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第2夜 黒と白を纏うもの

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 けれど、僕にとっては、此処が【現実】で、僕らにとっての【夢】は、何処にも存在してすら、いないのだ。

 だって、それは、

この世界に生きる僕達には、
【夢を見る】ということは

消えてなくなることを意味しているのだから――




「なぁ、君。この舟は、何処まで行くんだ?」

 ギコ、と彼の言葉を聞いて、僕のオールを漕ぐ手が止まる。
僕に問いかけた彼が、流れる花びらに触れる度、彼の身体が少しずつ、光を帯びている。
きっと彼は、良い夢を見れているのだろう。
その証拠に僕を見る彼の目元は、緩やかなカーブを描いていて、僕たちを襲ってくる『奴ら』も来ない。

 少し離れた所に見える岸が、彼の夢の終着点で、そこまでは、あと少し、という所まで、僕たちは来ている。

「見えますか? プリーモ。あそこの、白いコートを着たあの人がいる所までが、僕が貴方をお連れ出来る所です」
「あぁ、見えるよ。あの人も、君とは色違いだけれど、同じ格好をしているのだね」
「えぇ、彼女もまた、僕と同じですから」

 近づいてくる僕の舟に気がつき、小さく微笑んだ彼女に笑顔を返す。

「そうか」

 彼はそう小さく呟いてまた降り注ぐ花びらへと視線を戻し、僕は、ゆっくりと、けれど確実に終着点へとゴンドラを漕ぎ進めていく。
 さて、そろそろアレをしないと、と持ち物の1つ、リンデンウッドの粉へと手を伸ばした時、ゴンドラの客人が、「君」と僕に声をかけた。

「何故だかは、分からないのだがね。私はどうやら、凄く、本当に凄く疲れてしまっていたように思える」

 そう切り出した客人の顔は、言葉とは裏腹に穏やかな笑顔が浮かんでいる。

「そう、だったのですか」

 言葉に困った僕に、彼は「多分、だけどね」と小さく笑う。

「けれどね、君との旅で、私は、色々と大切なものを、手にしたような、いや、手にした、は違うな。取り戻した、というほうがしっくりくる」

 そう言った彼は、とても穏やかな空気を纏っていて、彼が話している間もたくさんの記憶が流れ着いては彼の中へと戻っていく。

「有難う、と言ったら、変なのか」

 困惑した表情を浮かべながら、僕を見上げる彼に、心の奥底がくすぐったいような気持ちになる。
 けれど、僕には、この感情が何なのか、正直、よく分からなくて。
 きっと、僕らの会話を聞いているであろう終着点の彼女に答えを求めるように、ちらりと見れば、彼女はニッコリと綺麗な笑顔だけを僕に向けた。

―― 教えては、くれないらしい。

 微笑んで、ほんの少しだけ意地悪な表情を浮かべている彼女の答えに、小さく息を吐き、僕のゴンドラの彼へと視線を戻す。

「……ええと……その……」
「あぁ、すまないね。君を困らせようとしたつもりは無かったんだ」

 交わった視線に彼は少しだけ申し訳なさそうな表情をした彼に、僕はもう一度、「その……」と小さく呟いた。

「……いえ……すみません……」
「いいんだ。さ、あともう少し、お願い出来るかね?」

 小さく謝った僕に、彼はまた柔らかく微笑む。

「えぇ、勿論」

 そう答えた僕の言葉に今度は嬉しそうに笑って終着点に視線を動かした彼の背を見やって、僕は、リンデンウッドの粉の袋へと手を伸ばした。


「お疲れ様。凪」
「やぁ、リリス」

 ガタン、桟橋にゴンドラを寄せ、近くまで来た僕のチームメイトの名を呼べば、彼女はふふ、と小さく笑う。

「凪のを見れるのは久しぶりだわ」

 桟橋の上から楽しそうに話すリリスを、ゴンドラのロープを持ってちらりと見上げれば、リリスは片手を出し、僕が持つロープを受け取りビットへ近づける。するり、とロープは一人でに、ビットへするすると巻き付いていく。
 その様子を興味深そうに眺めている彼へと向き直り、「さて」と小さく呟く。

「プリーモ、僕が貴方をお連れ出来るのは此処までです」
「そうか。何だか、とても不思議な時間だったように思えるよ」

 そう答えた彼はまた、穏やかな笑顔を浮かべている。
そしてその温かな笑顔に、胸の奥底がまたくすぐったくなった気がして、小さく首を傾げる。

「僕も、とても不思議な時間でしたよ、プリーモ」
「そうか、それは」

 良かった、と彼が小さく呟いた時、僕の手のひらのリンデンウッドの粉が彼の周りを舞った。
 キラキラとリンデンウッドの粉が、光を帯びて舞う。
 時折見え隠れするのは、僕がリンデンウッドの粉に掛け合わせた忘却粉の一部で、教会のステンドグラスの光のように、色とりどりの光が飛び交っている。

「本当に、何度見ても綺麗だわ」
「僕よりもリリスのほうが綺麗だと思うけど」

 ちらり、と横顔を眺めれば、長い睫毛に鮮やかな光が反射して、とても綺麗だった。

「色の話をしてるんじゃないわ。本質の話よ」

 僕の方を向き、トン、とリリスの細い指先が僕の左胸のあたりをつつく。

「凪は染まっていないもの」
「何に?」

 そう問いかけた僕に、リリスは、秘密、と声に出さずに、答える。

「終わったみたいね」
「うん」

 リリスの声に視線を動かせば、先程まで僕の客人だった彼が、また、ぼんやりとした様子で、桟橋に立っている。
 歩くでも無く、辺りを見渡すでも無く。
 本当に、ただただ、そこに立っている。
 僕のゴンドラに乗ってきた時も、彼は、ただ、ただぼんやりとそこに座っていた。
 けれど、始めと違うのは、彼の身体が、ほんのりと光を帯びてきていて、そこに立っているのが、少し離れた場所にいても、よく分かるということ。

 夢渡しの客人は、此処に居る間の、自分の夢以外のことを覚えていることはない。

 この世界のこと
 ゴンドラのこと
 僕たちのこと

 覚えたままで居ては、彼らは、現実世界に帰れなくなるからだと、ずっと昔に、先輩に教わった。
 だから、ゴンドラを離れる時に、僕たち夢渡しが、僕たちの記憶を消すのだと。

「じゃぁ、リリス、あとは宜しく。怪我には気をつけて」
「勿論。凪こそ、道中気をつけてね」

 僕の頬に掠めるようなキスをしたリリスは「あとでね」と綺麗に微笑んで、さっきまで僕の客人だった彼の元へ歩いていく。
 リリスの役割は、『帰り道』と呼ばれる次の夢渡しがいる場所までの、客人を誘導する仕事で、彼の元へ到着した彼女は、ぼんやりとしたままの彼の肩を軽く叩き、彼を連れて歩きだす。

 その様子に、次の客人を迎えるべく、薄いピンク色の桜の花びらが、溢れそうになっている自分のゴンドラを、オールでトントン、と軽く叩く。
 その瞬間、桜の花びらは、ぶわっ、と空高く舞い上がって消えた。


「あ、凪、てめぇ」
「……げっ」
「おい、げっ、って何だ、げっ、て」
「……何?」

 桜を空へ舞い上げてから数分後、桟橋に座って次の客人を待っていた僕の前に現れたのは、仕事に入る前にGATEの前で半ば無理やり話しを遮った御影で、ほんの少し不機嫌な表情を浮かべているように思えるが、多分、自分が原因であろう。

「ちょっとは可愛いこと言えないのか、お前は」
「僕に可愛さを求めてどうするの」

 ドカドカと足音を立てながら近づいてくる御影に、はぁ、と小さく溜め息をつけば、「ったく」と諦めたような声とともに、御影が僕の隣へと腰を下ろす。

「顔は可愛いのによ」
「可愛いとか可愛くないとか、僕にはよく分からない」
「あのなぁ」

 じっ、と僕の顔を見ながら言う御影に、ふい、と視線を外しながら答えれば、御影がついたさっきよりも大きな溜め息は、桟橋を吹いた風に、流されていった。
 ゴロン、と御影がその場に寝転び、僕は、そんな御影をちらりと見たあと、花びらの消えていった空をぼんやりと眺める。
 どちらも喋ることなく、どちらも離れていくことなく、その場で過ごしていれば、ふと、キコ、キコ、と遠くから、オールを漕ぐ音がほのかに聞こえてくる。

 それは誰かが、客人を連れてきた、ゴンドラの音。
音の大きさからいっても、彼らが到着するまで、まだ少し時間がかかるであろう。

「さっきの」
「さっき?」

 寝転んだまま、起き上がることなく、僕を見る御影に、首を傾げながら言葉を返せば「さっきの」と御影が同じ言葉を繰り返す。

「遠くから見えた。ピンクの花びら、凪、お前だろ」

 じ、と僕を見ながら言う御影に「…あぁ、あれ」と答えれば、御影がよっ、と言いながら身体を起こす。

「すげぇ、綺麗だった。あの日みたいに」
「……御影?」

 僕の頭を撫でながら言う御影の瞳が、何故だか泣きそうに見えて、相棒の名前を呟くものの、御影は僕の言葉に答えてはくれなかった。


「やぁ、凪くん」
「こんにちわ、リチャードさん」
「凪くん、次まで少し時間があくだろう?」
「追加が無ければ、多分」
「じゃあ、美味しいクッキーを焼いたからボクとお茶をしよう。さ、善は急げだよ、凪くん!」
「え、ちょ、待っ、まだ、僕、ゴンドラも、オールもまだ!」

 にっこり、と笑うのは、この地区の地区長を務めるリチャード地区長で、唐突に現れた彼に半ば引き摺られる形で、桟橋のすぐ脇にある待機所の方へと連れて行かれる。

「ゴンドラは、桟橋の担当者に留置させるから大丈夫。オールはほら」

 ほら、とリチャード地区長が指差す先に見えるのは、待機所よりも手前に用意されたテーブルやカップなどのセットで、その内の1席に、いつの間にか僕のオールが置かれている。

「あれ、僕の」
「ね?」

 ふふ、と悪戯が成功した子どものようにリチャード地区長は笑う。

「チョコチップクッキーは好きかい?」
「好きです……けど、その前に、僕のオール、何で」
「まぁ、ちょっとしたマジック、と言ったところかな」
「マジックって、リチャード地区長、一体」
「傷はつけていないから安心していいよ」

 パチンと片目を瞑ってウィンクをしたリチャード地区長に「仕事の合間に少しくらい休憩しても怒られないさ。ほら、座って座って」とオールの横の席を指名され、近づいていけば、空いていたはずの席にいつの間にか、僕以外にも誰かが着席している。

「おや、その子は……」

 クン、と匂いを嗅いだ生物は、少し長い鼻と、黒と白の二色に分かれた丸みを帯びた身体を持つもので、この世界とは切っても切れない生き物だ。

「あぁ、君が、凪くん、だね?」
「あ、はい……えと……」

 僕の匂いを嗅ぎ、名前を言い当てたのは、僕たち夢渡しにとっても大切なバディのバクさんだ。
目元に刻まれた皺や、黒色の中に交じる少し白がかった毛色、黒い手に持った杖を見る限りでも、目の前のバクさんは、僕よりも遥かに年上なのだろう。
 元々、あまり視力は良くない彼らは、匂いで相手を判別することも多いけれど、初対面で名前を言い当てられることは初めてで、僕はほんの少し驚いて、ぱち、と瞬きを繰り返した。

 御影やリリス、僕たちとは違う存在ではあるけれど、彼らもまたこの世界と、この世界に訪れる『彼ら』を守るもので、一説によると僕たち夢渡しよりも早く、この世界に存在し、この世界を作った、とも言われているらしい。

 それが、本当のところはどうかなんて、昔のこと過ぎて、もう誰もが、分からないことだけれど。

「彼はね、もうじき現役を退くボクの古くからの友人でね。今日は君に会いたいと、お願いをされたんだ」
「……僕に……?」

 リチャード地区長の言葉に、バクさんを見やれば、バクさんの目元がほんの少し下がる。

「老いぼれの戯言に付き合うつもりで、少し、話しをしないかい?」

 バクさんの、のんびりとした声に後押しをされ、僕は椅子へと腰をおろした。

「何か、食べますか?」
「あぁ……そうだね、では……林檎を取ってくれるかい?」
「林檎ですね。わかりました」
「ありがとう」

 食べやすそうなものを数個選び、皿へと取り分ける。
席の数は3つ。その上でテーブルに並べられている果物は、林檎以外にも、バナナやオレンジなど、複数の果物が並べられており、リチャード地区長が、バクさんに用意したものかも知れないと思い、他にも数個をお皿へと取り分けた。

「ユウ爺もミルクティでいいよね?」
「お前の紅茶は、久しぶりだなぁ…」
「ふふ、そうだね。まだ角砂糖4個とか入れてるのかい?」
「いや、流石に、奥さんが煩くてな……」

 バクさん、いや、リチャード地区長がユウ爺、と呼んでいた彼、ユウ爺さんの角砂糖の量に驚いていれば「凪くんも紅茶、平気だったよね?」とリチャード地区長に問いかけられ、こくこく、と首を縦に振って答える。



 こうして、僕の、次の渡しに入る前の、不思議なお茶会は緩やかに、穏やかに始まった。





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