ロリ姉の脱ロリ奮闘記

大串線一

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第9話 会計前に、深呼吸。

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 六月になって最初の水曜日。
 学校から帰宅して早々、昼寝をしようと自室のベッドで横になったのだが、玄関のドアが乱暴に開け放たれる音で俺は飛び起きた。
 何事かと一階に下りると、姉貴が玄関マットの上でうつぶせに倒れていた。うつぶせ版大の字みたいな恰好である。で、姉貴の手には、姉貴が通う高校の近くにある書店の袋が握られており、その袋は、本によるものだろう、ぱんぱんに膨らんでいる。

「大丈夫か!?」

 尋ねるも、反応がない。
 肩を揺すると、

「うぅー」

 という呻き声が返ってくる。生きてはいるらしい。

「……ぐすん」

 と思ったら、泣き出した。面倒な予感。

「あー、宿題やり忘れてた、急いでやらないとなあ」

 棒読みで言い、部屋に戻ろうと回れ右したところで、両足首を掴まれ、身動きがとれなくなる。一種のホラーだぜ。

「な、なんだよ? 放せって」

 これまで十何年と共に生活してきたが、今日はトップクラスにめんどいぞ、これ。

「今日ね、帰りに本屋に寄ってきたのよ」

「へー。じゃっ、俺はこれで……」

 足首を掴む力はいっそう強くなった。

「それでね、『進撃のこびとさん』の単行本を一巻から七巻まで一気に買おうと思ってレジに持っていって、会計したわけ」

「そっか一人で買い物できるようになったのか偉いな成長したな」

「それでね」

 渾身こんしんの棒読みも虚しく、今度は足首に爪を立ててきやがった。マジで痛いんですけど。
 つーか、なんだそのマンガのタイトル。かわいいなおい。確か少女マンガなんだっけ? 最近のマンガ業界にはついていけない。

「会計を済ませてから、わたしはその重大な事実に気付いてしまったの」

「…………」

 俺の足首を握ったまま、姉貴は顔を上げた。

「六巻を二冊買ってしまってたのよぉぉぉおおおっ! 五巻だけ置いてなかったのに気付かなかったのよぉぉぉおおおっ!」

「るっせえーっ! ドア開けっぱで叫ぶなぁぁぁっ!」

 近所迷惑もいいとこである。実際、犬の散歩をしていたはす向かいのおっちゃんが、俺んちの前で立ち止まってこっちを見ていた。
 ……よくよく考えると、どっちもどっちだな、俺ら。

「本屋の陰謀ね! それにまんまと引っ掛かってしまったわたしもわたしだけど、いくら近年の紙媒体の書籍の売り上げが落ち込んでいるからってそんな――」

 以下略。
 結論、姉貴うざい。

「もっかいその本屋に行って、事情話して返品してきたら? できるか知らんけど」

 俺がそれっぽい提案をすると、姉貴は俺を睨んできた。が、全然怖くない。
 姉貴が、ゆっくりと言い放つ。

「そんな面倒なこと……わたしが、するとでも?」

「そうですね! するわけないよね!」

「ええ。するわけないわ」

 なにを偉そうに。

「ということで」

 大方先が読めてしまった。
 ので……。

「ぐぬわぁ! きゅ、急にお腹がぁぁぁ!」

 身の危険を察し、バレバレの嘘をついてトイレに逃げ込んだ。
 しかし、俺は甘かった。姉貴はそれで諦めてくれる人間ではない。

「大季?」

 姉貴の声が、扉のすぐ向こうから聞こえてきた。足音もしなかったのに、いつの間にここまで!?

「ねえ、大季?」

「ちょっ、ちょっとタイム。は、腹が痛いんだって!」

 すすすすす……。
 指先が、上から下へとドアを滑っていく音。
 なんか怖いんですけど!

「大季? 逃げても無駄よ? ふふふ。そこにいるんでしょう?」

 そのとき、俺はなぜか、唐突に息切れを起こした。加えて、嫌な汗が背中を伝う。

「怖がらないで、出ておいで? 取って食ったりしないから。ねぇ?」

「ひぃっ!」

 いつもより高い声。それが怖さを助長する。

「隠れたって無駄よ? この家には、あなたの逃げ場なんて、どこにもないんだからぁ。ふふふふふ」

「…………」

 やめて! もうやめて! 本格的に怖くなってきたから!

「大丈夫よ? 閉店まで四時間以上あるわ。焦らなくて、いいのよ?」

「そ、それまでに腹が落ち着くかどうか……」

「大丈夫よ。だ・い・じょ・う・ぶ」

 と言いながら、トイレのドアを爪でひっかき始めた。がりがりと音が立つ。まるで、肌を直接引っ掛かれているような錯覚に陥った。

「わ、わかったから。もういいだろ」

「あ。返品してくるついでに、駅前の本屋に行って、五巻、買ってきてくれる? ふ、ふ、ふ、ふ、ふ」

「ぎゃぁぁぁあああっ!」

 狭い空間に、俺の叫び声が響き渡った。



〈今日の姉貴の一言〉

「……やりすぎたかしら」

 全然やりすぎじゃないよ!? 全然怖くなんかなかったよ!?
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