ロリ姉の脱ロリ奮闘記

大串線一

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第21話 夏空の下で

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「は、恥ずかしいから、そ、そんなにこっち見ないでよね……」

 彼女は身体を腕で隠しながら、頬を赤らめる。

「すっごく久しぶりの水着で、え、えと、恥ずかしいんだ……。似合ってる?」

 俺に上目遣いで尋ねてくる彼女に、俺は言った。

「……姉弟なんだから、別に恥ずかしがらなくていいだろ。てか、スク水似合ってるって言ったところで、それ、褒め言葉か?」

「……それもそうね。はぁ~あ」

 俺の指摘に、彼女――姉貴は、真顔に戻ってため息をついた。
 セミが絶賛大合唱中の夏空の下、俺と姉貴は市民プールにやってきていた。
 見た目や体型もあって、姉貴はスク水・水泳キャップが、非常に似合っていた。入場料、小学生料金でも通用したな。
 俺が桜水とではなく、なぜ姉貴なんぞと一緒にこんなところに身を置いているのかというと、姉貴の泳ぎの練習に付き合うためである。
 夏は高校の体育の授業でプールがある面倒くさい、サボったところで結局は後日補習(inプール)を受けなくてはならない面倒くさい、今まで何度かプールの授業は入っていたがいずれも恵みの雨で中止になり屋内の授業に変更されていたのに月曜の天気予報は快晴みたいよ面倒くさい、わたし泳げないんだけど高校生にもなってそんなんじゃプライドズタズタだから少しは泳ぎをマスターしておきたいの面倒くさい。

「じゃーよろしくねーあーやだー」

 そんなわけで、晴天の昼下がり、死んだような目をした姉貴のスク水を拝んでいるという次第である。

 ……やる気あんのかこいつ。

 周りは大半が家族連れで、中にはカップルの姿もちらほらと見られるが、姉弟でこんなところにやってきているやつなんて、見たところ皆無だ。……ここに二人いるけど。
 姉貴も高校生なわけだし、俺じゃなくて、泳ぎを教えてくれるいい人でも見つければいいのにと思うが、言わないでおいてあげよう。

「そもそも、姉貴ってもぐれんの?」

 俺の基本的な質問に、姉貴は親指を立ててニカっと笑った。
 潜れるらしいけど、なんだか無性に腹立たしい。

「ビート板でバタ足は?」

 と尋ねると、途端に死んだ目に戻った。
 できないらしい。まずはそこからか。
 まずは全身にシャワーを浴びる。入水前にシャワー、これ鉄則。
 ここはビート板を自由に貸し出してくれるとのこと。俺は姉貴を連れて、緑や青やピンクやら、様々な色のビート板が詰め込まれた棚のもとに向かい、ピンクのを一枚抜き出した。

「ピンクはやだ。青にして」

「そうか」

 とは言ったものの、素直に従うのも癪なので、緑のと取り替えた。
 姉貴は口をとんがらせながらも、それを俺から受け取る。
 屋根つきの25メートルプールと、屋根のない『流れるプール』がある。家族連れは大半が流れるプールに密集していて、水に流されきゃっきゃきゃっきゃとはしゃいでいる。
 歓声響くそちらへ歩き出そうとした姉貴の手を取り、無言のまま25メートルプールへ引きずる。

「あぁぁぁーれぇぇぇー」

 周りの目が気になるから、変な声出すんじゃねえ。
 で、プールサイドにて、説教。

「今日は遊びに来たんじゃない。泳げるようになるために来たんだろ?」

「当たり前でしょう。そこんとこ大丈夫?」

「先程は口と足が一致していませんでしたが?」

「不思議なものよね、人体って。だからこそ、世界の研究者は、未知のことを解き明かそうと日夜努力を重ねるのだわ」

「とか言いながら流れるプールにちょっとずつ近付いていくのやめろ」

 喋りつつ毎秒数ミリずつ移動している姉貴の動きを、腕を掴んで封じる。


「だ、だって、ここ、最深1.1メートルなのよ!?」

 急に騒ぎ出した。


「1.1ってなに1.1って! 学校のは1.0よ1.0! 0.1メートル、すなわち10センチがどれほど大きなものなのか、大季のような人間にはわからないのよ!」

「でも、姉貴の場合、30センチくらいは水の上に出るだろ。顔だって充分出るはずだ」

「ぐぬぬ……」

 獣のような呻き声を発したが、反論する言葉を咄嗟とっさには思いつかなかったようで、姉貴は屈した。
 先に俺がプールに入り、実に嫌そうな顔をして水に入ってくる姉貴を支えた。

「ほら。全然余裕だろ?」

「全然ではないけど、まあ……」

 そしてようやく、練習開始。
 手始めに、姉貴にビート板を使ってバタ足をさせることにする。初めは順調だったが、5メートル進んだあたりから徐々に足が沈み始めてきた。結局、半分まで来たところで足をついてしまう。

「うーん……」

「い、今のはアレよ。最初から本気出すとアレだから、手加減したのよ!」

「どうして足沈んだか、わかる?」

「知るわけないでしょ? 知ってたら今頃オリンピック出てるわ」

 知っててもそんな大層なものには確実に出られないが、簡潔に教える。

「足が曲がってんだ、膝がね。次は膝を伸ばすことをイメージして。あと、リラックスしないと。肩にも足にもすっごい余計な力入ってる」

「う、うん」

「あ、それと悪い、ビート板いらないわ」

 と言い終わるやビート板を回収した俺に、姉貴はきょとんとする。

「え?」

「バタ足やる前に、足はなんもしないでいいから、水に浮いてみて。両腕と両脚、どっちもぴーんと伸ばしながらね」

 ……ってな感じで、結構本腰を入れて教えた。
 意外、と言っては失礼だろうが、姉貴は飲み込みが早く、すぐに上達した。一時間くらいで、25メートルとまでは行かないけど、多少はクロールができるまでに進歩した。どうやら俺には、水泳を教える才能があるのかもしれない。……なんて。

「まあ、こんなもんだろ。ちょっと休憩」

「うん」

 二人、プールサイドに上がる。姉貴は水から出てすぐ、その場に座り込んでしまう。息も結構上がっている。

「はぁ、はぁ、はぁ…………はぁ」 

「問題は息継ぎかな。クロールの息継ぎは、伸ばしてる腕に耳をつけるようにすればスムーズだよ。それができるようになれば、もうちょっとで25メートル泳げると思う」

「もう……いい、よ」

 姉貴が、荒い息の合間に言った。

「え?」

「もう、充分。これだけ泳げれば、たぶん、なんとかなる、から」

 姉貴の顔には、色濃い疲労が浮かんでいた。苦しげな表情だった。どうしてか、俺は、そんな姉貴を見るのが辛くて、目を逸らす。

「わ、悪い。教えるのに夢中になっちゃってたみたいで」

「ううん。いいよ。……もう、帰ろう?」

「ごめん」

「だから、なんで大季が謝るんだよって」

 そう言って、俺の膝を軽く小突いた。

「……ありがと」

 思いがけない言葉に、つい姉貴を見てしまう。
 それがいけなかった。

「わたしのために、いろいろ教えてくれて、ありがとね」

 だって、そのときの姉貴は、本当に嬉しそうな顔をしていたから。

「普段言わないくせに、柄にもねえこと言うな」

「え、なに?」

「なんでもない」

「はぁ? 気になるんですけどぉ」

「帰りにチョコレートでも買って帰ろうって言ったんだよ」

「え、ほんとっ!?」

「嘘でーす」

「はぁ!?」

「いってぇ! 足踏むな!」

「乙女の心をもてあそんだ罰なのです」

 そんなことを言い合いながらシャワーを浴び、分かれて着替え、更衣室前でまた合流し、自販機でポカリを一本ずつ買って、ベンチに座って飲んだ。姉貴は一気飲みしたせいで、アイスを食べたときになる頭痛を起こして悶絶していた。一息ついてから、外に出た。

「なんだかんだで、楽しかったね」

「そりゃよかったな」

 二人で肩を並べて、帰路に着く。姉貴の歩幅に合わせてゆっくりと、歩を進める。
 プールで冷えた身体は、じりじりと照りつける太陽の光を浴びて、すぐに汗ばんだ。

「楽しかったね、って感想求めてるんだから、違う答えを言いなさいよ」

 そう言う姉貴の顔は、けれど、にこやかだ。
 俺も気付けば、頬が緩んでいる。

「姉貴がまあまあ泳げるようになって、俺は嬉しいよ」

「んん……なんか違う。まあ、わたしも嬉しいけどさ」

 小さい頃、夏休みになると、姉貴と一緒に、さっきまでいた市民プールにたびたび通った。小学校の低学年で、まだろくに泳げもしなかったけど、流れるプールに浸かってゆっくり流されながら、姉貴と一緒にはしゃぐだけで楽しかった。
 今歩いているこの道は、あの頃姉貴と手を繋いで何度も歩いた道で、二人でいろんなことを話し、下手な歌を口ずさみ、笑い合った道だった。
 横に並ぶ姉貴との距離は、あの頃と比べるとさすがに離れてしまったけど、もちろん手なんて繋いでないけど、何年も月日が流れた今、こうして姉貴の隣を歩けていることが、笑い合えていることが、俺は嬉しかった。
 姉貴もそんなことを考えてくれてればいいなと、あの日と同じ空の下、そう思った。



〈今日の姉貴の一言〉

「久しぶりのプール、楽しかったな」
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