花屋の鈍感少年は溺愛神官の求愛に気づけない

澪尽

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狂い咲く青

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 移動拠点となる転移魔方陣は、祭殿から少し離れた木立の中にひっそりと存在していた。

「もう目を開いても構いません」
「は、はい」

 魔法使いだという男とともに無事に転移したエリオットは、指示通りにゆっくりと目を開いて、はっと息を呑んだ。

 しとしとと細雨ほそあめが降り注ぐ夜の森。
 存外に雲が薄いのか、輪郭がぼやけた満月の明かりがほのかに大地を照らし出している。
 花が、咲き乱れていた。
 元は整備された空き地だったのだろう拠点とその周辺は、ワスレナグサの花園となっていた。雨露に濡れた小さく可憐な青い花が地表一面を覆い、ざわめくように揺れている。
 周囲を取り囲む灌(かん)木(ぼく)は、眼にも鮮やかな青の紫陽花(アジサイ)。とうに時期を過ぎたにも関わらず、今が盛りとばかりに狂い咲いている。
一瞬、葉そのものが青いのかと見誤るほどに鈴なりの花をつけた高木は、桐に似た花の形状を見るに紫雲木ジャカランダであるらしい。

「さあ、こちらへ」

 エリオットは慌てて男の背を追った。
 花畑を抜け、祭殿へと続く道を走る。

 ――あの背の高い木、モクレンみたいな花が咲いてる。こっちはスイセンみたい、これは牡丹かな……もっと樹木についても勉強しておけばよかった。

 その根元には、ムスカリやヒヤシンスが行儀よく立ち並んでいる。どちらも日当たりの悪い木陰には咲かない花だ。

 視界の端から端までを埋め尽くす、盛りとする季節を違えた青い花々。

 ――これは、まさに狂い咲きだ。

 水溜まりを踏み抜き、ぱしゃりと外套の裾に泥がはねる。
 木立の向こうに、一際大きく枝葉を広げた古木の影を見止めた。祭殿は近い。
 ユフィの病状については不明な点が多い。慌てた魔法使いの説明は要領を得なかった。
 けれど、たったひとつだけ、確実なことがある。

 ――御子様は……、ユフィ様は、『真実の愛』に目覚められたんだ。

 エリオットには、それが具体的にどういう状況を指すのかはわからない。少なくとも何かが変化したことは確かだ。ユフィには以前から想い人が居たはずなのに、森はこんなに華やかではなかった。ユフィの心根か、それとも相手がやっと彼の想いを受け入れてくれたのか。

 ともかく、幸せの絶頂であったはず。それなのにこんなことになってしまうだなんて。
 色々な感情が渦巻(うずま)いて泣きだしそうになりながら、エリオットは祭殿へと到着した。使用人の後に続き、塀を切り取るように造られた勝手口をくぐる。

「すみません、ユフィ様は散歩の途中に倒れたということでしたよね?」
「ええ、そのように聞いております。ユフィ様がどこにも見当たらないことに気づいた祭殿の者が総出で探したところ、森の中に倒れているところを発見したのだそうです」
「意識は? 怪我とか、誰かに襲われただとか……」
「申し訳ない、私は急いで貴方様をお迎えに行くよう仰(おお)せつかっただけで、詳しいことは何も」
「そう、ですか」

 建物を迂回し宿房しゅくぼうを目指す。雨に打たれる野草畑を眺めつつエリオットは思案した。
 そもそも、どうして自分が呼び出されたのだろう。街にもアウレロイヤ家にも医者は居る、お抱えの薬草師もいたはずだ。単なる花屋にすぎない自分に出来ることなんて何もないはずなのに。
 答えは出ないまま、最奥部の宿房へ辿り着いてしまう。素朴ながら緻密ちみつな意匠のほどこされた扉をノックすると、すぐに顔なじみの従神官が顔を出した。

「ユフィ様のご容体は⁉」
「……こちらへどうぞ」

 エリオットの剣幕(けんまく)に一瞬驚いた顔をしつつ、すぐ中を示してくれた。
 クローゼットに机、椅子、ベッドサイドを照らすランプに燭台。最低限の質素な家具が配置された部屋の奥に、天蓋付(てんがいつ)きの大きなベッドがある。蔓草の模様な陽刻されているのみで、装飾そのものはシンプルだ。一見するとこの清貧を絵に描いたような空間にその高価で寝心地の良さそうな寝台は随分と場違いなものに思えた。しかし、そこに横たわる人物に予想がつけば、その違和感もすぐに霧散するだろう。

「ユフィ様っ!」

 エリオットはすぐさまベッドへ駆け寄った。
 普段は磁器のように柔らか色合いの肌は、ランプの灯火に照らされてなおくすんで血色が失せたままである。その額には汗が滲み、艶やかな髪が数本張り付いていた。まるで絵画のように美しい寝顔だが、その呼吸は荒い。激しく上下する胸が、病状の深刻さを物語っている。

「ユフィ様……」

 悲痛な声を絞り出すと、ユフィはゆっくりと目を開いた。宙を泳いだ視線がエリオットをとらえる。疲労の滲んでいた貌(かお)に、はっと驚きが滲んだ。

「エリオット……、どうして、誰が君を……」
「え、ええと……」

 一瞬の間の後、エリオットは自分にもわからない、と首を横に振った。

 ――あれ、そういえば他には誰もいない……お医者さんみたいなおじいさんはいるけど、領主様も、想い人らしきお方も。

 辺りを見回したエリオットは狼狽えた。真っ先に駆け付けたのが自分だなんて、ユフィにもその他の縁者にも申し訳なかった。自分が居ていい空間とは思えない。

 助けを求めて、自分を呼びに来た魔法使いの方を見る。目が合うが、軽く会釈を返されただけにとどまった。彼も使いに走らされただけで事情をよく知らないのだろう。次に、三人の従神官。それから医者、手伝いのため時折何日か住み込みで働く麓(ふもと)の老女。それぞれの顔を順繰(じゅんぐ)りに見るが、皆、何も言わない。ただ、エリオットを邪険(じゃけん)にするつもりはないことがその視線から伝わってくる。むしろ、何かを期待されているような気さえする。

 けれどエリオットには何もできない。魔法が使えるわけでも、知識が豊富なわけでも、愛する人としてユフィを元気づけられるわけでもないのだ。

「すみません、部外者なのに。ユフィ様が大変だと聞いて、何も考えず駆けつけてしまって……」
「…………」

 ユフィは、何も答えず周囲の面々を見やった。睨みつけた、と言った方が正しいような、鋭い視線だった。一同に動揺が走る。
 エリオットは身の置き場をなくして、肩を縮こまらせた。やはり迷惑だったのだろう。自身が弱っている姿をけして他人に見せたくないという人間は多い。完璧主義であればあるほど、そういう傾向を持つ印象がある。

 ――きっと慌てていて従神官が指定する相手を間違えたか、魔法使いの人が聞き間違えたんだ。
 どちらにせよ求められていたのはエリオットではない。
 では誰を、と考えた瞬間、ある可能性に思い至る。

「あ! あの、母、シェリーは今店に居なくて! でも通信用の手紙が家にあるんです、すぐに連絡してみますから」
「待って」

 弱々しくも威厳のある声で引き止められる。その手が、いつの間にかエリオットの服の裾を掴んでいた。

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