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歩けない姫

第五六話:ママレード・ガール

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「おいおい、機嫌直せよ。これやるから、な?」

 親父はニカッと笑って、俺の味噌煮込みうどんの中に、鶏肉を入れた。
 これは俺の機嫌を取っている訳ではない。
 親父は鶏肉が苦手だ。
 つまり、自分の嫌いな食べ物を俺のうどんの中に放り込んだだけである。

「別に怒ってなんかねーよ」

 俺は眉間にシワを寄せ、うどんをすすった。

「サクヤ様もノリノリで写真撮られて、ご満悦ですね」

 嫌味のつもりで言ったが、サクヤ様は平然と返す。

「私は元々崇められる存在だからね。別に嫌じゃないわ」

 ふーん。
 ああいうことでも、崇められるっていうことになるのか。
 まぁ、確かに『おお、神だ』とか言って写真撮ってる奴いたけど。

「お兄ちゃんが怒ってないんだったらさー、私ちょっと観光に行きたいなー」

 こちらに顔を向けずに、アイが言う。
 空気を読まずに自分のしたい事を貫いて言えるのは、アイの特技かもしれない。
 まあ、その特技はだいたい腹が立つ結果で終わる訳だが。

「勝手にしろ」

 俺がそう言うと、サクヤ様が提案する。

「じゃあ、二手に別れましょうか。私と親父さんはトランシーバーを見に行くとして、アイちゃんとミツキちゃん、それとユウキは観光に行くってことで」

 即座に反対する。
 どう考えても、アイたちと一緒にいるより、サクヤ様たちと一緒にいる方が著作物を目にしなくて済みそうだ。

「いや、俺もサクヤ様たちと一緒の方がいい」

 俺がそう言うと、親父はさらに自分の鶏肉を俺のうどんの中に投入して、言った。

「何言ってんだ。すぐ自分の興味がある所に行ってしまうアイと、こっちの世界の事を全然知らねえミツキちゃんだけで行動させるなんて、心配で鶏肉が喉通らねえ」

 心配してなくても鶏肉は食えないだろ!

 俺は親父にスッと手を出した。
 親父が首を傾げる。

「なんだ?」

「こいつらの面倒を見るバイト代」

 親父は舌打ちし、財布を取り出した。
 財布には五千円と千円が一枚ずつ入っている。

 おっ!
 この前β世界の金ないかもとか言ってたくせに、持ってんじゃん!

 親父が千円を取り出そうとした瞬間、俺は素早く親父の財布に手を入れ、五千円を抜き取った。

「お前」

 親父の文句を遮り、五千円を指でヒラヒラさせてアイに言う。

「アイ。アイス食いたいか?」

「うん、食べたい!」

 俺は、この五千円はアイと一緒に使うことをアピールしてから、再度親父に顔を向けた。

「俺もアイも金持ってねえんだ。いいだろ、こんぐらい。アイの全財産を落としちまった、お父さん」

 そう言って俺はニヤリと笑った。
 この話を持ち出せば、親父に反論できる材料はない。
 親父は、もうその話はするなと言わんばかりに、眉間にシワを寄せて、うどんをすすった。
 あの全金貨紛失事件の後、アイにこってり絞られたのがだいぶ堪えたらしい。
 これはしばらくこのネタでマウント取れそうだ。

「チル様はどうします?」

 一人黙々と味噌煮込みうどんを食べ続けていたチル様を見ると、既におかわりを平らげて、さらに追加注文したママレードたっぷりのトーストにかぶりついていた。

 この人、さっき唐揚げも食ってたよな……。

 その食いっぷりを見て唖然としていると、ママレードたっぷりのトーストを見た空気の読めない妹が声を出す。

「だっけっど、気にーなるー」

 なんか歌ってやがる。
 知らないからどうでもいいけど。

「私もユウキさんたちと一緒に行きます。食べ歩きしたいし」

 まだ食う気かっ!?
 食い意地半端ないなっ!

 ふとミツキを見ると、既に食べ終えたミツキは、店の窓から見える萌え系の大きな看板画が書かれた建物を、足をバタつかせ目を輝かして眺めていた。

 まさかこいつもそういう趣味に走ってしまうんじゃないだろうな。

 俺は予感した。いや、確信した。
 このグループ、絶対にまとまりがない。
 そして絶対に俺は観光を楽しめないだろうと……。



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