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Ⅱ バーバラ
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しおりを挟む「あ、あとさっきの手紙の件だけれど」
「なんでしょう」
「ディオーナ様のお孫様の件」
何を聞かれたのか分からなくて聞き返してしまった私に、ニコル兄様は呆れたような表情を浮かべました。
「夜会に出る?」
「でも、私、夜会に出られるようなドレスなんて持っておりませんし、夜会に出られるほどのマナーも身についていないと思うので」
「でも一度くらい夜会を体験してもいいと思うんだ、僕としては」
そう言ったニコル兄様の目は、少しだけ寂しそうなものでした。
私は16歳のデビュタントを迎えてはおりません。
そんな私ですから当然のように社交シーズンの王都にも行った事はありませんでした。
なぜならデビュタントも夜会に出るにもドレスを作らなくてはなりません。
既製品のドレスもそれなりの値段がいたしますが、オートクチュールのドレスはさらに値が張ります。しかも夜会の度に同じドレスを着ると馬鹿にされると、姉様たちが話しているのを聞いた私は、とても恐ろしくて夜会など出たいとは思わなかったのです。
ですからデビュタントも社交にも興味がないことをお父様にお話ししましたら、特に怒られることもなくそのまま過ごすことが出来ました。
そのため私には、我が家で開かれるお茶会や近隣の領主やそのご家族をお呼びしてのパーティぐらいしか社交の経験はありません。
そんな私が王都の、しかも王太子殿下が主催する夜会に出席するなんて、お相手に恥をかかせるだけだと思います。
ニコル兄様に、そんな事をつらつらとお話ししましたら、案の定ニコル兄様は苦い表情をされました。別にニコル兄様にそんな表情をさせたい訳ではないのですけれど。
「それなら余計、パーティに連れて行ってやりたいなぁ、でも本人が行く気がないのに無理をさせる訳にも」
なんてブツブツと呟いているニコル兄様を見ると、なんだか胸がポカポカしてきます。
「けれど離縁が成立したら、いつまでもこの屋敷に世話になる訳にもいかないし、かと言ってバーバラはルーベンス子爵家にも戻りたくないんだろう? となると後はサーシャ姉様のところかマデリン姉様のところか」
ニコル兄様の言葉に私ははっとしました。
そうですよね。離縁が成立したら、いつまでのアルトワイス伯爵家にお世話になる訳にはいきません。
かと言って兄様の言うように、サーシャ姉様やマデリン姉様のところにご迷惑をおかけする訳にもいきません。ですが、このままルーベンス子爵家に帰るのも、またお父様に縁談を持ちかけられるかもしれないのです。
「バーバラにあげられる選択肢はそう多くはないよ。うちに帰って父上が再度提案するだろう相手に嫁ぐ、もしくは自立するかのどちらかだ。自立する場合は、たぶん家を追い出されるだろう。そしてうちに戻った場合だけれど」
そこまで言って口を閉ざしたニコル兄様は、私から視線を逸らして眉を寄せ、どこか困ったような表情を浮かべました。
「ニコル兄様?」
「ん、ああ、うちに戻った場合、たぶんではあるけれど、またアルトワイス伯爵家に嫁がされると、思う」
「え?」
私の聞き間違いでしょうか。今、またアルトワイス伯爵家とニコル兄様はおっしゃいました?
「バーバラの聞き間違いじゃない、僕のいい間違いでもない。父上がね、リカルド・アルトワイスと結婚させたときに言っていたんだ。本当ならアーカード君と結婚させるつもりだったって。しかも……」
物凄く言いずらそうに言葉を途切れさせたニコル兄様に、私はどんなことでも構わないから続けてくれるようにお願いしました。
「僕は聞いた瞬間、本当に腹が立ったんだ」
「ええ」
「父上は元々アルトワイス伯爵家にうちの娘の一人をやろうと思ってたと言ったんだ」
私はニコル兄様の言葉を理解しようとします。
「酷い話だろう? 僕たちは犬猫の子と一緒のような扱いだ」
「……いいえ、ニコル兄様は違います。兄様は嫡男で次期当主様ですもの、誰にもあげたりなんてしませんわ」
「バーバラ」
「アベルもそうでしょう。ニコル兄様を手助けしてくれる大事な弟ですもの。でも、そう、ですね。私やエリスやシルヴィアは……いえ、私ですね。こんな年でまだ家にいるんですもの、私をあげるつもりなのですね」
「バーバラ!」
ニコル兄様は強い口調で私の名前を呼びました。普段は温厚な兄様です。そんな兄様が声を荒げるなんて、それはとても珍しい事です。
「父上は、人間としてどこか感情に欠陥があるんだよ。だから僕の気持ちも、バーバラの気持ちも理解する事が出来ないんだ。だから無理やりリカルド・アルトワイスと結婚させたとしても、もしかしたらうちにいるよりは幸せになれるんじゃないかって、そう思ってた」
「ええ、王都での生活は不幸ではありませんでしたわ、ニコル兄様」
それどころか、今までにないほどに穏やかで緩やかな時間が過ぎていたくらいでしたもの。
他の騎士様の奥方様たちの視線もひそひそと囁く声も、部屋の中にいる限りは聞こえてくることもありませんでしたし、私を腫れもののように扱うメイドも、どこか遠慮がちに声をかけてくる姉様たちもいらっしゃいませんでした。
ただ、ニコル兄様が側にいない事だけが、少しだけ寂しかったですけれど。
でも雑貨屋に顔を出せば、私の作ったものを嬉しそうに買ってくださるお客様がいて。納品にきた私を楽しそうに迎えてくれる店主さんがいて。それはとても幸せだったのですよ、ニコル兄様。
「だけど、ふたを開けてみれば、リカルド・アルトワイスも普通の男だった。恋人がいるのは仕方がないとしても、バーバラと結婚したなら、どうして恋人とすぐに別れなかった? どうしてバーバラとの生活を大切にしてくれないんだ? なんでバーバラを放って置く? あげくは長期遠征だ、怪我で更に2か月も帰ってくるのが遅れるわ、しまいには官舎から追い出すとか意味が分からないよ」
ふと俯いて言葉を紡ぐニコル兄様を見れば、ぽたり、ぽたりと涙を流していらっしゃいます。
「ニコル兄様、泣かないでください」
ニコル兄様が泣いているなんて私は初めて見てしまいました。
兄様はいつも一生懸命で、剣の鍛錬が辛くても勉強が大変でも弱音を吐いているところも見たことはありません。
なのに今、私のために涙を流してくださっているのです。
「ああ、くそ、情けない兄でごめん」
私は俯いたまま子供のように袖で涙を拭うニコル兄様を見て、なんだか今ならリカルド様からの手紙も読めるような気がしました。
「ニコル兄様、私のために泣いてくださってありがとうございます、なんだかリカルド様の手紙を読んでみようという気力が湧いてきました」
「ははっ、なんだい、情けない兄のおかげかい?」
「いいえ、私のために泣いてくださる優しい兄様のおかげです」
そう言ってベッドから立ち上がった私は、文机の上に置いたリカルド様からの手紙を手に取りました。
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