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第17章 壊心少女〈インアレクシア〉

リンネの帰還

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「はー参ったなぁ……」
 放課後。
 ソーマは困り顔でため息をつきながら、家までの道のりを歩いていた。
 今日の帰り道はソーマ1人。
 いつも一緒のユナは、退院後の定期診断で午後から早退している。
 コウとナナオも放課後は2人でどこかに出かけるらしかった。
 学校では今まで通りソーマとツルんでいるコウとナナオ。
 だがソーマも一緒にいて、ハッキリわかった。
 2人の間の、特別なみたいなものが、どんどん大きく育っていくのを。
 親友2人の幸せそうな顔は、見ていて嬉しくもあり……ちょっぴり寂しくもあり、複雑な気持ちだった。
 もっとも、今ソーマが頭を悩ましているのは、そんな幸せ案件・・・・に関することではなかった。

 ――こ、これだけあれば、おにぎりくらいは……てゆーか今はこれしか……!
 ――すまない、かたじけない御崎ソーマ!

 昼休みの屋上で、いきなりソーマの目の前に現れて……そのまま空腹でヘタリこんでしまったマティスに。
 ソーマは財布に残っていたなけなしの200円を手渡して、どうにかマティスの頼みに応じた。
 電子マネーにはまだ2000円以上は残っているはずだが、これを渡してしまうと今度はソーマが立ち行かない。
 ソーマからもらった200円に泣きそうな顔で礼を言いながら、マティスは現れた時と同様、音もなく秋の空に消えていった。
 アニメやゲームのコスプレみたいなあの恰好でも、コンビニでおにぎりくらいは買えるだろう。
 こんな感じだと……ソーマは頭を抱える。
 あの様子では、マティスはそれこそ毎日ソーマにタカって来かねない。
 父親から月々振り込まれるソーマの生活費にだって、限りがある。
 このまま毎日マティスに小遣いを手渡すようなことになったら……ソーマはゾクッと寒気がする。
 
 ルシオンの兄、マティス・ゼクト。
 不思議な長剣を自在に操る物凄い剣士であることは、昨日の戦いでソーマも重々承知しているが……
 こっちの世界にいる間、せめて自分の食い扶持くらいは自分でどうにかして貰わないと。
 あの能力スキルを活かせる、仕事でもあればいいのだが。
 
 それにしても……
 マティスの生活能力のことはとにかく、彼と屋上で交わした話に、ソーマは大きく心動かされていた。
 剣士マティスが追っている許嫁の仇……『頭が双つある』という謎の男。
 そしてソーマの雷撃ライトニングで滅びたはずの蛇人ナーガの巫女プリエル。
 ゼクトパレスでコゼットから聞いた話では、いまだに生きているという、あのおぞましい少女とマティスが追う男には、繋がりがあるという。
 そして彼がソーマに語った、ある計画・・・・さえ上手く行けば。
 マティスの仇と、ルシオンが追う蛇人ナーガの巫女を同時にあぶり出せる・・・・・・かも知れないというのだ。
 
 おそらくは……あのクロスガーデンや御珠ランドの惨劇の元凶。
 罪もない大勢の人々の命を奪った怪物災害モンスターディザスターを引き起こした黒幕を、ソーマの手で止められるかもしれないのだ!
 
「プリエル・セルパン……あんな恐ろしいヤツが、まだ生きていて……この世界で野放しに!」
 あの、桃色のケープをまとった紅髪の少女の顔を思い出しただけで。
 ソーマは全身が総毛だって、吐きそうなほどおぞましい気分になってくる。
 プリエルの操るアビムの赤蛇の猛毒で……クロスガーデンでは112人もの一般市民が犠牲になっているのだ。
 ソーマがマティスに協力しさえすれば……そんな悲劇はもう2度と起こさずにすむかもしれない……!

「でも……今はダメだ……!」
 ソーマは昂る気持ちを抑え込むようにそう呟いて、しきりに首を振った。

 今はまだ、危険な事に身を投じることはできなかった。
 今日は駄目だ……明日も、明後日も、一週間か二週間は。
 とにかく今のソーマは、家のこと・・・・だけを考えるので手いっぱいだった。

 今日は……そしてこれからの数日は。
 ソーマにとって……いや御崎家にとって、とても大事な時期になるはずだったから。
 
「掃除は……一昨日ほとんど終わってるし、あと今日は、買い物だよな。冷蔵庫の中ガラガラだし。あとお風呂は……やばい、今月洗ってない!」
 ブツブツとそんなことを呟きながら、ソーマが家路を急いでいた、その時だった。

「じ……時間通りか、約束のブツは?」
「ああ、ここにちゃんとあるぜ、まずは現金カネ払いな。3000円だぜ」
「うん……?」
 道端から聞こえてきた怪しげな会話が気になって、ソーマは思わず足を止めた。

「アイツは……!」
 そして路地裏の物陰に立った2つの人影に、ソーマの目が驚きに見開かれていた。

「アイツ……あの声!」
 路地裏の物陰でなにやらヒソヒソとやり取りをする人影に、ソーマは驚きの声を上げていた。
 1人は若い女のようだった。
 ロングコートをスラリと着こなしたグラマラスな長身に、輝くような金色の髪。
 目元は真っ黒なグラサンに隠されていた。
 そしてその女を見上げて彼女に何かを手渡しているのは……
 女の半分にも満たない小さな体躯に、ズダ袋みたいなボロ布をまとった、まるで直立するミノムシみたいな奇怪な姿。
 見間違いようがない、いつもマティスと一緒にいる小さな忍者。
 病葉リッカが、長身の女が支払った3000円を受け取りながらボロ布から取り出したいくつもの薬包紙を女に渡していくのだ。
 そしてソーマには……目元をグラサンで隠していても、その声にも、そのグラマラスな体つきにもハッキリ覚えがあった。

「レモン・サウアー!」
「わっ! なんだお前!?」
 思わずそう叫んでしまったソーマの声に、女が体をビクッとさせてこっちを振り向く。
 リッカに3000円を渡して、彼女が調合したらしい薬を受け取っているのは……
 あのナナオをさらった犯罪王、アルバート・ベクター教授のボディガード。
 レモン・サウアーの姿だった。
 スカイタワー御珠の戦いで、氷室マサムネの拳に倒されて……
 そのまま警察に逮捕されたはずなのに!
 まさか脱走……それとも司法取引か?

「まずい! 見られた!」
「あ、お客さん!?」
 呆気にとられたソーマの体が一瞬固まったその隙を逃さず。

 タンッ!
 レモンは人間離れした跳躍を見せると、驚きの声を上げるリッカの頭上を軽々と飛び越えて……
 そのまま通りを隔てたの塀の向こうに姿を消してしまった。

「あ。ま……待て!」
 ソーマは慌てて路地裏のリッカのところまで駆け寄って、レモンを追いかけようとするが。
 もう彼女の姿も気配も、ここからは辿りようがなかった。

「おいおい、人の商売を邪魔すんなよ……ルッちゃんの中のヤツ」
「な……中のヤツって言うな! それよりもその……リッカ?」
 小さな拳を振り上げて、ソーマに抗議するリッカ。
 ソーマは小さな忍者を見下ろして、呆然とするしかない。

「こんな場所で、なにやってんだよ? それにさっきのアイツは? なんでアイツとお前が……」
「だから言ってんだろ、商売だって! こっちの世界でも少しは稼がないと……マッちゃんが腹空かせて死んじまうだろ?」
「商売……マティスのために!?」
「ああ、おいらは薬師くすしとしての腕は超一流なんだ。こっちの世界でも十分やっていける。さっきのは、おいらのお客・・の第一号さ」
 驚きの声を上げるソーマに、リッカは得意満面で胸を張った。
 この小さな忍者は、マティスの身を案じて人間の世界で商売をしようというのだ。
 献身的というか、健気というか……ソーマにとってもありがたい、深イイ話といえばそうなのだが……
 その、お客・・というのが大問題だった。

「リッカ、さっきのアイツとは、どうやって知り合ったんだ? それといったい……何の薬を売ったんだ!」
「別に、ただのタマタマさ。この辺で露店を出す場所を探してたら、むこうがおいらを見つけて声をかけてきたんだ。おいらが深幻想界シンイマジアの出だってのも知ってたみたいだし……こっちの世界には無い、おいらだけが調合できる薬が欲しいんだって……」
「その薬の効果って……?」
「安心しなよ、人間に害になるようなモンは渡してねーから。えーと今日渡したのは、猫感冒ニャンフルエンザの予防薬と、ネコの腎臓の薬と、あと虫下しと、ノミ・マダニ駆除用の……」
「ね……ネコ……!」
 指折り数えて、今日売った商品を上げていくリッカの声に。
 ソーマは全身の毛がサーッと逆立つのがわかった。
 なんだかもう、イヤな予感しかしない。

「と……とにかくもう、アイツが来ても何も売ったらダメだ! アイツは犯罪者で……つまり悪い奴なんだから、こんど会ったら俺にすぐ教えろ!」
「えー。何でお前が決めちゃってんだよ、ルッちゃんの中のヤツ。それに……」
 リッカに向かって、そう念を押すソーマに、小さな忍者は不満タラタラだった。
 そして急に、リッカの声が小さくなった。

「いまマッちゃんが居なくなると、おいらも困るんだ。まだアイツからは……いろいろ習って覚えることが……あるんだから」
 そう呟くリッカに、ソーマは首をかしげた。

「え……覚えるって、何を?」
「だから剣だよ、マッちゃんの剣!」
 ソーマの問いかけに、リッカは両手で何かを構えるよう素振りをしながら熱っぽい声を上げた!

「あの物凄い剣を覚えて、おいらは強くなる! マッちゃんよりも、他のどんなヤツよりもだ!」
「誰よりも……でもいったいどうして……」
「おいらは……父ちゃんも母ちゃんも、もういないんだ。おいらの故郷は……地虫衆の里は、戦で焼かれたんだ」
「…………!!」
 小さくそう呟いたリッカの声に、ソーマは言葉を失っていた。

隠忍領ニンジャラントを統べる魔王ゴクエンサイは、密かに力を蓄えて謀反の機会を狙っていた地虫衆の首領ダグバの動きを決して見逃さなかった。だから自分の軍団を差し向けて里の忍者もろとも首領を討ち滅ぼした……何も知らなかったおいらの父ちゃんや母ちゃんまで……そんな話は……ずいぶん後になって知ったんだけどな」
 まるで自分に言い聞かすようにポツリポツリとこぼれていくリッカの言葉。
 この小さな少女には、ソーマには想像もつかないような苛烈な過去があるみたいだった。

「だからおいらは……強くなりたいんだ。マッちゃんの剣を覚えて、誰よりも強く……そしていずれは、あの恐ろしいゴクエンサイを追い落として、俺が成り上がってやる。隠忍領ニンジャラントの新たな魔王に! だからこんな場所で、マッちゃんに死なれたら困るんだよ!」
「そ……そんな理由で……!」
 それ以上、ソーマはリッカにかける言葉が見つからない。
 まだ学校に上がる前くらいの、この忍びの少女の小さな胸には、そこまで激しい野望の炎が燃えていたのだ。

「だからお前も、どこか調子が悪かったり眩暈めまいや立ちくらみがしたら、おいらに言え。よーく効くのを処方してやるからな、ルッちゃんの中のヤツ!」
「だから、中のヤツって言うなって! でも……」
 ソーマを見上げてニッと笑うリッカにようやくそう答えて。
 ソーマはふと……何かにすがるようにリッカに言葉を続けた。

「確かに凄かったよな、お前の薬。あのアレクシアにも凄く効いたみたいだし。その……どんな病気でも効くのか……例えばその……魔法で酷く体調を崩してしまうとか……心のバランスをなくしてしまうとか……そういうのにも?」
「うーん。そんな病気は深幻想界シンイマジアじゃ見たことないから、なんともだけど……まあ実際に病状を見て少しずつ処方を変えて、様子を見るしかねえかな……」
 ソーマの質問に、リッカはポリポリ頭をかきながら首をかしげた。

「そ、そうだよな、当たり前か」
 リッカの答えに、ソーマは深く息を吐いた。
 アレクシアを救ったリッカの腕前を思い出して。
 一瞬、ソーマの心にパッと何かの光がともった気がしたのだが。
 冷静に考えてみれば、異世界からやってきた忍者の薬になんとか・・・・して欲しいなんて、やっぱりムシが良すぎる話だ。

「まあそんな気を落とすなよ! 何か助けになれることがあったら、すぐに言えよ。格安・・で色々相談に乗るからな!」
 路地裏をトボトボと、再び家路むかって歩き出したソーマの背中に、リッカの元気な声がかかってきた。

  #

「部屋の掃除、よし。お風呂、トイレ、よし。戸締り、よし……!」
 自分の家に帰りついたソーマが、指さし確認をしながら家内のもろもろをチェックしていた。
 裏路地からここまで、どこにも道草せずにまっすぐに、ソーマは家に帰ってきていた。

 少しでも魔法の力を感じさせる触媒マテリアは、ソーマの銀色の十字架クロスも含めてすべて自分の部屋に片づけてある。
 部屋の掃除もソーマにしては、かなり頑張った方だ。
 窓一面には、外からの余計な魔法の反射を遮断するスモークグレイの断魔フィルムが貼りつけ済みだ。
 担当医からは、かなり体調が良くなったと聞いてはいても、油断は禁物だ。
 御珠病院の特殊病室とこの家では、設備も外の環境も全然違うのだから。
 彼女・・を再びこの家に迎え入れるのに、注意して、し過ぎということはない。
 それだけ……デリケートな体なのだ。

「病院を出るのが15時になるって言ってたから、そろそろかな……」
 ソーマはソワソワしながら、リビングの置時計を眺める。
 胸の中から、待ちきれないような、何かに焦がれるような……どうしようもなく熱い・・気持ちが湧きあがってくる一方で。
 なんだか気まずいような、不安なような、ヒンヤリとした何かがソーマの背筋を走る。

「もう……何やってるんだ、少し落ち着け俺!」
 ソーマはブンブン頭を振って、どうにか自分を落ち着かせる。
 取り越し苦労に決まっている、あの日のアレは、何かの思い違いだったのだ。
 あれはソーマの夢だった……もうそんな気すらしてきた。
 そうだ、父さんも言っていた……もうすっかり良くなったって言ってたじゃないか。
 これまでと同じだ、きっとみんな・・・上手くいく……!
 外の様子をしきりに気にしながら。
 ソーマが頭の中で、何度も同じ言葉を繰り返していた、その時だった。

 サアアアアア……
 家の外で……御崎家の門前で、何かが停まる気配がした。

「……さん……?」
 ソーマはかすれた声を上げて、リビングのソファーから跳ね上がる。
 リビングを飛び出して、玄関口に通じる廊下に立ったソーマの前で……ガチャン。
 戸口の鍵を開ける音が、ソーマにはやけに大きく響いて聞こえた。
 そしてフッ……と、ソーマの鼻孔を、夏水仙みたいに涼やかな甘い匂いがかすめた。

「姉さん……!」
 そして父親のタイガと一緒に、御珠病院から帰って来た彼女・・の姿に、ソーマは我知らず声を詰まらせていた。
 懐かしさと……温かな安堵の気持ちがソーマの胸をいっぱいに満たしていた。
 病室のベッドから体を起こすのも辛そうだった彼女が、スラリとした自分の足でしっかりと、ソーマの前に立っていた。
 透き通って消えてしまいそうだった白い肌に、今はかすかな血の色と艶やかさが戻っていた。
 
「ソーマ。ただいま、ソーマ……」
 ザザアアアア……
 玄関から吹き込んだ秋風が、夜の闇を流したようなその少女の長い髪をなびかせていた。
 まるで人形のように整った美しい顔が、まっすぐソーマを向いていた。
 黒目がちな切れ長の目が、ジッとソーマの目を見つめていた。
 薔薇の花弁のようなその唇から、鈴を振るような澄みきった声で。
 その少女は、ソーマに自分の帰還を伝えていた。

 ソーマの姉、御崎リンネが帰ってきたのだ。















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