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第8章 魔針美姫〈ビースティンガー〉
第2王女
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「な、なぜ小姉上がココに……!」
姉上って、じゃあアレがルシオンの……!?
大鬼の突然の襲来で戦場になった美術館で。
戦いの最中、突然ギャラリーに飛来した美しい少女の姿を見上げてルシオンがうめいている。
ルシオンの言葉に、ソーマもまた唖然として少女を見つめていた。
艶やかな赤いドレスの背中から広がった透明な2対の翅。
腰まで伸びた銀色の髪。
顔立ちもルシオンとそっくり。
あれが、ルシオンの姉さん……でもどうしていきなり?
「探したぞ、グロム・グルダン!」
ルシオンの問いに答える様子もなく。
少女がにらみ下ろしているのは、赤金色の機甲鎧をまとった大鬼のグロムだった。
「なるほどグロム、その姿か。あたしの遊撃隊がやられた理由は……!」
「へっ! じゃあてめーが、あのとき蹴散らしてやった連中の大将ってわけか……」
アメジストみたいな少女の紫の瞳が、グロムの甲冑を舐めるように見回している。
両腕に突き立てられた何本もの針を忌々しげに見つめながらグロムはうめいた。
赤金色の装甲の合間を縫うようにして刺さった銀色の針は、少女が放ったモノのようだった。
「その通りだ、感謝しろ。行方をくらました貴様の気配を追って、このあたしが直々に貴様の首を取りに来てやったのだ。インゼクトリアの第2王女、このビーネス・ゼクト自らが!」
「グッ! やってみろクソ王女!」
グロムを指さして、ビーネスと名乗った少女は冷たく笑った。
ビーネスをにらみつけて、グロムは吼えた。
グロムの両手の掌が、ビーネスに向かって構えられていた。
ギュウウン……
何かの震えるような音と共に。
赤金色の装甲に覆われたグロムの掌に、金色の光が集中していく。
「姉上の遊撃隊が全滅? それでわざわざ……!」
ビーネスの言葉に、ルシオンは呆然としてそう呟く。
ビーネス・ゼクト、ルシオンの姉さん……大鬼は何を……あっ!?
ルシオンの瞳を通じてビーネスとグロムを交互に見回していたソーマは、何かに気づいて驚きの声を上げた。
むきだしになったビーネスのしなやかな腕を、雪のような肌を、何かが伝っていた。
光る……入れ墨? いや!
ソーマには一瞬そう見えたが、なんだか様子が違った。
まるで動く入れ墨みたいに綺麗な糸目模様を描きながら。
破壊された美術館の壁から差し込む夕日を反射してキラキラ輝きながら、滑らかな肌を滴ってゆくのは銀色の液体だった。
そして、ビーネスの腕を伝ってその手に集った銀色の流れが……細くて長い針を、少女の指先に形成してゆく!
次の瞬間。
「くたばれ!」
グロムの怒号と同時に。
ギュンッ!
オーガーの両手から、ビーネス向かって金色の閃光が放たれた。
あんなことまで!
ソーマは唖然とする。
赤金色の掌底で輝いた砲門。
光線は機甲鎧から発射されたモノだった。
ドガンッ!
金色の光の奔流がビーネスの体を飲み込んで、美術館の壁面に大穴を空けた……
と思った、だがその時だった。
「どこを狙ってる、マヌケ!」
「グアアアアアッ!」
嘲笑うビーネスの声と同時に、グロムの悲鳴があたりの空気をビリビリ震わせていた。
速い!
ソーマは感嘆の声。
背中に広がった2対の翅をしならせて。
目にも止まらぬスピードで光線をかわしたビーネスは、そのままオーガーの背面まですべりこんでいたのだ。
そしてグロムの背中には、ビーネスの指先に形成された銀色の針が深々と突き立てられていた。
「うがあああっ! 痛てえよおおおお!」
「アハハハハァ! いい声だァ! このビーネス・ゼクトの顏に泥を塗ったこと、後悔しながら地獄に行け!」
装甲の合間にから突き刺さったビーネスの針は、オーガーに凄まじい痛みを与えているらしかった。
もんどりうって鳴りやまないオーガーの悲鳴をかき消す、ビーネスの高笑い。
あ……!?
ソーマは何かを思い出した。
今日のニュース。朝方の噂話。
全身に注射みたいなものを打たれて廃人同様になって捕まったという連続暴行犯人……。
じゃあひょっとして、犯人を消したというのは……!?
「ほーれもう1本!」
「ウギャギャギャギャアアアア!」
「んーもう1本いっとくか?」
「ワギャギャグギャグギャギャ!」
もう反撃も出来ずに痛みで床を転がりまわるオーガーを見下ろしながら。
サディスティックな笑みを浮かべたビーネスが、1本、もう1本とグロムの体に自分の針を突き立てていく。
な……なんてエゲツないんだ……!
「あれが姉上の戦い方だ。姉上は……針術使いなのだ!」
目の前で繰り広げられる惨劇に呆然とするソーマ。
ルシオンもゲンナリした声で、ソーマにそう答えた。
針術使い……。
ビーネスの雪のような肌を伝う銀色の液体から形成される鋭い針。
妹のルシオンの力任せの光線召喚とは全然違う。
だが強い。
ルシオンがまるで歯が立たなかった鎧をまとっとオーガーを、まるで赤子の手をひねるみたいに……!
その時だった。
「ち、ちくしょう!」
ガチャン!
もんどりうったグロムの両の前腕を覆った機甲鎧の装甲板が転回した。
そして、シュウウウウウ……
鎧の内部からコロコロと床に転げ出たいくつもの円筒から白い煙が噴き出した。
「煙幕? 目くらまし!」
自分の掌で口を覆いながら、煙の目的に気づいたビーネスが紫の目を見開いた、その時には。
ゴオオッ!
オーガーの手足から、金色の光が噴き上がっていた。
濛々と立ち込めた白煙の中を、両手足の推進機で空中に浮きあがったグロムが……
ギュンッ! そのまま一気に加速して、煙の向こうに消えていく!
「こらー! 逃げるな卑怯者!」
「あ、姉上……!」
美しい顔を怒りに歪めて、ビーネスはグロムの消えた先をにらむ。
思いもよらない展開に、ルシオンとソーマもビーネスの方へ駆け寄っていく。
「逃がすか!」
ビーネスの背中から広がった透明な2対の翅が、煙を吹き散らして大きくしなった。
消えたグロムの行方を追ってビーネスの体が飛翔しようとした、だがその時だった。
「あ、あれ?」
ビーネスは戸惑いの声を上げていた。
力強くしなってそのままオーガーを追うはずだったビーネスの翅が、それ以上動かなかった。
一瞬で空中に舞い上がったビーネスの体が、ギャラリーの床にむかって自由落下していく。
「姉上!」
ルシオンもまた狼狽して叫んだ。
床に伏せたきり、ビーネスの体が動かない。
さっきグロムが使った煙に、何か毒でも仕込んでいたのだろうか。
「姉上! 大丈夫ですか姉上!」
自分の口と鼻を手で覆いながら、姉のもとに駆け寄るルシオンだったが……
グーギュルルルルル……
どこかで聞いたような音が、ギャラリー全体に響きわたった。
「体が動かない……お腹空いた……」
「へ?」
床から起き上がって力ない声を上げるビーネスに、ルシオンの目が点になった。
鳴っていたのは、ビーネスの腹の虫みたいだった。
なんだよ行き倒れかよ……
ビーネスの声にソーマも拍子抜けした、その時だった。
「ソーマくん? ソーマくん!」
薄れていく煙の向こうから聞きなれた声がした。
ナナオの声だ。
破壊された美術館の中を。
戻ってこないソーマのことが心配で、ここまで追いかけて来たのだろう。
「まずい、戻れルシオン!」
(おわっ!)
ナナオの声に慌てたソーマが、無理やり体の制御を自分の方に取り戻した。
シュウウウ……
立ち込める煙の中、緑の燐光に包まれたルシオンの体が、少女のものからソーマの姿へと戻っていく。
「なにしてたのさソーマくん! こんなところで!」
「わ、わるいナナオ。ちょっとまあ色々あって……」
心配そうな顔でソーマの方に駆け寄ってくるナナオ。
ソーマは口元をモゴモゴさせて、曖昧にそう答えた。
「ん、ソーマくん、その人は?」
「わかんね。でもなんか貧血で気分が悪いみたいでさ……」
ギャラリーの床にペタン座りしているビーネスに気づいて、ナナオは不思議そうに首をかしげた。
「ごーはーんー」
「え? お腹が空いてるの?」
「ああ多分、きっと。それよりさ……」
ウーウーウー……
丘の麓の方から近づいてくるサイレンの音に、ソーマがソワソワし始めた。
「早く出ようナナオ。ココに居たら色々めんどくさそうだ……」
「う、うん……」
壁に穴が空き瓦礫がまき散らされたギャラリーを後にして。
フラつくビーネスに肩を貸して足早に、ソーマとナナオはその場から駆け出していた。
#
ズゾ……ズゾゾ……ズルズルズルズル……
「お、おい。もう3杯目か?」
「いや、4杯目だ……」
その夜。
ナナオの叔父の店、『圧勝軒』のカウンター席で。
ラーメン屋の店内におよそ似つかわしくない優美なドレスをまとった美少女が、もの凄い勢いでラーメンを啜り上げている。
「おい。これ、もう1杯!」
店の常連たちが驚愕の面持ちでヒソヒソ何かささやき合う中、大盛りラーメンの4杯目を食べ終えたビーネスが、圧勝軒のバイトを呼びつけて元気にそう注文をした。
「わ、わかりました大盛り一丁ですね……」
カウンターの向こうでは、金髪で日焼けした見るからにチャラチャラした若者が頬をヒクつかせて注文に答える。
「な、なんでインゼクトリアの第2王女までこんな所に……魔王の眷属の中でも最もヤバいと言われている、ビーネス・ゼクトが……」
チャラオのグリザルドが、ビーネスの視線を避けるように洗い場を向くと小さくそう呟く。
空腹で弱り切った様子のビーネスを見かねたナナオが、自分の叔父の店まで彼女を連れて来たのだ。
(はー。とても美味しいわ。人間の世界の食べ物なんて下品で食べられたもんじゃないと思ってたけど、これは別格ね……)
(ちょ、ちょっと姉上。いったいどれだけ食べるつもりなのです!)
ビーネスの隣に座って。
1杯のラーメンをやっと食べ終えたばかりのソーマの頭の中で、ルシオンがビーネスの大食いにブツブツ文句を言っていた。
ソーマの頭には、ビーネスの声もハッキリ聞こえる。
どうやら魔王の眷属同士は、声を出さなくても心の中で会話が出来るらしかった。
「仕方ないでしょルシオン。こっちの世界の人間をちょっと掃除したせいで、少し針を使い過ぎてしまったの。あたしの針はあんたのホタルなんかよりずっと正確で強力な分、自分の体で生成しないといけないから、すごく体力が要るの……」
圧勝軒のラーメンを食べてすっかり元気を取り戻したのか。
ビーネスは涼しい顔でルシオンにそう答えた。
人間を……掃除!?
ソーマの額を冷たい汗が伝った。
連続暴行犯を始末したのは、やっぱりコイツだったのだ。
それにしても……針を生成……!
ソーマは唖然として息を飲む。
やはりあの針はビーネスの体から分泌される何かで出来ているのだ。
同じ魔王の一族でも、ルシオンとは能力も体の作りも、まるで違っているみたいだ。
「それにしても、なぜ姉上までこの世界に……あのグロム・グルダン。あの大鬼はいったい何者なのです。なぜウルヴェルクの鎧を……?」
ピタリ。
そしてルシオンの問いかけに、ラーメンを食べていたビーネスの箸が止まった。
薄青色に染まったビーネスの口元が厳しく結ばれ、アメジストみたいな紫色の瞳が、誰かこの場に居ない者を厳しく見据えているみたいだった。
#
「ああ痛つつつつつつ……! ちくしょーあの小娘。今度会ったら絶対殺す!」
人気のない夜の廃アパートだった。
黒々とした蔦で覆われた崩れかけた壁にもたれて。
赤金色の渦中に覆われた巨漢が、涙目で自分の全身から銀色の針を抜いている。
ビーネスから逃走して何処かに消えた、オーガーのグロムだった。
「ヒヤヒヤさせてくれますねグルダンさん。約束のモノは無事なんでしょうね……?」
そしてようやく針を抜き終えて。
両腕をグルグル回しているグロムに、そう尋ねながら近づいてくる人影があった。
その半身を電動の車椅子に預けた、彫の深い顔をした鷲鼻の老紳士だった。
「へっ! あたりめーだろ。約束は守るさベクターの旦那……」
男の姿に気づいたグロムが、まだ苦しそうに息を吐きながら、自分の胸部を覆った機甲鎧の装甲をガチャリと展開させる。
「上々ですグルダンさん。さあ、これでようやく準備が整った。あと用意すべきは……」
鎧の内側からグロムが取り出したモノを手渡しで受け取って、老紳士は満足そうにニヤリと笑った。
彼が手にしているのは、御珠美術館からグロムが強奪した銀色の髪飾り。
『アルティメスの髪飾り』だった。
姉上って、じゃあアレがルシオンの……!?
大鬼の突然の襲来で戦場になった美術館で。
戦いの最中、突然ギャラリーに飛来した美しい少女の姿を見上げてルシオンがうめいている。
ルシオンの言葉に、ソーマもまた唖然として少女を見つめていた。
艶やかな赤いドレスの背中から広がった透明な2対の翅。
腰まで伸びた銀色の髪。
顔立ちもルシオンとそっくり。
あれが、ルシオンの姉さん……でもどうしていきなり?
「探したぞ、グロム・グルダン!」
ルシオンの問いに答える様子もなく。
少女がにらみ下ろしているのは、赤金色の機甲鎧をまとった大鬼のグロムだった。
「なるほどグロム、その姿か。あたしの遊撃隊がやられた理由は……!」
「へっ! じゃあてめーが、あのとき蹴散らしてやった連中の大将ってわけか……」
アメジストみたいな少女の紫の瞳が、グロムの甲冑を舐めるように見回している。
両腕に突き立てられた何本もの針を忌々しげに見つめながらグロムはうめいた。
赤金色の装甲の合間を縫うようにして刺さった銀色の針は、少女が放ったモノのようだった。
「その通りだ、感謝しろ。行方をくらました貴様の気配を追って、このあたしが直々に貴様の首を取りに来てやったのだ。インゼクトリアの第2王女、このビーネス・ゼクト自らが!」
「グッ! やってみろクソ王女!」
グロムを指さして、ビーネスと名乗った少女は冷たく笑った。
ビーネスをにらみつけて、グロムは吼えた。
グロムの両手の掌が、ビーネスに向かって構えられていた。
ギュウウン……
何かの震えるような音と共に。
赤金色の装甲に覆われたグロムの掌に、金色の光が集中していく。
「姉上の遊撃隊が全滅? それでわざわざ……!」
ビーネスの言葉に、ルシオンは呆然としてそう呟く。
ビーネス・ゼクト、ルシオンの姉さん……大鬼は何を……あっ!?
ルシオンの瞳を通じてビーネスとグロムを交互に見回していたソーマは、何かに気づいて驚きの声を上げた。
むきだしになったビーネスのしなやかな腕を、雪のような肌を、何かが伝っていた。
光る……入れ墨? いや!
ソーマには一瞬そう見えたが、なんだか様子が違った。
まるで動く入れ墨みたいに綺麗な糸目模様を描きながら。
破壊された美術館の壁から差し込む夕日を反射してキラキラ輝きながら、滑らかな肌を滴ってゆくのは銀色の液体だった。
そして、ビーネスの腕を伝ってその手に集った銀色の流れが……細くて長い針を、少女の指先に形成してゆく!
次の瞬間。
「くたばれ!」
グロムの怒号と同時に。
ギュンッ!
オーガーの両手から、ビーネス向かって金色の閃光が放たれた。
あんなことまで!
ソーマは唖然とする。
赤金色の掌底で輝いた砲門。
光線は機甲鎧から発射されたモノだった。
ドガンッ!
金色の光の奔流がビーネスの体を飲み込んで、美術館の壁面に大穴を空けた……
と思った、だがその時だった。
「どこを狙ってる、マヌケ!」
「グアアアアアッ!」
嘲笑うビーネスの声と同時に、グロムの悲鳴があたりの空気をビリビリ震わせていた。
速い!
ソーマは感嘆の声。
背中に広がった2対の翅をしならせて。
目にも止まらぬスピードで光線をかわしたビーネスは、そのままオーガーの背面まですべりこんでいたのだ。
そしてグロムの背中には、ビーネスの指先に形成された銀色の針が深々と突き立てられていた。
「うがあああっ! 痛てえよおおおお!」
「アハハハハァ! いい声だァ! このビーネス・ゼクトの顏に泥を塗ったこと、後悔しながら地獄に行け!」
装甲の合間にから突き刺さったビーネスの針は、オーガーに凄まじい痛みを与えているらしかった。
もんどりうって鳴りやまないオーガーの悲鳴をかき消す、ビーネスの高笑い。
あ……!?
ソーマは何かを思い出した。
今日のニュース。朝方の噂話。
全身に注射みたいなものを打たれて廃人同様になって捕まったという連続暴行犯人……。
じゃあひょっとして、犯人を消したというのは……!?
「ほーれもう1本!」
「ウギャギャギャギャアアアア!」
「んーもう1本いっとくか?」
「ワギャギャグギャグギャギャ!」
もう反撃も出来ずに痛みで床を転がりまわるオーガーを見下ろしながら。
サディスティックな笑みを浮かべたビーネスが、1本、もう1本とグロムの体に自分の針を突き立てていく。
な……なんてエゲツないんだ……!
「あれが姉上の戦い方だ。姉上は……針術使いなのだ!」
目の前で繰り広げられる惨劇に呆然とするソーマ。
ルシオンもゲンナリした声で、ソーマにそう答えた。
針術使い……。
ビーネスの雪のような肌を伝う銀色の液体から形成される鋭い針。
妹のルシオンの力任せの光線召喚とは全然違う。
だが強い。
ルシオンがまるで歯が立たなかった鎧をまとっとオーガーを、まるで赤子の手をひねるみたいに……!
その時だった。
「ち、ちくしょう!」
ガチャン!
もんどりうったグロムの両の前腕を覆った機甲鎧の装甲板が転回した。
そして、シュウウウウウ……
鎧の内部からコロコロと床に転げ出たいくつもの円筒から白い煙が噴き出した。
「煙幕? 目くらまし!」
自分の掌で口を覆いながら、煙の目的に気づいたビーネスが紫の目を見開いた、その時には。
ゴオオッ!
オーガーの手足から、金色の光が噴き上がっていた。
濛々と立ち込めた白煙の中を、両手足の推進機で空中に浮きあがったグロムが……
ギュンッ! そのまま一気に加速して、煙の向こうに消えていく!
「こらー! 逃げるな卑怯者!」
「あ、姉上……!」
美しい顔を怒りに歪めて、ビーネスはグロムの消えた先をにらむ。
思いもよらない展開に、ルシオンとソーマもビーネスの方へ駆け寄っていく。
「逃がすか!」
ビーネスの背中から広がった透明な2対の翅が、煙を吹き散らして大きくしなった。
消えたグロムの行方を追ってビーネスの体が飛翔しようとした、だがその時だった。
「あ、あれ?」
ビーネスは戸惑いの声を上げていた。
力強くしなってそのままオーガーを追うはずだったビーネスの翅が、それ以上動かなかった。
一瞬で空中に舞い上がったビーネスの体が、ギャラリーの床にむかって自由落下していく。
「姉上!」
ルシオンもまた狼狽して叫んだ。
床に伏せたきり、ビーネスの体が動かない。
さっきグロムが使った煙に、何か毒でも仕込んでいたのだろうか。
「姉上! 大丈夫ですか姉上!」
自分の口と鼻を手で覆いながら、姉のもとに駆け寄るルシオンだったが……
グーギュルルルルル……
どこかで聞いたような音が、ギャラリー全体に響きわたった。
「体が動かない……お腹空いた……」
「へ?」
床から起き上がって力ない声を上げるビーネスに、ルシオンの目が点になった。
鳴っていたのは、ビーネスの腹の虫みたいだった。
なんだよ行き倒れかよ……
ビーネスの声にソーマも拍子抜けした、その時だった。
「ソーマくん? ソーマくん!」
薄れていく煙の向こうから聞きなれた声がした。
ナナオの声だ。
破壊された美術館の中を。
戻ってこないソーマのことが心配で、ここまで追いかけて来たのだろう。
「まずい、戻れルシオン!」
(おわっ!)
ナナオの声に慌てたソーマが、無理やり体の制御を自分の方に取り戻した。
シュウウウ……
立ち込める煙の中、緑の燐光に包まれたルシオンの体が、少女のものからソーマの姿へと戻っていく。
「なにしてたのさソーマくん! こんなところで!」
「わ、わるいナナオ。ちょっとまあ色々あって……」
心配そうな顔でソーマの方に駆け寄ってくるナナオ。
ソーマは口元をモゴモゴさせて、曖昧にそう答えた。
「ん、ソーマくん、その人は?」
「わかんね。でもなんか貧血で気分が悪いみたいでさ……」
ギャラリーの床にペタン座りしているビーネスに気づいて、ナナオは不思議そうに首をかしげた。
「ごーはーんー」
「え? お腹が空いてるの?」
「ああ多分、きっと。それよりさ……」
ウーウーウー……
丘の麓の方から近づいてくるサイレンの音に、ソーマがソワソワし始めた。
「早く出ようナナオ。ココに居たら色々めんどくさそうだ……」
「う、うん……」
壁に穴が空き瓦礫がまき散らされたギャラリーを後にして。
フラつくビーネスに肩を貸して足早に、ソーマとナナオはその場から駆け出していた。
#
ズゾ……ズゾゾ……ズルズルズルズル……
「お、おい。もう3杯目か?」
「いや、4杯目だ……」
その夜。
ナナオの叔父の店、『圧勝軒』のカウンター席で。
ラーメン屋の店内におよそ似つかわしくない優美なドレスをまとった美少女が、もの凄い勢いでラーメンを啜り上げている。
「おい。これ、もう1杯!」
店の常連たちが驚愕の面持ちでヒソヒソ何かささやき合う中、大盛りラーメンの4杯目を食べ終えたビーネスが、圧勝軒のバイトを呼びつけて元気にそう注文をした。
「わ、わかりました大盛り一丁ですね……」
カウンターの向こうでは、金髪で日焼けした見るからにチャラチャラした若者が頬をヒクつかせて注文に答える。
「な、なんでインゼクトリアの第2王女までこんな所に……魔王の眷属の中でも最もヤバいと言われている、ビーネス・ゼクトが……」
チャラオのグリザルドが、ビーネスの視線を避けるように洗い場を向くと小さくそう呟く。
空腹で弱り切った様子のビーネスを見かねたナナオが、自分の叔父の店まで彼女を連れて来たのだ。
(はー。とても美味しいわ。人間の世界の食べ物なんて下品で食べられたもんじゃないと思ってたけど、これは別格ね……)
(ちょ、ちょっと姉上。いったいどれだけ食べるつもりなのです!)
ビーネスの隣に座って。
1杯のラーメンをやっと食べ終えたばかりのソーマの頭の中で、ルシオンがビーネスの大食いにブツブツ文句を言っていた。
ソーマの頭には、ビーネスの声もハッキリ聞こえる。
どうやら魔王の眷属同士は、声を出さなくても心の中で会話が出来るらしかった。
「仕方ないでしょルシオン。こっちの世界の人間をちょっと掃除したせいで、少し針を使い過ぎてしまったの。あたしの針はあんたのホタルなんかよりずっと正確で強力な分、自分の体で生成しないといけないから、すごく体力が要るの……」
圧勝軒のラーメンを食べてすっかり元気を取り戻したのか。
ビーネスは涼しい顔でルシオンにそう答えた。
人間を……掃除!?
ソーマの額を冷たい汗が伝った。
連続暴行犯を始末したのは、やっぱりコイツだったのだ。
それにしても……針を生成……!
ソーマは唖然として息を飲む。
やはりあの針はビーネスの体から分泌される何かで出来ているのだ。
同じ魔王の一族でも、ルシオンとは能力も体の作りも、まるで違っているみたいだ。
「それにしても、なぜ姉上までこの世界に……あのグロム・グルダン。あの大鬼はいったい何者なのです。なぜウルヴェルクの鎧を……?」
ピタリ。
そしてルシオンの問いかけに、ラーメンを食べていたビーネスの箸が止まった。
薄青色に染まったビーネスの口元が厳しく結ばれ、アメジストみたいな紫色の瞳が、誰かこの場に居ない者を厳しく見据えているみたいだった。
#
「ああ痛つつつつつつ……! ちくしょーあの小娘。今度会ったら絶対殺す!」
人気のない夜の廃アパートだった。
黒々とした蔦で覆われた崩れかけた壁にもたれて。
赤金色の渦中に覆われた巨漢が、涙目で自分の全身から銀色の針を抜いている。
ビーネスから逃走して何処かに消えた、オーガーのグロムだった。
「ヒヤヒヤさせてくれますねグルダンさん。約束のモノは無事なんでしょうね……?」
そしてようやく針を抜き終えて。
両腕をグルグル回しているグロムに、そう尋ねながら近づいてくる人影があった。
その半身を電動の車椅子に預けた、彫の深い顔をした鷲鼻の老紳士だった。
「へっ! あたりめーだろ。約束は守るさベクターの旦那……」
男の姿に気づいたグロムが、まだ苦しそうに息を吐きながら、自分の胸部を覆った機甲鎧の装甲をガチャリと展開させる。
「上々ですグルダンさん。さあ、これでようやく準備が整った。あと用意すべきは……」
鎧の内側からグロムが取り出したモノを手渡しで受け取って、老紳士は満足そうにニヤリと笑った。
彼が手にしているのは、御珠美術館からグロムが強奪した銀色の髪飾り。
『アルティメスの髪飾り』だった。
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