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第17章 壊心少女〈インアレクシア〉

剣士の疑惑

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「あのーユナ……? ねえユナってば……」
「…………」
 チュン……チュン……チュン……
 電線にとまったスズメたちのさえずりの中。
 ソーマとユナは降り注ぐ朝の日の下、学校への登校路を一緒に歩いていた。
 あれから一夜が明けていた。

 祝日だった月曜日から一転。
 今朝の2人が歩くこの通りは、駅や学校に向かうサラリーマンや学生の姿でひっきりなしだ。
 
 ソーマは自分の前を歩くユナの背中に、恐る恐る声をかけていた。
 その、通学路に流れる空気が、今朝はなんだか張り詰めている。
 いつものように、玄関先でソーマと落ち合って歩き出してから。
 ユナが一言も、ソーマに口を開いてなかった。
 ユナ、もしかして……怒ってる?
 昨日彼女に何も言わないで、1日どこかに行ってたことを……
 もしかして、怒ってる!?

「えーとユナ、あの……その……」
「別に、怒ってないし。ねえソーマ……」
「……ヒグッ!」
 まるでソーマの心を見透かしてるみたいに。
 背中越しに今日初めてユナが発した声に、ゾーマは全身がビクッとする。

「昨日はいったい、どこに行ってたの? 朝から夜までずーっといないし。電話してもつながらないし」
「いや、その、それは……!」
 ユナがソーマの方を振り返った。
 何の表情も浮かんでいないユナの顔がジットリした目でソーマをのぞき込んでいた。
 
 い……言えない。
 本当のことなんて……言えるワケない!
 ソーマは心の中で((;゜Д゜))ガクブルしながら、必死で言い訳を考える。
 昨日の昼間はアレクシアと御珠ランドに行って……色々あって夜遅くまでアレクシアと過ごしていたなんてこと……
 どんなにやむを得ない事情があったにせよ、ユナに言えるわけがない!

「その……ほらユナ、実は……練習してたんだ」
「練習? いったい何の?」
「ほら、前にも話したじゃん……腹話術の。家でも人のいるところでも、なんか恥ずかしいし。だから御霊山の空き地でずっと……」
 ああ、自分でも呆れるくらい、ムチャクチャな言い訳だ!
 ソーマは心の中で頭を抱えた。だが……

「腹話術……なぁんだ、そうだったんだ! すっごい偶然!」
「え……?」
 ソーマをのぞき込んでいたユナの顔が、パァッと明るくなった。
 
「リンネさんも帰って来るものね。ソーマ、あと時の練習ずっと続けてたんだね。リンネさんのために準備を……!」
「あ……あうあう、あううん」
 思いのほか素直にソーマの話を信じたらしいユナ。
 なんだか曖昧な返事をしながらコクコクうなずくソーマの目の前で、ユナはスクールバッグの中からゴソゴソ何かを探し始めた。

「じゃあソーマ、はいこれ! 昨日ソーマに渡そうと思ってたのに、ずっと家にいないんだもん……」
「えーコレは、ユナ……?」
 ユナがバッグから取り出した紙袋を、笑顔でソーマに手渡した。
 ソーマがオズオズと中身を確認すると、袋から出てきたのは……

 モフモフした緑色のカエルと、白黒柄のウシの人形パペットだった。

「腹話術の人形……!?」
「エヘヘ、どうソーマ。わたしが手作りしたんだよ?」
 つぶらな瞳のかわいい2匹の人形パペットの姿に、ソーマは息を飲む。
 人形……しかも2匹!
 なんだか要求されるパフォーマンスのレベルが、一気に跳ね上がった感じがする。
 まずい……腹話術、本気で練習しなくちゃ!
 でもいったい何時、どうやって……?
 屈託のない笑顔をしたユナの前で、ソーマの額に冷たい汗が浮かんだ、その時だった。

「あ、ソーマくん。委員長ー!」
「お、ソーマ!」
「ナナオ、コウ……!」
 耳元をかすめる馴染みのある声に、ソーマは顔を上げる。
 前を歩いていたナナオとコウが、ソーマとユナに気づいて手を振っていた。

  #

「ニュース見たかソーマ。昨日のアレ、凄かったなあ!」
「すごく怖いよ……行方不明者38人だなんて、この前のクロスガーデンもそうだけど、いったいどうしちゃったんだろうね、この街は……」
「あ、ああ、そうだな……」
 聖ヶ丘中学校にたどりついて。
 SHR前の教室は、昨日御珠ランドで起きた事件のことで、もちきりだった。
 前の席と後ろの席では、コウが興奮した面持ちで、ナナオが眉をひそめながら。
 それぞれのスマホに映された、昨日の事件の映像をのぞき込んでいる。

 ソーマもまた自分のスマホのディスプレイをながめながら、改めて全身に鳥肌が立っていた。
 あの時、園内にいた誰から撮影した映像が、もうすでに動画サイトにアップされて拡散していたのだ。
 スマホのカメラが記録していたのは、御珠ランドでうごめく巨大なヒドラの姿と……
 その首を次々に切り落とした挙句、図太い蛇体を叩き潰すルシオンの兄、マティス・ゼクトの姿だった。
 当然、ルシオンやアレクシアを撮影した動画も山のようにアップされていた。
 異世界からやってきた怪物モンスターの存在は、それまでみんな知っていたとして……
 彼らとは別の者・・・……明確な意思を持って怪物と戦う魔族イマジオンと、異能の力を振るう不思議な少女アレクシアの存在は、もう世界中の人間に知られることになってしまっていた。

「マティスの剣……何度見てもすごいな……」
(だろ、だろ? 凄いだろ兄上の剣は!)
 コウにもナナオにも、誰にも聞こえないくらい小さな声で感嘆の声を漏らすソーマに。
 彼の中のルシオンも誇らしげな様子で合いの手を入れてきた。

「それにしても……」
 ディスプレイに映し出されたマティスの姿……その異容・・に、ソーマは眉をひそめる。

「ルシオン、お前の兄さんのマティスって……どうして右腕だけ……怪我とか、戦いで無くしたとか、それとも生まれつき……」
(いや、そうではない。アレは兄上の名誉の証し……『皆伝』の証なのだ!)
 少しデリケートな質問を、おずおずとルシオンにぶつけるソーマ。
 だがルシオンはまったく気にする様子もなく、あいかわらず誇らしげにソーマに答えた。
 皆伝・・? ソーマは首をかしげる、一体なんのことか意味が分からず、ソーマは再びルシオンに口を開きかけた、その時。

「おーすみんな。今日は全員来とるか……!」
 ――おはよーございます!
 教室の引き戸がガラリと開いて、担任のヒカワが入ってきた。
 挨拶に続いて、SHRが始まる。

「アレクシア……」
 着席した机から、窓の外の景色をボンヤリ眺めながら、今のソーマの頭をよぎるのはアレクシア・ユゴーの事だった。
 あれから大人しく、ちゃんと検査を受けているだろうか。
 次にアレクシアに会えるのは、いつになるだろうか……

 ソーマを見つめる金色の月を宿した、黒灰色の瞳のことが。
 ベッドで寝息をたてる安らかなアレクシアの顔が。
 アレクシアとかわしたくちづけの記憶が。
 ソーマの胸を、再び温かな気持ちで満たしていた。

  #

「ショートコント『焼肉』。あれ、なんか美味しそうな匂いがするぞ……なんだウシくんが火事かぁ……って、駄目だ駄目だ駄目だ!」
 昼休み。
 給食の後、1人で校舎の屋上にやってきたソーマが、困った顔で頭を抱えていた。
 ソーマの両手にはまっているのは、今朝の登校路でユナから渡されたウシとカエルの人形パペットだった。
 ユナにテキトーな嘘をついてしまったせいで、腹話術の練習をするはめになっってしまったソーマだったが……
 どう頭を振り絞ってみても、いつかどこかで見たようなコントのパクリしか出てこない!
 おまけに声色もぜんぜん使い分けられてないし、口元の動きも隠せてないし。
 そもそも、いきなり人形パペット2匹ってゆうのはレベルが高すぎるのでは……?
 やっぱり基礎からミッチリやらないと。
 そう思いなおしたソーマが、自分のスマホで練習用の動画をポチポチ検索していると。

(まぁったく……なんでそんな面倒くさいことをやっているのだ、ソーマ?)
 給食の『きつねうどん』と『竹輪の磯部あげ』の味に満足しきった様子のルシオンが、ソーマの中から眠たそうな声をかけてくる。
 
違う声・・・を出したいんだったら、お前たちの魔法を使えばいいだけの話ではないか。ほら……『幻惑系』というヤツでチャチャッと)
「……いやルシオン。魔法を使ったら意味ないんだよ、こういう芸は、素人芸でもズルせずキチンとやりきって見せないと、見ている方もすぐに気がついてシラけてしまうモノなんだ……」
(フーン、そういうモノなのか。まったく人間の慣習というのは、どうもよくわからんな……)
 ソーマはいぶかるルシオンに、そう答える。
 動画サイトで見つけた、茨城県在住のプロの腹話術師『けん坊』さんの入門用動画を熱心にマネするソーマに、ルシオンは不思議そうな声を上げていた。

「はー『パピプペポ』はハードルタカ! 絶対無理だろこれ脚本ホンで誤魔化さねーと……にしても……」
 基礎編にひとしきり目を通して、道のりの長さにため息をついたソーマはスマホから顔を上げた。

「静かだなあ……」
 屋上から一望できる御珠の街並みを見回して、ソーマはポツリとそう呟く。
 いま屋上に居るのはソーマ1人きり。
 澄み切った青空にからサンサンと降り注ぐ日の光の中で見渡す街の景色は、平和そのものだった。

 つい昨日、御珠ランドで起きた怪物災害モンスターディザスターの惨劇も。
 死にかけたアレクシアの心の中に広がっていた地獄のような恐ろしい景色も。
 今、この場にいるとなんだか夢か幻だったような気もしてくる。

「でも全部……本当の事なんだ……!」
 ソーマはしきりに首を振って、ギリリと奥歯をかみ合わせ、緩みかけた気分を引き締めた。
 もうソーマにも、御珠ランドの怪物災害モンスターディザスターが偶発的な事故だとは、とても思えなかった。
 何者かがソーマとルシオン……あるいは行動を共にしていたアレクシアを監視していたのだ。
 そしてソーマたちが観覧車に乗り込んだ隙をつくように……まるでソーマたちを試す・・ように。
 あの恐ろしい多頭蛇ヒドラを、御珠ランドの園内に呼び寄せたのだ!

「ルシオン、お前たちの使うその……『召喚』っていったい何なんだ、何のために……?」
(うむ。召喚とは、深幻想界シンイマジアの国々で、諍いや戦争が起きたときに使われる戦術のことだ。あらかじめ捕獲た知能の低い怪物モンスターに特殊な『マーキング』を行い、対応するマークの『召喚石』を使うことで、速やかに戦場に呼び寄せて敵軍をかく乱するのが目的だ。だが……)
「だが?」
(これといった接界点ゲートも無いのに、深幻想界シンイマジア側のモンスターをこちら側・・・・の世界に呼び寄せるなんて……それもあんなに巨大な、エキドニアのヒドラを! よほど巨大で強力な召喚石でもなければ、考えられない話だ。並みの術者が何度も使えるワザじゃない……!)
 そんな凄いことを……いったい何が目的で、何のために……!?
 ルシオンの言葉に、ソーマは改めて息を飲む。
 40人近くが犠牲になった、恐ろしいヒドラを……まさか……
 ソーマとルシオンを試す・・、ただそれだけのために!
 暖かな日の光の下にいながら、ソーマは全身にゾーッと鳥肌が立つのがわかった、その時だった。

「そのことは、私もおかしいと思っていたんだルシオン……いや、今は『御崎ソーマ』か……」
「おわあっ!」
 いきなり背中からかかってきた声に、ソーマが悲鳴を上げてその場から跳び上がると。
 音もなく、何の気配も感じさせず。
 ソーマの背後に立っていたのは、ゆったりとした若草色の着物をなびかせた、輝くような銀髪をした美貌の青年だった。
 ルシオンの兄……インゼクトリアの第1王子、マティス・ゼクトの姿だった

「あの時、ヒドラが現れたあの場所に君とルシオンが居合わせたことは、私にも偶然とは思えないのだ。御崎ソーマ……ルシオンの依代ヨリシロよ」
「マティス……いったい何時から……!」
 音もなく、気配も感じさせず……おそらくは空からこの場所に降り立ったマティスにソーマは驚きの声。
 銀色の髪を秋風になびかせた美貌の青年のウルフェナイトのような瞳が、厳しい光をたたえてソーマを見つめていた。

「うむ、あの男・・・の匂いを『鼻石』に探らせるために、このあたりを飛び回っていたら、たまたま君の姿を見つけてな。昨日はゆっくり話す時間もなかったし、いい機会だと思ってな」
「……って、ちょっと、その恰好・・・・で空を……!」
 淡々とした声で答えるマティスに、呆れ顔のソーマ。
 サムライのような若草色の着物に、背中から広がった透明な翅。
 腰に下げているのは、優美な細工の施された鞘に収まった長剣。
 まるでアニメかゲームのコスプレみたいな恰好で、本当に昼間っから堂々と御珠の上空を飛び回っていたというのだ。
 怪しすぎるというか、危なっかしいことこの上ない。

「私があの場所に辿り着いたのと同時に、私の追う男の匂いが消えたのも引っかかるし、召喚された魔物がエキドニアのヒドラだったのも……なにか明確な思惑を感じる。そう……明確な悪意の思惑を!」
(やはり……兄上もそう思いますか!)
「ああルシオン。ヒドラの血は体内の魔素エメリオの流れを狂わす猛毒だ。あの魔物を召喚した者は、その血が必要だったのだ。そいつの狙いは、お前だったのだルシオン。いや、正確には……」
 マティスの言葉に、ソーマの中のルシオンも声を震わせていた。
 第2王女ビーネスの時と同じだった。
 マティスと、ソーマの中のルシオンは直接言葉をかわさなくても、互いの考えをやり取りできるようだった。
 そのマティスが、何かを言いずらそうな顔で、ソーマに向かって再び口を開いた。

「恐らくは……そいつの狙いは君だ、御崎ソーマ、ルシオンの依代ヨリシロ……!」
「お……俺が!?」
 マティスの口から発された言葉に、ソーマは悲鳴にも似た驚きの声を上げた。

「ああ、そうだ。ルシオンから聞いた通りだった。魔素エメリオの希薄なこの世界で、何故かは知らんが君の体は……まるで輝くような魔素エメリオの塊だ。そんな君の体があのヒドラの血に触れたら……いったいどれほどの力の暴走を引き起こすことになるか、見当もつかない……」
「…………!?」
 マティスの話の意味するところの恐ろしさに、ソーマは唖然として言葉を失っていた。
 ソーマの脳裏をよぎるのは、自身の能力……空間断裂ラプチャーの暴走に恐怖して、自らの命まで断とうとしたアレクシアの痛ましい姿だった。
 アレクシアは、ソーマに先んじてヒドラに戦いを挑んだがゆえに……ソーマの身代わりになったに過ぎないというのだ!
 もしあの時ヒドラの血を浴びたのが、アレクシアではなく、ルシオンと肉体を共有したソーマだったとしたら……
 いったいソーマの身には、どれほどの事が起きたというのだろう。
 ソーマ自身にも、想像もつかなかった。

 それに……何よりも……それに……
 ソーマは自分の歯がカチカチと震え出すのを抑えきれなかった。
 あんな恐ろしいマネをしたヤツの狙いは、インゼクトリアの王族であるルシオンでもマティスでもなく……
 ソーマ自身だというのだ!
 じゃあ、ソーマがこの街に居る限り……いや、どこに行ったとしても……
 昨日のような大惨事が、また何度でも起こりえると……
 いつも歩いている街中でも、もしかしたら学校でも……!

「そんな……じゃあ俺、一体どうしたら……!」
「わからない、今はまだ何とも……」
 恐怖に顔を歪ませて、すがるような目でマティスを見るソーマ。
 美貌の剣士はソーマを見つめて、厳しい表情で首を振った。
 
「だが1つだけ……昨日の戦いで確信したことがある」
「え……」
 マティスがポツリと呟いた言葉に、ソーマは首をかしげた。

隠忍領ニンジャラントの魔王から手に入れた情報……そして我が妹ルシオン・ゼクトが今この世界・・・・にいる理由……私が追っている『双頭の男』は、ルシオンが追っている『邪神の巫女』とともに深幻想界シンイマジアから消えて、この世界に逃れた……君をつけ狙っている存在・・と、私たちが追いかけている存在・・は、おそらく同じモノ。だとしたら……これは逆に……」
「ちょっと、ちょっと、何言ってるかわかんねーよ!」
 まるで自分に言い聞かせるように。
 小声で何かブツブツ呟き始めたマティスに、ソーマが苛立ちの声を上げた、だがその時だった。

「御崎ソーマ。これはチャンスかも知れない。私とルシオンが追う者たちをあぶり出す・・・・・、最大のチャンスかもだ……!」
「え、なにか考えが……!?」
「ああ、だんだん考えがまとまってきたぞ……でも、その前に……」
 ソーマの問いに、力強い声で答えたマティスだったが、次の瞬間には。
 
 グーギュルルルルルルルルルルル……
 マティスの腹が盛大に鳴って、美貌の剣士は屋上にフニャッと、ヘタリこんでしまった。

「は……腹が減った。頼む御崎ソーマ、こっちの世界のカネを貸してくれ……!」
「……って、またそのパターンかよ!」


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