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第9章 乙女危機〈ナナオクライシス〉

夕映えハートブレイク

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「どうしたのかなあソーマくん。アレから急に黙り込んじゃって……昼休みに何かあったのかなあ……?」
「さあな。今日は先に帰るって、さっさと行っちゃったし。たぶん委員長といっしょなんじゃね?」
「ユナさんかァ……」
 放課後の帰り道。
 
 いつもは大抵ソーマも一緒な通学路を2人きり。
 ナナオとコウが連れ立って歩いていた。

「ほんっと最近仲いいよなぁあの2人。やっぱり……付き合ってるとか?」
「うーん。多分まだそこまでは……イヤ……僕もよくわからないけど……」
 そういうことには鈍感なコウにも、親友のソーマと委員長のユナが急速に距離を縮めているのは目に見えて明らかだった。
 モヤモヤしたコウの顔を見ながら、ナナオは口元をモゴモゴさせて言葉を濁している。
 その時だった。

「でも……なんだかいいな。あの2人……なんか……心の奥底でつながりあえてるってゆうか……」
「え?」
 不意にナナオの歩みが、ピタッと止まった。
 なんだか雰囲気が一変したナナオの声の調子。
 コウも少し驚いたように立ち止まって、ナナオの方を見た。

「ど、どしたんだよ急にナナオ……」
「あのさ……コウくんって今……付き合ってる子とか気になる子とか……い、いる?」
 コウはドギマギした表情でナナオを見る。
 
 姫川ナナオが、まっすぐに戒城コウの方を向いていた。
 ナナオの澄んだ瞳が、コウの顔をジッと見つめていた。
 女の子みたいなナナオの顏のスベスベした頬が、いま桜色に染まっていた。

「ハハ。付き合ってる? いるわけないだろそんな子。だって俺、ソーマやお前といっつも一緒……って……!?」
 そして……ナナオの言葉に含まれた意味・・に気づいて、コウの目が驚きで見開かれた。

 ドクン……ドクン……
 コウは自分の胸の鼓動が、早鐘のように高鳴っていくのがわかった。
 ナナオに見つめられたコウ自身の顔もまた、見る見る真っ赤になっていく。

「ずっとずっと……迷っていたんだ。僕の正直な気持ちをコウくんに伝えたら……これまで友達だったこととか全部……おしまいになってしまうんじゃないかって……でも!」
「うう……ナナオ……!」
 ナナオが1歩、コウに近づいた。
 何かを決めた・・・正々とした顔で、ナナオは言葉を続けた。

ある人・・・にこう言われたんだ。自分の気持ちに嘘をついたままでいたら、あとから絶対に後悔するって……だから……!」
 ナナオは、大きく息を吸い込んだ。

「僕はコウくんを……男の人として……す、好きです。この気持ちだけは正直に伝えたくて……でもイヤならイヤって、気持ち悪いなら気持ち悪いってハッキリ言って。そしたら僕は……」
「そんなナナオ……俺はそんなこと……!」
 ナナオはコウを見つめて、ときどき言葉を詰まらせながら。
 コウに、自分の気持ちを告白した。

 そしてコウも……ナナオに告げる言葉のとば口を見つけたように。
 ナナオを見つめて、オズオズと口を開きかけた、だがその時だった。

 クスクス……
 クスクス……

「「…………!?」」
 あたりから微かに聞こえて来る、せせら笑うような声に気づいて、ナナオとコウの体が固まっていた。

「すごーいダイタン。道の真ん中で……コクハク!」
「ねーだから言ったでしょ? あの2人、なんかアヤシイって」
「へーやっぱり姫川くんってそう・・だったんだ!」
「ちょっと3人ともやめなって、そんな笑うのー」
 道の向こう。
 四つ角の物陰からナナオとコウの姿をうかがいながら、ヒソヒソ声で2人をはやし立てる者たちがいた。
 
 山桜ハル、桐谷ミサ、白井モモカ、兵頭ユキナ……
 クラスの中でも特に口さがない、ゴシップの大好きな女子グループだった。

  #

「わっ……!? 待てお前ら! 俺らは別にそんなんじゃ……そーゆー・・・・んじゃねーから! ふざけんな!」
 コウが、顔を真っ赤にしながらナナオに背を向けて、ハルたちの言葉を打ち消すように手足をジタバタさせている。
 
 そのコウの背中を見つめて……
 ナナオは顔からサーッと血の気が引いて行くのが、自分でもハッキリわかった。

 気分が悪い。
 自分への怒りと情けなさで、お腹の中が煮えくり返るみたいだ。
 そのくせ頭の中は妙に冷たい。
 目の前で起きている全部が全部……まるで遠くの場所の光景みたいに感じた。

「ごめんコウくん……今の全部……ウソだから……」
 路面にうつむいたまま、ナナオの喉から、声になるかならないかくらいの……掠れた息吹が漏れていた。
 
 灰色のアスファルトを見つめるナナオの目から、ポロポロと……。
 あとからあとから止めどなく零れだした真珠のような涙が、滴り落ちたアスファルトに吸い込まれていった。

「ごめんなさい。コウくんに……迷惑かけて……!」
「え!?」
 ようやく声になったナナオの……悲鳴みたいな言葉に気づいて。
 背中から響いたナナオの言葉に、コウが気づいて振り向いたときには……

「あ……ナナオ!」
 ナナオはすでにコウに背を向けて、逃げるようにコウの傍から駆け出していた。

「ナナオ! 待てよナナオ!」
 コウが青い顔をしてナナオを止めようと駆けだした時には。
 ナナオの姿はもう、通りの四つ角の向こうに消えていた。

  #

「ハー。消えてしまいたい……」
 夕暮れ時の聖ヶ丘公園で。
 中央広場の池のほとりの草原にしゃがみこんで。
 姫川ナナオは夕日を受けて茜色に輝いた水面を、ボンヤリと眺めていた。

 お腹の中がムカムカとして、まだ吐き気がする
 自分の手が、足が、まるで重石を縛り付けられたみたいに重く感じる。

「本当にバカだった。なんであんなこと……結果なんてわかっていたのに……!」
 ナナオは自分の膝がしらに、涙でぐちゃぐちゃになった顔をおさえつけて何度もそう呟いていた。

 中学校に上がったばかりの一時期。
 ナナオが体調不良を理由にして学校を休みがちだった理由。
 それは学年が上がるにつれて自分の中で膨れていく「違和感」のせいだった。

 男子と一緒に着替えをするのが、たまらなくイヤだった。
 同じトイレを使うのがイヤだった。
 男もののブレザーを着るのに強烈な拒絶感を覚えるようになった。

 ナナオの父親と母親は、学校に行けなくなったナナオのことで、毎日ケンカをするようになった。
 ナナオは自分の家の中でも、居場所がなくなっていた。

 それでも、今のナナオがどうにか持ちこたえて・・・・・・いられるのは。
 学校に行けて、みんなとも上手くやっているのは。

 ナナオの体のことで親身に相談にのってくれた叔父の存在が大きかった。
 関係のギクシャクしてしまった両親の家から、一時的にナナオを預かり、ナナオを支えてくれた圧勝軒。
 そしてなによりも……彼の存在が……

「コウくん……」
 ナナオは自分でも気づかないうちに、の名前を呟いていた。

 小学校に上がる前からいつも一緒だったコウ。
 誰とでも分け隔てなく友達になるいつも明るくて頼りになるコウ。
 
 コウの顔を、名前を思い出すたびに、胸の中がジンワリ暖かくなるのを感じた。
 でも同時にこみあげてくるのは痛いような、苦しいような、何かがはち切れそうな気持ち。

 ずっと胸の奥に秘めていたコウへの気持ち。
 
 ――ナナさん。自分の気持ちに嘘をついたままでいたら、あとから絶対に後悔するっすよ。
 ――いまのナナさんの素直な気持ちを……コウくんに伝えるべきっす!

 そう。
 あの人・・・の言葉に後押しされて。
 あの人・・・の言葉に勇気をもらって。

 心の準備はできていたはずなのに。
 ああなる・・・・ことは十分覚悟していたはずなのに。

 あの女子たちが、あんな場所まで……あんな酷いことになるなんて……!
 想像以上に、ダメージが大きい。

「もうダメだ。明日コウくんと……顔合わすなんて……」
 池の水面を暗い目で見つめながら、ナナオはボソッとそう呟いていた。
 その時だった。

「ハア……ハア……こんなところにいたんすか、ナナさん!」
「チャラオさん……!?」
 聞き覚えのある声が背中から聞こえて来て。
 ナナオが振り向くと、そこにいたのは、たった今ここまで走って来たのだろう。
 金色の長髪をゴム紐でまとめた、見るからにチャラチャラした若者が、肩で息をしている。
 ナナオの叔父のラーメン店、圧勝軒のアルバイトの栗里チャラオだった。

「チャラオさん。何で此処に……!?」
「へへ。自分、けっこう鼻が利くんで。ナナさんは匂いが綺麗・・だから、すぐわかるんっすよ」
 その場から立ちあがって驚きの声を上げるナナオ。
 チャラオは少し得意げな顏で、自分の鼻をふくらませてクンクンあたりの匂いをかいだ。

「さあナナさん。お店ウチに帰りましょう。コウくんが……すごく心配してるっすよ?」
「コウくんが……お店に……?」
 チャラオは穏やかに笑いながら、ナナオに話しかけた。
 チャラオの口から出たコウの名前に、ナナオの澄んだ瞳は驚きに見開かれていた。

「だから、ね?」
 夕陽を反射してキラキラと金色に輝いた池のほとりで。
 うずくまるように地べたに座り込んだナナオの傍らで、チャラオが優しくそう話しかける。

「そんな。だってコウくんはついさっき……なんでお店なんかに……」
 涙のあとを隠すように、両膝に顔を押し当てながら、首を振るナナオ。

「お店に飛び込んできたんですよ。ものすごく取り乱した顔をして。ナナさんが帰ってきてないか、ナナさんに謝りたいことがあるって、何度も何度も大声で……それで、とりあえず大将が落ち着くようにってコウくんを店で待たせて……ナナさんは俺が探しに出てたんっすよ」
「え……コウくんが……」
 隣に腰かけてことのいきさつを伝えるチャラオに、ナナオは思わず顔を上げた。

「行きましょうナナさん。まだコウくんの答え、聞いてないんでしょ?」
「うう……でも、もう……」
「コウくん、ものすごく悔やんでたっすよ? ナナさんの前で酷いこと言ってしまったって? ナナさんも自分で決めて、自分で覚悟して、自分の気持ちを伝えたんでしょ?」
「う、うん……」
「だったらコウくんが伝えたい気持ちも、コウくんの覚悟もしっかり受け取らないと。気持ちを伝えるって、そういうことっすから」
「…………」
 しばらくの沈黙の後。
 静かな、だが力強いチャラオの声に後押しされるみたいに。

「わかった」
 ナナオは一言そう答えると、公園の草原から立ちあがった。

「ごめんねチャラオさん、仕事中なのに……こんな所まで面倒かけさせて……僕のせいで。僕、全部受け止められると思っていたのに……」
「気にすることないっすよ。誰だってそうなる時もあるっす。大事なのは……」
「ありがとうチャラオさん。僕もう……逃げない!」
 頬を伝った自分の涙をブレザーの袖でゴシゴシ拭うと。
 ナナオはチャラオの方を向いて、力強くうなずいた。

  #

(がんばれナナさん。たとえ結果がどんなものであっても。ナナさんの覚悟は全部俺が認めている。俺が丸ごと全部……受け止める!)
 夕暮れの公園の草原を、自分の家の方角にむかってスタスタ歩き始めたナナオ。
 その背中をジッと見つめながら、チャラオは心の中でそう叫んでいた。

 いったいいつの頃からだろうか。
 チャラオがナナオに重ねて見ていたのは、過去の自分の姿だった。
 チャラオの正体……深幻想界シンイマジアの大盗賊グリザルドの、かつての自分の姿……。

  #

 あの頃。

 深幻想界シンイマジアのあらゆる国をまたにかけて盗みをはたらき、あらゆる国で賞金首にあげられて追われる身だったグリザルド。

 深幻想界シンイマジアの内でも最も勇猛で気の荒い獣族の集う戦士たちの国として知られていた獣王裂谷レーヴェンタールの黒獅子城に忍び込み、国宝だった『戦乙女リートの剣』を盗みだした彼は、城の兵士たちの執拗な追跡から身を隠すように、裂谷に点在する小さな集落の1つに自分の身を潜めていた。

 その村の住人たち……猫人ミアウの若者の姿に変装して。
 旅の行商人として村人たちに溶け込んでいたグリザルドは……いつの頃からか、その村に住む1人の娘と心を通わすようになっていた。
 その猫人ミアウの娘……タニアのキラキラした茶色い瞳や朗らかな笑顔を思い出すたびに。
 今でもグリザルドの胸は、何かに締めつけられるようにギュッと苦しくなってくる。

 彼の正体などつゆ知らず、素直に彼に心を寄せて、この村でずっと一緒にいようとまで言ってくれたタニアに。
 だがグリザルドは、自分の心を明かすことはできなかった。

 あらゆる国から賞金をかけられた、札付きのお尋ね者。
 おまけに深幻想界シンイマジアの住人の中でも、異形中の異形とされている双頭のリザードマンであるグリザルドだ。
 そんな自分がタニアに心を明かして、自分の正体を明かして一体どうなるというのか。

 ある日の朝。
 タニアに黙ったまま。
 自分の気持ちも正体も彼女に明かすことなく、グリザルドはフイッと村を出て、そのまま獣王裂谷レーヴェンタールを去った。

 数年後、別の姿に身をやつして再び仕事・・獣王裂谷レーヴェンタールを訪れるグリザルド。
 通りすがった猫人ミアウの村で彼が知った悲しい事実。
 グリザルドが村を去ってから1年も待たず、タニアは病を得て死んでいた。
 最後までグリザルドの身を案じて、彼の名を呼びながら……
 
「すまねえタニア。すまねえ……! 俺なんかのことを最後まで……!」
 タニアの墓標の前で。
 リザードマンの姿を晒したグリザルドは、むせび泣いていた。

  #

(当然の報いだ。姿を偽って人を欺く大盗賊……悪党の俺様が受けるには、当然の報いだ。でもこの子は違う、こんな素直ないい子には……自分の気持ちをごまかして後悔なんかしてほしくない……!)
 締めつけられるみたいに疼く胸をグっと押さえつけながら。
 ナナオの背中にむかって、チャラオの姿をしたグリザルドは声にならない声でそう呼びかけていた。

 その時だった。

 ゴオオオッ!

 まるでジェット機の爆音みたいな音と同時に、チャラオとナナオの頭上を何か・・がよぎった。

「なんだアレ! あの匂い……!」
「わあっ!」
 夕暮れの空を見上げて、チャラオはいぶかしげにそう叫んだ。
 と同時に、ナナオの驚愕の声。

 山並みに沈んでゆく日の名残りをキラキラと反射させながら。
 ナナオの目の前に、その何かが降り立っていた。

 そいつ・・・は……ナナオの3倍はありそうなその体は。
 その全身が赤金色の装甲板に覆われた、まるで巨人の姿をした鉄の塊だった。


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