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第1夜 僕達の世界は、とても曖昧に出来ている。

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『ねぇ、もしも、
此処で出逢った人に恋に落ちたら

此処でしか逢えない人に
恋をしたら、
凪なら、どうする?』


あの時、君が言った言葉の意味を、
今になって、やっと解ったよ。

ねぇ、今なら言えるよ


―― あの人が、此処に、来ますように

あの人が眠って、また

―― あの人の夢を渡せますように


それが、
君が願った最期の願いだったね。


例えばそれは、僕達にとって
途方もない願いだとしても


―― 夢でしか、逢えない君達へ 


逢わせてあげたいと願うことは



決して間違いではなかったと

僕は今でも、そう思っている。














「お、何だ、凪、今日はソレだけなのか?」
「…………そうみたいだね」


 パラ、と書類の束を巡って、今日の巡回経路を確認していれば、ヒョコと後ろから自分が持つ手元の書類を覗き込む1人の人影。

「御影は件数多いんだからゆっくりしてられないんじゃないの?」
「大丈夫、っつーかオレの方が先輩だって何回言えば分かんのかな凪ちゃんはー?」

 グリグリグリと人の頭を少し乱暴に撫でる彼の名は御影。自分よりも数年早く、この仕事に就いている。
一応、先輩で、僕のチームメイトで、僕の相棒でもある。

 ハッキリとした顔立ちにやけに派手に着崩す制服と派手な髪色をしているので、出来れば関わりたくは無かった。
けれど、僕が見習いとして、あの先輩の下についた時から、先輩と仲の良かった御影に妙に絡まれ続け、先輩が居なくなってからは、何の策略か御影が僕の相棒になり、絡まれる毎日を過ごしている。

退屈は、しないけれど。
出来れば、僕は、あの先輩の下で、働きたかった。


けれど、


先輩は、ある時以来、帰ってこない。
此処に居るのか、居ないのか。


存在しているのか、居ないのか。




それすらも、分からない。

そんな存在に、先輩は、なった。







「凪?」
「…………何でも無い」

 目の前の御影は、僕を凪、と呼ぶ。

それが、本当の名前なのかは、知らない。
いつの間にか、そう呼ばれていて、その名前を誰がつけたものなのかも知らない。

けれど、皆が僕を凪と、呼ぶのだ。
だからきっと、僕は凪という名なのだろう。
それに、本当の名前など、定められているのかどうかすら、分からない。

あるのかも知れないし、無いのかも知れない。
けれど、僕達にはそんなこと、あまり関係は無いのだ。
それぐらい、

僕達の世界は、とても曖昧に出来ている。




「何か楽しそうだね、御影」
「そうか? 気のせいだろ」

 やけに楽しそうな顔をして、鼻歌交じりで未だに自分の頭を撫でてくる御影の手が、問いかけた言葉にピタリと止まる。

「お、来た来た」

 そう言った御影の言葉に、書類に落としていた視線をあげれば、少し離れた場所からのんびりと歩いてくる2人の人影が見える。

「……? 何で?」
「あ?聞いてねぇの?」

 何の話?と御影の言葉に首を傾げれば、「言わなかったか?」も御影も僕と同じように首を傾げる。

「何だい何だい? 君たち、2人揃って首を傾げてボクの出迎えかい?可愛いじゃないか!」
「…………地区長」
「凪くん、お兄ちゃんって呼んでっていつも言ってるだろう?」
「………………何か、用ですか。地区長」

 グスン、と泣き真似をしながら僕の頭をグリグリと撫でる目の前に立つ背の高い人影は、カペル地区長。この地区の夢渡し達を取り纏めるリーダーといったところだ。

「凪くん達のリストに一部追加があったの。それで、この人、巡回を兼ねて顔を見がてら届けに行くって聞かなくて」

 そう言いながら、僕と御影に数枚の書類を渡してくれるのは、地区長と一緒に来たアルニム副地区長だ。
カペル地区長とは腐れ縁らしく、よく地区長を怒っていたり、引き摺って歩いている姿を見かける。
僕からしてみると腐れ縁というよりは、良き相棒、という風に見える。

「ま、元気そうで何よりだよ。さ、御影、凪くん、そろそろ出発の時間だろう?」

 ひとしきり自分が満足するまで僕の頭をグリグリと撫でていた地区長が、少し離れた場所に浮かんだ『GATE』と呼ばれる大きく細かな装飾が施された絵画のような扉を指差しながら、僕達を見やる。

「よし、凪、忘れ物してないか?」
「あー……大丈夫じゃない?」

 自分が夢渡しだと存在を証明するバッジと、今日の巡回経路、巡回中に使うグッズ色々が入ったバッグ。
自分のゴンドラを操作する自分専用のオールは今、現在進行形で背中に背負ってある。
ジャケットの裏側には、自分と主を護るための複数の防具。

 それと、回収した破片をしまっておく空き瓶に、メモとペン。

 それと、あと1つ、
僕達、夢渡しが仕事中に必ず必要なもの。

「凪、粉は?」
「大丈夫」
「凪くんのは確か……リンデンの木、でしたね」
「はい」

 アルニム副地区長からの問いかけに、大きな袋を持ち上げれば、シャラ、と袋から軽い音がする。
 そこから微かな香りがふわり、と香る。

「うん、リンデンウッドか。凪くんにピッタリだね」

 そう言った地区長はまた、僕の頭を一撫でした。

「じゃ、カペル、行ってくる」
「……行ってきます」

 振り返りながら言う御影に次いで言えば、アルニムさんが綺麗に微笑んでくれる。

「あぁ、凪くん。今日は凪くんと御影のお祝いの日だよ」
「え、はぁ……」
「だから、今日は寄り道せずに早く帰っておいで」


「……え」

 GATEが閉まる前に見えたのは、悪戯が成功したように笑うカペル地区長の顔だった。

「何でバレてるんだ、って顔してんなぁ凪?」
「……御影」

 背に背負っていたオールを手元に移動させながら御影が僕を見下ろす。

「とっくに知ってるさ、カペルもアルニムも、他の先輩達も。それに、俺も」
「……そう」

 キュ、とグローブを嵌めながら、いつもと変わらない御影の声に言葉を返す。

「凪、あのな……お前まで居なくなったら、」
「御影」

 視線が落ちた御影の名を、いつもよりも強い口調で呼ぶ。



「僕は、そんなミスはしない」

 そう呟いた僕の言葉に、ほんの少しだけオールを握る御影の手に力がこもるのが見て取れる。


 知っている。
意識を持った頃から、何度も聞いているから。
僕達、夢渡しが、夢から抜けられなくなった時のこと。

 夢渡しが、夢の持ち主に心を奪われた時のことも。

 それから、あの時、僕の先輩を慕っていた御影が、どれだけ、傷ついていたのかも。

 本当は、御影だって、
今すぐにでも、探しに行きたいと
思っていることも。

「だから、探させて欲しい。絶対に、無茶はしない」
「おい、凪」

ブワッ、と強い風が吹く。

「御影、また後で」
「凪ッ!!」

 開かれた僕のGATEは、僕と御影の声だけを連れて、扉を閉めた。

「僕は、そんなミス、しないさ」

 ドン、と閉じられた扉に寄りかかり、首から下げている首飾りへと手をのばす。

 あの日、あの場所で見つけた、あの人が使っていたオールの一部。

 グッ、と握りしめて小さく息を吸い込み、僕のゴンドラに現れた本日1人目の客人のもとへと僕は歩きだした。











「……君は、誰だ?私は…………誰…だ?」
「アナタは、そうですね、しいて言うのならば、primo、ですかね」
「プリーモ……?」

 ギコ、ギコ、と僕のゴンドラのオールを漕ぐ音が、あたりに響く。
 薄暗闇だけれど、僕達のゴンドラだけが光を纏う。
周りの景色は、漕いでも漕いでも変わらない濃青色で、その景色の中で、キラキラと何かが瞬いて見える。
まるで、それは、真夜中の夜空のようで、星空を進む僕のゴンドラの跡は、例えるなら、動く天の川のようだ。

「今だけの名前ですよ。此処を降りたら、忘れてしまうから」
「そうなのか」
「えぇ、此処は、そういう処です」

 そう告げた僕の言葉を疑うことなく、ゴンドラに乗った客人の彼は、なるほど、と小さく呟く。

「プリーモ、少しの間ですが、旅を楽しみましょう」

 にこり、と笑いかけた僕に、僕がプリーモ、と呼んだ客人は天の川を眺めながら、そうか、と小さく呟いた。

「君、コレは何だ?」
「あぁ、コレですか。コレは、桜の花びら、でしょうか?」
「桜?」

 ヒラヒラ、とゴンドラの中へ舞い落ちてきた花びらを拾ったプリーモは、薄い小さな花びらを物珍しそうに眺めている。

「プリーモ、それはきっと貴方が見たことのあるものかと思います。此処にあるものは全て、貴方の記憶のなかにあるものだから」

 そう言って小さく笑いかけた僕の言葉に、彼は視線を花びらへと戻し、「そうか」とまた小さく呟いた。



ギコ、ギコ、とゴンドラを漕ぐ音が響く。
降り注ぐ花びらによって、ゴンドラの周りの景色が濃青色から徐々に桜色へと色を変えていく。
変わっていく色の中を、ジッと見つめればそこに映っているのは、彼の記憶の数々だ。けれど、きっと彼はそれに気づくことは無いのだろう。

 此処に現れるのは、僕ら夢渡しの、ゴンドラの客人でもある、この夢の持ち主達だ。
彼らの持つ記憶の数々が、此処では時には景色となり、時には繊細な花びらとなり、姿形を変えて、現れては彼らの元に戻り、戻らなかった記憶はいつの日かまた現れるために、流れ消えていく。

 この記憶の旅で唯一、彼らの中に存在しないもの。


 それが、僕達、夢渡しなのだ。

 僕ら夢渡しは、この世界の持ち主であり、本当は此処には存在していない彼らが、彼らがいう『夢』というこの世界で彼ら自身の記憶の整理を行い、また彼らの『現実』という世界に帰っていくための旅の手伝いをするために、此処に存在している。





 僕たちは、いつ生まれ、いつ消えるのか。
 それすら分からない、曖昧な存在なのだ。



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