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第12章 妖傀儡師〈ツァーンラート〉

約束交叉

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「ウエー。気持ち悪かったー……」
「まったく、マシーネのヤツ。とんだ変態を召し抱えていたもんだ!」
 数分後。
 ビーネスの体に巻き付いた大ミミズをどうにかはがし取ったルシオンとグリザルドが、床の上でウネウネしているミミズたちをを青い顔で見下ろしていた。

「ハー助かったー。あ、あんたにしては……よくやったわルシオン……」
 ミミズから解き放たれてようやく人心地がついたのか。
 まだ黒い鎖に手足を縛られたままのビーネスが、ちょっとモジモジしながらルシオンにそう言う。
 妹のルシオンの前で、ものすごい姿を晒してしまったからか。
 それともバカにしていた妹に助けられて、少しきまりが悪いのか。
 白磁のようだったビーネスの頬が、ほんのり桜色に染まっていた。

「あとはこの鎖よ。あんたの光矢アローで、あたしの魔素エメリオを封じた鎖を焼き切って……」
小姉上ちいあねうえェ……」
「うん? なに?」
「『ありがとうございます』は?」
「はァア!?」
「だから、あ・り・が・と・う・ご・ざ・い・ま・す・は?」
 ルシオンの声に、ビーネスが怪訝そうに彼女の顔を見ると。
 ルシオンが得意満面、勝ち誇った顔でビーネスを見上げていた。

「……ンですってルシオン! ズに乗るんじゃぁないわよ。言っときますけどね、こんな城くらい、その気になれば、いつだって抜け出せたんだからね!」
「へー。じゃあやってみてくださいよ。このミミズ返すから。今すぐ脱出してみてくださいよォ……」
「ギャー! ソレをこっちに近づけるな! この馬鹿ルシオン!」
 調子に乗るルシオンに食ってかかるビーネス。
 ルシオンの方も床のミミズをムンズと掴み上げてビーネスの顔に突きつける。
 ビーネスは悲鳴を上げて、ものすごい目で妹をにらみつけた。
 
「ちょ……こんなトコで喧嘩すんじゃねー! やめろって2人とも!」
 瓜二つのおたがいの顔を突き合わせて、バチバチと火花を飛ばすビーネスとルシオンの間に、グリザルドが慌てて割って入った……だが、その時だった。

「すごく……怖かったんですよ……」
「え?」
 ルシオンが、聞こえるか、聞こえないかくらいの小さな声で、何かをポツリと呟いていた。
 
「わたしは……すごく怖い思いをして、見も知らない機巧都市ウルヴェルクに忍び込んで、大変な思いをして小姉上ちいあねうえを助けに来たのに……!」
「ちょ……待ってルシオン!」
 ルシオンの声が震えながら、だんだん大きくなっていくのに、ビーネスは戸惑いを隠せない様子だった。

「どうしていつも姉上は、わたしに意地悪なことを言うのです! わたしのことを馬鹿にして、いつも認めてくれないのです! わたしのせいだからですか? 母上があんなこと・・・・・になったのも、全部全部……わたしのせいだから……だからなんですか!?」
「ちょ……ルシオン……やめなさい!」
「やめろ王女! もういい、そのくらいにしておけ……」
 ルシオンが、感情を爆発させていた。
 何かに耐えかねたみたいに、美しい顔をクシャクシャにして……
 その目からは大粒の涙をポロポロこぼしながら、ルシオンはビーネスに詰め寄っていた。

 母上・・……ルシオンとビーネスの母さん!?
 ルシオンの中のソーマもまた、ルシオンの激昂ぶりに戸惑いの声を上げていた。
 ソーマの心に、いつかどこかで見た夢の景色がマザマザと蘇ってきた。
 
 ――母上……!
 ――母上おねがい目を開けて……!

 ――ほらルシオン、もう離れるんだ。
 ――みんなでピューパを……静かに送ってあげよう。

 ――お前のせいだ……
 ――お前を生んだから……
 ――お前のせいで、母上が!

 とても悲しくて暗い夢。
 あれは、ルシオンの見た夢をソーマもまたのぞき込んでいたのだろうか。

 その時だった。

「ありがとう……ございます……」
「え?」
小姉上ちいあねうえ……?」
 薄青色に染まったビーネスの唇から漏れた、か細い声。
 その声に、グリザルドとルシオンは同時に驚きの声を上げていた。

「ありがとうございます……それから、ごめんなさい……」
 ルシオンの顔をまっすぐ見つめて、ビーネスは今度はハッキリとルシオンにそう言った。

「正直……あんたが此処まで来てくれるなんて、思っていなかった。諦めてた。絶望しかけていた。だから、あんたが来てくれて、あんたの顔を見た時は……とてもとても、嬉しかった。だから、来てくれてありがとう。それと……今まで酷いことばかり言って……ごめんなさい」
小姉上ちいあねうえ……!」
 少しきまりの悪そうな顔で、オズオズとルシオンにそう言いながら、ビーネスは妹に向かって頭を下げていた。
 
 小さく肩を震わせながら、姉を見つめるルシオン。
 その震えが、今は怒りや悔しさによるものではないことが、ソーマにもグリザルドにも、ハッキリわかった。

小姉上ちいあねうえ……!」
 さっきまでの激昂ぶりとはうって変わった静かな声で、ルシオンはビーネスの名を呼んでいた。

 そして、ス……
 ルシオンが指さしているのは、ビーネスの手を拘束している黒い鎖だった。
 指先に集まったルシオンのホタルたちが、徐々にその発光器官の輝きを強めていく。
 ホタルたちの光矢アローで、ルシオンが鎖を焼き切ろうとした、その時だった。

 まて! まだだルシオン!

「おわっ! ソーマ……!?」
 ルシオンの中のソーマが、彼女の動きを阻んだ。

 ボォオオオオ……
 ビーネスの方に集中していたルシオンの隙をついて。
 ソーマがルシオンの体の制動権を無理やり奪い取った。
 ルシオンの小さな少女の体が薄緑色の光に包まれると、次の瞬間その場に立っていたのは学校のブレザー姿のままのソーマだった。

「いきなりなんだ? ルシオンの依代ヨリシロ……」
(こらー! いきなり何をするソーマ!)
 ソーマの姿に、怪訝そうに首をかしげるビーネス。
 ソーマの中のルシオンも、体を取り戻そうとしながら怒りの声を上げるが、ソーマの意思は固かった。

「その前に約束しろビーネス。でないと鎖は外さない。自由にもなれない。お前はずっと、ここに囚われたままだ!」
「約束……?」
 ビーネスをにらみつけてそう詰め寄るソーマに、ビーネスはキョトンとした顔。

(こらー! なに勝手なこと言ってるんだソーマ! 小姉上ちいあねうえは、このわたしの手で)
「うるさい! 黙ってろルシオン!」
(……ヒッ)
 ソーマの中から抗議するルシオンを、だがソーマはすごい剣幕で一括した。
 ルシオンの声がすくんで、そして途切れた。

「そうだ、約束だ。お前が人間の世界で、ユナに仕掛けたアレを外すって。ユナの身体カラダを……元に戻すって!」
「ユナ? ああそうか依代ヨリシロ。お前、あの娘のことが……」
 ソーマのもちかけた約束の意味を理解したビーネスの薄青色の唇に、ウッスラといやらしい笑みが浮かんでいた。
 それはソーマの幼馴染、嵐堂ユナのことだった。
 ユナのことを気に入ったビーネスが、彼女の身体カラダに仕込んだ禍々マガマガしい仕掛け。
 ソーマはビーネスに、それを解除させるつもりだったのだ。

「残念だったな諦めろ。あたしはあたしが気に入った娘は、絶対に自分のモノにするんだ。ユナはインゼクトリアで、このあたしに仕える運命なのだ。遊撃隊ヴェスパの戦士が務まらないなら、あたしの侍女にしてもいい。料理も上手いしな。あの可愛らしい顔。プリッとした桜色の唇。まだ熟れ切っていない乳。そしてまだ男に汚されていない、みずみずしくて綺麗なアソコ……すごぉくとしがいがある……!」
 薄青色に染まった唇をペロリと舐めまわしながら、ビーネスはソーマにそう答えた。
 ソーマの家で味見・・したユナの体の感触を思い出したのか。
 ビーネスの頬は薄っすらと薔薇色に染まり、アメジストみたいな紫の瞳はキラキラ妖しく潤んでいた。
 ソーマは無表情なまま、ただ無言で白銀色クロームの床を見つめていた。

「まあそう落ち込むな。ユナだってあたしといる方が、きっとずっと幸せだ……きっとずっと悦ぶ・・。どんな娘もそうなのだ。最初は恥ずかしがっているが、ひとたびあたしの手にかかれば・・・・・・……このあたしの蜜の味・・・を知ったら……自分の方から喜んで、身も心もこのあたしに捧げるようになる。だからユナも……」
 うつむいたままのソーマを見て、ビーネスの中の嗜虐心が刺激されたのか。
 ビーネスがいやらしい笑みを浮かべて、滔々と何かを語り始めた、だがその時だった。

「……ガッ!?」
 ビーネスの言葉が、小さな悲鳴とともにいきなり途切れた。
 ソーマの右手が、ホッソリとしたビーネスの首を、もの凄い力で締め上げていたのだ。

(おい、ソーマなにしてる、や……やめろ! やめろよ!)
「ふざけるなよ……ユナはモノじゃない……!」
 ソーマの中のルシオンが、オロオロとした声で彼を止めようとする。
 だがソーマの右手にこもった力はルシオンにも、そしてソーマ自身にも止められなかった。
 ビーネスの美しい顔に、ソーマは自分の顔をグッと近づけた。

「誰が下らないおしゃべりをしていいと言った? 俺は約束しろと言ったんだぞ。答えていいのは出来るか、出来ないか。そして出来なければ……お前はここでオワリだ!」
「グググ……なにをする依代ヨリシロ。人間の男ごときが、インゼクトリアの魔王の眷属たるこのあたしに……!?」
 薄青色の唇から苦しげな息を漏らしながら。
 だがその尊大な態度を全く崩すことなく、ビーネスはソーマの顔を見下ろしていた。
 アメジストみたいなビーネスの目が、怒りの光をたたえてソーマの目をギッとにらんだ、だがその時だった。

「……ヒッグッ……!?」
 突然、ビーネスの体がビクリとすくんだ。
 ビーネスをにらみ返すソーマの瞳の奥に、何か・・が揺らめいていた。
 それはまるで、音もなく燃え上がる漆黒の炎。
 それはまるで、星明りもささぬ夜の海でうずまく暗黒の大渦。
 ビーネスの体を、ビーネスの心を飲み込み、燃やし、溶かし尽くしてしまいそうな恐ろしい何か・・だった。

「な……なんなんだ……お前は!?」
 ソーマの顔を見据えて震える声でそう問うビーネス。
 どんな強大な敵と相対しても、絶対に退くことを知らない勇猛果敢な第2王女。
 インゼクトリアの戦姫ビーネス・ゼクトの瞳に、いまハッキリと暗い影がさしていた。
 それは、恐れと絶望の影だった。

「する……約束する。だから放せ。その目・・・であたしを見るな・・・……!」
 ソーマの顔から目をそらしながら、ビーネスはかすれた声でソーマに答えた。
 その声を聞き届けたソーマの右手から力が抜けて、ビーネスは大きくせきこんだ。

小姉上ちいあねうえ! 小姉上ちいあねうえ! 小姉上ちいあねうえ!)
 悲鳴すら上げることも忘れて震えていたルシオンが、ソーマの中でようやく声を取り戻した。

  #

「ハーやった! 動けるって素晴らしい。封印された魔素エメリオが解き放たれるのって、最高の気分ね!」
 数分後。
 ソーマから体の制動権を取り戻したルシオンの光矢アローによって。
 黒い鎖から解き放たれたビーネスが、上機嫌な顔で白銀色クロームの床の上をクルクルと舞っていた。

転身トゥマイヤ!」
 自由を取り戻した優美な裸身をひるがえしながら、ビーネスが右手の指をパチリと鳴らしてそう唱える。
 すると、シュウウウウウ……
 少女の全身が緑色の光に包まれて、次の瞬間。
 そこに立っていたのは、まるでバレエの舞姫キトリみたいな艶やかで真っ赤なドレスをまとったビーネス。
 腰まで伸びた艶やかな銀色の髪を宙になびかせ、アメジストみたいな紫の瞳を輝かせた、美しい戦姫の姿を取り戻したビーネスだった。
 
「さ。自由になったらこんな場所に用はないわ。外の連中を全員ぶっ壊して、いったんインゼクトリアへ退くわよ……」
「待って! まだダメです小姉上ちいあねうえ!」
 食屍鬼グールの死体が転がった処置室からスタスタ出て行こうとするビーネスをルシオンは慌てて止めた。

「まだダメ? どーゆうこと?」
この者・・・との約束を果たさねばなりません。わたしは姉上を助けるために、この者と約束を交わしたのです」
「……こいつは!?」
 ルシオンの背後から恐る恐るビーネスの様子をうかがっている盗賊の正体に気づいたのか。
 ビーネスの顔から、上機嫌の笑みが消えていた。

「そうです、この者は盗賊グリザルド。インゼクトリアの至宝『ルーナマリカの剣』を盗み出した罪人です。でもわたしは約束したのです。小姉上ちいあねうえを救う手助けをする代償に、コイツの罪を許すと。そして……姉上同様、魔王マシーネに囚われたコイツの連れ・・を救い出すことを……!」
 厳しい顔でグリザルドをにらむビーネスに、ルシオンは必死でそう説明する。

「本当なの、ルシオン?」
「本当です姉上!」
 冷たく光ったビーネスの紫の瞳をジッと見つめて。
 凍てつくような殺気を盗賊にたたきつけるビーネスから、ルシオンは一歩も引いていなかった。

 ……あれ?
 そしてソーマは気づく。
 機巧都市ウルヴェルクに来る前に、グリザルドに与える恩赦の代償としてルシオンが約束したのは、ビーネスの救出だけだったはずだ。
 グリザルドの連れ・・……小さなメイの救出までは約束には含まれていないはずだった。

 ルシオン、グリザルドのために小さな嘘をついてまで……!
 グリザルドにグーで殴られた痛みは、ルシオンを通じてソーマにも伝わっていた。
 あいつもアレから、色々考えてたんだな……。
 小さな胸に秘められていたルシオンの思いを知って、ソーマも少し胸が熱くなった。

「わかった……だったら、あたしも行こう。魔王の眷属がその口で交わした約束は絶対だから。ルシオン、あたしも手伝うわ!」
 そしてしばしの沈黙の後。
 ビーネスはルシオンに向かって静かな声でそう答えた。

小姉上ちいあねうえ……!」
「かたじけない王女! かたじけない王女の姉貴!」
 ビーネスの答えを聞き届けて、グリザルドはルシオンとビーネスに向かって深々と頭を下げた。

「そうと決まれば、チャッチャと行くわよルシオン。盗賊、連れの居場所はわかているのか?」
「ああ、任せてくれ。アイツの……メイの匂いはこの鼻が覚えている!」
 ビーネスの問いかけに、グリザルドは自分の鼻をスンスン鳴らしてそう答える。

「それにしてもルシオン……」
 開け放された処置室の出口に目をやりながら、ビーネスは不思議そうに首をかしげた。

「あんたも盗賊も、よくココまで無事に忍び込めたものね……この城はマシーネの傀儡……何百体もの機械人形スポーンが衛兵として城中を練り歩いているはずなのに……」
「えへへ……それなんですけどね、小姉上ちいあねうえ……」
 ビーネスの問いかけに、ルシオンはニヘッと笑って何かを答える……。

  #

「馬鹿な! 衛兵たちとの通信が途切れただと……?」
 飛空艇ドッペルアドラーの船内では。
 艦橋に備わった通信機の前で、獣鬼トロールのロック将軍が愕然とした顔。

 マシーネの居城、重力城グラヴィオンに生きて出入りが許されているのは、将軍を含めてマシーネが信頼をおく数人の側近だけ。
 いまこの城を衛兵として守っているのは、魔王の操り人形である何百体もの機械人形たちだった。
 その人形たちからの通信が……いま完全に途絶しているのだ。

「いったい何が起こっている? 私の目で確かめねば……」
 しびれを切らしたロック将軍が、足早に艦橋を飛び出して、ドッペルアドラーの搭乗口へ向かう。
 そして……。

「こ、これは!」
 飛空艇の出口から、重力城グラヴィオンに備わった飛空艇渠ドックに降り立ったロック将軍は、驚愕のうめきを漏らしていた。
 将軍の目の前に広がっているのは、異様な光景だった。



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