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嵐の後

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 ユフィがニンフィニウムの毒に倒れてから、半月近くが経過していた。
 シェリーはまだ帰っていない。母となった娘がたちの悪い風邪を引いてしまい、その看病や家事の手伝いに追われているという。

 突然の一人暮らしにもようやく慣れてきたところだ。シェリーが居ない間に衣装作成を終わらせてしまえるのなら、その方が心配をかけずに済む。内心でほっとしながら、エリオットはこちらは大丈夫だと手紙に返事を書いた。

 作業は大詰め、あと十センチほどの範囲を花柄で埋めれば完成となる。連日対峙《たいじ》するうちにすっかり愛着がわいてしまい、完成が待ち遠しいような寂しいような不思議な気分になる。
 その日も店じまいを終えたエリオットは、簡単な夕食を摂るとすっかり作業台と化したテーブルへ向かった。

 ランプの明かりを頼りにユフィの姿を思い浮かべながら針を進める。

「……そろそろ、普通に仕事ができるようになってるかな……」

 あれから、ユフィには会っていない。配達はジンたちに任せきりだ。祭殿からの連絡もない。御子といえど一庶民であるエリオットに、わざわざ連絡する義理もないのだろうが、とても気になる。

 解毒には個人差がある。高貴なる身の上ということで療養期間を長めに取っている可能性も考えられなくはないのだが。

 やはり自分とユフィは他人でしかないのだな、と一抹の虚しさを覚えていたそのとき、誰かがコンコン、と店のドアをノックした。
 驚きに手を止める。するとまた控えめにドアが叩かれる。聞き間違いではない。以前のような切迫感はないが、ユフィが倒れたと告げられた時のことを思い出して心臓が早鐘を打ち始めた。
 わざわざ夜に尋ねてくるような、急ぎの用事に心当たりはないが――万が一のことがある、出た方が良いだろう。

「は、はい……今、開けます……」

 及び腰で戸口へ近づくと、解錠して扉を開け放った。

「あ……、えっ⁉ ユ、ユフィ様……⁉」

 外套のフードを脱ぎその白銀の髪を月光の下にさらした麗人――ユフィの姿を見止め、エリオットは慌てふためいた。

「こんはんは、エリオット。君が私の命を救ってくれたと聞いて、一言、お礼が言いたくて」
「そ、そんな! 当然のことをしたまでで……もう体調の方は大丈夫なんですか」
「うん、君のおかげで。しばらくは眩暈や手足の痺れがひどくてね、やっと午後の診察で出歩いてもいいというお墨付きを得たんだ。明日にすべきだと頭ではわかっていたんだけど、身体が勝手に動いて……少しだけ、話せるかな?」

 どこか固い微笑を見せるユフィに、エリオットは気づくと首肯を返していた。どうやら単純に礼を告げにきたわけではないらしい。

「どうぞ、花以外は何もないし狭いところですが……」
「ありがとう、失礼するよ」

 エリオットは逡巡して、テーブルの上に広げたままの腰帯や裁縫用具を片付けることにした。それでも往生際悪く隠すように折りたたみ、さりげなく出窓に置いた。その空いたテーブルへ着くようユフィに勧める。

 机上にはちょうどお湯を注いだばかりのティーポットがある。中のハーブティーを揃いのティーカップに淹れると、エリオットは向かいに腰を下ろして居住まいを正した。
 心は穏やかで、怖気づく気配がないことに、我がことながら安堵する。

「今回は本当にありがとう。エリオットのおかげで一命をとりとめることができた、心から礼を言わせてほしい」
「やめてください、僕にできる当然のことをしたまでです。ユフィ様がご無事で、本当に良かった……」

 自然と口元が緩んでしまう。それぐらい、ユフィを救えたことが誇らしいのだ。
 他愛もない談笑が続くかと思いきや沈黙が落ちて、エリオットは戸惑う。何だか、今日のユフィは彼らしくない。まだ調子が戻っていないのか、それともあの出来事がどこかで彼のプライドを傷つけてしまっていたのか。
 おそるおそるユフィの顔を盗み見ると、彼は一瞬だけ言葉を探すように視線を彷徨わせ、小さく咳ばらいをした。

「……私が迂闊な真似をする三日ほど前にね、突然、精霊の森に青い花々が狂い咲いたんだ」
「あ……」
「エリオットは、自分がどういう存在か、既にシェリーから聞いているんだよね?」

 エリオットはおずおずと頷く。
 そして「ん?」と違和感を抱いた。

「森に青い花がたくさん咲く……これがどういう意味なのかも、聞いたことがあるのかな?」
「……精霊の御子様が、真実の愛に目覚めた、とき……?」

 そう、そうなのだ。それをこの目で目撃したエリオットは、あの花を見た時にユフィが最愛の人と想いが通じ合ったのだろうだとか、精霊が認めるほど深い愛情を抱いたのだろうと思った。衝撃を受け、ああそのお方には敵わないのだろうと現実を受け入れた。

 けれど、本当の御子はユフィではなくエリオット自身だった。

 ――つまり……、待って、どういうこと?

 混乱するエリオットに、ユフィは沈痛な面持ちで「知っているんだね」と肩を落とす。その反応の意味も汲み取れず、エリオットの困惑は加速するばかりだった。

「……はあ……やはり、そうなんだね……」
「えっ、と、あの、すみません、まだ状況が」
「ああ、すまない、私の歯切れが悪いせいで困らせてしまっているよね。……エリオット、この店で一番きれいな、君の好きな花を選んでくれない?」
「? ……、はい、わかりました」

 唐突な申し出にさらに思考を乱されつつ、エリオットは立ち上がる。ユフィの微笑に剣呑な色が宿っていた。不穏というか、目元が笑っていないのだ。
 カウンターに置いていた燭台を手に取り、整列した切花を眺めていく。裏庭の野草園にも思考を巡らせた。誰が選ばれるのか、花々が息を詰めるような気配がする。

 ――一番きれいで、一番、好きな花。

 それはエリオットの中で、ユフィに一番似合う花を意味する。
 再認識したエリオットの手が、ひとつの花に伸びる。
 それは清らかに咲き誇る、真っ青な青薔薇だった。
 花瓶から引き抜いた一輪の花を、エリオットはそっとユフィに差し出す。

「青い薔薇、これが一番、ユ――一番、好きです」

 突然花など選ばせて、何をしようというのか皆目見当もつかない。もしかすると、想い人に贈る花を探していたのだろうか。たとえば、この青薔薇で作った花束を捧げるユフィは、さぞかし美しくて絵になるだろう。
 そんなことを夢想するエリオットから、その一輪を受け取ったユフィは――――。
 神妙な面持ちのまま、なぜかその場に跪《ひざまず》いた。

「えっ……あ、あの、ユフィ様」
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