29 / 66
リカルド
2
しおりを挟む「リカルド、目が覚めたと聞いたぞ」
ばさりと救護用テントの扉代わりの布をめくって現れたのは、この国の王太子殿下だった。
「王太子殿下……」
確かにさっき医務官がお偉いさんが来たとは言っていたが、まさか王太子殿下が来ているとは思わず、慌てて身体を起こそうとして痛みに呻く。
「よい、怪我人はそのまま寝ていろ」
自分よりも一つ年上の王太子殿下は、煌めくような金色の髪とサファイアのような青色の目を持つ美丈夫だ。
騎士に比べれば薄く見えてしまうその身体も、鍛錬を欠かさずにいる事は知っている。いつだったか、筋肉が付きにくいと愚痴を零していたこともあったからだ。
殿下とは、学院生だった頃は顔を知っている程度のものだった。
だが、三年前、殿下の婚約者が暴漢に襲われるという事件が起きた。
しかも婚約式を終えた後の、お披露目の夜会へ、滞在先になっていた離宮から向かう途中、という普通であれば絶対に手を出さないような状況で、だ。
その時たまたま離宮周辺の警備にあたっていた自分たちが、その襲撃犯を捕まえることに成功し、それ以来、殿下にお声を掛けられるようになった。
「取りあえずは、生きていて良かったな」
「ありがとうございます」
ゆったりとした足取りで殿下は俺の側にまでくると、侍従の方だろうか、さりげなく殿下に椅子を差し出す。
もちろん殿下は当然のようにその椅子に腰をかけると足を組んだ。
移動用に作られた折り畳むことの出来る簡易な椅子も、殿下が座るとどこか高級そうに見えるのは目の錯覚か。
「騎士団長のことは聞いた。あの人はとても強く優しい人だったのにな。残念だよ」
「……そう、ですね」
騎士団長は貴族の出身だとはいえ、13歳で自ら平民になり、そこから騎士を目指した人だ。
従卒も勤め、騎士見習いになり、一般の騎士に。そして一つ、一つ積み重ねるようにして、騎士団長にまで上り詰めた努力の人だった。
「しかも聞けば、作戦を無視し、魔獣の群れに突っ込んだ者を助けるためだとか。そのような輩など見捨ててしまえばよいものを」
「見捨てられないのが、団長なんですよ」
殿下からなんとも辛辣な言葉が吐き出される。
確かに魔獣の群れに突っ込んでいった馬鹿は見捨てても良かったのだ。実際、騎士団長が慌てて彼らを追いかけなければ、俺たちはあいつらを助けようともしなかっただろう。
だが団長は彼らを助けようとした。だから俺たちも助けるべく努力はした。
それでも彼らのうち数名が命を落としていたが、助けに行った者たちも少なくない数が怪我を負い、団長は部下を庇って死んでしまった。
「殿下はなぜこちらに?」
確かに戦争もない平和な時代に、騎士団長が魔獣討伐で死亡となれば、外聞はよろしくないだろう。特にお荷物扱いの第三騎士団の団長だ。帰ったらきっと外野が煩く言ってくるに違いない。だが殿下がここまで出張ってくるような事だろうか。
「それもある、が、お前がこちらにいると聞いたのでな」
僅かに眉根を寄せた殿下の言葉に、俺は眉間に皺を寄せた。けれど心当たりは何もない。
「しばし待て、ここでは人払いもできんからな。頼む」
それだけ言うと殿下は侍従を見た。
殿下の視線に侍従は頷きを返すと、小さな声で何事かを呟く。
すると途端に周囲の音が掻き消え俺たちの周りにだけ、うっすらと幕のようなものが展開されていた。
「結界、ですか?」
「というよりも防音魔法と言ったところだな。ここでの会話は外には漏れない。そして俺たちの唇の動きも読まれることはない」
幕のようなものがゆらゆらと揺れているのは、そのためなんだろうか。しかし、こんな魔法を使わせてまで俺に何を話したいと言うのか。
「さて、これでいいだろう。リカルド、お前、何か月か前に結婚したな」
そう言えばもう何か月も前になるのか、と殿下の言葉でそんな事を思った。
結婚したとは言っても、バーバラとは結婚の誓約書にサインをした時と、最初のひと月だけ何回か顔を合わせた程度だ。
だが考えてみればもう何か月も顔を合わせていない。もちろんそれは長期任務に就いているのだから仕方のない事とは言え、結婚したと言うのに酷い夫だと、自分でも思った。
しかし、だから、だろうか。
彼女に対して俺はそれほど悪い印象は持ってはいなかった。どちらかと柔らかな印象の、おとなしそうな女性だと記憶している。
それに、俺が毎日帰って来なくても一度も非難された事はないし、たまに顔を見せれば身体を気遣う言葉すらもかけてくれた。たぶん何事もなく引き合わされていたのなら、それなりに幸せな家庭を築いていたかもしれない。
だが、全てはタイミングが悪かった。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
15
お気に入りに追加
5,720
あなたにおすすめの小説
目が覚めました 〜奪われた婚約者はきっぱりと捨てました〜
鬱沢色素
恋愛
侯爵令嬢のディアナは学園でのパーティーで、婚約者フリッツの浮気現場を目撃してしまう。
今まで「他の男が君に寄りつかないように」とフリッツに言われ、地味な格好をしてきた。でも、もう目が覚めた。
さようなら。かつて好きだった人。よりを戻そうと言われても今更もう遅い。
ディアナはフリッツと婚約破棄し、好き勝手に生きることにした。
するとアロイス第一王子から婚約の申し出が舞い込み……。
《勘違い》で婚約破棄された令嬢は失意のうちに自殺しました。
友坂 悠
ファンタジー
「婚約を考え直そう」
貴族院の卒業パーティーの会場で、婚約者フリードよりそう告げられたエルザ。
「それは、婚約を破棄されるとそういうことなのでしょうか?」
耳を疑いそう聞き返すも、
「君も、その方が良いのだろう?」
苦虫を噛み潰すように、そう吐き出すフリードに。
全てに絶望し、失意のうちに自死を選ぶエルザ。
絶景と評判の観光地でありながら、自殺の名所としても知られる断崖絶壁から飛び降りた彼女。
だったのですが。
「あなたのことはもう忘れることにします。 探さないでください」〜 お飾りの妻だなんてまっぴらごめんです!
友坂 悠
恋愛
あなたのことはもう忘れることにします。
探さないでください。
そう置き手紙を残して妻セリーヌは姿を消した。
政略結婚で結ばれた公爵令嬢セリーヌと、公爵であるパトリック。
しかし婚姻の初夜で語られたのは「私は君を愛することができない」という夫パトリックの言葉。
それでも、いつかは穏やかな夫婦になれるとそう信じてきたのに。
よりにもよって妹マリアンネとの浮気現場を目撃してしまったセリーヌは。
泣き崩れ寝て転生前の記憶を夢に見た拍子に自分が生前日本人であったという意識が蘇り。
もう何もかも捨てて家出をする決意をするのです。
全てを捨てて家を出て、まったり自由に生きようと頑張るセリーヌ。
そんな彼女が新しい恋を見つけて幸せになるまでの物語。
その眼差しは凍てつく刃*冷たい婚約者にウンザリしてます*
音爽(ネソウ)
恋愛
義妹に優しく、婚約者の令嬢には極寒対応。
塩対応より下があるなんて……。
この婚約は間違っている?
*2021年7月完結
【完結】政略結婚だからと諦めていましたが、離縁を決めさせていただきました
あおくん
恋愛
父が決めた結婚。
顔を会わせたこともない相手との結婚を言い渡された私は、反論することもせず政略結婚を受け入れた。
これから私の家となるディオダ侯爵で働く使用人たちとの関係も良好で、旦那様となる義両親ともいい関係を築けた私は今後上手くいくことを悟った。
だが婚姻後、初めての初夜で旦那様から言い渡されたのは「白い結婚」だった。
政略結婚だから最悪愛を求めることは考えてはいなかったけれど、旦那様がそのつもりなら私にも考えがあります。
どうか最後まで、その強気な態度を変えることがないことを、祈っておりますわ。
※いつものゆるふわ設定です。拙い文章がちりばめられています。
最後はハッピーエンドで終えます。
挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました
結城芙由奈
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】
今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。
「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」
そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。
そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。
けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。
その真意を知った時、私は―。
※暫く鬱展開が続きます
※他サイトでも投稿中
忘れられた幼な妻は泣くことを止めました
帆々
恋愛
アリスは十五歳。王国で高家と呼ばれるう高貴な家の姫だった。しかし、家は貧しく日々の暮らしにも困窮していた。
そんな時、アリスの父に非常に有利な融資をする人物が現れた。その代理人のフーは巧みに父を騙して、莫大な借金を負わせてしまう。
もちろん返済する目処もない。
「アリス姫と我が主人との婚姻で借財を帳消しにしましょう」
フーの言葉に父は頷いた。アリスもそれを責められなかった。家を守るのは父の責務だと信じたから。
嫁いだドリトルン家は悪徳金貸しとして有名で、アリスは邸の厳しいルールに従うことになる。フーは彼女を監視し自由を許さない。そんな中、夫の愛人が邸に迎え入れることを知る。彼女は庭の隅の離れ住まいを強いられているのに。アリスは嘆き悲しむが、フーに強く諌められてうなだれて受け入れた。
「ご実家への援助はご心配なく。ここでの悪くないお暮らしも保証しましょう」
そういう経緯を仲良しのはとこに打ち明けた。晩餐に招かれ、久しぶりに心の落ち着く時間を過ごした。その席にははとこ夫妻の友人のロエルもいて、彼女に彼の掘った珍しい鉱石を見せてくれた。しかし迎えに現れたフーが、和やかな夜をぶち壊してしまう。彼女を庇うはとこを咎め、フーの無礼を責めたロエルにまで痛烈な侮蔑を吐き捨てた。
厳しい婚家のルールに縛られ、アリスは外出もままならない。
それから五年の月日が流れ、ひょんなことからロエルに再会することになった。金髪の端正な紳士の彼は、彼女に問いかけた。
「お幸せですか?」
アリスはそれに答えられずにそのまま別れた。しかし、その言葉が彼の優しかった印象と共に尾を引いて、彼女の中に残っていく_______。
世間知らずの高貴な姫とやや強引な公爵家の子息のじれじれなラブストーリーです。
古風な恋愛物語をお好きな方にお読みいただけますと幸いです。
ハッピーエンドを心がけております。読後感のいい物語を努めます。
※小説家になろう様にも投稿させていただいております。
どうやら婚約者が私と婚約したくなかったようなので婚約解消させて頂きます。後、うちを金蔓にしようとした事はゆるしません
しげむろ ゆうき
恋愛
ある日、婚約者アルバン様が私の事を悪く言ってる場面に遭遇してしまい、ショックで落ち込んでしまう。
しかもアルバン様が悪口を言っている時に側にいたのは、美しき銀狼、又は冷酷な牙とあだ名が付けられ恐れられている、この国の第三王子ランドール・ウルフイット様だったのだ。
だから、問い詰めようにもきっと関わってくるであろう第三王子が怖くて、私は誰にも相談できずにいたのだがなぜか第三王子が……。
○○sideあり
全20話
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる