花屋の鈍感少年は溺愛神官の求愛に気づけない

澪尽

文字の大きさ
上 下
3 / 29

神官ユフィ

しおりを挟む
 『君の育てた花をずっと見ていたいな――――』

 そんな他愛もない社交辞令を真に受けて、十年近くが経過しようとしている。人は時に、心にもないことを口にすることがあるのだと理解するようになってからは、いずれ「もういらないよ」と言われてしまう日が来ることを怯えていた。
 けれど、エリオットは今日もこうして変わらず、緑豊かで緩やかな山道を上っている。

 ――本当は迷惑だったりするのかな……こうして嬉しくてたまらないのは僕だけ、ひとりよがりで……。

 前回の配達の折、アウレロイヤ家の従僕との大事な談話の最中に訪問してしまったことを思い出して、申し訳なさでいっぱいになる。祭殿の主たるユフィとシェリーズの間で契約書を取り交わして取引ではあるものの、「それなら毎週必ず持っていきます!」と押し売りをしたのは幼い頃のエリオットだった。

 わかっている。ユフィはこの世の誰よりも清らかで心優しい人だ。自分に尽くそうとするエリオットを拒みきれないのだろう。あるいは、小さな花屋の稼ぎを奪うことになるのが可哀想だと契約を打ち切れないのかもしれない。

 エリオットは、そんなユフィの厚意に甘えて――いや、彼の傍に居たいという浅はかな欲を満たすために、利用しているといっても過言ではない。
 身の程知らずだという自覚はある。ユフィもそんなエリオットに内心、うんざりしているのかもしれない。

「……そっか、結婚式が羨ましかったのかな。あんなに幸せそうなところを見て暗くなるなんて、申し訳ないしよくないな……」

 エリオットは深呼吸して自身に喝を入れ直した。今の自分の精神状況はおかしいと自覚しただけで、気分が軽くなる。何より、彼にこんな暗い顔を見せるわけにはいかない。きっと心配させてしまう。
 これは仕事だ、エリオットの想いなんて関係ない。依頼されたから花を届ける。エリオットとユフィは店員と客、それだけの間柄なのだ。迷惑かもしれないなどと気後きおくれする必要はない。
 今日も元気に、単なる町の花屋として笑顔と綺麗な花々を届けてさしあげればいい。

 鳥の囀りを相槌に鼻歌を紡いでいると、あっという間に祭殿の入口へ辿り着いた。
 石積みの門は開け放たれていた。風化して隙間から雑草の生えたそれをくぐると、天を覆う巨木の幹に絡めとられたように佇む、純白の石造の祭殿の姿が露わとなる。

 当初は祭殿の傍らに植えられていたとされる庭木が、長い年月を経て根を伸ばし枝葉を広げ、祭殿の一部を呑み込むようにして成長したのだという。
 この息を呑むような絶景はあまり知られていない。アウレロイヤが首都から離れた僻地に存在していること、そして何より精霊信仰がジェスリンでは一般的ではないためだ。邪教ではないが、主流でもない。普通は精霊の上位に存在する、太陽や農耕の神々を信仰するため、巡礼ルートから外れてしまうのだという。

 それでよかったのだと、エリオットは思う。人が増えれば増えるほど、静かで神聖な森は荒らされてしまう。のみならずユフィの姿を拝み、その教えを聞こうとより多くの人が押し寄せただろう。それではユフィが今以上に遠い存在になってしまう。ユフィもまた、人の多い王都は苦手で、この穏やかな土地を愛しているのだと言っていた。

 エリオットは何年通っても飽きることのない光景に見惚れてから、閉ざされたアーチ状の木製の両扉へと歩み寄った。

 コンコン、コン。

 二度、三度とノックを繰り返す。此処にはユフィの他、三人の老僕が従神官として居住しているはずだが、返事はなかった。生活用品を調達するため街へ下りたか、あるいは山羊や番犬の散歩を兼ねて野草採取にでも出かけたのか。頻繁にというわけではないが、稀にあることだった。

 ――……今日は、ユフィ様にお会いできそうもないな。

 神官らが不在の際は、花を替え終えたら内部で待つよう言い付けられている。けれどエリオットがその命令に従ったことはほとんどない。
 帰宅とともにエリオットのおとないを知った彼らは、慌てた様子でティータイムの準備を始める。つまり、エリオットを労おうという心遣いからの命令なのだ。自分一人のためにユフィの手を煩わせるだなんて恐れ多いにもほどがある。
 その意図に気づいてからは、突然雨が降り出しただとか、体調が芳しくない場合を除いて早めに立ち去るようになったのだ。

 ――ユフィ様とお茶ができるなんて身に余る光栄だけれど、こうも頻繁だと勘違いしてしまいそうになるから。

 勘違いするのはエリオットの勝手だけれど、期待して辛い思いをするとわかりきっているのなら、最初から近づきすぎない方が良い。
 少々落胆しながら、打ち付けられた把手に手をかけて勢いよく引いた。

「ふ、んっ……くう……!」

 何度か弾みをつけて引っ張るものの、扉はびくともしなかった。以前はこんなに固くなかったはずだ。
おかしいな、と思いつつ全体重をかけて足を踏ん張るが、やはり堅固な扉は開かない。
 そんな風に小首を傾げるエリオットの背後に、足音もなく現れた優雅な人影がそっと寄り添った。

「遅れてしまってごめんね、エリオット」
「へ……」

 早朝の清々しい空を思わせる甘く澄んだ声が降るとともに、把手を握るエリオットの手に、黒手袋をはめた伸びやかな指が重ねられる。
 扉と自身の上に差し込んだ黒影から、すぐ真後ろにその人が居ることを知る。
エリオットは数秒の間硬直してから、はっと頭上を振り仰いだ。

「えっ、あ、ユフィ、さま……」
「こんにちは。驚かせてしまったよね。君が何やら一生懸命になっているのが可愛らしくて、ちょっと悪戯心が湧いてしまって」

 その言葉通りに、こちらを真上から見下ろす、底の知れぬ聖性を秘めた深いアメジスト色の瞳が悪戯っぽく細められる。それを間近で目撃したエリオットは、暫しの間、頬を赤らめたまま呆けてしまう。
腰まで伸ばされた滑らかで癖のない髪が、うららかな日差しを受けてきらきらと輝いている。

 その顔立ちは温和で甘い。眼元や口元が常に柔らかく弧を描いていて、いつ何をしていても微笑んでいるような印象を抱かせる。元からそうなのか、それとも意識して保たれたものなのか、エリオットはこの表情が崩れた瞬間を目にしたことがない。ともかく、慈愛に満ちた端正な顔をしているのだ。

 小柄なエリオットを上から容易く覗き込めてしまうほどの長身は街でもあまり見かけない。白に金糸のローブを纏っているために痩身と誤解されそうだが、地方貴族とは思えぬ鍛えられた肉体を持つことを、エリオットは意図せず思い知らされていた。
 アウレロイヤに住まう乙女が一度は憧れる、完全無欠の神官――それが、このユフィという男だ。

「ここの扉なんだけど、先日、荷車が意図せずぶつかってしまってね。それからどうも建付けが悪くて開くのにコツがいるんだ。ともかく、君が去る前に間に合ってよかった……んだけど、どうしたの? 私の顔に何かついているかな?」
「…………」

 黄金と言うよりはプラチナブロンド近い髪は、その初雪のように白い肌とともに彼の神聖性を際立たせている。
 その神々しい存在が、あまりに近くて見惚れてしまう。

 ――気のせいかな、最近、なんだか前と距離感が違うような……近くなった、ような。

 頭上から覗き込まれたことで彼の髪がカーテンのように顔の両側に下り、周囲の景色を覆い隠していた。
 狂おしいほどに憧れ続けたユフィの顔しか見えない。しかも前方は固く閉ざされた扉。背後には彼自身が居る。まるで追い詰められたかのような心許なさと面映おもはゆさに、エリオットは放心していた。

「……エリオット?」
「あ、あっ、ごめんなさい! まさかお会いできるとは思わなくて」
「本当に危ういところだった、私がどれだけどうか待っていてほしいとお願いしても、こういうとき、特に最近のエリオットはすぐに帰ってしまうんだもの。そんなに私と一緒に居たくないのかと、少し寂しくなるよ。……なんて冗談。さあ、立ち話も何だし中に入ろう」
「はい、ありがとうございます」

 ユフィはにこりと笑みを深めると、扉と地面の隙間に爪先を差し込み、跳ね上げるようにして弾みをつけて扉を引いた。ギギッ、という木の擦れ合う音とともに重い扉が動き、エリオットは勧められるままにあわあわと内部へ入り込んだ。

 薄暗い祭殿へ入り込むと、エリオットはばくばくと煩く高鳴る胸を抑えるようにバスケットを抱え込んだ。ついため息が漏れる。焚き染められた木香と新緑の匂いの混じった清々しい香りに心が凪ぐが、ユフィからも同じ香りがしていたことを思い出し、また息が苦しくなる。

「さあ、どうぞ」

 扉が閉ざされる重い音とともに、前に回り込んだユフィが最奥部の祭壇へ向かって真っすぐに伸びた身廊を指し示す。その身廊の終点、小さな説教代の奥には天井から床までを覆い尽くすほどの壮大なステンドグラスが嵌め込まれていた。精霊石で彩色された青を基調とした図案は、真青な精霊を前に剣を持つ甲冑の騎士がひざまずく、建国神話をモチーフとしたものだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

獣人将軍のヒモ

kouta
BL
巻き込まれて異世界移転した高校生が異世界でお金持ちの獣人に飼われて幸せになるお話 ※ムーンライトノベルにも投稿しています

あの頃の僕らは、

のあ
BL
親友から逃げるように上京した健人は、幼馴染と親友が結婚したことを知り、大学時代の歪な関係に向き合う決意をするー。

婚約破棄したら隊長(♂)に愛をささやかれました

ヒンメル
BL
フロナディア王国デルヴィーニュ公爵家嫡男ライオネル・デルヴィーニュ。 愛しの恋人(♀)と婚約するため、親に決められた婚約を破棄しようとしたら、荒くれ者の集まる北の砦へ一年間行かされることに……。そこで人生を変える出会いが訪れる。 ***************** 「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく(https://www.alphapolis.co.jp/novel/221439569/703283996)」の番外編です。ライオネルと北の砦の隊長の後日談ですが、BL色が強くなる予定のため独立させてます。単体でも分かるように書いたつもりですが、本編を読んでいただいた方がわかりやすいと思います。 ※「国王陛下は婚約破棄された令嬢に愛をささやく」の他の番外編よりBL色が強い話になりました(特に第八話)ので、苦手な方は回避してください。 ※完結済にした後も読んでいただいてありがとうございます。  評価やブックマーク登録をして頂けて嬉しいです。 ※小説家になろう様でも公開中です。

銀龍〝アシル〟は雨の神

須藤慎弥
BL
天涯孤独の俺が見付けた銀色の龍。 一生に一度でもその姿を見る事ができたら 幸せになれる─── え、俺、十八年間で三回も見ちゃったんだけど……? ※fujossy様で行われました「梅雨のBLコンテスト」出品作です

【完結】冷血孤高と噂に聞く竜人は、俺の前じゃどうも言動が伴わない様子。

N2O
BL
愛想皆無の竜人 × 竜の言葉がわかる人間 ファンタジーしてます。 攻めが出てくるのは中盤から。 結局執着を抑えられなくなっちゃう竜人の話です。 表紙絵 ⇨ろくずやこ 様 X(@Us4kBPHU0m63101) 挿絵『0 琥』 ⇨からさね 様 X (@karasane03) 挿絵『34 森』 ⇨くすなし 様 X(@cuth_masi) ◎独自設定、ご都合主義、素人作品です。

【完結】第三王子は、自由に踊りたい。〜豹の獣人と、第一王子に言い寄られてますが、僕は一体どうすればいいでしょうか?〜

N2O
BL
気弱で不憫属性の第三王子が、二人の男から寵愛を受けるはなし。 表紙絵 ⇨元素 様 X(@10loveeeyy) ※独自設定、ご都合主義です。 ※ハーレム要素を予定しています。

完結·助けた犬は騎士団長でした

BL
母を亡くしたクレムは王都を見下ろす丘の森に一人で暮らしていた。 ある日、森の中で傷を負った犬を見つけて介抱する。犬との生活は穏やかで温かく、クレムの孤独を癒していった。 しかし、犬は突然いなくなり、ふたたび孤独な日々に寂しさを覚えていると、城から迎えが現れた。 強引に連れて行かれた王城でクレムの出生の秘密が明かされ…… ※完結まで毎日投稿します

【完結】下級悪魔は魔王様の役に立ちたかった

ゆう
BL
俺ウェスは幼少期に魔王様に拾われた下級悪魔だ。 生まれてすぐ人との戦いに巻き込まれ、死を待つばかりだった自分を魔王様ーーディニス様が助けてくれた。 本当なら魔王様と話すことも叶わなかった卑しい俺を、ディニス様はとても可愛がってくれた。 だがそんなディニス様も俺が成長するにつれて距離を取り冷たくなっていく。自分の醜悪な見た目が原因か、あるいは知能の低さゆえか… どうにかしてディニス様の愛情を取り戻そうとするが上手くいかず、周りの魔族たちからも蔑まれる日々。 大好きなディニス様に冷たくされることが耐えきれず、せめて最後にもう一度微笑みかけてほしい…そう思った俺は彼のために勇者一行に挑むが…

処理中です...