花屋の鈍感少年は溺愛神官の求愛に気づけない

澪尽

文字の大きさ
上 下
20 / 29

青天の霹靂

しおりを挟む
 あの日、祭殿さいでんを飛び出して以来、エリオットは聖青の絹織物と金の糸を手に、ひとり店先のテーブルに向かい続けていた。

 ユフィへの思いを終わらせるためだった。

 突然逃げるようにその場を辞したエリオットを、ユフィは奇妙に思っただろう。そして敏い彼のことだ、それまでのやり取りからエリオットの想いに気づいてしまっているはずだ。
 だから、もういっそのこときちんと告白することにした。少しでも長く傍に侍るために、自身の感情から目を背けるだなんてことはもうやめた。

 彼が結婚相手とともに遠くへ移住してしまうこと、あるいはシェリーズとの契約を打ち切ることは、エリオットの気持ちに関係なく訪れる未来なのだ。そして冷静になってみると、ユフィはけして薄情な人物ではない。エリオットの告白を受けて、不快感から関りを断ったりはしない。気づいてあげられなくてごめんね、と気を遣わせてしまうかもしれないけれど、次には「エリオットにも素晴らしい相手が見つかるよ」と笑いかけてくれるような人だ。

 臆病で意気地なしのエリオットが、何かと理由をつけて思いを告げることから逃れ続けていただけなのだ。
 そんなことを考えながらシェリーズへの帰路を辿るエリオットの目に、あの華やかな青と金色が飛び込んできた。

 ――そうだ、婚姻装束を作ろう。
 唐突に、そんなことをひらめいた。

 本来、花嫁や花婿と親しい者たちの手で仕立てられる代物だ、エリオットという他人では不十分かもしれない。けれど別に受け取ってもらわなくてもいい。エリオット自身が時間をかけて育んできた恋心と向き合う時間を得られれば、それでいいのだ。

 幸か不幸か、急遽、翌日からシェリーが店を空けることになっている。長い間、子どものできなかった遠方の娘夫婦に第一子が誕生したため、お祝いに向かうことになったのだ。想定から一月近く遅れたことを除けば、以前から決められていた予定だった。この間、エリオットは一人でシェリーズを切り盛りすることとなる。シェリーからは店を閉めても構わないと言われていたが、今後の勉強のためにもできる限り営業を続けることにした。

 とはいえ、一人では手が回りきらず縮小を余儀(よぎ)なくされる。祭殿への配達をジンの家に任せる口実を得られ、内心でひどくほっとしていた。
 くわえて、季節外れの長雨がアウレロイヤの街に逗留とうりゅうしていた。雨の日は客足が遠のく。裏手にある花畑の手入れと、簡単な掃除だけで終わる日もあるほどだ。エリオットはその空き時間を裁縫にあてることにした。

 手先は器用な方だった。視力が落ち始めたシェリーに代わって、破れたシャツの繕いやズボンの裾上げはエリオットがこなしている。花の刺繍は姪っ子や近所の子供たちにも好評だ。
 作るのは、上衣を飾る腰帯にした。頭巾と迷ったが、サイズを気にせず作れる方が都合が良いのだ。せっかくだから布地と濃淡の異なる青い糸を用いて、細やかな大判の花でも描いてみようかと構想している。

 日々の雑務の合間に、針仕事と向き合い始めて四日目。

 エリオットの心は、まだ晴れない。針を進めるにつれてずうんと深く落ち込んでは、ふとした拍子にもう仕方のないことなのだから、と前向きになる。心が、水を吸っては絞られてすかすかになる、スポンジになってしまったようだ。つまりはひどく情緒不安定だった。

 刺されているのは布地なのに、針を通せば通したぶんだけ胸が痛む瞬間が訪れる。直接、針で突き刺されたように、ちくちく、痛んだ。そこに縫糸で描かれるのは、きっとユフィを想うほどに大きくなるむごたらしい傷跡なのだろう。気を紛らわせようとそういう魔法がかけられた毒針なのかもしれないと、突拍子もないことを考えて失笑した。

 どれだけ苦痛をともなおうとも、手を止めることはしない。この作業から逃げてはいけないのだ。


 事件は、六日目の晩に起きた。

 シェリーズの店じまいをしたあと、ジン一家の誘いを受け隣家で夕食をご馳走になった。最初はエリオットを慰撫しようとするような空気があったが、空元気が功を奏して賑やかなものへと変わり、ほっと安堵した。事情は不明ながら、落ち込んだエリオットを放っておけず元気づけようとしてくれたのだろう。
これで、少なくとも表面上は立ち直ったと理解してくれたはずだ。優しい隣人たちに無用な心配をかけたくない。

 そうして自宅に戻り、寝自宅を整えつつ、ランプの明かりを頼りに少しでも作業を進めておこうか逡巡していたときのこと。

 ドンッ、ドンドンドンッ!

 静かな雨夜に、何者かが店の戸を激しくたたいた。
 エリオットは飛び上がった。反射的にカウンターの裏に身を隠す。

「こんな夜更けに、だれ……?」

 ドアの向こうで、男が何か言っているのが聞こえる。少なくともシェリーではない。
 そうだ、まさか出先のシェリーに何かあったのか。それとも、先ほどまで談笑していた隣人たちか。何も暴漢や不審者とは限らないのだ。

 エリオットは深呼吸すると、研ぎたての剪定用ハサミを手に戸口へ向かった。二つある鍵を解錠し、おそるおそるドアを開く。

「……、あなたは……」

 外套がいとうのフードを脱いだ訪問者に眼を丸くする。
 濡れねずみと化して佇んでいたのは、祭殿で見かける中年の使用人だった。この夜道に馬を飛ばして来たのだろうか、ぜえぜえと肩で息をする男の顔は殺伐さつばつと――否、悲壮とも、怯えともつかない感情に彩られている。

「……が」
「え?」
「ユフィ様が、突然、お倒れになられました……!」



しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜

N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。 表紙絵 ⇨元素 様 X(@10loveeeyy) ※独自設定、ご都合主義です。 ※ハーレム要素を予定しています。

婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました

ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。 愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。 ***************** 「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。 ※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。 ※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。  評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。 ※小説家になろう様でも公開中です。

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。

N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間 ファンタジーしてます。 攻めが出てくるのは中盤から。 結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。 表紙絵 ⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101) 挿絵『0 琥』 ⇨からさね 様 X (@karasane03) 挿絵『34 森』 ⇨くすなし 様 X(@cuth_masi) ◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

【完結】我が侭公爵は自分を知る事にした。

琉海
BL
 不仲な兄の代理で出席した他国のパーティーで愁玲(しゅうれ)はその国の王子であるヴァルガと出会う。弟をバカにされて怒るヴァルガを愁玲は嘲笑う。「兄が弟の事を好きなんて、そんなこと絶対にあり得ないんだよ」そう言う姿に何かを感じたヴァルガは愁玲を自分の番にすると宣言し共に暮らし始めた。自分の国から離れ一人になった愁玲は自分が何も知らない事に生まれて初めて気がついた。そんな愁玲にヴァルガは知識を与え、時には褒めてくれてそんな姿に次第と惹かれていく。  しかしヴァルガが優しくする相手は愁玲だけじゃない事に気づいてしまった。その日から二人の関係は崩れていく。急に変わった愁玲の態度に焦れたヴァルガはとうとう怒りを顕にし愁玲はそんなヴァルガに恐怖した。そんな時、愁玲にかけられていた魔法が発動し実家に戻る事となる。そこで不仲の兄、それから愁玲が無知であるように育てた母と対峙する。  迎えに来たヴァルガに連れられ再び戻った愁玲は前と同じように穏やかな時間を過ごし始める。様々な経験を経た愁玲は『知らない事をもっと知りたい』そう願い、旅に出ることを決意する。一人でもちゃんと立てることを証明したかった。そしていつかヴァルガから離れられるように―――。  異変に気づいたヴァルガが愁玲を止める。「お前は俺の番だ」そう言うヴァルガに愁玲は問う。「番って、なに?」そんな愁玲に深いため息をついたヴァルガはあやすように愁玲の頭を撫でた。

学園の俺様と、辺境地の僕

そらうみ
BL
この国の三大貴族の一つであるルーン・ホワイトが、何故か僕に構ってくる。学園生活を平穏に過ごしたいだけなのに、ルーンのせいで僕は皆の注目の的となってしまった。卒業すれば関わることもなくなるのに、ルーンは一体…何を考えているんだ? 【全12話になります。よろしくお願いします。】

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

処理中です...