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第9章 乙女危機〈ナナオクライシス〉
不穏な噂
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「お願いソーマ。消毒して……」
ソーマに肩を抱かれたまま。
ユナは一言そう呟くと、そのままスッとソーマの胸に顔をうずめた。
ユナの体温が、柔らかな胸の感触がじかにソーマの体に伝わって来る。
ドクン……ドクン……ドクン……
ユナの柔らかい胸から伝わって来る彼女の鼓動に、ソーマもまた自分の胸の鼓動が高まっていくのがハッキリわかった。
ビーネスに弄ばれたユナの体を。
ビーネスに汚されかけたユナの体を……俺が……消毒!?
ビーネスに仕立てられたユナのワンピース。
女らしさを強調した優美なビロードのワンピースが、ユナの髪を、ユナの肌を、ユナの顔を……
昼間の活発な少女の姿とはまた違う、ユナの艶めかしさをいっそう際立たせている!
ソーマは、もう理性が消し飛びそうだった。
でも、ダメだ!
火照っていく自分の全身を鎮めるように、ソーマは首を振る。
ユナとキスをしたら、また前みたいに……!
いや、まてよ。
ソーマは掻き乱されて千切れそうな考えの糸をどうにかまとめていく。
ユナとキスさえしなければ……ユナと触れ合っているだけならば……
俺の手で……指で……ユナを慰めるだけならば……!
ダメだダメだ! 何考えているんだ俺!
ソーマがヨコシマな考えをもみ消そうと必死で自分を抑えているのに。
さらに大変なことが起きた。
「ソーマ。早く……」
ユナがもどかしげに、ソーマの胸に優しく自分の爪を立てた。
はち切れそうなソーマの股間に、ユナが自分の腰を押し当てて来る。
ああだめだユナ!
そんなことをしたら……!
俺はもう自分を……!
プツン。
ソーマの理性の糸が切れた。
「ユナ! ユナ!」
「あぁん、ソーマ!」
ソーマがいてもたってもいられずに、リビングの床にユナを押し倒そうとした、だがその時だった。
「ん……!?」
ユナが妙な声を上げた。
「ユナ?」
自分の股間と触れ合ったユナの体のおかしな感覚に気づいて、ソーマもまた首を困惑。
「ん? んー?」
ユナがしきりに自分の体をまさぐる。
「おわユナ、何を!」
ソーマは慌てた声を上げてユナから目を逸らす。
ユナの手が、自分の纏っているビロードのワンピースのスカートを、スルスルとたくし上げていったのだ。
そして……!
「どわー! 何よこれ!?」
「ユ……ユナ!」
スカートの下から露わになったモノを見て、ユナとソーマは同時に驚愕の声を上げた。
銀色のジャラジャラした鎖に幾重にも覆われて。
いま、ユナの下腹をガッチリと固めているのは、何本もの痛そうなトゲを生やして黒銀色に輝いた禍々しい貞操帯(←わからない人はググってください)だったのだ!
――次に会ってあたしが調教を果たすまで、お前のカラダはあたしだけのモノ……
別れ際のビーネスの言葉が、ソーマの耳を掠める。
ビーネスがユナに送ったのは、優美なワンピースだけではなかったのだ。
「ぎゃーヤダヤダ! なによこれー!」
「あ、あんの第2王女ーーーーー!」
ユナが悲鳴を上げて、どうにか自分を覆った貞操帯を取り外そうとするが、ガッチリ施錠されたソレはビクともしない。
ソーマは怒りでギリギリと歯ぎしり。
よくもユナに……アンナコトを!
(ふーむ困ったな。小姉上の仕掛けた『封印』は、わたしの力ではどうにもならん。もう一度姉上に会って、封印を解除させないと……)
ソーマの中のルシオンが、苦々しげな声でそう呟いている。
そんな……!
もう一度ビーネスに会うまで……ユナはずっとあのまま!?
ソーマは、目の前が真っ暗になって来た。
ルシオンを凌ぐほどの力を持つビーネスを……あのエロ王女を捕まえて、ユナに手出しさせずに封印だけ解除させる……!
いったいどうやって、どうすればいいんだ!
ユナを解き放つための道筋がまるで見つからず、ソーマは途方にくれた。
「あーんソーマ! ヤダよこんなの!」
「ちょ、ユナ、痛い! 痛い!」
ユナが泣きべそをかきながらソーマに抱き着いてくる。
ユナの腰から飛び出したトゲトゲが、ソーマの股間をチクチク突き刺す。
「くそー覚えてろよ! あのエロ王女……!」
ソーマもまた泣きそうになりながら、ビーネスへのリベンジを誓っていた。
#
ソーマとユナが、大変な夜を過ごしていたちょうどその頃。
「ハー。今日も働いた。そんでもって絞られたー!」
ラーメン屋『圧勝軒』の2階。
姫川ナナオの住む家の一室のベランダから月を見上げて、チャラオのグリザルドが大きく息を吐いていた。
圧勝軒に弟子入りして住み込みで働くようになってから、もう半月が過ぎようとしていた。
今日も店主の圧勝軒からさんざん怒鳴られ小突かれまくったチャラオが、疲れ果てた顔でポキポキ首を鳴らしていると……
「チャラオさん、おつかれ!」
「ヒャッ!」
チャラオの頬におもむろに、冷たい何かが押し当てられた。
「ナナさん……」
「チャラオさん、今日も頑張ってたよね……はいコレ!」
チャラオが振り向くと、ベランダに入って来たのはフンワリとした髪を夜風に揺らしたナナオだった。
1階の表の自販機から、チャラオに冷たいコーラを買ってきてくれたのだ。
「や! すいませんっすナナさん……」
キュポン。
コーラの蓋を開けて、ゴクゴク中身を飲み干すチャラオ。
ナナオもチャラオの隣に腰かけて、自分の分のコーラに口をつけた。
(ハーまったく、いい子だなー。人間にもこんな子がいるんだなー……)
コーラを飲み干していくナナオの女の子みたいな横顔を眺めながら、チャラオは心の中でそう呟いていた。
グリザドの依頼主だったメイローゼは、彼にその身を匿われて既に人間世界から離れている。
『ルーナマリカの剣』も砕けて消えた。
メイローゼが失われた肉体を回復して再びこちら側に戻ってくるまで、もうグリザルドがチャラオの姿になってこの店に身を置く必要はないはずだった。
でも……。
何かが気になった。
盗賊としての野生の勘……よくわからないが何か強烈な不安みたいなモノが、チャラオをこの店に引きとどめていたのだ。
「あの、ナナさん。あれからどうでした。なんてゆうかその……気持ちの整理はついたっすか?」
「うん、チャラオさん……」
チャラオが隣に座ったナナオにオズオズとそう尋ねると、ナナオは何かを決めた顔で、コクリとそう頷いた。
「やっぱり僕……伝えておこうと思うんだ。今の自分の気持ちを……コウくんに……」
#
次の日。
「みーさーきーソーマー……! キミちょーっと魔法が使えるようになったからって、最近チョーシこいてくれちゃってるよねぇええええ!」
黒川キリトが、銀色の魔法練刀をソーマに向けながら、もの凄い目でソーマをにらみつけている。
もう勘弁してくれよキリト……
体育館に設定された決闘指示器の試合場でキリトと向き合いながら。
ソーマは肩をすくめて、心の中でそう呟いていた。
「御崎ソーマ……」「ソーマくん」「ソーマくん……」
ソーマとユナが、ビーネスのおかげで酷い夜を過ごした翌日。
火曜日の4限目の教科は魔法実技だった。
他の生徒たちが、とりわけ女子たちが試合場の周りから固唾をのんでソーマを見守る中で。
くじ引きでたまたま相手を組まされたソーマとキリトの、魔法決闘の試合が始まろうとしていたのだ。
「この前は、変な邪魔が入ってウヤムヤになったが、今日はゼッテー容赦しねえ。格の違いってやつを教えてやるぜ……」
キリトがニヤニヤ笑いながら、しきりに魔法練刀をグルグル振り回す。
ルシオンに酷い目にあわされた、この前のトライボールのことを、まだ根に持っているみたいだった。
「あーあ……」
ソーマは心底イヤそうにため息をついて、自分の魔法練刀をキリトに向かって構えた。
実際、この試合は誰が見てもソーマの分が悪かった。
小柄なソーマよりも2回り以上大きなキリトの体格。
リーチもキリトの方がはるかに長いし、力の強さも向こうが上。
ソーマが勝てる要素は、限りなく低いように思えた。
キリトもそのことは十分承知しているだろう。
たとえソーマの魔法が急激に上達した今であっても、自分の腕力と体格ならば……
魔法決闘ならば……!
ソーマに一方的な制裁を加えることが出来る!
そんな考えがありありと見て取れる、まるで小動物を目の前にした虎のような残忍な顏で。
キリトはソーマを見下ろしていた
でも……
「ハー」
ソーマはもう一度ため息をついて、キリトを見上げる。
ルシオンと一体になったソーマの目には。
キリトの握った魔法練刀から放たれる魔素の流れがハッキリ見て取れた。
キリトの防御手甲が彼の体の各部に展開してゆく魔法中和壁の位置が鮮明に見て取れた。
剣道の有段者である氷室マサムネとの決闘を戦い切ったソーマの目には。
キリトが次にソーマの何処を狙って剣戟を繰り出してくるのかが、手にとるように分かった。
「試合開始!」
体育教師の羽柴が試合の開始を告げると同時に。
「ダアアアッ!」
キリトが裂ぱくの気合とともに、ソーマの肩口に魔法練刀を思い切り振り下ろしてきた!
だが……
遅すぎる。まるで静止ってるみたいだ……
キリトの魔法練刀の軌道をハッキリ視認しながら。
ソーマはボンヤリとそんなことを考えていた。
あの日の夜。
マサムネの放った渾身の斬撃に機を合わせて彼の剣を封じたソーマの力をもってすれば。
キリトを黙らせるなんて、赤子の手をひねるくらい造作もないことだった。
「ヤァッ!」
「オワアアアッ!」
次の瞬間。
ガキンッ!
目にも止まらないスピードで。
最小限の動作でソーマの振った魔法練刀の切っ先が、キリトの剣を空中に撥ね上げていた!
「あ……あぁ!」
キリトの顏が驚きと恐怖に歪んでいた。
渾身の力を込めて打ち下ろした彼の斬撃が。
まるで風に舞い上がる羽毛のようなフワリとしたソーマの斬撃にかすっただけで。
キリトの剣は凄い力で彼の手からもぎ取られて、クルクルとキリトの頭上で回転していたのだ。
「一応……一本だよな?」
「み……御崎……!」
キリトが我に返れば、すでに彼の懐にソーマが飛び込んでいた。
「よっと……」
ソーマの右手の魔法練刀の切っ先が、ガラ空きになったキリトの右手をチョコンと突くと……
ブウゥンンンンン……
とたん、空気を震わす鈍い唸りと同時に。
「オワアアアッ」
キリトが自分の右手を抱え込むようにして、試合場に倒れこんだ。
魔法練刀に装填された重量制御の魔法の力が、キリトの右拳を30キロほどもある重石に変えてしまったのだ。
「あと一本《・・》残ってるけど……もういいだろキリト?」
「グウウウウウッ! 御崎……ソーマアアアア……!」
体育館の床から起き上がることも出来ずにジタバタするキリトを気遣うように、ソーマは彼に話しかけた。
キリトの顏が真っ赤だった。
怒りと屈辱にギリギリ歯ぎしりしながら、ソーマをにらむキリト。
だが状況はもう、どうにもならなかった。
このまま魔法を解除して、ソーマに挑んでも……
キリトには、自分が勝つ姿がイメージできない。
「棄権だな? 勝者、御崎ソーマ!」
試合続行が難しいと判断した羽柴が、ソーマの一本勝ちを宣言した。
「ウオオオオ!」
「ソーマくん、凄い!」
試合を見守っていたコウとナナオたち……男子どもが一斉に快哉を上げた。
だがその声をかき消すように……!
「すごおおおおい!」
「何アレ! あのキリトくんを一瞬で!」
「ソーマくんカッコイイ!」
「ソーマくん!」「ソーマくん!」「ソーマくん!」
クラスの女子たちのキャーキャーした歓声が、試合場を離れてゆくソーマの背中に浴びせられていた。
「あーもう、だからイヤだったんだ……」
女子たちのキラキラした視線を背中に感じながら。
ソーマは本当に居心地が悪そうな顔で、小さくそう呟いていた。
#
「ネーネー御崎くんてさー。なんか最近急にカッコよくなったよね!」
「やっぱりアレなのかな、魔法が使えるようになって自信が持てたっていうか……」
「そりゃそうだよ。もともと魔法以外のことはキチンと出来てたんだし。ただ今まではその……やっぱりアノコがねぇ……」
「ああ、アノコかあ……」
昼休み。
教室のところどころ交わされる女子たちのヒソヒソ声を小耳のしながら……
「あーもうどいつもこいつもソーマ、ソーマ、ソーマ! あいつ急にモテだしやがって……!」
ソーマの親友の時河コウが、椅子にふんぞりかえって面白くなさそうな顔をしていた。
魔法拒絶者だったソーマが魔法を使えるようになったのは、友達としてとても嬉しいのだが……。
それと同時に急上昇していくソーマの女子人気には、なんだかやっぱり微妙な気分になる。
噂の当人のソーマは、ちょっと用があると言ってフイッと教室から出たきり、まだ戻ってこない。
「仕方ないよコウくん。ソーマくんて、そもそも勉強もスポーツもめちゃくちゃ頑張り屋でしょ。成績だっていつも上位ランクだし、元々みんな応援していたんだよ。ただ今まではその……」
不機嫌なコウを諭すように、隣の席のナナオが彼に微笑みかける。
けれどナナオの声は、何かを憚るように途中で小さくなって途切れた。
ソーマが人一倍の努力家であることは、クラスの誰もが認めていることだった。
けれど世界中の誰もが出来る、たった1つのこと。
『魔法』を使うことが出来ない。
ただそれだけの事が、クラスメートの大半にソーマの努力をまるで見えていないように振舞わせていた。
この世界の常識が、クラスのお荷物みたいな評価をソーマに押し付けていたのだ。
それなのに、急に魔法が使えるようになっただけで……
「ハー……」
ナナオはソーマの噂でキャーキャー言いあっている女子たちの方を向いて、ため息をついた。
(でも……)
ナナオは教室の片隅にチラッと目をやって、心の中で呟く。
(僕たちなんかより、もっとモヤモヤしているのはきっと……)
ナナオの視線の先には。
はしゃぐ女子たちからは距離を置いて1人。
自席に腰かけて考え事をしている風な、虚ろな目をしたユナの姿。
そしてそのユナの方に向かって、ツカツカと歩いて行く人影は……
#
「浮かない顔してるね、委員長?」
「……わっ!?」
窓の外に目をやってボンヤリ考え事をしていたユナの頭の上から、いきなり彼女を呼ぶ声がした。
ユナが驚いて声の方を向くと、自席の傍に立っているのはキリッとした眉毛、意志の強そうな顔をした1人の女子だった。
「式白さん……?」
ユナに近づいて来たのは、式白ナユタ。
ソーマと因縁深い、あの黒川キリトの彼女だった。
「あ、あの……魔法実技の時はなんてゆうか……」
ソーマとキリトの魔法決闘。
キリトの一方的な負けっぷりを思い出して、ユナはオズオズとナユタにかける言葉を探す。
魔法実技は見学だったユナも、ソーマとキリトの試合はしっかり見ていた。
(ビーネスにあんなモノを着けられた今のユナの体では、とても実技の着替えなんてできないし、しばらくは退院後の経過観察を理由に実技は避けるしかなかったのだ)
「ハハ、いーんだよ。あれだけ綺麗に負けたんだから、アイツもハッキリわかっただろ。少しは頭を冷やして、自分を見つめ直すいい機会かもね。それよりさ……」
ナユタを気遣うようなユナのそぶりに、彼女は右手をパタパタさせてニカッと笑った。
「今日は一緒じゃないの、ソーマくんは?」
「え、別に、知らない……」
教室を見回して不思議そうなナユタの声に、ユナの顔がキョドる。
「フーン……」
ナユタはユナの目をマジマジ見つめると、ユナの耳元に顔を寄せる。
「委員長ってさ、付き合ってるの? ソーマくんと……」
「な……ななないきなり何を!?」
小声でそう尋ねるナユタ。
ユナの顏が、見る見る真っ赤になっていく。
「付き合ってないの? でも好きなんでしょ? ソーマくんのこと?」
「ウッグウウ……」
単刀直入なナユタの質問に、ユナは変な声を漏らす。
「ハハ。分かり易すぎるなあ委員長。でも、だったらさあ……周りにもキチンと、態度で示しておいた方がいいよ?」
ナユタがユナの肩にポンと手を置いた。
ナユタの声が、さらに小さくなってユナの耳に響く。
「口さがない子たちから、もう色々言われてるよ? アンタがソーマくんに付ききりだったのは、魔法が使えない可哀そうな子にも優しくできる、イイ子ちゃんアピールだったって。ソーマくんが魔法を使えるようになったら、もうそんなアピールも要らなくなったから……彼を捨てちゃったんだって……!」
「……なにそれ、酷い!」
ナユタの口から漏れ出したのは、想像を絶する心ない言葉だった。
思わず声を荒げて、椅子から跳ね上がりそうな勢いのユナを……
「シ……」
唇に人差し指してナユタは止めた。
「だから今、態度で示す必要があるんだ。アンタがそんなヤツじゃないってことくらい知ってるよ。でもバカな子たちが考え無しに口にするエグイ噂ほど強い……。噂はいずれソーマくんの耳にも届くだろ? だからその前に……。それにもう、ソーマくんのことを気にしてるのはアンタだけじゃない。それくらいわかってるだろ? じゃあ頑張ってね。委員長……」
ユナを諭すようにそう囁くと、ナユタは再びユナの肩をポンと叩いた。
そして来たと時と同じようにキビキビした足取りでユナの席を離れていく。
「式白さん……」
ナユタの背中を見つめて、ユナは呆然。
これもナユタなりの、ユナへの気遣いなのだろうか。
「ソーマ……」
ナユタは不安げな声で、この場にいないソーマの名前を呼んだ。
ナユタの言葉の通りに。
ソーマに全て委ねたい。
ソーマの全てを許したい。
でも……
ビーネスに体を封じられたユナには、それは叶わないことだった。
「ハゥッ……!」
ユナの口から、思わず変な喘ぎが漏れた。
ビーナスにさんざん弄ばれて、体が敏感になっているのだろうか。
ビーネスの拘束具に締め付けられて、感覚がオカシクなっているのだろうか。
ソーマの顔を思い出しただけで、ユナは自分の胸がキュンとくすぐったくなり、下腹のあたりがジュワッと熱くなるのがわかった。
#
その頃。
「ど、どうしたんだよマサムネ。いきなり話があるって……」
人気のない体育館裏。
教室から抜け出したソーマは、目の前に立つ人影にオズオズとそう声をかけた。
ソーマを呼び出したのはクラスメートの氷室マサムネだった。
マサムネ……2人きりだと、やっぱり緊張する。
クラスの中ではお互い穏やかに接しているが、この前の事件であれだけの事があったのだ。
マサムネに話しかけるソーマの声は、少しギクシャクしていた。
「御崎くん……」
ソーマの様子を気にかける様子もなく、キラリと眼鏡を光らせたマサムネは淡々とした口調で話を切り出した。
「世界的な『違法触媒』流通を牛耳る犯罪王、『アルバート・ベクター教授』が2週間前にイギリスのウェイクフィールド刑務所から脱獄した。教授は既に7日前には英国外へ脱出。現在の潜伏先はこの国。そしてこの御珠市近辺である可能性が極めて高いという情報を、僕たちは英国諜報機関から入手している。そして奴の目的は、この地に生じた接界点から現れた異界者との接触であった可能性が極めて高い。現状で僕たちが把握している情報はそこまでだ……」
( ゜Д゜)……へ?
いきなりマサムネが切り出した、まるで探偵小説の一節みたいな凄い単語の数々に、ソーマは一瞬体が固まった。
「御崎くん。君たちとは、今後のためにもこの事件に関する情報共有を依頼したい。そして僕たちの捜査への協力もだ……」
相変わらず淡々とした口調で、氷室マサムネは言葉を続けた。
ソーマに肩を抱かれたまま。
ユナは一言そう呟くと、そのままスッとソーマの胸に顔をうずめた。
ユナの体温が、柔らかな胸の感触がじかにソーマの体に伝わって来る。
ドクン……ドクン……ドクン……
ユナの柔らかい胸から伝わって来る彼女の鼓動に、ソーマもまた自分の胸の鼓動が高まっていくのがハッキリわかった。
ビーネスに弄ばれたユナの体を。
ビーネスに汚されかけたユナの体を……俺が……消毒!?
ビーネスに仕立てられたユナのワンピース。
女らしさを強調した優美なビロードのワンピースが、ユナの髪を、ユナの肌を、ユナの顔を……
昼間の活発な少女の姿とはまた違う、ユナの艶めかしさをいっそう際立たせている!
ソーマは、もう理性が消し飛びそうだった。
でも、ダメだ!
火照っていく自分の全身を鎮めるように、ソーマは首を振る。
ユナとキスをしたら、また前みたいに……!
いや、まてよ。
ソーマは掻き乱されて千切れそうな考えの糸をどうにかまとめていく。
ユナとキスさえしなければ……ユナと触れ合っているだけならば……
俺の手で……指で……ユナを慰めるだけならば……!
ダメだダメだ! 何考えているんだ俺!
ソーマがヨコシマな考えをもみ消そうと必死で自分を抑えているのに。
さらに大変なことが起きた。
「ソーマ。早く……」
ユナがもどかしげに、ソーマの胸に優しく自分の爪を立てた。
はち切れそうなソーマの股間に、ユナが自分の腰を押し当てて来る。
ああだめだユナ!
そんなことをしたら……!
俺はもう自分を……!
プツン。
ソーマの理性の糸が切れた。
「ユナ! ユナ!」
「あぁん、ソーマ!」
ソーマがいてもたってもいられずに、リビングの床にユナを押し倒そうとした、だがその時だった。
「ん……!?」
ユナが妙な声を上げた。
「ユナ?」
自分の股間と触れ合ったユナの体のおかしな感覚に気づいて、ソーマもまた首を困惑。
「ん? んー?」
ユナがしきりに自分の体をまさぐる。
「おわユナ、何を!」
ソーマは慌てた声を上げてユナから目を逸らす。
ユナの手が、自分の纏っているビロードのワンピースのスカートを、スルスルとたくし上げていったのだ。
そして……!
「どわー! 何よこれ!?」
「ユ……ユナ!」
スカートの下から露わになったモノを見て、ユナとソーマは同時に驚愕の声を上げた。
銀色のジャラジャラした鎖に幾重にも覆われて。
いま、ユナの下腹をガッチリと固めているのは、何本もの痛そうなトゲを生やして黒銀色に輝いた禍々しい貞操帯(←わからない人はググってください)だったのだ!
――次に会ってあたしが調教を果たすまで、お前のカラダはあたしだけのモノ……
別れ際のビーネスの言葉が、ソーマの耳を掠める。
ビーネスがユナに送ったのは、優美なワンピースだけではなかったのだ。
「ぎゃーヤダヤダ! なによこれー!」
「あ、あんの第2王女ーーーーー!」
ユナが悲鳴を上げて、どうにか自分を覆った貞操帯を取り外そうとするが、ガッチリ施錠されたソレはビクともしない。
ソーマは怒りでギリギリと歯ぎしり。
よくもユナに……アンナコトを!
(ふーむ困ったな。小姉上の仕掛けた『封印』は、わたしの力ではどうにもならん。もう一度姉上に会って、封印を解除させないと……)
ソーマの中のルシオンが、苦々しげな声でそう呟いている。
そんな……!
もう一度ビーネスに会うまで……ユナはずっとあのまま!?
ソーマは、目の前が真っ暗になって来た。
ルシオンを凌ぐほどの力を持つビーネスを……あのエロ王女を捕まえて、ユナに手出しさせずに封印だけ解除させる……!
いったいどうやって、どうすればいいんだ!
ユナを解き放つための道筋がまるで見つからず、ソーマは途方にくれた。
「あーんソーマ! ヤダよこんなの!」
「ちょ、ユナ、痛い! 痛い!」
ユナが泣きべそをかきながらソーマに抱き着いてくる。
ユナの腰から飛び出したトゲトゲが、ソーマの股間をチクチク突き刺す。
「くそー覚えてろよ! あのエロ王女……!」
ソーマもまた泣きそうになりながら、ビーネスへのリベンジを誓っていた。
#
ソーマとユナが、大変な夜を過ごしていたちょうどその頃。
「ハー。今日も働いた。そんでもって絞られたー!」
ラーメン屋『圧勝軒』の2階。
姫川ナナオの住む家の一室のベランダから月を見上げて、チャラオのグリザルドが大きく息を吐いていた。
圧勝軒に弟子入りして住み込みで働くようになってから、もう半月が過ぎようとしていた。
今日も店主の圧勝軒からさんざん怒鳴られ小突かれまくったチャラオが、疲れ果てた顔でポキポキ首を鳴らしていると……
「チャラオさん、おつかれ!」
「ヒャッ!」
チャラオの頬におもむろに、冷たい何かが押し当てられた。
「ナナさん……」
「チャラオさん、今日も頑張ってたよね……はいコレ!」
チャラオが振り向くと、ベランダに入って来たのはフンワリとした髪を夜風に揺らしたナナオだった。
1階の表の自販機から、チャラオに冷たいコーラを買ってきてくれたのだ。
「や! すいませんっすナナさん……」
キュポン。
コーラの蓋を開けて、ゴクゴク中身を飲み干すチャラオ。
ナナオもチャラオの隣に腰かけて、自分の分のコーラに口をつけた。
(ハーまったく、いい子だなー。人間にもこんな子がいるんだなー……)
コーラを飲み干していくナナオの女の子みたいな横顔を眺めながら、チャラオは心の中でそう呟いていた。
グリザドの依頼主だったメイローゼは、彼にその身を匿われて既に人間世界から離れている。
『ルーナマリカの剣』も砕けて消えた。
メイローゼが失われた肉体を回復して再びこちら側に戻ってくるまで、もうグリザルドがチャラオの姿になってこの店に身を置く必要はないはずだった。
でも……。
何かが気になった。
盗賊としての野生の勘……よくわからないが何か強烈な不安みたいなモノが、チャラオをこの店に引きとどめていたのだ。
「あの、ナナさん。あれからどうでした。なんてゆうかその……気持ちの整理はついたっすか?」
「うん、チャラオさん……」
チャラオが隣に座ったナナオにオズオズとそう尋ねると、ナナオは何かを決めた顔で、コクリとそう頷いた。
「やっぱり僕……伝えておこうと思うんだ。今の自分の気持ちを……コウくんに……」
#
次の日。
「みーさーきーソーマー……! キミちょーっと魔法が使えるようになったからって、最近チョーシこいてくれちゃってるよねぇええええ!」
黒川キリトが、銀色の魔法練刀をソーマに向けながら、もの凄い目でソーマをにらみつけている。
もう勘弁してくれよキリト……
体育館に設定された決闘指示器の試合場でキリトと向き合いながら。
ソーマは肩をすくめて、心の中でそう呟いていた。
「御崎ソーマ……」「ソーマくん」「ソーマくん……」
ソーマとユナが、ビーネスのおかげで酷い夜を過ごした翌日。
火曜日の4限目の教科は魔法実技だった。
他の生徒たちが、とりわけ女子たちが試合場の周りから固唾をのんでソーマを見守る中で。
くじ引きでたまたま相手を組まされたソーマとキリトの、魔法決闘の試合が始まろうとしていたのだ。
「この前は、変な邪魔が入ってウヤムヤになったが、今日はゼッテー容赦しねえ。格の違いってやつを教えてやるぜ……」
キリトがニヤニヤ笑いながら、しきりに魔法練刀をグルグル振り回す。
ルシオンに酷い目にあわされた、この前のトライボールのことを、まだ根に持っているみたいだった。
「あーあ……」
ソーマは心底イヤそうにため息をついて、自分の魔法練刀をキリトに向かって構えた。
実際、この試合は誰が見てもソーマの分が悪かった。
小柄なソーマよりも2回り以上大きなキリトの体格。
リーチもキリトの方がはるかに長いし、力の強さも向こうが上。
ソーマが勝てる要素は、限りなく低いように思えた。
キリトもそのことは十分承知しているだろう。
たとえソーマの魔法が急激に上達した今であっても、自分の腕力と体格ならば……
魔法決闘ならば……!
ソーマに一方的な制裁を加えることが出来る!
そんな考えがありありと見て取れる、まるで小動物を目の前にした虎のような残忍な顏で。
キリトはソーマを見下ろしていた
でも……
「ハー」
ソーマはもう一度ため息をついて、キリトを見上げる。
ルシオンと一体になったソーマの目には。
キリトの握った魔法練刀から放たれる魔素の流れがハッキリ見て取れた。
キリトの防御手甲が彼の体の各部に展開してゆく魔法中和壁の位置が鮮明に見て取れた。
剣道の有段者である氷室マサムネとの決闘を戦い切ったソーマの目には。
キリトが次にソーマの何処を狙って剣戟を繰り出してくるのかが、手にとるように分かった。
「試合開始!」
体育教師の羽柴が試合の開始を告げると同時に。
「ダアアアッ!」
キリトが裂ぱくの気合とともに、ソーマの肩口に魔法練刀を思い切り振り下ろしてきた!
だが……
遅すぎる。まるで静止ってるみたいだ……
キリトの魔法練刀の軌道をハッキリ視認しながら。
ソーマはボンヤリとそんなことを考えていた。
あの日の夜。
マサムネの放った渾身の斬撃に機を合わせて彼の剣を封じたソーマの力をもってすれば。
キリトを黙らせるなんて、赤子の手をひねるくらい造作もないことだった。
「ヤァッ!」
「オワアアアッ!」
次の瞬間。
ガキンッ!
目にも止まらないスピードで。
最小限の動作でソーマの振った魔法練刀の切っ先が、キリトの剣を空中に撥ね上げていた!
「あ……あぁ!」
キリトの顏が驚きと恐怖に歪んでいた。
渾身の力を込めて打ち下ろした彼の斬撃が。
まるで風に舞い上がる羽毛のようなフワリとしたソーマの斬撃にかすっただけで。
キリトの剣は凄い力で彼の手からもぎ取られて、クルクルとキリトの頭上で回転していたのだ。
「一応……一本だよな?」
「み……御崎……!」
キリトが我に返れば、すでに彼の懐にソーマが飛び込んでいた。
「よっと……」
ソーマの右手の魔法練刀の切っ先が、ガラ空きになったキリトの右手をチョコンと突くと……
ブウゥンンンンン……
とたん、空気を震わす鈍い唸りと同時に。
「オワアアアッ」
キリトが自分の右手を抱え込むようにして、試合場に倒れこんだ。
魔法練刀に装填された重量制御の魔法の力が、キリトの右拳を30キロほどもある重石に変えてしまったのだ。
「あと一本《・・》残ってるけど……もういいだろキリト?」
「グウウウウウッ! 御崎……ソーマアアアア……!」
体育館の床から起き上がることも出来ずにジタバタするキリトを気遣うように、ソーマは彼に話しかけた。
キリトの顏が真っ赤だった。
怒りと屈辱にギリギリ歯ぎしりしながら、ソーマをにらむキリト。
だが状況はもう、どうにもならなかった。
このまま魔法を解除して、ソーマに挑んでも……
キリトには、自分が勝つ姿がイメージできない。
「棄権だな? 勝者、御崎ソーマ!」
試合続行が難しいと判断した羽柴が、ソーマの一本勝ちを宣言した。
「ウオオオオ!」
「ソーマくん、凄い!」
試合を見守っていたコウとナナオたち……男子どもが一斉に快哉を上げた。
だがその声をかき消すように……!
「すごおおおおい!」
「何アレ! あのキリトくんを一瞬で!」
「ソーマくんカッコイイ!」
「ソーマくん!」「ソーマくん!」「ソーマくん!」
クラスの女子たちのキャーキャーした歓声が、試合場を離れてゆくソーマの背中に浴びせられていた。
「あーもう、だからイヤだったんだ……」
女子たちのキラキラした視線を背中に感じながら。
ソーマは本当に居心地が悪そうな顔で、小さくそう呟いていた。
#
「ネーネー御崎くんてさー。なんか最近急にカッコよくなったよね!」
「やっぱりアレなのかな、魔法が使えるようになって自信が持てたっていうか……」
「そりゃそうだよ。もともと魔法以外のことはキチンと出来てたんだし。ただ今まではその……やっぱりアノコがねぇ……」
「ああ、アノコかあ……」
昼休み。
教室のところどころ交わされる女子たちのヒソヒソ声を小耳のしながら……
「あーもうどいつもこいつもソーマ、ソーマ、ソーマ! あいつ急にモテだしやがって……!」
ソーマの親友の時河コウが、椅子にふんぞりかえって面白くなさそうな顔をしていた。
魔法拒絶者だったソーマが魔法を使えるようになったのは、友達としてとても嬉しいのだが……。
それと同時に急上昇していくソーマの女子人気には、なんだかやっぱり微妙な気分になる。
噂の当人のソーマは、ちょっと用があると言ってフイッと教室から出たきり、まだ戻ってこない。
「仕方ないよコウくん。ソーマくんて、そもそも勉強もスポーツもめちゃくちゃ頑張り屋でしょ。成績だっていつも上位ランクだし、元々みんな応援していたんだよ。ただ今まではその……」
不機嫌なコウを諭すように、隣の席のナナオが彼に微笑みかける。
けれどナナオの声は、何かを憚るように途中で小さくなって途切れた。
ソーマが人一倍の努力家であることは、クラスの誰もが認めていることだった。
けれど世界中の誰もが出来る、たった1つのこと。
『魔法』を使うことが出来ない。
ただそれだけの事が、クラスメートの大半にソーマの努力をまるで見えていないように振舞わせていた。
この世界の常識が、クラスのお荷物みたいな評価をソーマに押し付けていたのだ。
それなのに、急に魔法が使えるようになっただけで……
「ハー……」
ナナオはソーマの噂でキャーキャー言いあっている女子たちの方を向いて、ため息をついた。
(でも……)
ナナオは教室の片隅にチラッと目をやって、心の中で呟く。
(僕たちなんかより、もっとモヤモヤしているのはきっと……)
ナナオの視線の先には。
はしゃぐ女子たちからは距離を置いて1人。
自席に腰かけて考え事をしている風な、虚ろな目をしたユナの姿。
そしてそのユナの方に向かって、ツカツカと歩いて行く人影は……
#
「浮かない顔してるね、委員長?」
「……わっ!?」
窓の外に目をやってボンヤリ考え事をしていたユナの頭の上から、いきなり彼女を呼ぶ声がした。
ユナが驚いて声の方を向くと、自席の傍に立っているのはキリッとした眉毛、意志の強そうな顔をした1人の女子だった。
「式白さん……?」
ユナに近づいて来たのは、式白ナユタ。
ソーマと因縁深い、あの黒川キリトの彼女だった。
「あ、あの……魔法実技の時はなんてゆうか……」
ソーマとキリトの魔法決闘。
キリトの一方的な負けっぷりを思い出して、ユナはオズオズとナユタにかける言葉を探す。
魔法実技は見学だったユナも、ソーマとキリトの試合はしっかり見ていた。
(ビーネスにあんなモノを着けられた今のユナの体では、とても実技の着替えなんてできないし、しばらくは退院後の経過観察を理由に実技は避けるしかなかったのだ)
「ハハ、いーんだよ。あれだけ綺麗に負けたんだから、アイツもハッキリわかっただろ。少しは頭を冷やして、自分を見つめ直すいい機会かもね。それよりさ……」
ナユタを気遣うようなユナのそぶりに、彼女は右手をパタパタさせてニカッと笑った。
「今日は一緒じゃないの、ソーマくんは?」
「え、別に、知らない……」
教室を見回して不思議そうなナユタの声に、ユナの顔がキョドる。
「フーン……」
ナユタはユナの目をマジマジ見つめると、ユナの耳元に顔を寄せる。
「委員長ってさ、付き合ってるの? ソーマくんと……」
「な……ななないきなり何を!?」
小声でそう尋ねるナユタ。
ユナの顏が、見る見る真っ赤になっていく。
「付き合ってないの? でも好きなんでしょ? ソーマくんのこと?」
「ウッグウウ……」
単刀直入なナユタの質問に、ユナは変な声を漏らす。
「ハハ。分かり易すぎるなあ委員長。でも、だったらさあ……周りにもキチンと、態度で示しておいた方がいいよ?」
ナユタがユナの肩にポンと手を置いた。
ナユタの声が、さらに小さくなってユナの耳に響く。
「口さがない子たちから、もう色々言われてるよ? アンタがソーマくんに付ききりだったのは、魔法が使えない可哀そうな子にも優しくできる、イイ子ちゃんアピールだったって。ソーマくんが魔法を使えるようになったら、もうそんなアピールも要らなくなったから……彼を捨てちゃったんだって……!」
「……なにそれ、酷い!」
ナユタの口から漏れ出したのは、想像を絶する心ない言葉だった。
思わず声を荒げて、椅子から跳ね上がりそうな勢いのユナを……
「シ……」
唇に人差し指してナユタは止めた。
「だから今、態度で示す必要があるんだ。アンタがそんなヤツじゃないってことくらい知ってるよ。でもバカな子たちが考え無しに口にするエグイ噂ほど強い……。噂はいずれソーマくんの耳にも届くだろ? だからその前に……。それにもう、ソーマくんのことを気にしてるのはアンタだけじゃない。それくらいわかってるだろ? じゃあ頑張ってね。委員長……」
ユナを諭すようにそう囁くと、ナユタは再びユナの肩をポンと叩いた。
そして来たと時と同じようにキビキビした足取りでユナの席を離れていく。
「式白さん……」
ナユタの背中を見つめて、ユナは呆然。
これもナユタなりの、ユナへの気遣いなのだろうか。
「ソーマ……」
ナユタは不安げな声で、この場にいないソーマの名前を呼んだ。
ナユタの言葉の通りに。
ソーマに全て委ねたい。
ソーマの全てを許したい。
でも……
ビーネスに体を封じられたユナには、それは叶わないことだった。
「ハゥッ……!」
ユナの口から、思わず変な喘ぎが漏れた。
ビーナスにさんざん弄ばれて、体が敏感になっているのだろうか。
ビーネスの拘束具に締め付けられて、感覚がオカシクなっているのだろうか。
ソーマの顔を思い出しただけで、ユナは自分の胸がキュンとくすぐったくなり、下腹のあたりがジュワッと熱くなるのがわかった。
#
その頃。
「ど、どうしたんだよマサムネ。いきなり話があるって……」
人気のない体育館裏。
教室から抜け出したソーマは、目の前に立つ人影にオズオズとそう声をかけた。
ソーマを呼び出したのはクラスメートの氷室マサムネだった。
マサムネ……2人きりだと、やっぱり緊張する。
クラスの中ではお互い穏やかに接しているが、この前の事件であれだけの事があったのだ。
マサムネに話しかけるソーマの声は、少しギクシャクしていた。
「御崎くん……」
ソーマの様子を気にかける様子もなく、キラリと眼鏡を光らせたマサムネは淡々とした口調で話を切り出した。
「世界的な『違法触媒』流通を牛耳る犯罪王、『アルバート・ベクター教授』が2週間前にイギリスのウェイクフィールド刑務所から脱獄した。教授は既に7日前には英国外へ脱出。現在の潜伏先はこの国。そしてこの御珠市近辺である可能性が極めて高いという情報を、僕たちは英国諜報機関から入手している。そして奴の目的は、この地に生じた接界点から現れた異界者との接触であった可能性が極めて高い。現状で僕たちが把握している情報はそこまでだ……」
( ゜Д゜)……へ?
いきなりマサムネが切り出した、まるで探偵小説の一節みたいな凄い単語の数々に、ソーマは一瞬体が固まった。
「御崎くん。君たちとは、今後のためにもこの事件に関する情報共有を依頼したい。そして僕たちの捜査への協力もだ……」
相変わらず淡々とした口調で、氷室マサムネは言葉を続けた。
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