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20.エイムズ伯爵家のタウンハウスで受けた衝撃

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 ゆっくりのんびりと時間をかけてエイムズ伯爵家のタウンハウスに着くころには、だいぶ日も傾いていた。

 一応、城には遅くなるという連絡を入れてあるから、騒ぎにはならないだろう。

 そんな事を思うのは、エイムズ伯爵家のタウンハウスの応接間で、頭を垂れる俺より少し年上の青年(レオノーラ嬢の兄)と簡略式ではあるがカーテシーをしている2人の女性(年恰好から母親とアポロニア嬢だ)、そして1人やたらと豪華なドレスを着て、カーテシーをする訳でもなく、ニコニコと愛想よく笑いながらも、俺とエルネストを交互に見遣っている女の子(これが問題の妹だな)がいるからだ。

 いい加減、頭をあげてくれないかと、何度か口にしているのだが、3人とも頑なに頭をあげない。

 まあ、気持ちは分からなくもない。

 何せ、応接間に向かおうとした瞬間、俺はいきなり抱き着かれたのだ。件の妹に。

 けれど、たぶん、妹のお目当てはエルネストだったと思う。

 どうしてそう思ったかというと、まず俺の斜め後ろでエルネストがアリソン嬢をエスコートしていた。

 もちろん俺はレオノーラ嬢をエスコートしていた訳だが、レオノーラ嬢からまず俺たちの事を紹介してもらい、次に家族を紹介してもらう。

 そして次期当主である兄君らしき青年から丁寧な挨拶を受けるーーとここまでがまあ、初めて顔合わせをする貴族の形式的な挨拶のようなものだ。挨拶も定型文のような挨拶を交わす。

 これが済めば、多少、言葉が砕けても問題はないし、今後、彼らから声をかけられても大丈夫になるのだ。

 だが、これはあくまでも非公式な訪問で、俺たちが王族だという事もあって、公の場であまり馴れ馴れしくすると非常識だなんだとそしりを受ける可能性がある。だから、そこだけは注意して欲しい。

 まあ、アポロニア嬢がいるし、見る限り兄君も母親の方も常識を持っているようだから、大丈夫だろう。

 その時はまだ件の妹の姿はなかったから、俺たちは制服を着替えに行くというレオノーラ嬢と別れた。

 そして兄君の案内で、応接間に向かおうとしたら、唐突にエルネストがアリソン嬢の腰を抱き寄せ、俺の腕をぐいっと引っ張ったんだ。

 多分時間にしたら数秒もなかったと思う。だが、次の瞬間に、俺はいきなり脇腹に向かってタックルを受けた。

 あの時の兄君の驚愕に満ちた表情と、側にいた母親だろう女性の短い悲鳴と、決して崩れることのない淑女の微笑みを浮かべていると評判のアポロニア嬢の驚いた顔は、たぶんこの先も忘れる事はないだろう。

「えへへ、初めまして! 私はエイヴリルです。王子様カッコいいですね、とても素敵です!」 

 しかも、この妹、俺にタックルをしてきたかと思うと、謝罪もなく自己紹介を始めたのだ。あまりにも非常識過ぎて、俺も固まるしかなかった。

 そして、それはその場にいた誰もがそうだったのだろう。

 エイヴリルとやらの甲高い声の後には、しわぶき一つも起こらない沈黙が流れ、一番早く我に返ったのは俺の侍従のクレメンスだった。

「貴様! 第三王子殿下に何をしている!」

 大木にしがみつくセミのような(後でエルネストがそう言っていた)妹を、クレメンスが容赦なく引き剝がしたようで、「ひどーい、痛いじゃないですかぁ」なんて声が聞こえるが、同時に我に返ったらしき兄君はその場で両膝をつき、母親らしき女性はいきなり床にしゃがみ込んだかと思えば、床に頭を擦りつける始末。

 冷静なのは、アポロニア嬢ただ1人で、彼女は俺に『どうしますか』と視線で問いかけてきた。

 なんだこの難易度の高い状況は。

 これはどう捌くのが正解なんだ?

 混乱する頭で、思わず俺はクレメンスに視線を向けた。しかし、クレメンスはクレメンスで、『お好きなように』としか目で語ってくれない。

 俺から引き剥がされた妹は、全く何も分かっていない顔で腕を掴んでいるクレメンスを睨みつけているし、エルネストは話に聞いていたより酷いな、と顔に出ているし、アリソン嬢は逆に無表情になっていた。

 というか誰か言葉で話してくれないだろうか。

 視線や表情で語るのは、まあ、貴族のお家芸かもしれないが、この沈黙が辛いぞ。

「……はあ、仕方がりません。エイムズ伯爵子息、取りあえず応接間に殿下方を案内してくださいませんか」

 俺の願いを聞き届けてくれたらしい。クレメンスがため息と共に、兄君へとそう言った。

 クレメンスの言葉を受けて項垂れていた兄君がぎこちなく、俺たちを応接間まで案内してくれる。

 だが、もちろん無言だ。

 まあ、こんな場で軽口が叩けるとしたら、余程肝の座った人物しかいないだろう。兄君はどう見てもそういうタイプではない。

 そしてようやくソファに腰を落ち着けた俺たちに、温かい紅茶と茶菓子をサーブしたメイドが応接間から出て行ったかと思うと、さっきの状況だ。

「いい加減、頭をあげてくれないか。これでは話の一つもできやしない」

 俺の言葉にも頑なに頭をあげないエイムズ家の面々に、エルネストも呆れたようにそう言った。ありがたい。

「そうですよぉ、私はご挨拶がしたかっただけなんです。それを無理やり引き剥がして。あの人の方こそ謝って欲しいです」

 そしてまた空気を読まずに妹が発言する。

 俺は頭が痛くなった。

 うん、そこにいる俺の侍従はな、一応、侯爵家の次男だ。

 次男なんて所詮、嫡男のスペアですから手に職をつけないと、なんて理由で王城に勤めている男で、ついでに言うと、3年後に公爵になられましたら、家令として雇ってくださいなんて平気で言ってくるようなヤツだぞ。

「エイヴリル!」

 そんな妹の発言に、母親と兄君が声を荒げた。いつの間にか顔をあげている。ああ、良かった。

 そして、アポロニア嬢も平然と顔をあげ、冷めた視線を義妹に向けていた。淑女の微笑を浮かべていないアポロニア嬢というのも、これまた珍しい。

「失礼を働いたのはお前の方だ、まずは第三王子殿下に謝罪を述べるのが先だろう」

 怒鳴り散らすわけではない。冷静に、しかし声には怒気が込められた兄君の言葉は、けれど妹には届かないようだった。

 馬鹿な妹を持つのも大変だな。

 俺には、もう、そんな感想しか出てこない。
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