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Ⅱ バーバラ

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「たぶん、ですが」

 ニコル兄様はそう言葉を口にして、どう続けたらいいものかと悩むかのように、一旦口を閉ざしました。
 たぶんニコル兄様は、私に気を使っているのだと思います。
 だって先ほどの事が本当ならば、私はそのロナウドさんと名乗っていた事務の方に騙されていたという事ですから。

「リカルド・アルトワイスが所属していた第三騎士団は、第一から第七まである騎士団の中でも、あまり評判がよくない騎士団なんです」
「どういう、ことでしょう」

 私はニコル兄様が何を言おうとしているのか分かりませんでした。ただ黙っている私を見て、アーカード様がニコル兄様に先を促してくださいます。

「第三騎士団には多くの貴族子弟が在籍しています。とはいえ、ほとんどが次男や三男、四男といった者ばかりで、貴族籍に名前は残っていたとしても、平民とそう変わりません。ただ、そういった人間が集まっている騎士団なので、どうにも金遣いが荒いようなんです。しかも平民の一般騎士は蔑ろにされるらしく、そのせいもあり評判が良くないのです」
「リカルドがどうしてそんな騎士団に」
「それは団長が口説き落としたスカウトされたらしいです。第三騎士団の団長はたたき上げの真っ当な方だったので、今の現状がまずいという事は理解されていたようでしょう」

 ニコル兄様は、そこまで話しますと紅茶のカップに手を伸ばしました。
 中身は既に冷たくなっているはずですが、ニコル兄様は気にならないようです。

「……騎士団にはそれぞれ事務方と呼ばれる部署があります。確か、年ごとにそれぞれの騎士団に予算が組まれ、そこから武具の購入や遠征費用を賄ったり、遠征用の携行食の購入、管理を主に行ったりしているところです。その他にも給金の支払いですとか各種申請の窓口としての機能があるらしく、読み書きが必須のため貴族子弟の就職先の一つでもあります。長期の遠征の場合、この事務方に申請書を提出することになっているようです」

 なんだかニコル兄様は騎士団の事に詳しすぎではないでしょうか。
 確か学院では経営科で学んでいたはずなのですけれど。
 それはアーカード様も思ったようでした。

「ニコル君は随分と騎士団について詳しいんだね」
「学院では騎士科の生徒もいましたので、今でもその頃の人とは付き合いがありますから」

 何でもないようにニコル兄様はおっしゃいました。
 すると今度はアーカード様が項垂れてしまっています。どうされたのでしょう。

「僕も学院には通ったんだけどね……」

 そうですよね。アーカード様もアルトワイス伯爵家の嫡男ですから、学院に通うのは義務だったはずです。でも項垂れているところを見ますと、あまり人付き合いはされてこられなかったのでしょうか。

 けれど、そういった事は向き不向きもありますし、どちらかと言えば私もそこまで人付き合いは上手くありません。だからでしょうか、ほんの少しアーカード様に親近感を覚えます。

「とにかく、リカルドがその申請書を提出していれば、本来バーバラに給金が支払われていたはずだとニコル君は言うんだね」

 リカルド様の所属する騎士団の話に、お義父様も眉をしかめていらっしゃいますけれど、アーカード様はニコル兄様に確認しております。

「ええ、ただ全額ではなく一部だと思いますが、ねぇバーバラ、リカルドが来なくなる前に、幾らか金は渡してくれたんだよね? その時幾ら貰った?」
「最初は銀貨数枚でしたけれど、そのうちいらっしゃる間隔が開くようになってからは金貨を1枚」
「うん、だとしたら申請金額も金貨1枚バーバラに渡すように申請していると思う」
「となると」
「毎月金貨1枚と家賃分を誰かがくすねてたって事になりますね。しかも第三騎士団の事務方は確実に絡んでいるような気がします……これはルチア嬢に連絡しないとまずいなぁ」

 ブツブツと言い出したニコル兄様に、アーカード様も、そんな、まさか、と呟いております。

「まあ、でも、これは一度確認してみないといけません。もちろん確認して、手違いがあればもちろん支払った分はバーバラに戻ってくるでしょうし、もし犯罪が行われていたのが分かれば、そんな事をした愚か者たちにはそれ相応の罰が与えられる事でしょう」

 そこで言葉を区切ったニコル兄様は、先ほどのにこやかな調子から、ふっと表情を引き締めました。

「では最後に、リカルド・アルトワイスからの手紙になります」

 ニコル兄様はまたもや懐から手紙を取り出しました。その懐にはいったい何通の手紙をしまい込んでいるのでしょうーー私はそんな余所事を考えてしまいますが、それは私が兄様から差し出された手紙に少しだけモヤモヤしているからです。

 なぜなら、伯爵家に来てからひと月近くがたちますが、その間に私にもご家族であるお義父様やアーカード様にもリカルド様はお手紙の一つも送ってはくださらなかったのです。なのに、どうしてニコル兄様のところに手紙が届くのでしょう。

 手紙を送るのであれば、まずは私たちに送ってくださるのが筋というものではないのでしょうか。
 それとも騎士団ではそういう事も無視される世界なのでしょうか。

 私は自分でも珍しいと思ってしまうほど苛立ちを感じました。けれど、なぜそこまで苛立ちを感じるのかは分からないのです。
 
 お義父様が封筒の中身を取り出しました。
 封筒の中身は便箋ではなく書類などで使われる用紙が何枚もあるようです。

「バーバラにはこっちを。中を少し見てしまったけれど、個人的な内容だと思うから、後で部屋で読んでみなさい」

 私には便箋が半分に折られたものをニコル兄様は渡してきました。すぐに開いて読んでみたい気もしますが、ニコル兄様が部屋で読みなさいというくらいですから、ぐっと我慢します。

「バーバラさん……本当に、申し訳、ない」

 手の中の便箋を見つめていますと、不意にお義父様が泣きそうな声で私を呼びます。

「どうしたのですか?」
「これ、を」

 そう言って手渡されたのは、離縁届けの書類でした。しかも既にリカルド・アルトワイスとサインが記入されています。それともう一枚、初めて見る書類です。

「ああ、それは男性側から提出される【白い結婚】の証明書、だね。この書類にはなんの効力もないけれど、それを提出するという事は男側が妻には一切手を触れていない、と言っているのも同然なんだ」

 私が手にした書類を見て、ニコル兄様が説明してくださいました。
 この書類があれば、三年もの時間を無駄にしなくていいというのです。この書類を持って教会に行けばいいとニコル兄様が続けて教えてくれました。

 確かに私は【白い結婚】を望んでおりました。

 そうすれば、こんな不毛な生活は終わらせることができるだろうと。けれど、すぐさまそれができるとなると、私は戸惑ってしまっているのです。


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