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第16章 七閃剣士〈セブンセイバー〉

隻腕の男

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「あ? なんだって、今なんて言った?」
 悪意のこもった嘲り声が、広場に響いた。

 真っ黒な雲に遮られて月の光もさしてこない、冷たい山間の夜だった。
 集落の広場のそこかしこに掲げられた篝火が、時々パチパチと火花を上げながら、真っ暗な広場の一角をおぼろげなオレンジの光で照らしだしている。
 篝火はその一角に立ったか細い人影を……そそいてその人影をとり囲んだ何十人もの人だかりの姿をユラユラと闇の中に浮かび上がらせていた。

「ヘヘ……よく聞こえなかったんだけどなあニイちゃん。あんた今、俺たちにどーしろって言った? アン?」
 その黒山のような人だかりの中の1人が……大きなクマの毛皮を着込んで暗闇の中、遠目にはケダモノにしか見えない男が野太い声を上げてそう凄んだ。

 ――ガハハハハ……どうなんだ?
 ――どうしろって言うんだ、さあもう1度言ってみろ……!
 男の声と同時に、黒山の人だかりから一斉にどよめき立つような哄笑が巻き起こった。
 男たちがあざ笑っている相手は、彼らが何重にも取り囲んだたった1人……広場の真ん中に立ったか細い人影だった。
 だが、その時だった。

「返してもらうと言ったのだ」
 男たちの放った悪意に満ちた哄笑に、まったく動じる様子もなく。
 人影が、凛とした一声を男たちに返していた。
 高くて澄んだ、よく通る若い男の声だった。

「お前たちが、このあたりの集落から奪ってきた食糧、さらってきた女、子供の身柄。そしてウルヴの山道を渡ろうとする行商隊キャラバンから殺して奪った、金品や財宝、全てをだ……!」
 真っ黒なマントで半身を覆い、フードを目深にかぶって顔立ちもよくわからない青年が、獣の皮を着込んだ男たちを見回してそう言い放っていた。

 ――グハハハハッ……!
 ――ゲヘヘヘ……返す? 返してもらう!?
 青年の声を聞いて、獣皮たちの哄笑が、いっそう大きく荒々しくあたりにこだました。

「ヒーッ! ヒーおかしーッ! 返してもらうって……イヤだって言ったら? 力づくで取り戻すか? ニイちゃん、俺たちが何者だかわかってて、そんな口たたいてんだろーな?」
「わからない。たしかにお前たちは不思議だ。ただの野盗とはワケがちがう……」
 獣皮の男の1人が、ゲラゲラ笑いながらマントの青年を挑発すると……
 青年の方も少し不思議そうに首をかしげながら、まるで自分に言い聞かすようにそう呟いていた。

行商隊キャラバンには護衛もついていた。獅子裂谷レーヴェンタール灰海国グラウミアで募った、腕に覚えのある傭兵たちが。ただの野盗の手に負える相手ではない。ましては行商隊キャラバンごと全滅させるなど……! 本当にお前たちは、何者なのだ? だから私自身の手で確かめる必要があった。お前たちに捕らえられた人質・・の行方を追ってな……」
「ハン、なるほどな。それで俺たちのアジトをアッサリ……。昨日の商隊からいただいた商品・・の中に、お前の息のかかったヤツがいたってことか。ここんとこ獅子裂谷レーヴェンタールだかどっかの密偵が、宿場町をチョロチョロしてるって噂があったけど、ソイツがお前か。だが……」
 青年の言葉の意味に気づいた獣皮の男は少しイラついたように鼻を鳴らしたが、その顔にはすぐに傲慢なニヤニヤ笑いが戻っていた。

「俺たちのアジトを見つけて、それでどうするってんだニイちゃん? お前の主にどうやってそれを伝える? まさか此処から逃げおおせると、本気で思ってんのか? え?」
 男の目に、ギラギラと残忍な輝きが増していく。
 マントの青年を取り囲んだ獣皮の群れが、ジリジリと青年に向かってその距離を詰めてきた。
 だが、その時だった。

「いや、逃げるつもりはない。さっきも言った通りだ……」
 あざ笑う男たちを見回しながら、マントの青年は少しウンザリしたような口調で小さくため息をつくと……

「可及的速やかに、返してもらう・・・・・・!」
 半身にまとっていた黒いマントをバサリと脱ぎ捨てると、獣皮の男たちに高らかにそう言い放った!

「「「……アッ!?」」」
 燃え立つ篝火からゆらめく明かりが、フードの影から露わになった青年の顔を照らし出していた。

 ザワザワザワ……
 獣皮たちの驚愕の声が一斉に騒めき立った。
 だかその声は、篝火の灯に浮かびあがった青年の息を飲むような整った顔立ちにでも……
 青年のつややかな肌の上で波たち蠢き、まるで生きているようにその模様を変化させてゆく青鋼色スティールブルーの入れ墨にでも……
 冷たい夜風にサラサラと流れる、輝くような美しい銀髪にでも……
 獣皮たちをキッとにらみつけた、ウルフェナイトのような深みのあるオレンジの瞳に対するものでもなかった。

 男たちの驚きの声は、青年の美貌ではなく……むしろ青年の異容・・に向けられたものだった。
 マントを脱ぎ捨てたほっそりとした青年の全身がハッキリと……左右のバランスを欠いていたのだ。
 青年の右腕の肩からその下が、まるで根元から切り落とされたように……存在して・・・・いなかった。
 腰につるした鞘から抜き放った、銀色の長剣ロングソードを左手で構えながら。
 全身に青鋼色スティールブルーの入れ墨を輝かせた隻腕の青年は、凄烈に輝いたウルフェナイトの瞳で獣皮の男たちをキッとにらみつけていた。

 ――アハハハハ! 笑わせる!
 ――そんなナリで……そんな剣1本で俺たちに……!
 ――勝てるつもりでいるのか!
 青年の体に、叩きつけるような嘲りと悪意の声。
 そして次の瞬間。

「可及的速やかに……ブッ殺されな!」
 短刀を握った、5人の獣皮の男たちが一斉に青年むかって飛びかかった、その時だった。

 ビシュンッ!
 何かが空を裂くような甲高い音と同時に。
 左手に長剣を握った青年の姿が、その場で陽炎カゲロウのように揺らいだ、と同時に。
 青年に飛びかかった獣皮たちの体……のすべてが、一瞬の時間差もなく空中で両断されていた。

「…………!?」
 何が起きたのか、理解する暇もなかっただろう。
 頭から真一文字に、腰から横一線に、肩から袈裟がけに……
 両断された男たちの体が、ドサドサと地面に転がっていく。

「な……コイツ……!?」
「なにを……なにをしやがった……!?」
 ザワザワザワ……
 青年をとり囲んだ獣皮たちに、みるみる動揺のうめきが広がっていった。

「我が剣流セイバー七縷ナナルあり……」
 そして……。
 左手に握った長剣をユラリと構えながら、美貌の青年は獣皮たちを見回しながら、誰にも聞こえないくらい小さな声でそう呟いていた。

「五の剣は『散躯サンク』。そのヤイバ伸縮自在にしてフェムトに断ち目を刻む剣!」
 ヒィイイイインン……
 男の握った剣の刃先から、かすれた音が漏れ出ていた。
 むき出しになった男の左腕を流れる……生きている入れ墨にも見える彼自身の体液が剣の刃先に流れてゆくと。
 青鋼色に輝いた刃先もまた、まるでそれ自体が生きているかのように細やかに波打ちさざめいて、篝火の炎を妖しく映しだしていた。

 ビシュンッ! ビシュンッ!  ビシュンッ!

 空を切る音が矢継ぎ早に闇夜に渡った。

「ぐああああああッ!」
 隻腕の青年が左手に構えた長剣を振るうそのたびに。
 彼に飛びかかった獣皮を着込んだ男たち……もう数ヵ月も前から国境にそびえたウルヴ山に身を潜め略奪の限りを尽くしていた野盗たちの体が、次々に両断されていく。
 まさに目にも止まらない早さだった。
 輝くような銀髪をなびかせた青年が振るう長剣の切っ先が、一瞬空中で大きくしなって伸びた・・・ように見えてスッ……っと野盗たちの視界から消失すると。
 もう次の瞬間に地面に転がっているのは、驚愕に両目を見開きながらこと切れている……バラバラになった野盗の死骸なのだ。

「グッ……! 離れろ、囲んで仕留めろ・・・・!」
 その野盗たちの中でも、ひときわ大柄な体つきの黒熊の毛皮をかぶった男が、あたりにそう号令した。
 頭の命令の声に、青年を取り囲んだ野盗たちの人の輪がサッと青年から遠ざかった、次の瞬間。

 シュッ! シュッ! シュッ!
 左手に剣を構えて油断なくあたりをうかがう青年の右脇を、何か・・がえぐった。

「これは……!」
 自分を取り巻いた野盗たちが投げ打ってきたモノの正体に気づいて、青年は小さく驚きの声を上げていた。
 マントを脱ぎ捨てた青年の着込んだ銀色の帷子カタビラに阻まれて、地面に落ちていたのは……
 手のひらに収まるほど小さな……鋭い刃先を黒光りさせた、投てき用の奇妙なナイフみたいに見えた。

手裏剣シュリケンか……なるほど、こいつらは……ならば!」
 目にも止まらない、信じられないような体さばきで野盗が投げうってくる手裏剣・・・をかわしながら、青年は何かに納得したように小さくそう呟いていた。

「何をしてる! はやく殺せ! ヤレ!」
 一向に青年を仕留められない野盗たちの攻撃に、彼らの頭が苛立ちの声をあげる。
 今度こそ、必殺の気迫を込めて青年に狙いを定め、頭の号令と同時に野盗たちが一斉に手の内の手裏剣を打ち放った!
 ……その時だった。

 ギッ! ィイィイィイイインン……

「うおあっ!」
 突然あたりに響きわたった異音。
 空中で、いくつもの金属の塊がこすれるような、割れるような奇妙な音に、野盗たちが耳を押さえてのけぞっていた。

「二の剣は『凍砂イズナ』……」

「な……なんだ、てめえは……なにをした!?」
 青年の放った静かな声と、目の前に広がる異様な光景を目の当たりにして。
 黒熊の毛皮を着込んだ野盗の頭は、狼狽の声を上げていた。

「そのヤイバ縦横無尽にして……マッハの飛弾を止む剣!」
 野盗たちが必殺の気迫と共に投げうった無数の手裏剣が……空中で、静止していた。
 いや、よく見れば手裏剣は、空中に伸び上がりザワザワとうごめいた奇妙な何か・・に刺し貫かれていた。
 それは……男たちが狙いをすました美貌の青年の、その左手に握った剣の柄から伸び上がっているモノは……
 青鋼色の長剣の刀身の姿から、一瞬にして解けて・・・空中に広がった、まるで奇怪な銀色のイバラだった。
 青年の構えた剣の刃が、その形を、幾筋もの微細な銀色のひも状へと姿を変えていたのだ。
 青年の体の周囲に、広がり、のたうち、うごめく無数の刃が、その刀身から伸びた薔薇のそれみたいな微細なトゲで、野盗たちの放った手裏剣を全て空中で串刺しにしていたのだ!
 そして、次の瞬間。

「ズアアアアアアアッ!」
 裂帛の気合と同時に。
 青年が野盗たちをにらみながら、自分の左手に握った剣の柄を、思い切り、横なぎに振り下ろしていた。

 ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ!

「「「ギャアアアアアアアッ!」」」
 空中で、無数の何かが風を切る不吉な音と同時に。
 野盗たちの絶叫が、夜の集落全体に響き渡っていた。

「グッガッツガッ……!」
「い……痛てえよおおおっ!」
 あたりを見回せば、青年を取り囲んでいた獣皮の男たちのほとんどが……
 その場に倒れ込み、そしてそのままこと切れていた。
 どうにか絶命を逃れた何人かが、地面を転げまわって苦痛の悲鳴を上げていた。
 野盗たちの胸や頭に深々と突き刺さっているモノ。
 それは彼らが青年に投げ打ち、そして青年が自身の剣で空中に凍止めた鋭利な棒手裏剣だった。

 青年の放った剣のひと薙ぎ。
 その一閃で、幾筋ものうごめく銀色の刀身から解放された野盗の手裏剣が、風を切る音速の刃となって彼ら自身の体を射貫いていたのだ!

「ヒッ! ヒイイイイッ! なんなんだテメー!」
「なるほど、忍者ニンジャの一党か。これが、並みの傭兵団が護衛では相手にならなかった理由か……」
 青年の放った手裏剣の雨を、奇跡的に逃れた野党の頭が恐怖のうめきを上げて後ずさった。
 頭の様子など気にもかけないように。
 銀色の長髪を揺らした隻腕の青年が、倒れた野盗を見回してブツブツ何かをつぶやいている。
 もう頭の他に、五体満足でその場に立っている野盗の仲間……いや忍者の同族・・・・・・はいなかった。

「もう1年になるか……かの『隠忍領ニンジャラント』の領内で起きた内紛で、魔王ゴクエンサイの怒りを買い、故郷を追放された忍びの一族があったと聞く……名は確か『豪羅衆ゴウラシュウ』……」
「な……なにを……なぜそんなことを……!」
 青年が呟いてゆく言葉を耳にして、頭の顔がみるみる恐怖に歪んでいった。

「思い出したぞ、お前たちはソイツらの一党だったな。えーと……お前らは確か豪羅獣爪衆ゴウラケモノヅメシュウの……モグロ! こんな山の中に潜んで野盗のマネゴトとは……いったいどういうつもりだ!」
 美貌の青年の顔つきが、何かを見出したようにスッキリと晴れやかだった。

 ウルフェナイトのような深みのあるオレンジの瞳が、青年から後ずさる忍者の頭……豪羅獣爪衆ゴウラケモノヅメシュウモグロの姿を鋭く見据えていた。

「くそおっ! てめー最初から俺たちの正体を……!」
「ああ、その通りだ……」
 狼狽えた声を上げる忍者の頭モグロを鋭い目で見据えながら。
 隻腕の青年はツカツカの方に歩み寄っていった。

ある男・・・と取引をしていてな。故郷を捨て、忍びの誇りを捨て、辺境の地で無法の限りを尽くしている一族の恥さらし・・・・・・・どもを始末・・して欲しいと。それが、私の探している情報を教える対価だそうだ……」
 シュルシュルシュル……
 青年が左手の剣の柄を一振りすると、幾筋もの茨の蔓のようになって空中で波打っていた剣の刀身が、瞬く間に男の左手に収束して優美な長剣の姿を形作る。
 青年の握った剣は、彼の意志によって自在にその刀身の形を変化させるようだった。

「フン……そこまで知ってるにしちゃあ……詰めが甘い」
「ん……」
 だがその時だった。
 青年は妙なことに気づいて小さく首をかしげた。
 彼の剣戟によって手下を失い、追い詰められる一方のはずのモグロの顔に、不敵な笑みが浮かんでいるのを。
 次の瞬間、ヒュッ!
 モグロが自分の口元に右手を当てて、甲高い指笛を吹いていた。

獣爪衆ケモノヅメシュウを舐めるなよ小僧! 商隊キャラバンに紛れ込んでたお前の手下なんざ、最初からバレバレなんだよ!」
「……あっ!」
 グルルルルルルルル……
 笛を吹いたモグロが、そんの場から大きく飛び退って広場の奥の闇に紛れると。
 あたりに満ちてゆく異様な雰囲気と獣臭・・に気づいた青年は驚きの声を上げていた。

 ゴロゴロと獰猛な唸り声を上げながら。
 夜の集落の闇の中から、集まり青年を取り囲んでゆく何匹もの獣の姿があった。
 闇夜の中で真っ赤な目を光らせた……まるで仔牛くらいの大きさもある、黒い毛皮に覆われたオオカミの群れだった。

「なるほど……野に棲むケダモノたちを、その指笛と唸り声で自由に操ることが出来る。それがお前ら獣爪ケモノヅメの能力だったな…………って!?」
 厳しい面持ちでオオカミたちを見回していた青年が、急に拍子抜けした声を上げた。

「あーもう放せ! 放しやがれー!」
「リッカ!?」
 オオカミたちの一匹の鼻先に、妙なモノがぶら下がっていた。
 鋭い牙がむき出しになった大きな口に、その首根っこを咥えとられて……
 まだ学校にも上がらないくらいの年に見える、ボロ布をまとった小さな少女が手足をジタバタさせて悲鳴を上げているのだ。

「その小娘が、おかしな笛を使って何か・・を呼び寄せているのはとっくにわかってた。これ以上へんなマネをしたら、こいつはあっという間にオオカミの餌だぜ!」
「て……てへへ。ごめんマっちゃん。しくじった……!」
「まったくリッカ……だから私だけ・・・でいいと言ったのに……」
 ヒュッ! ヒュッ! ヒュー……
 指笛でオオカミたちを操りながら、隻腕の青年にモグロが凄む。
 忍者たちが襲った商隊キャラバンに紛れて、彼らのアジトに潜り込んでいた青年の連れは、モグロに正体を見破られて彼の操るオオカミに捕らえられていたらしかった。
 オオカミの鼻先から、リッカと呼ばれた小さな少女が少しテレたような顔で青年に詫びを入れると……
 『マっちゃん』と呼ばれた青年の方も、困りきった顔で少女にそう答えた。

「参ったな……私の『散躯サンク』がいかにはやくても……20匹はいるオオカミ全部を斬り伏せながらアイツを助けるのはかなりのギャンブルだ……どうするマティス……」
「ガハハハハッ! 何ブツブツ言ってやがるんだ、このまま食い殺されちまえ!」
 ヒュッ!
 地面に目を伏せて、考えごとをしているような仕草の青年に向かって。
 勝ち誇ったモグロが再び指笛を吹いたと同時に……

「グアアアアアアウッ!」
 青年を取り囲んだ巨大オオカミたちが、一斉に彼に向かって飛びかかった。
 オオカミの牙が、爪が、ほっそりとした青年の体を見る間に引き裂き、食い散らかす……かに思えた、だがその時だった。

 ……ジュバンッ!
 空中で、何かがこすれ合うような、強烈にイヤな音がした。
 リンの燃えるような独特の匂いが一瞬ムッと辺りの空気に満ちた、と同時に……

「我が剣流セイバー七縷ナナルあり……」
「グアアアアアオオオオオオッ!」
 青年の静かな呟き声が、オオカミたちの狼狽えたような咆哮にかき消されていた。

 ボオォオオオオオオオ……
 広場を照らした篝火の灯も尽きかけていた集落の闇間が、突如空中に噴き上がった炎によって赤々と照らし出されていた。
 青年が左手に構えている長剣の刀身が……真っ赤な炎を吹き上げて、飛びかかってきたオオカミたちを灼熱のうねりに巻き込んでいた。

「一の剣は『緋色ヒイロ』。そのヤイバ気炎万丈にして……ルクスで闇間ヤミマの邪を刺す剣!」
「ゴアオオウッ!」
 青年が炎の刃を一振りすると、オオカミたちが恐怖の唸りを上げて一斉に青年から飛び退る。

「な……なんだと……!」
ケモノは炎を恐れるものだモグロ。お前たち獣爪ケモノヅメの忍法も……オオカミたちの本能までは、操ることが出来ないようだな……!」
 青年の周りで縮こまっているオオカミたちをモグロは唖然として見回す。
 炎の剣を携えた成年が、1歩、1歩とモグロ向かって距離を詰めていった。

「こらー! どこ行くんだ逃げるなお前ら!」
「キャンッ! キャンッ! キャンッ!」
 忍者の頭モグロの懸命な命令も空しく。
 青年の振った長剣の刀身から噴き上がった炎に恐れをなしたオオカミたちが、一斉に闇の向こうに逃げていく。

「ハーやれやれ、肩こったー!」
「あっ貴様!」
 そして地面から聞こえるダラケきった少女の声に、モグロは怒りの呻きをあげる。
 逃げ去るオオカミが地面に放り出していったボロ布をまとった少女が、その場から立ち上がってウンと伸びをしているのだ。
 モグロの人質としてオオカミに咥えとられていた、青年がリッカと呼んでいた少女だった。

「おつかれ、マッちゃん。こいつらが攫ってきた女子供は、向こうの土牢の中だぜ。なんとかみんな無事さ……」
「ああリッカ。お前もご苦労だったな。ここからウルヴの宿場町までは、歩いて1日か……そこまでどうにか皆に頑張ってもらうしかないか。だがその前に……!」
 軽い調子で青年に手を振るリッカにそう答えながら。
 青年のオレンジの瞳が、その場で呆然と立ち尽くすモグロをキッとにらみつけていた。

「話してもらおうか、獣爪ケモノヅメの頭モグロ。これまでお前たちがさらってきた女や子供たちを、どこにやったのか。答え次第では……」
 美貌の青年の目がギラリと光った。

「死ぬ前に、ちょっと死ぬほど痛い目にあってもらう!」
「わーやめろ! 待て待て待ってくれ!」
 モグロの喉元に剣の切っ先を突きつけて凄む青年に、忍者の頭は情けない声を上げて、その場に膝をついた。

「取引をしようニイちゃん! お前だって仕事・・でここに来たんだろう? ここにある金もお宝も、みんなあんたにやるよ! 女たちの行き先も教える。なんでもする! だから頼む、命だけは!」
「フン。情けないヤツだ。だが……」
 命乞いをするモグロを軽蔑の眼差しで見下ろしながら。
 だが青年の目に、かすかな迷いが生じていた。

「金や財宝に興味などない。だが全て・・を話すんだ。それと……私は今、ある男・・・を探している。お前たち悪党の間では有名らしい、そいつの行方をな……」
「男……?」
「そうだ。お前がそいつを知っていて、そいつのことを私に教えるなら、命まで取ることはしない。約束しよう……」
「いや、ただって言われても、それだけじゃなんとも、名前が有名とか、何かスゲー特徴があるとか?」
「名前はわからない。だが見た目の特徴なら知っている。そいつは……」
「そいつは?」
頭が双つ・・・・ある男……らしい」
「頭が……双つ!?」
 青年の発した言葉に、モグロの目が何かを見出したかのように大きく見開かれていた。
 そして……

「ああニイちゃん。知ってるぜ、その男のことはよく知ってる。多分、行方もな……」
「本当か、お前!」
 しばしの沈黙の後にモグロが発した言葉に、青年は興奮した面持ちでその身を乗り出した。

「そうだニイちゃん。アイツは確か今……地図、地図を見せてくれ……」
 しきりに何かを思い出すような素振りをしながら、モグロは腰から下げた巾着の中に手を伸ばした。
 だが青年は気づいていないようだった。
 袋の中から地図を取り出すような仕草をしながら、青年には見えない角度でモグロの顔に卑劣な笑みが浮かんでいるのを。
 モグロが袋の中で手にしていたのは、地図などではなかった。

(死ね……!)
 忍者の頭モグロが巾着から取りだした十字手裏剣が……
 目にも止まらぬ速さで、身を乗り出してきた青年の喉首を切り裂いた……!
 かに見えた、だがその時だった。

「グガアアアアアアッ!!!!」
「な……お前!」
 次の瞬間、苦悶の絶叫を張り上げていたのはモグロの方だった。
 何が起きたかもわからずに呆然とする青年の目の前で、手裏剣を地面に取り落として、胸から真っ赤な血を噴き上げてもだえ苦しんでいるのはモグロの方だった!
 モグロの胸を……まるで内側から突き破るようにして飛び出しているモノ。
 それは忍者の血でヌラヌラと濡れた、白い鍾乳石みたいな尖った石のカタマリだった。

「逃げおおせるとでも思ったのですか、獣爪衆ケモノヅメシュウの頭モグロよ……」
「ぎ……ざ……ま……は……!?」
「お前は、リッカ……!? いや、違う!」
 そして、あたりを覆う闇に凛と響いた冷たい少女の声の方に、青年は冷たい汗を流しながらその目をやった。
 口からゴボリと黒い血を吐きながら、モグロも凄まじい顔で声の方を向いた。
 ついさっきまでダラけきった表情で青年に手を振っていたリッカが……
 今は氷のような目で、モグロの体をピタリと指さしていた。
 先ほどまでのあどけないリッカとは、顔も声も、まるで別人だった。

「故郷を捨て、忍びの誇りを捨て、己の忍法と魂とを邪教のしもべに売り渡した一族の恥さらし・・・・・・・どもめ。貴様らの犯した大罪、その血をもって贖うがよい……」
「故郷を捨てただと……? 誇りを捨てただと……? ふざけるな……いったい誰のせいで……魔王の操り人形が……!」
 断末魔のモグロが、憤怒の声を上げながら変わり果てたリッカに向かって、1歩、2歩と近づいていくが……

「あっ!?」
 ズズウウ……ついに力尽きて倒れたモグロの体を見て、青年は驚愕のうめきを漏らした。
 奇怪な鍾乳石に胸を貫かれて絶命した忍者の体が、真っ白な石に変わると、見る間にひび割れバラバラに砕けて……
 白い砂粒になって、その場に崩れ落ちていく!

「なるほど……一族の恥さらしの始末。仕上げは自分の手で、ということか……」
 青年は苦々しい顔で、さっきまでリッカだった冷たい目をした少女を見てそう呟いた。

隠忍領ニンジャラントやり方・・・は、随分と回りくどくて陰湿だな、え? 目付忍めつけにん冥条めいじょう夕羅ユウラ!」
「本当に、お人好しで詰めの甘い男ですね。私はあなたの命を助けたのですよ? 甲蟲帝国インゼクトリアのマティス・ゼクト……」
 青年が少女をにらんでそう吐き捨てると、リッカの体を借りたその少女……ユウラと呼ばれた少女は少し困ったような顔をして首をかしげた、その時だった。

「ホッホッホ。まあまあ、いいじゃないかマティスくん……」
 マティスと呼ばれた青年の声とも、ユウラの声とも違う、しわがれた男の声があたりに響いた。

 ボオオオオオオ……
 闇間を縫うようにして、いつの間にかあたりに立ち込めていた薄紫色のモヤが少女の足元に集ってゆくと。
 モヤがユウラの細い足首をヘビみたいにまとわりつきながら、その体を上ってゆき、少女が掲げた右腕の上にモクモクと寄り合わさると……
 次の瞬間、ユウラの右手にとまっていたのは、満月みたいな金色の目をギラリと輝かせた……一羽の大きな灰色のフクロウだった。

「マティスくん。孫の無作法を許してくれ。この子は何でも自分でやらないと、気が済まないタイプなんじゃ……」
「フン……。隠忍領ニンジャラントの魔王。冥条めいじょう獄閻斎ゴクエンサイじきじきのお出ましか……!」
 灰色のフクロウが、金色の目をクリクリさせながら、にこやかにマティスに話しかける。
 左手に長剣を構えた美貌の青年……インゼクトリアの第1王子マティス・ゼクトは、目の前に立つ少女の右腕にとまった魔王の姿を、こわばった顔で見据えている。




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