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ユフィの想い人

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「あらあら、お帰りなさい!」
「ただいま、母さん」

 物音を聞きつけたシェリーが、手燭を手にそっと戸口から顔を出す。

「あの、ここまでありがとうございました」
「送っていただいたのね。これはどうも……あらあなた、ゲセル卿じゃありませんか? アウレロイヤ家へお帰りになるのよね、ちょうど手紙を書きつけていたところだったの、お届けいただけるかしら」
「ああ、構いませんよ。もう帰るだけだからな」

 シェリーが家の中へ戻るのに続いて、ドアをくぐる。そこでぴたりと足を止めた。馬や彼らに水やお茶を用意すべきではないだろうか。シェリーと御者の彼は知人のようだけれど、エリオットごときが話しかけていい存在なのかが分からない。

 ドアの陰で戸惑っていると、護衛していた騎士が馬を下りて御者の方に近づいていくのが見えた。彼はアウレロイヤ家で何度か目にしたことがある。かつてのユフィの護衛騎士で、今では王都で師団長を任されるほど有能な騎士であったはずである。

 そんな相手を自分ごときに――と狼狽えるエリオットに、彼らは気づいていないらしい。もう部屋へ戻ったと判断したのか、砕けた口調で会話を始めた。

「手紙か。何があったんだろうな」
「さてね……。けど旦那様はここの贔屓です、次の晩餐会の花がどうとかいう話では」

 馬であれば城までそう時間はかからないし、きっと話を邪魔してしまう。水の差し入れを諦めて自室のある二階へ戻ろうとした、その時。

「しかし、喜ばしいことだな。これならユフィ様のご結婚もそう遠くは無いだろう」

 思わず、足が止まった。凍り付いた、という方が正しいかもしれない。

「あれだけ執拗――……いや、入念に下準備を続けてらしたのだ、こちらが見ていてゾッと――……いやつい感涙してしまうほどに」
「どこまで本気なんです? 茶化そうとしているようにしか聞こえませんが」
「本気に決まってるだろう。本当に涙ぐましい努力を重ねておられたぞ。まるで自分で無駄な花を間引いて、形を整えて、追肥をして、それこそ花を育てるように地道な作業の数々だった。髪が美しいと言われれば手入れをして伸ばし、菓子が好きだと言われれば手ずから生地を捏ねて。祭殿にわざわざティーセットやテーブルまで用意した時には驚いたさ。あのユフィ様がだぞ?」

 思わず、服の裾をきつく握り締めていた。

 ――そうか、全て、僕はおこぼれに与っていただけだったのか。
 ユフィにはずっと前から心を寄せる人がいて、その人のためにあの艶やかな髪を伸ばし、お菓子を作って、それを振る舞っていたのだ。エリオットに教えを乞うたのも、その人のため。エリオットが腰かけた椅子は、本来はその人もの。
 本当ならば、エリオットが座っていい場所ではなかった。
 もしかすると、花を飾ったのもその人のためだったのかもしれない。祭殿では、青以外の花は育たないから。花が好きなその人の眼を飽きさせないために、エリオットが必要だっただけなのかもしれない。

――よかった、よかったな、おめでたい、な…………。

 そう思っているはずなのに、視界がぶわりと滲んだ。ぽた、と妙な音がして、気づくと地面に水滴が落ちていく。
 エリオットが知らなかっただけだったのだ。知らされていなかっただけなのだ。今日だってそれらしい話はたくさんしたのに、ユフィは一足先におめでとうの一言さえ言わせてくれなかった。
 エリオットはやはり、ユフィにとってその程度の存在にしかなれなかった。結婚をこっそり打ち明けてもらえるほど、親しくはなれなかった。なれたつもりでいただけだった。
 ユフィに想い人が存在したことより、自分が取るに足らない存在なのだと突きつけられたことがショックでたまらない。
 店の奥の棚にいたシェリーが向かってくる気配がする。エリオットは慌てて目元を拭い、逃げるように階段を駆け上がった。
だから、こんな風に続いた二人の会話を聞き逃してしまう。

「自身の容貌にも、口に入れる物にも全く頓着しないあのお方がだ。あの子のことになるとこう……愚かに、いや、我を失ってしまう。これがどれだけ恐ろしいことかわかるか? 下手をするととんでもない禁を犯しかねない。なぜかは知らんが、あのお方は、今や笑みひとつで陛下さえ動かせるのだからな……」
「ええ、わかっています。だからこの結婚は必ずや実行されなればならない。……あのエリオットとかいう少年は、いったいどうやって氷絶の天使だなんて呼ばれるお方ユフィさまの心を溶かしたのでしょうね」

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