウンド上に集まった。薗部の思っていた通り、勝ちを意識しすぎているせいか、全員が緊張で顔が強張っているのがマウンドに向かっていた涼紀にも十分に感じ取れた。

 薗部が涼紀に頼んだ事は、動きが悪くなっているのを伝える事と緊張をほぐす事である。

 前者はただ薗部の言葉を伝えれば達成できるであろう。しかし後者は、普通に話したところで解れるわけがない。

 涼紀は考えた。どうすれば解せるのかを。そうしてる間にマウンドに一歩一歩ずつ近づく。どうすればいい。そう思ってる時だった。

 ここで転ければ絶対に笑う。そう思い立った。

「うぁっ!!」

 涼紀はマウンドの前で、足を引っ掛けるようにして派手に転けた。突然のことに内野に集まった選手の何人かは、思わず吹き出しそうになった。それだけにとどまらず、涼紀はマウンド前をスルーして通り過ぎ去る。

「涼紀! こっちだ!」

 見かねた彰久の声を掛ける。この時全員の顔は笑っていた。

「ごめんなさい。俺も緊張しちゃってつい」

 べぇ、と舌を出して頭を掻きながら涼紀は言った。

「監督の指示は、難しいことは気にせずとにかく落ち着いて、とのことでした」

 とりあえず、ベンチの前で言われた薗部からの指示は伝えられた。

「おぅ! 分かったぜ。あと、このミスはお前のアドリブだろ?」

 しまった、怒られる。そう思い涼紀はこわばった顔になる。だが、彰久は怒るどころかむしろ笑いながらポンポンと肩を叩いた。

「ありがとよ。おかげで緊張が解けて助かったわ。みんなもそうだろ? それじゃ気を使ってくれた涼紀のためにも、この回しっかり抑えっぞ!!」

「おうっ!」

 マウンド上に活気あふれる掛け声が大きく響いた。




「すいませんでした!」

 伝令から帰って来て涼紀はマウンドでやったことを薗部に詫びた。

「はは。ちゃんとムードを変えてくれたのですから気にしなくてもいいですよ」

 薗部の顔は微笑んでいた。

「で、でも」

 本来生真面目な性分の涼紀からすると、たとえ場を和ませる目的でも、グラウンド内でさっきのようなジョークをすることが許せないようだ。

 それを察したのか、薗部は彰久と同じように軽く涼紀の肩を叩いた。

「確かに普段はよくありません。しかし、笑う余裕もない時にいいプレーは生まれない、と僕は考えています。なので、僕も昔こういうピンチになったらよくこうやって試合中に仲間を笑わせていましたよ。だから君の事はなにも咎めませんよ」

 良かった、と思うと安心して少しうるっときたが、涙を堪えた。

「今の涼紀君には野球で貢献できる部分は少ないけれど、さっきみたいに場を和ませたり、練習前に準備を率先して手伝ったりして大きく貢献できている。感謝していますよ。涼紀君」

 薗部の言葉を聞いて今までの努力が少し報われた気がした。

 ゼロからのスタートで上手くいくことは少なかった。当然チームの役に立つなんてことは今までなかった。

 けれど、この言葉はそんな自分でも深く受け入れてくれる言葉に聞こえた。我慢はしていたが堪えられなくなり涙の筋が光ってきた。

「おお、泣かない泣かない。何があったんだって思って、グラウンドのみんなが緊張しちゃいますよ」

「すいません」

 薗部がそういうと、涙を拭いベンチから大きな声援を送り始めた。

「さて、頼みますよ…伸哉君。この試合、勝つか負けるかは君次第ですよ」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

プレッシャァー 〜農高校球児の成り上がり〜

三日月コウヤ
青春
父親の異常な教育によって一人野球同然でマウンドに登り続けた主人公赤坂輝明(あかさかてるあき)。 父の他界後母親と暮らすようになり一年。母親の母校である農業高校で個性の強いチームメイトと生活を共にしながらありきたりでありながらかけがえのないモノを取り戻しながら一緒に苦難を乗り越えて甲子園目指す。そんなお話です *進行速度遅めですがご了承ください *この作品はカクヨムでも投稿しております

小さなことから〜露出〜えみ〜

サイコロ
恋愛
私の露出… 毎日更新していこうと思います よろしくおねがいします 感想等お待ちしております 取り入れて欲しい内容なども 書いてくださいね よりみなさんにお近く 考えやすく

どうしてもモテない俺に天使が降りてきた件について

塀流 通留
青春
ラブコメな青春に憧れる高校生――茂手太陽(もて たいよう)。 好きな女の子と過ごす楽しい青春を送るため、彼はひたすら努力を繰り返したのだが――モテなかった。 それはもうモテなかった。 何をどうやってもモテなかった。 呪われてるんじゃないかというくらいモテなかった。 そんな青春負け組説濃厚な彼の元に、ボクッ娘美少女天使が現れて―― モテない高校生とボクッ娘天使が送る青春ラブコメ……に見せかけた何か!? 最後の最後のどんでん返しであなたは知るだろう。 これはラブコメじゃない!――と <追記> 本作品は私がデビュー前に書いた新人賞投稿策を改訂したものです。

小学生をもう一度

廣瀬純一
青春
大学生の松岡翔太が小学生の女の子の松岡翔子になって二度目の人生を始める話

先生と私

伊原てん
青春
掌編小説(約1200文字)。とある書道部でのお話。

機械娘の機ぐるみを着せないで!

ジャン・幸田
青春
 二十世紀末のOVA(オリジナルビデオアニメ)作品の「ガーディアンガールズ」に憧れていたアラフィフ親父はとんでもない事をしでかした! その作品に登場するパワードスーツを本当に開発してしまった!  そのスーツを娘ばかりでなく友人にも着せ始めた! そのとき、トラブルの幕が上がるのであった。

切り札の男

古野ジョン
青春
野球への未練から、毎日のようにバッティングセンターに通う高校一年生の久保雄大。 ある日、野球部のマネージャーだという滝川まなに野球部に入るよう頼まれる。 理由を聞くと、「三年の兄をプロ野球選手にするため、少しでも大会で勝ち上がりたい」のだという。 そんな簡単にプロ野球に入れるわけがない。そう思った久保は、つい彼女と口論してしまう。 その結果、「兄の球を打ってみろ」とけしかけられてしまった。 彼はその挑発に乗ってしまうが…… 小説家になろう・カクヨム・ハーメルンにも掲載しています。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

処理中です...