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第4夜 いつか世界に還るもの

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「冷たい……」
「そりゃぁな、ちゃんと当ててろ」
「……むぅ」

 何処で浸してきたのか、御影の持ってきたタオルは物凄く冷たくて、思わず目元から離せば、御影の手は容赦なく、タオルを僕の目元へ押し付ける。

「すまないね、御影くん、呼び出したりして」
「ビックリしましたよ、ホント」
「呼び出し……?」
「凪くん」

 リチャード地区長と御影の会話の意味がわからずに首を傾げれば、ユウ爺さんが、僕の名前を呼ぶ。

「君のオールを、少し借りてもいいかな?」
「僕の、オール……ですか?」

 「ああ」と頷きながら言うユウ爺さんに、未だ冷たいタオルをテーブルに置いて、自分のオールをユウ爺さんに差し出す。

「あの」

 何を、と軽く首を傾げながら呟いた僕に、ユウ爺さんは、にっこり、と優しく微笑んだあと、僕のオールに触れていく。

「綺麗……」

 目の前の光景に、思わず言葉が溢れる。
何の変哲もない、けれどいつも使っている僕のオールが、ユウ爺さんが触れた箇所からたんぽぽの花びら色の光に包まれていく。
まるでオールの内側から光っているかのようにも見える柔らかな光が、少しずつ、オール全体へと広がっていく。

「これは……」

 驚いて、ユウ爺さんを見れば、ふふ、と楽しそうに笑っている。

「老いぼれからの、僅かながらの祝福、と言ったところ、だね」

 すぅぅ、と最後の光がオールへと染み込んだ時、ポス、と頭の上に見慣れた重みが降ってくる。

「ユウ爺のそれ、久々に見た」
「そうだねぇ。ボクも久々だよ」
「え、リチャードも?」
「うん。ボクも久々だね」

 僕の頭の上に手を乗せながら言う御影に、リチャード地区長が、楽しそうな声で答える。

「ユウ爺さん、今のは……?」

 ありがとう、と僕のオールを、僕の膝の上に戻したユウ爺さんに問いかければ、ふふふ、とユウ爺さんが小さく笑う。

「凪くん、君は、夢渡しや、この世界の不思議を考えたことは、あるかい?」
「……夢渡しの……不思議?」

 ユウ爺さんの言葉に、「この世界の、不思議……」と小さく呟けば、ユウ爺さんは、僕を見て小さく頷きながら口を開く。

「そう。例えば、そうだね。ここを訪れる『彼ら』のために、君たちも、我々バクも生きている。けれど、我々は覚えていても、『彼ら』が我々を覚えていることは無い。それは何故かな」
「それは……『彼ら』が帰る前に、僕たちが『彼ら』の記憶から僕たちに関する記憶を消しているから、ですよね」
「では、その記憶を消す際に、使うものは、何かな?」
「えと……忘却の、粉です」

 ベルトに下げている僕の忘却の粉が入った袋を、見ながら言った僕に、ユウ爺さんはクン、と匂いを嗅ぎ「凪くんは、リンデンウッドだね」と言い当てる。

「では、凪くん。その忘却の粉は、一体、何で、出来ていると思う?」
「ユウ爺さん、一体何を」

 言いたいんですか、と言いかけた僕は、ユウ爺さんの表情に、言葉が詰まる。


それは、まるで
今にも消えてしまいそうな、
虹の終わりのようで

温かいはずなのに、
物悲しくなるような、
そんな表情を、浮かべていて。

「ユウ爺……さん?」

 きゅ、と思わず彼の手を掴んだ僕に、ユウ爺さんは、にっこりと優しく笑い返す。

「我々バクは、この世界を作った一部だと、言われている。本当かどうかは、分からないけれどね。けれど、最近は何となく、その話は本当なのでは無いか、と思うのだよ」
「それは……どういう……」
「この世界に生まれ、この世界に、還る。世界の一部となり、次の世代へと受け継ぐ」
「ユウ爺さん……?」

 何の話をしているのだろう、とユウ爺さんの言葉の真意を掴もうとしても、ふわりふわりと空を漂うたんぽぽの綿毛のように、ユウ爺さんの言葉が逃げていく。

「現役を退いた後、ワタシはきっと、天命を迎える。それは、誰であってもどうしようもないこと」
「……ユウ爺さん……」
「そして、ワタシ達、バクの持つ力が、この世界を廻していく夢渡し達の力へと、変わる」


ーー この世界の不思議
ーー 記憶を消す、忘却の粉
ーー この世界に生まれ、この世界に、還る
ー ワタシはきっと、天命を迎える

ユウ爺さんの言葉が、ぐるぐると回る。
この世界の一部になる、ということ

「それって」

 バッ、と僕の忘却の粉の袋を見れば、僅かながらに光を帯びている。

「ユウ爺さん、まさか」
「夢渡し達は、いつも、大切に使ってくれているね」

 そっと僕の手に添えられるユウ爺さんの手は、やっぱり優しくて、でも少しだけ、固くて。

「ワタシが還ったあと、凪くんにも、ワタシの一部を使ってもらえたら、どれだけ喜ばしいことだろうね」
「ユウ爺さん……」

 ユウ爺さん達は、この世界を作り、この世界に生まれ、この世界へ還る。
僕たち、夢渡しは、バクさん達の力と、この世界の力を借りて、『彼ら』を導き、また『彼ら』を迎える。
『彼ら』に僕たち夢渡しが使う、忘却の粉は、この世界で、生み出される力を借りて、作るもの。
それは、つまり。
ユウ爺さん達の、この世界に還ったバクさんの力で、作られるもの。

「凪くんのオールに籠めたものは、ワタシからの、僅かながらの祝福と、凪くんの旅の安全を願うもの。あとは、ワタシが琥珀に出会えたように、これからの凪くんの縁が、良いものになるように、と」
「……ユウ爺さんっ」

 ユウ爺さんの言葉が言い終わるか言い終わらないか、という内に思わずユウ爺さんに抱きついた僕の背を、「おやおや」とユウ爺さんは驚いた声を出したあと、ぽん、ぽん、と小さな子をあやすように、僕の背中を優しく叩く。

「凪くんは、泣き虫だねぇ」

 優しく呟くユウ爺さんの言葉に、ふるふる、と首を横に振りながら声に出さずに答えれば、ふふ、と優しい笑い声が聞こえた。



「あんなに素直な凪、初めて見た」
「そうかい?ボクは、そんなに不貞腐れている御影を見ることのほうが、珍しいけれど」
「ウッセ」

 泣いたり、驚いたり、笑ったり。
凪の様子は普段から見てはいるものの、いつも、何処か、何かが違う、とずっと感じていたが、今、ユウ爺と居る凪の笑う顔に、その違和感は感じられない。

 そんな凪を見られて、喜べば良いはずなのに、本当なら、自分が、とモヤついている気持ちを、横に立つリチャードに言い当てられて、思わず顔を背ける。

「ユウ爺は、それこそ、凪くんを孫みたいに心配してたからねぇ」
「別に、そんなこと」
「横から取って攫うようなことは起きないから、機嫌直しなよ」
「なっ?!何言ってんだ?!リチャード!」
「おや、違ったのかい?ボクはてっきり」

 リチャードの言葉に、かっ、と耳が熱くなり、思わず声をあげればリチャードは「御影、耳が真っ赤になっているよ」と楽しそうに笑う。

「ばっ、バカか!」
「おや、この天才リチャード地区長に向かってバカとは失礼だなぁ。御影だけ仕事量、倍にしようかな」
「ちょ、おい!職権乱用だろ!」

 くははっ、とリチャードは心底楽しそうに笑っていて、その声に気がついた凪が、「御影?」と首を傾げながら俺達を見ている。

「何でもねぇよ」

 チッ、と舌打ちをしながら顔を反らした俺に、「素直じゃないねぇ」とリチャードが俺の肩に手を置きながら、また小さく笑った。


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