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第15章 日常回帰〈ビフォアストーム〉
不安の夜のパスタ
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「ああそうだユナ。このまま何もなければ、姉さんは明後日の火曜日には……」
キラキラした目で自分の顔を見つめるユナに、ソーマはかすれた声でそう答えた。
ソーマが姉のリンネを最後に見舞に行ったあの日。
リンネの主治医、東郷先生の話した予定通りだった。
医師にも理由はよくわからないが、魔法過敏症の症状が奇跡的に落ち着いたリンネは、明後日の火曜日には退院してこの家に帰ってくるのだ。
「本っっっっっっ当に良かったねソーマ! 来週のお休みにでも、お祝い会しないとね。ソーマと、わたしと、リンネさんとで……!」
「ああ、そうだなユナ……」
リンネの退院を、まるで自分の家族の事みたいに喜ぶユナの声も……
だが、今のソーマにはどこか、ずっと遠くから響いてくるみたいに耳元をかすめていくだけだった。
――症状が落ち着いている?
――何もなかった、傷一つない?
――あの病棟で、1人だけ無事だった……!?
ソーマの頭にグルグル渦巻いているのは、深幻想界から帰還して次の日すぐに報せを受けた、禍々しいあの事件のことだった。
リンネの入院した御珠病院の第3病棟で、つい先週起きた事件。
病棟に入院していた患者34人と、その日勤務していた医師や看護師の全員が……
その夜、忽然と病棟から姿を消してしまったというのだ。
以上に気づいた別病棟の職員たちが足を踏み入れた時……
病棟の自販機コーナーの座席や当直室のテーブルには、飲みかけのコーヒーがまだ温かいままカップから湯気を立てていたという!
まるでポルトガル沖を、無人のまま漂流していた帆船『メアリー・セレスト号』の事件のように。
つい数分前までは、そこで生きていた人たち全員が……拭い去ったみたいに病棟から消滅してしまったというのだ。
そう、ただ1人の少女を除いては。
第3病棟、魔法過敏症用の特殊隔離病室で1人、何も知らずに眠っていた御崎リンネただ1人を除いては!
「父さん。姉さんはその……本当に何も覚えていないって? あんな不思議なことがあった夜に、ただ眠っていて、何も……」
「ああソーマ、父さんが会った時も、そう言っていた。眠くて、頭がボンヤリして、その時のことは何も覚えていないとね……」
玄関口で靴を履きかけながら、タイガはソーマの質問に背中越しにそう答えた。
静かで、事務的で、淡々とした声だった。
そして……
「ク……ッ!」
まるで他人事みたいなタイガの口調に、ソーマの顔が歪んでいた。
「それだけ……かよ?」
「どうした、ソーマ……」
玄関のドアを開けて、スーツケースを引いて家から出て行こうとするタイガの背中に向かって、ソーマはたまりかねたようにそう吐き捨てていた。
「それだけかよって言ってんだよ。病院があんなに大変な事になって……姉さんの身にだって何があってもおかしくなかったのに……姉さんの事、心配じゃなかったのかよ!」
リンネを取り巻く環境が、大変な事になっていたその日。
ソーマは深幻想界に行ったきりで、事件のことを知るすべも、リンネに連絡を取るすべもなかった。
リンネに対して何もできなかった苛立ちが……冷淡な父親の態度も引き金になって……自分自身でも止められないところまで、ソーマの気持ちをかき乱していた。
「ああ、それだけだソーマ。私は私に出来る、精いっぱいのことをする。お前も自分に出来る限りのことをしろソーマ。家での姉さんのこと、頼んだぞ。……もしもし私だ。すまないが、家の前まで車をよこしてくれ。思っていたより資料が多くなってしまって……ああ、すまん」
あいかわらず淡々とした口調でソーマにそう答えると、タイガは自分のスマホを取り出して、どこかに電話をかけ始めた。
近場で待たせてある助手か誰かの車を、ここまで迎えに来させるつもりらしかった。
「あんた……あんた、いつもそうだよな! 俺や姉さんのことなんか、いつもどうでもよくって……ずっと自分の仕事ばっか……!」
「ちょ……ソーマ? どうしたの、やめなって、落ち着いて!」
ソーマの様子に気づいて彼を止めようとするユナの声が、途中から悲鳴に変わっていた。
自分でも抑えきれずに拳をグッと握り締めて、ソーマは御崎家の門前で車を待つタイガの背中に殴り掛かっていた。
だが……その時だった。
スッ……。まるで陽炎が揺らめき立つみたいに。
いつのまにか、タイガの背中のすぐ目前まで駆け寄ったソーマの前に、華奢な人影が揺れ立っていた。
「おわあっ!」
ソーマは悲鳴を上げていた。
ギリィ……タイガに殴り掛かろうとしていたソーマの右手が、ほっそりとした冷たい誰かの手に掴み取られていた。
「乱暴はよくありません。御崎ソーマさん……タイガ博士の息子さんですね……」
そいつが……ソーマとタイガの間に割って入った、華奢な体つきをしたスーツ姿の女。
縁なしの眼鏡をかけた、整った顔立ちから何の表情も見て取れない若い女が、静かな口調でソーマにそう呟いた。
「イノリくん……待っていてくれたのか……?」
女の横顔にチラリと目をやりながら。
御崎タイガは相変わらず冷淡な声で、そう女の名前を呼んでいた。
#
「フンフンフーン♪ フンフンフフフフーン♪」
キッチンの方から、少し調子っ外れな、だがとても機嫌よさそうなユナの鼻歌が聞こえてくる。
と共に、何ががコトコトと沸き立つ音。カチャカチャと食器を並べる音。
温かな湯気のしめりけと、トマトと香味野菜を煮込んだ美味しそうな匂いが、リビングのソファーに沈み込んだソーマの所にも伝わってきた。
「ハァー……」
自分の家の夕食の支度を、幼馴染のユナに任せたきり。
リビングのソーマは、ソファーに体を預けたまま、ただボンヤリとテレビのニュースをながめているだけだった。
体全体が、まるで鉛を流し込まれたみたいに重くてダルい。
何かしなければいけないという焦燥感と、何もしたくないという無力感がいっしょくたになって、頭の中がグルグルしている。
あの時。
父親のタイガの言葉に、自分でも怒りが抑えられなくなったソーマ。
タイガがイノリと呼んでいたあの女が……タイガの教え子か、助手だろうか……がソーマを止めに入らなかったら。
ソーマは父親に、何をしていたかわからなかった。
(お……おい、どうしたソーマ? もうすぐメシだろ? シャキッとしろシャキッと……!)
「……うるせーよルシオン」
ソーマの中から、少し心配そうに呼びかけてくるルシオンに、ぞんざいにそう答えるソーマ。
深幻想界からこっちに帰ってきて数日が過ぎて……
ようやく落ち着くかと思えたソーマの生活は、実際にはそれどころではなかった。
ユナをの体を封じていた、ビーネスのアレをめぐるバタバタ。
ロック将軍との、意外な場所での再会。
そして今日、アレクシアとかわした約束。
いろいろありすぎて、頭が追い付かなくなったところで、いきなり父親のタイガと鉢合わせたのだ。
自分の気持ちを抑えきれず、突っ走った結果があのザマで……
そして明後日には、リンネが退院してこの家に戻ってくるというのだ。
「ああ……なんか……色々ありすぎて疲れた……」
父親に対して感情を爆発させた反動からか。
とにかく今のソーマは疲れていた。
もうソファーの上から、ピクリとも動きたくなかった……その時だった。
「お待たせ、出来たよソーマ!」
キッチンから、ユナが顔を出した。
「あう……ユナ……」
「今日はスパゲティ・ボロネーゼ。なんとソースの方は一から手作りだよー……って、どうしたのソーマァ……」
コトコトと煮立ったミートソースの鍋を手にしながら、ユナは拍子抜けした声を漏らす。
ソーマのテンションが、さっきよりもさらに低空飛行だった。
「もう、しょーがないなー。お父さんとのこと、まだ気にしてるの? ご飯食べられる?」
「ぐ……うぐ……」
心配そうにソーマをのぞきこむユナ。
ソーマは声にならない声を上げながら、どうにかユナにうなずいた。
父親のことだけではなかった。
ユナには、まだまだ言えない事、隠している事がたくさんあった。
心配そうなユナの顔を見ていると、そういうの込みで色々つらい。
特に今みたいに体調の悪い時は……
(立て! 立つんだソーマ! ユナの料理だぞ! なんだあの香りは! すごく気になるぞ、スパゲティ、スパゲティ、スパゲティ!)
ソーマの中からは、ルシオンが脳から変な汁を漏らしながらしきりにソーマを急き立てる。
よほどユナの作ったスパゲティに興味があるらしい。
「あーもう! わかったってル……」
自分の中のルシオンの大声に耐え切れず、ソーマが重い体をソファーから起こそうとした、だがその時だった。
「あーもう見てられない! コッチに持ってくるねソーマ……」
動きの重いソーマを見かねたのか。
ユナが、茹で上げたパスタを盛ったお皿と、ミートソースをたたえた鍋をソファーの方まで運んできた。
キッチンのテーブルではなくて、こっちで食べようってこと……?
目な前のセンターテーブルに、手際よく配されていくパスタ、鍋。
サラダボウル、インスタントのコンソメスープ。
そしてフォークやスプーンを、ソーマがオロオロしながら眺めていると……
「はいソーマ。アーン……」
「え、ユナ……?」
ユナが、ソーマのすぐ隣に腰かけていた。
ソースを盛ったパスタ皿の上で、ユナが手にしたフォークでクルクル器用にパスタを巻き取ると。
ソースをたっぷりからめたパスタを、ソーマの口元に差し出してきた。
「今日は特別。わたしが食べさせてあげるね。ホラ、アーン……」
戸惑い顔のソーマをのぞき込んで、ユナはニッコリ笑っていた。
「あ、いやそのルナ……」
ルナが口元に差し出してきたフォークに、オロオロするソーマ。
子供じゃないんだし……こんなこと……で、出来ない、恥ずかしい……!
ソーマは首を振ってユナの申し出を遠慮しようとするが、ジーーー……
「ユナ……」
ソーマは気がつく。
ユナの目が、ソーマの顔を不安そうな様子でのぞき込んでいるのを。
調子の悪いソーマを、ユナは精いっぱい気遣ってくれているのだ。
「いただきます……」
ソーマの肩からスッと力が抜けた。
ハプ。モグモグモグ……チュルン。
ソーマはユナの差し出したパスタにかぶりついていた。
肉のコクと、トマトの爽やかな酸味と甘みがしっかり立ったソースが、口の中で香り立つ。
その旨味たっぷりのソースの良く絡んだ絶妙な茹で上がりのパスタが、ソーマの口の中で跳ね回って、やがて喉元を滑りおりていく。
美味しかった。
コンビニの出来あいの麺や、お湯で温めるレトルトのソースとは味の鮮度も深みも段違いだ。
スパゲティって、こんなに美味しかったんだ……。
ユナが食べさせてくれた手作りパスタの味わいに、ソーマはホーッと感動の息を漏らしていた。
「どう、美味しい、ソーマ?」
「うん……ユナ。美味いよ、すごく……!」
ハプ。モグモグモグ……チュルン。
ハプ。モグモグモグ……チュルン。
ユナが次々に口元に運んでくるパスタを、ソーマは夢中で口の中に収めていく。
(うおおおお! なんだこの優しくて濃厚な味わいは! 圧勝軒の汁なし麺のインパクトとは全く違う爽やかな香り、旨味、挽肉の触感! そしてこの麺も……ラーメンとは全然違うぞ! なんなのだ、この表面はツルツルしていながら真ん中には1本芯の通ったミッシリ、ハキハキした独特の食べ応えはーーー! うーまーいーぞー!)
ソーマの中のルシオンも、ユナのスパゲティに大満足みたいだった。
「フフ。よかった。ちゃーんと上手に食べられて、エライでちゅねーソーマー!」
「ちょ……! やめろユナ、やめろってばー!」
自分のスパゲティを美味そうに食べるソーマに安心したのか、笑顔のユナが空いてる方の手でソーマの頭をナデナデしてきた。
「ももももういいユナ! あとは自分で食べれるから!」
ソーマは急に、猛烈に恥ずかしくなってきて引きつった声を上げた。
まるで幼児みたいに、ユナに食事の世話までしてもらって、赤ちゃん言葉で頭までナデナデされて……
なんだか尻のあたりが強烈にムズムズするというか……おかしな気持ちになってくる!
(こらー! なんでやめさせるんだソーマ! ユナにもっとって言え! せっかくコゼットに食べさせてもらってる時みたいでイイ感じなのにぃ……)
ソーマの態度に気づいたルシオンが、慌てて声を荒げてソーマを止めようとする。
ルシオン……
コゼットに、そんなことまで……!
ルシオンがソーマを止める理由に、ソーマは呆れ果ててため息をつく。
ダメだ……!
このままじゃ俺も、ルシオンと同レベルだ!
「ほんとにありがとなルナ。あとは自分で出来るから!」
ソファーに座ったままピンと背筋を伸ばして。
ソーマはまっすぐにユナの方を向いて、力のこもった声で彼女に礼を言った。
「おー。やーっと元気になったねソーマ。ヨシヨシヨシ……」
「ちょ……!? もー、だからソレやめろってばユナ!」
ようやく元気を取り戻したソーマを見つめて、ユナは満足そうにソーマの頭をナデナデす続けると。
ソーマの方は、いっそう恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてブンブン首を振った。
#
「フー。ごちそう様でした、ユナ!」
(ハー美味かった! スパゲティーかぁ……ソーマ、これ明日も作ってくれ……ってユナに頼め!)
数分後。
スパゲティとサラダとコンソメスープを全て平らげたソーマが、改めてユナを向いてお礼を言っていた。
ソーマの中のルシオンも、ユナのスパゲティがすっかりお気に入りのようだった。
「ううん。ソーマも元気になったみたいでよかったよ……」
ユナ……本当にありがとう。
笑顔のユナを見つめながら、ソーマは心の中で感謝の思いを新たにする。
さっきまで鉛だった体が、嘘みたいに軽くなっていた。
グルグルと頭の中で渦巻いていたモヤモヤも、今はスッキリ晴れている気がする。
食事って大事だ。
ものを食べるってすごい。美味しい食べ物ってエライ。
いや、それよりももっとエライのは……ソーマにはわかっている。
ユナだった。
ユナの作ってくれた夕食を口にすると。
ユナの明るい笑顔を見ていると。
父親のことや、姉のリンネのことや、その他いろいろ。
胸の中でわだかまっている不安や心配ごとも、なんだか大したことないような気持ちになってくる。
ユナと一緒にいると、これからもきっと全部うまくいくような……そんな温かい気持ちになってくるのだ。
ユナ……本当に……
ソーマが心の中で、改めてユナに何かを言いかけた、その時だった。
「もうソーマ、口のはしに、ソースついてるよ……!」
「うおわっ!」
ユナがググッとソーマの方に顔を寄せてきた。
右手のティッシュで、ソーマの口の端についたミートソースをフキフキしてくれるユナ。
ジッと固まったまま、されるがままのソーマ……すると、いきなり。
「ソーマ……昼間の話の続きなんだけどさ……」
ユナが小さな声でオズオズと、ソーマに話しかけた。
「わたしたちってさ……その……付き合ってる……よね?」
「ユナ……?」
滑らかな頬を桜色に染めたユナが、ソーマのことを上目遣いにジッと見つめていた。
「……って! だから! 昼間のヘンな子たちとのことで、そーゆー話になったから、一応って、いやなんか今まで、わたしもソーマも、そのアイマイってゆうかハッキリしてなかったてゆうか……」
「ユナ……!」
「……ンッ! ソーマ……」
スー……。
ユナのモヤモヤした表情の理由に気づいて。
ソーマはユナの両肩を、優しく自分の元に抱き寄せていた。
「ユナ……その……俺、ユナへのありがとうって気持ち、今までユナに伝えきれてなかったし。これからもそも……ずっと、ずっと、ユナのこと大事だし。だからユナ……これからも……よろしくです……!」
「うん……わかった、ソーマ!」
モヤモヤした表情のユナの肩をそっと自分の近くに抱き寄せて。
ソーマはユナをまっすぐ見つめて、それでも少しドギマギしながら自分の気持ちをユナに伝えた。
ソーマの言葉を耳にして。
頬を赤らめながら上目遣いにソーマを見つめていたユナの顔から、不安の影がスーッと消えて。
かわりに心から安心したような明るい光がさしこんでいくみたいだった。
「ン……ッ! なーんか、最近心配だったんだ、ソーマのこと……」
「うおあっ! あのそのユナ、心配て……」
緊張の糸が切れたのか。
ユナはソーマの目の前で、猫みたいにウーンと伸びをすうると……
そのままソーマのとなりに腰かけると、ソファーに体を預けてソーマの右肩に自分の頭をもたれかけてきた。
ドクン……ドクン……ドクン……
フゥッ……フゥッ……フゥッ……
ユナの体の温かみが、ユナの呼吸が、ユナの鼓動がソーマの体にもハッキリ伝わってくる。
いつになく奔放なユナの態度に、ソーマはドキドキして声がひきつる。
これまでは、なりゆきでユナとは色々アブナイこともあったけれど。
ユナの方から、こんなに無防備にソーマに体をあずけてくるなんて初めてのことだった。
色々どうしていいかわからなくて、ソーマは頭が爆発しそうだ!
いや、落ち着けソーマ!
ソーマは自分で自分にシッカリ言い聞かせる。
インゼクトリアの王女ルシオンと合体した状態のソーマが、ユナともし何かあったりしたら。
ルシオンの侍女コゼットが言うところの『清らかな乙女』であるユナとキスをしてしまったら……
彼女の肉体にインプットされたソーマの姿の転身が解除されて、ルシオン本来の姿とソーマの秘密が、ユナの前で露わになってしまうのだ。
もし、もう1度ユナの前でそんなことが起こったら……
ソーマとユナの関係は、今度こそ本当に終わりだ!
絶対に、そんなことにならないように。
ソーマは今、自分にもたれかかって無防備なユナの前でも、必死で自分を押さえているのだ。
「だってそうでしょ? ソーマ」
ユナは口をとがらせて、少し拗ねたような口調でソーマに言葉を続ける。
「ここ最近、いつも急用でわたしの前から消えちゃうし。先週から何処かに行ったきり、ずーっと戻ってこなかったし。なんだかソーマが、とても遠くに行ってしまったみたいな……ううん、誰か別の人になってしまったみたいな、そんな気が……してたんだ」
「そんな……ユ」
ユナの言葉にソーマの体が固まった。
ユナに何か言い訳しようとして、うまく言葉が続かずモゴモゴするソーマ。
「でも安心した。ソーマはやっぱり、ソーマのままだね! いつもの通り、今まで通りの優しいソーマ。本当に、安心した……」
「ユナ……!」
ソーマの肩にもたれかかったまま。
ユナの口から漏れた、本当に安心したような声に。
ソーマは胸の奥にキュッと締め付けられるような痛みを覚えた。
ユナ……ユナ……大事なユナ。
大好きなユナ。
ユナに全てを打ち明けたい。
今、ソーマが巻き込まれている違う世界での争いの事も。
ソーマの体はいま、異界の王女ルシオンと合体してしまっている事も。
それからその、ユナ……
「ハー。ソーマは大変だった思うけど……わたし、今日はいいことばかりだった。ソーマの気持ちも聞けたし。リンネさんが帰ってくる日取りもわかったし!」
「そうだ、ユナ……姉さんは……」
「明後日はまた、わたしが夕食作っていいかなソーマ。もう普通に食べられるんでしょ、リンネさんも……」
「う……ああ、多分……」
心の中でユナに伝えたかったことを見透かされたみたいに。
ユナがソーマに、リンネの退院の日のことを切り出していた。
「ああ……楽しみだね、ソーマ……!」
ユナがソーマの右手をキュッと握って、明るい声を上げた。
「リンネさんが戻って来て、外に出られるくらい元気になったら……また家族みんなで、御珠公園に出かけたり……、一緒にバーベキューしたり出来るね、ソーマ!」
「ああ、そ……そうだなユナ……」
「クスッ……。そしたらわたし、リンネさんに改めて挨拶するんだ……」
そしてユナがソーマの耳元に唇を寄せて、イタズラっぽく囁いた言葉に……
ソーマは、自分のうなじの産毛がザワザワと逆立つのがわかった。
「はじめまして。御崎ソーマくんとお付き合いしています、嵐堂ユナと申します。よろしくお願いします、お姉さん……って!」
キラキラした目で自分の顔を見つめるユナに、ソーマはかすれた声でそう答えた。
ソーマが姉のリンネを最後に見舞に行ったあの日。
リンネの主治医、東郷先生の話した予定通りだった。
医師にも理由はよくわからないが、魔法過敏症の症状が奇跡的に落ち着いたリンネは、明後日の火曜日には退院してこの家に帰ってくるのだ。
「本っっっっっっ当に良かったねソーマ! 来週のお休みにでも、お祝い会しないとね。ソーマと、わたしと、リンネさんとで……!」
「ああ、そうだなユナ……」
リンネの退院を、まるで自分の家族の事みたいに喜ぶユナの声も……
だが、今のソーマにはどこか、ずっと遠くから響いてくるみたいに耳元をかすめていくだけだった。
――症状が落ち着いている?
――何もなかった、傷一つない?
――あの病棟で、1人だけ無事だった……!?
ソーマの頭にグルグル渦巻いているのは、深幻想界から帰還して次の日すぐに報せを受けた、禍々しいあの事件のことだった。
リンネの入院した御珠病院の第3病棟で、つい先週起きた事件。
病棟に入院していた患者34人と、その日勤務していた医師や看護師の全員が……
その夜、忽然と病棟から姿を消してしまったというのだ。
以上に気づいた別病棟の職員たちが足を踏み入れた時……
病棟の自販機コーナーの座席や当直室のテーブルには、飲みかけのコーヒーがまだ温かいままカップから湯気を立てていたという!
まるでポルトガル沖を、無人のまま漂流していた帆船『メアリー・セレスト号』の事件のように。
つい数分前までは、そこで生きていた人たち全員が……拭い去ったみたいに病棟から消滅してしまったというのだ。
そう、ただ1人の少女を除いては。
第3病棟、魔法過敏症用の特殊隔離病室で1人、何も知らずに眠っていた御崎リンネただ1人を除いては!
「父さん。姉さんはその……本当に何も覚えていないって? あんな不思議なことがあった夜に、ただ眠っていて、何も……」
「ああソーマ、父さんが会った時も、そう言っていた。眠くて、頭がボンヤリして、その時のことは何も覚えていないとね……」
玄関口で靴を履きかけながら、タイガはソーマの質問に背中越しにそう答えた。
静かで、事務的で、淡々とした声だった。
そして……
「ク……ッ!」
まるで他人事みたいなタイガの口調に、ソーマの顔が歪んでいた。
「それだけ……かよ?」
「どうした、ソーマ……」
玄関のドアを開けて、スーツケースを引いて家から出て行こうとするタイガの背中に向かって、ソーマはたまりかねたようにそう吐き捨てていた。
「それだけかよって言ってんだよ。病院があんなに大変な事になって……姉さんの身にだって何があってもおかしくなかったのに……姉さんの事、心配じゃなかったのかよ!」
リンネを取り巻く環境が、大変な事になっていたその日。
ソーマは深幻想界に行ったきりで、事件のことを知るすべも、リンネに連絡を取るすべもなかった。
リンネに対して何もできなかった苛立ちが……冷淡な父親の態度も引き金になって……自分自身でも止められないところまで、ソーマの気持ちをかき乱していた。
「ああ、それだけだソーマ。私は私に出来る、精いっぱいのことをする。お前も自分に出来る限りのことをしろソーマ。家での姉さんのこと、頼んだぞ。……もしもし私だ。すまないが、家の前まで車をよこしてくれ。思っていたより資料が多くなってしまって……ああ、すまん」
あいかわらず淡々とした口調でソーマにそう答えると、タイガは自分のスマホを取り出して、どこかに電話をかけ始めた。
近場で待たせてある助手か誰かの車を、ここまで迎えに来させるつもりらしかった。
「あんた……あんた、いつもそうだよな! 俺や姉さんのことなんか、いつもどうでもよくって……ずっと自分の仕事ばっか……!」
「ちょ……ソーマ? どうしたの、やめなって、落ち着いて!」
ソーマの様子に気づいて彼を止めようとするユナの声が、途中から悲鳴に変わっていた。
自分でも抑えきれずに拳をグッと握り締めて、ソーマは御崎家の門前で車を待つタイガの背中に殴り掛かっていた。
だが……その時だった。
スッ……。まるで陽炎が揺らめき立つみたいに。
いつのまにか、タイガの背中のすぐ目前まで駆け寄ったソーマの前に、華奢な人影が揺れ立っていた。
「おわあっ!」
ソーマは悲鳴を上げていた。
ギリィ……タイガに殴り掛かろうとしていたソーマの右手が、ほっそりとした冷たい誰かの手に掴み取られていた。
「乱暴はよくありません。御崎ソーマさん……タイガ博士の息子さんですね……」
そいつが……ソーマとタイガの間に割って入った、華奢な体つきをしたスーツ姿の女。
縁なしの眼鏡をかけた、整った顔立ちから何の表情も見て取れない若い女が、静かな口調でソーマにそう呟いた。
「イノリくん……待っていてくれたのか……?」
女の横顔にチラリと目をやりながら。
御崎タイガは相変わらず冷淡な声で、そう女の名前を呼んでいた。
#
「フンフンフーン♪ フンフンフフフフーン♪」
キッチンの方から、少し調子っ外れな、だがとても機嫌よさそうなユナの鼻歌が聞こえてくる。
と共に、何ががコトコトと沸き立つ音。カチャカチャと食器を並べる音。
温かな湯気のしめりけと、トマトと香味野菜を煮込んだ美味しそうな匂いが、リビングのソファーに沈み込んだソーマの所にも伝わってきた。
「ハァー……」
自分の家の夕食の支度を、幼馴染のユナに任せたきり。
リビングのソーマは、ソファーに体を預けたまま、ただボンヤリとテレビのニュースをながめているだけだった。
体全体が、まるで鉛を流し込まれたみたいに重くてダルい。
何かしなければいけないという焦燥感と、何もしたくないという無力感がいっしょくたになって、頭の中がグルグルしている。
あの時。
父親のタイガの言葉に、自分でも怒りが抑えられなくなったソーマ。
タイガがイノリと呼んでいたあの女が……タイガの教え子か、助手だろうか……がソーマを止めに入らなかったら。
ソーマは父親に、何をしていたかわからなかった。
(お……おい、どうしたソーマ? もうすぐメシだろ? シャキッとしろシャキッと……!)
「……うるせーよルシオン」
ソーマの中から、少し心配そうに呼びかけてくるルシオンに、ぞんざいにそう答えるソーマ。
深幻想界からこっちに帰ってきて数日が過ぎて……
ようやく落ち着くかと思えたソーマの生活は、実際にはそれどころではなかった。
ユナをの体を封じていた、ビーネスのアレをめぐるバタバタ。
ロック将軍との、意外な場所での再会。
そして今日、アレクシアとかわした約束。
いろいろありすぎて、頭が追い付かなくなったところで、いきなり父親のタイガと鉢合わせたのだ。
自分の気持ちを抑えきれず、突っ走った結果があのザマで……
そして明後日には、リンネが退院してこの家に戻ってくるというのだ。
「ああ……なんか……色々ありすぎて疲れた……」
父親に対して感情を爆発させた反動からか。
とにかく今のソーマは疲れていた。
もうソファーの上から、ピクリとも動きたくなかった……その時だった。
「お待たせ、出来たよソーマ!」
キッチンから、ユナが顔を出した。
「あう……ユナ……」
「今日はスパゲティ・ボロネーゼ。なんとソースの方は一から手作りだよー……って、どうしたのソーマァ……」
コトコトと煮立ったミートソースの鍋を手にしながら、ユナは拍子抜けした声を漏らす。
ソーマのテンションが、さっきよりもさらに低空飛行だった。
「もう、しょーがないなー。お父さんとのこと、まだ気にしてるの? ご飯食べられる?」
「ぐ……うぐ……」
心配そうにソーマをのぞきこむユナ。
ソーマは声にならない声を上げながら、どうにかユナにうなずいた。
父親のことだけではなかった。
ユナには、まだまだ言えない事、隠している事がたくさんあった。
心配そうなユナの顔を見ていると、そういうの込みで色々つらい。
特に今みたいに体調の悪い時は……
(立て! 立つんだソーマ! ユナの料理だぞ! なんだあの香りは! すごく気になるぞ、スパゲティ、スパゲティ、スパゲティ!)
ソーマの中からは、ルシオンが脳から変な汁を漏らしながらしきりにソーマを急き立てる。
よほどユナの作ったスパゲティに興味があるらしい。
「あーもう! わかったってル……」
自分の中のルシオンの大声に耐え切れず、ソーマが重い体をソファーから起こそうとした、だがその時だった。
「あーもう見てられない! コッチに持ってくるねソーマ……」
動きの重いソーマを見かねたのか。
ユナが、茹で上げたパスタを盛ったお皿と、ミートソースをたたえた鍋をソファーの方まで運んできた。
キッチンのテーブルではなくて、こっちで食べようってこと……?
目な前のセンターテーブルに、手際よく配されていくパスタ、鍋。
サラダボウル、インスタントのコンソメスープ。
そしてフォークやスプーンを、ソーマがオロオロしながら眺めていると……
「はいソーマ。アーン……」
「え、ユナ……?」
ユナが、ソーマのすぐ隣に腰かけていた。
ソースを盛ったパスタ皿の上で、ユナが手にしたフォークでクルクル器用にパスタを巻き取ると。
ソースをたっぷりからめたパスタを、ソーマの口元に差し出してきた。
「今日は特別。わたしが食べさせてあげるね。ホラ、アーン……」
戸惑い顔のソーマをのぞき込んで、ユナはニッコリ笑っていた。
「あ、いやそのルナ……」
ルナが口元に差し出してきたフォークに、オロオロするソーマ。
子供じゃないんだし……こんなこと……で、出来ない、恥ずかしい……!
ソーマは首を振ってユナの申し出を遠慮しようとするが、ジーーー……
「ユナ……」
ソーマは気がつく。
ユナの目が、ソーマの顔を不安そうな様子でのぞき込んでいるのを。
調子の悪いソーマを、ユナは精いっぱい気遣ってくれているのだ。
「いただきます……」
ソーマの肩からスッと力が抜けた。
ハプ。モグモグモグ……チュルン。
ソーマはユナの差し出したパスタにかぶりついていた。
肉のコクと、トマトの爽やかな酸味と甘みがしっかり立ったソースが、口の中で香り立つ。
その旨味たっぷりのソースの良く絡んだ絶妙な茹で上がりのパスタが、ソーマの口の中で跳ね回って、やがて喉元を滑りおりていく。
美味しかった。
コンビニの出来あいの麺や、お湯で温めるレトルトのソースとは味の鮮度も深みも段違いだ。
スパゲティって、こんなに美味しかったんだ……。
ユナが食べさせてくれた手作りパスタの味わいに、ソーマはホーッと感動の息を漏らしていた。
「どう、美味しい、ソーマ?」
「うん……ユナ。美味いよ、すごく……!」
ハプ。モグモグモグ……チュルン。
ハプ。モグモグモグ……チュルン。
ユナが次々に口元に運んでくるパスタを、ソーマは夢中で口の中に収めていく。
(うおおおお! なんだこの優しくて濃厚な味わいは! 圧勝軒の汁なし麺のインパクトとは全く違う爽やかな香り、旨味、挽肉の触感! そしてこの麺も……ラーメンとは全然違うぞ! なんなのだ、この表面はツルツルしていながら真ん中には1本芯の通ったミッシリ、ハキハキした独特の食べ応えはーーー! うーまーいーぞー!)
ソーマの中のルシオンも、ユナのスパゲティに大満足みたいだった。
「フフ。よかった。ちゃーんと上手に食べられて、エライでちゅねーソーマー!」
「ちょ……! やめろユナ、やめろってばー!」
自分のスパゲティを美味そうに食べるソーマに安心したのか、笑顔のユナが空いてる方の手でソーマの頭をナデナデしてきた。
「ももももういいユナ! あとは自分で食べれるから!」
ソーマは急に、猛烈に恥ずかしくなってきて引きつった声を上げた。
まるで幼児みたいに、ユナに食事の世話までしてもらって、赤ちゃん言葉で頭までナデナデされて……
なんだか尻のあたりが強烈にムズムズするというか……おかしな気持ちになってくる!
(こらー! なんでやめさせるんだソーマ! ユナにもっとって言え! せっかくコゼットに食べさせてもらってる時みたいでイイ感じなのにぃ……)
ソーマの態度に気づいたルシオンが、慌てて声を荒げてソーマを止めようとする。
ルシオン……
コゼットに、そんなことまで……!
ルシオンがソーマを止める理由に、ソーマは呆れ果ててため息をつく。
ダメだ……!
このままじゃ俺も、ルシオンと同レベルだ!
「ほんとにありがとなルナ。あとは自分で出来るから!」
ソファーに座ったままピンと背筋を伸ばして。
ソーマはまっすぐにユナの方を向いて、力のこもった声で彼女に礼を言った。
「おー。やーっと元気になったねソーマ。ヨシヨシヨシ……」
「ちょ……!? もー、だからソレやめろってばユナ!」
ようやく元気を取り戻したソーマを見つめて、ユナは満足そうにソーマの頭をナデナデす続けると。
ソーマの方は、いっそう恥ずかしそうに顔を真っ赤にしてブンブン首を振った。
#
「フー。ごちそう様でした、ユナ!」
(ハー美味かった! スパゲティーかぁ……ソーマ、これ明日も作ってくれ……ってユナに頼め!)
数分後。
スパゲティとサラダとコンソメスープを全て平らげたソーマが、改めてユナを向いてお礼を言っていた。
ソーマの中のルシオンも、ユナのスパゲティがすっかりお気に入りのようだった。
「ううん。ソーマも元気になったみたいでよかったよ……」
ユナ……本当にありがとう。
笑顔のユナを見つめながら、ソーマは心の中で感謝の思いを新たにする。
さっきまで鉛だった体が、嘘みたいに軽くなっていた。
グルグルと頭の中で渦巻いていたモヤモヤも、今はスッキリ晴れている気がする。
食事って大事だ。
ものを食べるってすごい。美味しい食べ物ってエライ。
いや、それよりももっとエライのは……ソーマにはわかっている。
ユナだった。
ユナの作ってくれた夕食を口にすると。
ユナの明るい笑顔を見ていると。
父親のことや、姉のリンネのことや、その他いろいろ。
胸の中でわだかまっている不安や心配ごとも、なんだか大したことないような気持ちになってくる。
ユナと一緒にいると、これからもきっと全部うまくいくような……そんな温かい気持ちになってくるのだ。
ユナ……本当に……
ソーマが心の中で、改めてユナに何かを言いかけた、その時だった。
「もうソーマ、口のはしに、ソースついてるよ……!」
「うおわっ!」
ユナがググッとソーマの方に顔を寄せてきた。
右手のティッシュで、ソーマの口の端についたミートソースをフキフキしてくれるユナ。
ジッと固まったまま、されるがままのソーマ……すると、いきなり。
「ソーマ……昼間の話の続きなんだけどさ……」
ユナが小さな声でオズオズと、ソーマに話しかけた。
「わたしたちってさ……その……付き合ってる……よね?」
「ユナ……?」
滑らかな頬を桜色に染めたユナが、ソーマのことを上目遣いにジッと見つめていた。
「……って! だから! 昼間のヘンな子たちとのことで、そーゆー話になったから、一応って、いやなんか今まで、わたしもソーマも、そのアイマイってゆうかハッキリしてなかったてゆうか……」
「ユナ……!」
「……ンッ! ソーマ……」
スー……。
ユナのモヤモヤした表情の理由に気づいて。
ソーマはユナの両肩を、優しく自分の元に抱き寄せていた。
「ユナ……その……俺、ユナへのありがとうって気持ち、今までユナに伝えきれてなかったし。これからもそも……ずっと、ずっと、ユナのこと大事だし。だからユナ……これからも……よろしくです……!」
「うん……わかった、ソーマ!」
モヤモヤした表情のユナの肩をそっと自分の近くに抱き寄せて。
ソーマはユナをまっすぐ見つめて、それでも少しドギマギしながら自分の気持ちをユナに伝えた。
ソーマの言葉を耳にして。
頬を赤らめながら上目遣いにソーマを見つめていたユナの顔から、不安の影がスーッと消えて。
かわりに心から安心したような明るい光がさしこんでいくみたいだった。
「ン……ッ! なーんか、最近心配だったんだ、ソーマのこと……」
「うおあっ! あのそのユナ、心配て……」
緊張の糸が切れたのか。
ユナはソーマの目の前で、猫みたいにウーンと伸びをすうると……
そのままソーマのとなりに腰かけると、ソファーに体を預けてソーマの右肩に自分の頭をもたれかけてきた。
ドクン……ドクン……ドクン……
フゥッ……フゥッ……フゥッ……
ユナの体の温かみが、ユナの呼吸が、ユナの鼓動がソーマの体にもハッキリ伝わってくる。
いつになく奔放なユナの態度に、ソーマはドキドキして声がひきつる。
これまでは、なりゆきでユナとは色々アブナイこともあったけれど。
ユナの方から、こんなに無防備にソーマに体をあずけてくるなんて初めてのことだった。
色々どうしていいかわからなくて、ソーマは頭が爆発しそうだ!
いや、落ち着けソーマ!
ソーマは自分で自分にシッカリ言い聞かせる。
インゼクトリアの王女ルシオンと合体した状態のソーマが、ユナともし何かあったりしたら。
ルシオンの侍女コゼットが言うところの『清らかな乙女』であるユナとキスをしてしまったら……
彼女の肉体にインプットされたソーマの姿の転身が解除されて、ルシオン本来の姿とソーマの秘密が、ユナの前で露わになってしまうのだ。
もし、もう1度ユナの前でそんなことが起こったら……
ソーマとユナの関係は、今度こそ本当に終わりだ!
絶対に、そんなことにならないように。
ソーマは今、自分にもたれかかって無防備なユナの前でも、必死で自分を押さえているのだ。
「だってそうでしょ? ソーマ」
ユナは口をとがらせて、少し拗ねたような口調でソーマに言葉を続ける。
「ここ最近、いつも急用でわたしの前から消えちゃうし。先週から何処かに行ったきり、ずーっと戻ってこなかったし。なんだかソーマが、とても遠くに行ってしまったみたいな……ううん、誰か別の人になってしまったみたいな、そんな気が……してたんだ」
「そんな……ユ」
ユナの言葉にソーマの体が固まった。
ユナに何か言い訳しようとして、うまく言葉が続かずモゴモゴするソーマ。
「でも安心した。ソーマはやっぱり、ソーマのままだね! いつもの通り、今まで通りの優しいソーマ。本当に、安心した……」
「ユナ……!」
ソーマの肩にもたれかかったまま。
ユナの口から漏れた、本当に安心したような声に。
ソーマは胸の奥にキュッと締め付けられるような痛みを覚えた。
ユナ……ユナ……大事なユナ。
大好きなユナ。
ユナに全てを打ち明けたい。
今、ソーマが巻き込まれている違う世界での争いの事も。
ソーマの体はいま、異界の王女ルシオンと合体してしまっている事も。
それからその、ユナ……
「ハー。ソーマは大変だった思うけど……わたし、今日はいいことばかりだった。ソーマの気持ちも聞けたし。リンネさんが帰ってくる日取りもわかったし!」
「そうだ、ユナ……姉さんは……」
「明後日はまた、わたしが夕食作っていいかなソーマ。もう普通に食べられるんでしょ、リンネさんも……」
「う……ああ、多分……」
心の中でユナに伝えたかったことを見透かされたみたいに。
ユナがソーマに、リンネの退院の日のことを切り出していた。
「ああ……楽しみだね、ソーマ……!」
ユナがソーマの右手をキュッと握って、明るい声を上げた。
「リンネさんが戻って来て、外に出られるくらい元気になったら……また家族みんなで、御珠公園に出かけたり……、一緒にバーベキューしたり出来るね、ソーマ!」
「ああ、そ……そうだなユナ……」
「クスッ……。そしたらわたし、リンネさんに改めて挨拶するんだ……」
そしてユナがソーマの耳元に唇を寄せて、イタズラっぽく囁いた言葉に……
ソーマは、自分のうなじの産毛がザワザワと逆立つのがわかった。
「はじめまして。御崎ソーマくんとお付き合いしています、嵐堂ユナと申します。よろしくお願いします、お姉さん……って!」
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