上 下
47 / 52

47.

しおりを挟む



 離宮についた父母は、アデライーデ達が乗る馬車が付いてきていない事に気づくと、慌てて近衛騎士と共に父が道を引き返してきたらしい。

 もちろん馬車だと人数を連れてこれないからと、走って来たのには、アデライーデも少しだけ驚いたが被害も何もなかったので良いこととした。

 もちろん何があったのか問われたが、実際のところ「さる高貴なお方」に馬車を停められ、呼び出されただけだ。

 たとえ相手の予測がついていたとしても、相手が名乗っていないのだから仕方がない。

 ようやく動き出した馬車の中で、父にそう説明すれば、父も呆れたようなため息をついた。

 まあ、相手が誰だか皆分かってはいるけれど、名乗られていない限りは側妃だと断言する訳にもいかないのも、また事実。父がため息をつきたくなる気持ちも分からなくはなかった。

「この生地に執着していたようだと?」
「そうですね。権利を寄越せと言っていましたので」
「うーむ。香り付きのシャンプー、肌を整える化粧水、ハンドクリームやリップクリーム、王女様にはエプロンドレスにビアンカ手製のぬいぐるみ、人形用の服、それと今回のパールの生地、か」

 それらは全て母が王妃様に献上したものだ。もちろん側妃には何も差し上げていない。まあ、幾つかの品は既に販売しているものだから、普通に購入することは出来るだろうけれど。

「あの生地に関しては、まだどこにも売り出してはいないのだがな」
「そうですけれど、人の口には戸はたてられませんわ。城の裁縫師、侍女、女官、メイド。その辺りから噂を聞くこともあるでしょう」

 アデライーデが冷静にそう言えば、父も納得するしかないようだった。

「だが、それにしても何故アデライーデに」

 父の疑問は当然と言えば当然ではあるが、それだってちょっと調べればすぐにわかる事だと、アデライーデは思う。

「それよりも私は、この馬車にアデライーデが乗っていた事を知っていた方が気になります」

 兄がどこか愁いを帯びた表情で言った。

「まあ、侯爵家の手のものが、どこにでも紛れ込んでいるからなぁ」
「それはそうでしょうが」

 王妃様が中々妊娠しないために娘を送り込むことに成功した侯爵家は、ジュリアーノ王子のおかげで王城内での権力を増している。そのため色々な場所で侯爵家所縁の人間が働いていていた。

 今さら、どこの誰が情報を漏らしたかを詮索してもどうしようもない。父も兄も、それは分かっているのだろう。ただ眉間にしわを寄せるだけだった。

 アデライーデもまた、側妃のことを思うと嫌な気持ちになる。とは言え、彼女の傲慢さが鼻につくとかではない。

 もちろん傲慢な人間など好きではないが、彼女もまたアデライーデとそう変わりがない存在だと思ってしまったからだ。ただ彼女の場合は、家に振り回され、アデライーデは王子とその愛人であるミシュリーヌに振り回された、と言う違いがあるだけの。

 少しでも自分で考える頭があったなら、彼女は第一王子を生んだ準王族として扱われ、国母とも扱われただろう。なのに、親の言うなりにその権利を放棄して、尚且つ陛下からの寵愛もない存在となった彼女は、いったい何を思うのか。

 そして、流されるまま王子妃になり、ただ仕事をするためだけの存在として蔑ろにされていた以前のアデライーデも、自ら思考放棄をしていたようにしか思えなかった。

 嫌だと思うなら声をあげればよかったのだ。

 なぜ、自分を蔑ろにするのかと、王子に問い詰めればよかったのだ。

 たとえそれで、同じように死を迎えたとしても。

『くくっ、貴様も随分と歪だなぁ』

 不意にオセが話しかけてくる。

『そう? 私は真っ当に頑張って生きていたよ?』
『真っ当に頑張って? まあ、忘却は時に安寧を齎すかぁ』

 アデライーデの応えに悪魔オセは楽しそうにくつくつと笑った。

 オセの言葉にジワリと滲み出てくるのは、不安、だろうか。

『私は何か忘れているの?』
『さあ? 真っ当に頑張って生きてきたと思ってんなら、そうなんだろぉ?』

 けれど意地悪な悪魔は、アデライーデの問いかけに答える気はないようだった。

 自分が前の人生で覚えているのは、あの怪しくも美しい極彩色のライトに彩られた狭い箱の中で、つんざくような音の奔流と頭を振り両手をあげ、暴れまわり踊り狂うヴィジュアル系バンドのバンギャだった事だ。

 それと一人前の美容師になりかけだった自分。

 両親がどんな顔だったとか、名前だとか、好きだったはずの男の顔だとかは、もう既に思い出す事が出来ない。

 確かに、それは歪だ。けれど自分はこの世界にアデライーデとして生まれたのだから、忘れていたとしても、思い出せないとしても当然とも思える。思えてしまう。

 ただ何事にも原因や要因があって結果がある。

 じゃあ、今の自分がここにいる理由も、闇の精霊に前に引っ張り出されただけではなく、何か原因があるというのか。

 アデライーデは眉間に皺を寄せた。

 だって、そんな事を考えたってアデライーデに分かるはずもないからだ。

「大丈夫かい? アデライーデ」

 不機嫌そうに歪められた表情に、父が心配そうに声をかけてくる。しかし、アデライーデが不安に思うのも不快に思うのも、先ほどの愚かな側妃ではないのだ。

「大丈夫ですわお父様、それよりそろそろでしょうか」

 ちらりと視線を窓の外に向ければ、陛下たちの住まう離宮がすぐそこに見えていた。



しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私はモブのはず

シュミー
恋愛
 私はよくある乙女ゲーのモブに転生をした。   けど  モブなのに公爵家。そしてチート。さらには家族は美丈夫で、自慢じゃないけど、私もその内に入る。  モブじゃなかったっけ?しかも私のいる公爵家はちょっと特殊ときている。もう一度言おう。  私はモブじゃなかったっけ?  R-15は保険です。  ちょっと逆ハー気味かもしれない?の、かな?見る人によっては変わると思う。 注意:作者も注意しておりますが、誤字脱字が限りなく多い作品となっております。

村娘になった悪役令嬢

枝豆@敦騎
恋愛
父が連れてきた妹を名乗る少女に出会った時、公爵令嬢スザンナは自分の前世と妹がヒロインの乙女ゲームの存在を思い出す。 ゲームの知識を得たスザンナは自分が将来妹の殺害を企てる事や自分が父の実子でない事を知り、身分を捨て母の故郷で平民として暮らすことにした。 村娘になった少女が行き倒れを拾ったり、ヒロインに連れ戻されそうになったり、悪役として利用されそうになったりしながら最後には幸せになるお話です。 ※他サイトにも掲載しています。(他サイトに投稿したものと異なっている部分があります) アルファポリスのみ後日談投稿しております。

転生貧乏令嬢メイドは見なかった!

seo
恋愛
 血筋だけ特殊なファニー・イエッセル・クリスタラーは、名前や身元を偽りメイド業に勤しんでいた。何もないただ広いだけの領地はそれだけでお金がかかり、古い屋敷も修繕費がいくらあっても足りない。  いつものようにお茶会の給仕に携わった彼女は、令息たちの会話に耳を疑う。ある女性を誰が口説き落とせるかの賭けをしていた。その対象は彼女だった。絶対こいつらに関わらない。そんな決意は虚しく、親しくなれるように手筈を整えろと脅され断りきれなかった。抵抗はしたものの身分の壁は高く、メイドとしても令嬢としても賭けの舞台に上がることに。  これは前世の記憶を持つ貧乏な令嬢が、見なかったことにしたかったのに巻き込まれ、自分の存在を見なかったことにしない人たちと出会った物語。 #逆ハー風なところあり #他サイトさまでも掲載しています(作者名2文字違いもあり)

王妃さまは断罪劇に異議を唱える

土岐ゆうば(金湯叶)
恋愛
パーティー会場の中心で王太子クロードが婚約者のセリーヌに婚約破棄を突きつける。彼の側には愛らしい娘のアンナがいた。 そんな茶番劇のような場面を見て、王妃クラウディアは待ったをかける。 彼女が反対するのは、セリーヌとの婚約破棄ではなく、アンナとの再婚約だったーー。 王族の結婚とは。 王妃と国王の思いや、国王の愛妾や婚外子など。 王宮をとりまく複雑な関係が繰り広げられる。 ある者にとってはゲームの世界、ある者にとっては現実のお話。

完結 「愛が重い」と言われたので尽くすのを全部止めたところ

音爽(ネソウ)
恋愛
アルミロ・ルファーノ伯爵令息は身体が弱くいつも臥せっていた。財があっても自由がないと嘆く。 だが、そんな彼を幼少期から知る婚約者ニーナ・ガーナインは献身的につくした。 相思相愛で結ばれたはずが健気に尽くす彼女を疎ましく感じる相手。 どんな無茶な要望にも応えていたはずが裏切られることになる。

オバサンが転生しましたが何も持ってないので何もできません!

みさちぃ
恋愛
50歳近くのおばさんが異世界転生した! 転生したら普通チートじゃない?何もありませんがっ!! 前世で苦しい思いをしたのでもう一人で生きて行こうかと思います。 とにかく目指すは自由気ままなスローライフ。 森で調合師して暮らすこと! ひとまず読み漁った小説に沿って悪役令嬢から国外追放を目指しますが… 無理そうです…… 更に隣で笑う幼なじみが気になります… 完結済みです。 なろう様にも掲載しています。 副題に*がついているものはアルファポリス様のみになります。 エピローグで完結です。 番外編になります。 ※完結設定してしまい新しい話が追加できませんので、以後番外編載せる場合は別に設けるかなろう様のみになります。

幼妻は、白い結婚を解消して国王陛下に溺愛される。

秋月乃衣
恋愛
旧題:幼妻の白い結婚 13歳のエリーゼは、侯爵家嫡男のアランの元へ嫁ぐが、幼いエリーゼに夫は見向きもせずに初夜すら愛人と過ごす。 歩み寄りは一切なく月日が流れ、夫婦仲は冷え切ったまま、相変わらず夫は愛人に夢中だった。 そしてエリーゼは大人へと成長していく。 ※近いうちに婚約期間の様子や、結婚後の事も書く予定です。 小説家になろう様にも掲載しています。

皇帝とおばちゃん姫の恋物語

ひとみん
恋愛
二階堂有里は52歳の主婦。ある日事故に巻き込まれ死んじゃったけど、女神様に拾われある人のお世話係を頼まれ第二の人生を送る事に。 そこは異世界で、年若いアルフォンス皇帝陛下が治めるユリアナ帝国へと降り立つ。 てっきり子供のお世話だと思っていたら、なんとその皇帝陛下のお世話をすることに。 まぁ、異世界での息子と思えば・・・と生活し始めるけれど、周りはただのお世話係とは見てくれない。 女神様に若返らせてもらったけれど、これといって何の能力もない中身はただのおばちゃんの、ほんわか恋愛物語です。

処理中です...