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第5章 真敵顕現〈エネミーライゼス〉
現れし影
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「うおおおおおおお!」
腹の底から振り絞るような気合と一緒に、ルシオンがその場から立ち上がった。
傷ついた右肩を押さえながら、紅玉みたいな真っ赤な瞳でリュトムスをにらみつける。
これは……!
ソーマはルシオンの体の周りで起きている異変に、再び息を飲んだ。
兵士たちがアサルトライフルから発射した光弾が、ルシオンの体を逸れていく。
2日前のあの夜。
初めてルシオンと出会ったときと同じだった。
あの時の戦闘でも、兵士たちの攻撃はルシオンの肉体に傷ひとつつける事が出来なかった。
そして、あの夜の暗闇では見てとることの出来なかった異変が、今のソーマにはハッキリわかった。
ルシオンの体の周囲を、チラチラと輝く光の粒子が漂っていた。
兵士たちの放った光弾は、青紫色に瞬くその粒子に触れると、たちまち軌道を歪めていくのだ。
コゼットか!
ソーマもようやく理解した。
攻撃を弾いているのはルシオンの能力ではなかった。
輝く鎧に身を包んだコゼット。
その背中から広がった美しい翅から舞い散る鱗粉が、攻撃の軌道を歪めているのだ!
「鱗粉防壁……1万の軍勢の放つ矢を、いや巨竜の炎をも防ぎ切ると謳われた伝説の妙技。まさに『インゼクトリアの盾』の異名に違わぬ素晴らしい力ですな。しかし……」
リュトムスが感心したように大きく息を吐くと、コゼットの方を見て笑った。
「あなたの防壁が王女とあなたを弾丸から守るには、その鱗粉の力の範囲を限りなく『拡散』させる必要がある。ですが、そうすると……」
リュトムスがそう言って、再びルシオンに向かって拳を構えた。
「さっきみたいに力を『凝縮』させて私の拳を防ぐことが出来なくなる。さあ、この傷ついた非力な王女を庇って、どう戦うおつもりですか?」
リュトムスの狙いは、あくまでも傷ついたルシオンのようだった。
嗜虐の笑みを浮かべて舌なめずりしながら、食屍鬼が再びルシオンににじり寄ってきた。
ルシオンは、キッとリュトムスをにらみ返した。
血まみれの体、涙でグチャグチャの顏。
だがその目は、もうリュトムスから逃げていなかった。
負け犬の目ではなかった。
「勘違いしないでください。わたくしの鱗粉防壁は、もうルシオン様を守る必要はないのです。ルシオン様はご自分の力で立ち上がった。だからもう、その必要はないのです……」
「必要……ない?」
コゼットの言葉に、リュトムスがいぶかしげな声。
コゼットはリュトムスを向いて、優雅に微笑んでいる。
だが食屍鬼を見つめるコバルトブルーの瞳には、底の知れない湖みたいに冷たい光があった。
「はい。わたくしの鱗粉防壁は守るためのモノではありません。浅ましい食屍鬼を、我が主……ルシオン様を愚弄したお前を地獄に送るためのモノ!」
「な……これは!?」
コゼットの唇に、冷たい笑みが浮かんでいた。
自分のまわりを漂う異様な気配に気づいて、リュトムスは戸惑いの声を上げた。
ヒュンッ……!
ヒュンッ……!
ヒュンッ……!
風を切るような鋭い音とともに、緑色の閃光がリュトムスの周囲を飛び交っていた。
「ルシフェリック……アロー……!」
「これは……王女の『矢』!」
ルシオンは、静かにそう呟いていた。
リュトムスが気づいたと時には、もう遅かった。
飛び交う光。
ルシオンが再びホタルから放った光の矢。
それがコゼットのまき散らした輝く鱗粉に乱反射して、次々リュトムスの体に突き刺さっていく。
「攻撃の『反射』! こんなことのために……!?」
リュトムスが忌々しげに顔を歪める。
矢が食屍鬼の膝に突き刺さる。
腕に突き刺さる。
顔に、足に、胸に、わき腹に、次々突き刺さって、リュトムスの体から自由を奪っていく!
「うおおおおお!」
そしてルシオンが、リュトムスに向かって駆けだした。
右手の拳に力を込めて。
自分の倍ほどもある食屍鬼に向かって、正面から殴りかかる!
「わたしにも、一発殴らせろッ!」
「愚かな……拳で私に勝てるとでも……!?」
不敵に笑って防御の構えを取ったリュトムスが次の瞬間、声を失っていた。
食屍鬼は見たのだ。
ルシオンの拳に集まっていく緑色の輝きを。
彼女のホタルから放たれた光。
ルシオンの右拳に凄い勢いでチャージされてゆく力の凝縮を!
「ルシフェリック・マグナム!!」
バコオオオオーーーーンン!!
次の瞬間。
ルシオンの放った光の拳が、リュトムスの構えた両腕を空中に吹き飛ばしていた。
ルシオンの渾身のフィニッシュブローが、食屍鬼の両手をもぎ取って彼の胸に叩き込まれていた!
「ガアアアアアアッ!」
悲鳴を上げてフッ飛ばされるリュトムスの体。
ルシオンの一撃で胸に大穴を空けたリュトムスが、地面スレスレを10メートル以上飛んでそのまま鉄柵に激突した。
……すごい!
ルシオンの中のソーマも思わずそう叫んだ。
さっきまで手も足も出なかった、あの恐ろしい食屍鬼を。
コゼットの援護があったとはいえ、ルシオンは正面から叩きのめしたのだ。
両腕を失って胸に大穴を空けたリュトムスは、もう再起不能に見えた。
だが、その時だった。
「グ……ウウウ……!」
……嘘だろ!?
10メートル向こうに目をやって、ソーマは驚きの声を上げた。
リュトムスが、フラついた足どりで地面から立ち上がっていた。
全身ボロボロになりながら。
だが食屍鬼はまだ、生きていた!
「ああクソ! わたしの腕が……!」
リュトムスが忌々しげに首を振って、ルシオンの方を向いた。
「やってくれましたね王女様……!」
「あいつ、まだ……!」
リュトムスが、ものすごい形相でルシオンをにらんでいた。
ルシオンのホタルが、リュトムスに照準を定める。
「私としたことが。あなたを見くびっていたようだ……『食事』の続きはまたの機会にしましょう。今度はコゼット殿と一緒に、最後まで美味しくいただきます……」
リュトムスはルシオンとコゼットを交互に見回して、ニタリと笑った。
そして……。
「プリエル殿!」
フードコートの一角を向いて、食屍鬼はそう叫んだ、次の瞬間。
ザザアアアアアアアア……
フードコートの奥から、何かが這い出してきた。
「何だアレは……!?」
ルシオンに銃を向けながら、彼女とリュトムスの戦いを呆然と見ていた兵士たちが戸惑いの声を上げた。
這い出してきたのは、何百……いや何千匹もの真っ赤なヘビの塊だった。
ヘビたちは絡みあり、蠢きながら路上に躍り出てくる。
まるでソレ自体が1つの生物であるかのように。
そして、その異様な蛇の塊の上には、更に異様なモノが乗っていた。
それはゆったりとした桃色のケープで上半身を隠した、小さな少女の姿だった。
少女の下半身は、蠢くヘビの塊に腰まで浸かっていた。
長く伸ばした燃えたつ炎の様な紅色の髪が、ヘビと一体化してザワザワと揺らいでいた。
「うあああああ! バケモノ!」
「撃て! 撃て!」
少女の……這い出してきたプリエルの異様な姿に兵士たちの悲鳴が響く。
兵士の射撃が次々ヘビの塊に突き刺さっていく。
だが2、3匹蛇が千切れるだけで大したダメージは受けていないようだった。
「まったく仕方がありませんねリュトムス。威勢の良いことを言っていたのに、なんですその姿は……」
「面目ありませんプリエル殿。この借りは必ず返しますので、私の腕の回収をお願いできませんか……?」
リュトムスが、プリエルに向かって慇懃に頭を下げた次の瞬間。
ブワァアッ!
プリエルの乗っていたヘビの塊が、一斉に膨れ上がった。
#
「なんだっ!」
ルシオンが目を見開いて驚きの声。
路上に這い出して来たプリエルの乗った無数のヘビたち。
プリエルの紅色の髪が変身した『アビムの赤蛇』。
そのヘビの塊が、ルシオンと兵士たちの目の前でいきなりまき散らされた!
そして……。
「ギャアアアアッ!」
「助けて! 助けて!」
ギュンッ! ギュンッ! ギュンッ!
兵士たちの絶叫と、でたらめに飛び交う銃声と銀色の光弾。
プリエルから解き放たれ路上に溢れかえったヘビが、ルシオンと兵士たちに一斉に襲い掛かったのだ!
「クッ! あいつ何を!?」
忌々しげに頭を振りながら、ルシオンは自分の矢で次々にヘビたちを撃ち抜いていく。
「落ち着け! コンバットスーツは安全だ! 落ち着いて1匹ずつ始末しろ!」
兵士のリーダーが、部下たちに必死でそう呼びかける。
だが、一度始まったパニックは、簡単には収まらないようだった。
真っ赤なヘビたちに絡みつかれて、悲鳴を上げて逃げまどう彼の部下たち。
「それでは王女様。またの機会に……」
「リュトムス! 待て!」
リュトムスの姿が、溢れかえるヘビの合間に消えてゆく。
ルシオンは食屍鬼を追いかけようとするいが、襲い掛かるヘビたちに阻まれて身動きが出来なかった。
その時だった。
「ルシオン様。ここはわたくしにお任せください!」
「コゼット!」
バサアッ!
ルシオンの頭の上で、翅のしなる音がした。
ルシオンが声の方を見上げると、そこには銀色の鎧をまとったコゼットの姿があった。
コゼットは青紫の優美な翅をはばたかせて、空からヘビたちを見下ろしている。
コゼットの翅からまき散らされた輝く鱗粉が、ふたたび辺りに漂っていた。
そしてコゼットが自分の頭上に高々とかざしているのは右手に持った銀色の戦槌だった。
「ルシオン様。そしてみなさま方。少しシビレますけど我慢ですよー!」
「わっ! アレをやるのかコゼット!?」
ルシオンと兵士たちを見回しながら優雅に微笑むコゼット。
ルシオンの顏が、オロオロしていた。
『裁きの聖槌!』
戦槌を高々と掲げたコゼットが空中でそう叫ぶと……!
バチンッ!
ビリビリビリビリビリビリビリビリ……
コゼットの手の中で、眩い光が炸裂した。
戦槌から放たれた黄金の稲妻。
その稲妻がコゼットの鱗粉に乱反射しながら、地上の蛇たちを一斉に貫いてゆく!
「ぐうううう!」
「わぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃッ!」
苦痛に耐えるルシオンの声。
地面を転げまわって痙攣する兵士たちの悲鳴。
そしてコゼットの放った稲妻がすっかり消え去る頃には、地上で生きて動いてるヘビは1匹もいなかった。
みんなコゼットの稲妻に打たれて、地面に散らばっている。
ヘビたちは全て死んでいた。
「ああ痛つつつつつ……こらコゼット! アレをやるなら先に言え! めちゃくちゃビリビリしたぞ!」
「申し訳ありませんルシオン様。ですが『アビムの赤蛇』には、わたくしの雷撃が一番キクのです。犠牲を最小に収めるために、とっさのご無礼を……」
拳を振り上げてプンプンするルシオンに、コゼットは澄ました顔でそう答えた。
ルシオンが周りを見回せば、兵士たちはみな地面に転がってピクピク痙攣していた。
死んではいないようだが、完全に気絶しているようだった。
食屍鬼リュトムスの姿は、もうこの場にはなかった。
ルシオンがもぎ取ったリュトムスの両腕も。
蛇を放ったプリエルの姿も。
蛇にまぎれて、何処かに逃げ去ったのだろうか。
「ルシオン様。よく頑張りましたね。あのリュトムスをご自身の手で!」
「ウウウウウ……コゼット。すごく……怖かったぞ……!」
そして、ルシオンの前に降り立ったコゼットが、ニッコリ微笑んでルシオンの頭をナデナデした。
さっきまでの冷たい声とは様変わりした、いつもの優しいコゼットの声だった。
ルシオンは、半分涙目になりながらコゼットの手をキュッと握った。
#
いったい何が起きた!
彼は暗闇の中で自分の体をチェックする。
いきなり目の前に溢れかえったヘビの群れ。
パニックに陥った部下たち。
そして、空から炸裂した金色の稲妻。
まだ体が痺れる。
目の前が真っ暗だ。
視覚センサーが、さっきの攻撃で壊れてしまったようだ。
彼は痺れる体にどうにか力を込める。
まだ任務は終わっていない。
アイツを、標的を仕留めるまでは。
罪もない市民の命を無差別に奪い去った、アイツの命を仕留めるまでは!
#
「グググ……待てキサマ!」
「お前? まだ……!?」
路上から苦しげな声を上げながら立ちあがった者の姿に、ルシオンは息を飲んだ。
立ち上がり、ルシオンに銃を向けているのは雷撃で気絶したはずの兵士の1人。
さっきルシオンへの銃撃を命令した兵士たちのリーダーだった。
リーダーは、自分のヘルメットを脱ぎ捨てていた。
センサーが故障して視界を遮っていたモノを脱ぎ捨てて、この場に素顔を晒していた。
……あっ!!!
その素顔を目にして、ソーマは愕然として息を飲んだ。
そいつは、ソーマにも見覚えのある顔だった。
いや、見覚えがあるどころの話じゃない。
彼のクラスメートだった。
ルシオンを厳しい顔でにらみつけているのは、氷室マサムネだった。
……マサムネ!
「なんだコイツ。今日ガッコウにいたヤツじゃないか?」
驚いてマサムネの名を呼ぶソーマに、ルシオンも不思議そうに首をかしげた。
「逃がさない! 逃がさない! 逃がさない!」
マサムネが怒りの声を上げて、ルシオンに近づいて来た。
ルシオンに構えられたアサルトライフルの引き金に力がこもる。
だが、ギュン……
ライフルから光弾は発射されなかった。
エネルギーが尽きたのだろうか。
コゼットの雷撃で故障したのだろうか。
一瞬にぶい音を上げて、アサルトライフルはそのまま沈黙した。
と同時に、ガクン。
マサムネが地面に膝をついた。
今の一撃で力を使い果たしたのか、苦しそうに息を吐いて再びマサムネの体が路上に転がった。
マサムネ!
マサムネ!
「わっ! いきなりなんだ」
ソーマはルシオンの体を操って、マサムネに駆け寄った。
マサムネを抱き起し安否を確かめる。
息はしている。
怪我もないようだ。
ただ、再び気を失っているだけみたいだった。
「マサムネ。どうしてお前が……!」
ソーマがマサムネの顔を見つめて、呆然とそう呟いた。
その時だった。
パラパラパラパラ……
上空から、回転翼の乾いた響きが接近してきた。
銀色のヘリコプターが、クロスガーデン御珠の真ん中に着陸しようとしている。
「あれは人間の……援軍でしょうか?」
コゼットが不安げな声を上げる。
この場から、身を隠した方がよさそうだ。
ソーマはマサムネの体をその場に横たえて、立ち上がった。
そして……。
#
「マサムネ! マサムネ!」
「……あっ!」
銀色のヘリコプターから降り立ってマサムネに駆け寄る者がいた。
自分の姿に戻って物陰に身を潜めていたソーマは、そいつの姿を見て思わず驚きの声を漏らした。
マサムネに駆け寄った人物。
高級そうなグレイのスーツに身をつつんだ長身。
綺麗に撫でつけた半白の髪。
2日前のあの夜。
御魂山でルシオンたちの剣を持ち去った、あの男だった。
「『所長』……!」
マサムネを抱き上げるその男を見て、ソーマはうめいた。
#
「父さん……!」
『所長』の腕の中。
薄っすらと目を開けたマサムネは、苦しげな息を吐きながら小さくそう呟いていた。
腹の底から振り絞るような気合と一緒に、ルシオンがその場から立ち上がった。
傷ついた右肩を押さえながら、紅玉みたいな真っ赤な瞳でリュトムスをにらみつける。
これは……!
ソーマはルシオンの体の周りで起きている異変に、再び息を飲んだ。
兵士たちがアサルトライフルから発射した光弾が、ルシオンの体を逸れていく。
2日前のあの夜。
初めてルシオンと出会ったときと同じだった。
あの時の戦闘でも、兵士たちの攻撃はルシオンの肉体に傷ひとつつける事が出来なかった。
そして、あの夜の暗闇では見てとることの出来なかった異変が、今のソーマにはハッキリわかった。
ルシオンの体の周囲を、チラチラと輝く光の粒子が漂っていた。
兵士たちの放った光弾は、青紫色に瞬くその粒子に触れると、たちまち軌道を歪めていくのだ。
コゼットか!
ソーマもようやく理解した。
攻撃を弾いているのはルシオンの能力ではなかった。
輝く鎧に身を包んだコゼット。
その背中から広がった美しい翅から舞い散る鱗粉が、攻撃の軌道を歪めているのだ!
「鱗粉防壁……1万の軍勢の放つ矢を、いや巨竜の炎をも防ぎ切ると謳われた伝説の妙技。まさに『インゼクトリアの盾』の異名に違わぬ素晴らしい力ですな。しかし……」
リュトムスが感心したように大きく息を吐くと、コゼットの方を見て笑った。
「あなたの防壁が王女とあなたを弾丸から守るには、その鱗粉の力の範囲を限りなく『拡散』させる必要がある。ですが、そうすると……」
リュトムスがそう言って、再びルシオンに向かって拳を構えた。
「さっきみたいに力を『凝縮』させて私の拳を防ぐことが出来なくなる。さあ、この傷ついた非力な王女を庇って、どう戦うおつもりですか?」
リュトムスの狙いは、あくまでも傷ついたルシオンのようだった。
嗜虐の笑みを浮かべて舌なめずりしながら、食屍鬼が再びルシオンににじり寄ってきた。
ルシオンは、キッとリュトムスをにらみ返した。
血まみれの体、涙でグチャグチャの顏。
だがその目は、もうリュトムスから逃げていなかった。
負け犬の目ではなかった。
「勘違いしないでください。わたくしの鱗粉防壁は、もうルシオン様を守る必要はないのです。ルシオン様はご自分の力で立ち上がった。だからもう、その必要はないのです……」
「必要……ない?」
コゼットの言葉に、リュトムスがいぶかしげな声。
コゼットはリュトムスを向いて、優雅に微笑んでいる。
だが食屍鬼を見つめるコバルトブルーの瞳には、底の知れない湖みたいに冷たい光があった。
「はい。わたくしの鱗粉防壁は守るためのモノではありません。浅ましい食屍鬼を、我が主……ルシオン様を愚弄したお前を地獄に送るためのモノ!」
「な……これは!?」
コゼットの唇に、冷たい笑みが浮かんでいた。
自分のまわりを漂う異様な気配に気づいて、リュトムスは戸惑いの声を上げた。
ヒュンッ……!
ヒュンッ……!
ヒュンッ……!
風を切るような鋭い音とともに、緑色の閃光がリュトムスの周囲を飛び交っていた。
「ルシフェリック……アロー……!」
「これは……王女の『矢』!」
ルシオンは、静かにそう呟いていた。
リュトムスが気づいたと時には、もう遅かった。
飛び交う光。
ルシオンが再びホタルから放った光の矢。
それがコゼットのまき散らした輝く鱗粉に乱反射して、次々リュトムスの体に突き刺さっていく。
「攻撃の『反射』! こんなことのために……!?」
リュトムスが忌々しげに顔を歪める。
矢が食屍鬼の膝に突き刺さる。
腕に突き刺さる。
顔に、足に、胸に、わき腹に、次々突き刺さって、リュトムスの体から自由を奪っていく!
「うおおおおお!」
そしてルシオンが、リュトムスに向かって駆けだした。
右手の拳に力を込めて。
自分の倍ほどもある食屍鬼に向かって、正面から殴りかかる!
「わたしにも、一発殴らせろッ!」
「愚かな……拳で私に勝てるとでも……!?」
不敵に笑って防御の構えを取ったリュトムスが次の瞬間、声を失っていた。
食屍鬼は見たのだ。
ルシオンの拳に集まっていく緑色の輝きを。
彼女のホタルから放たれた光。
ルシオンの右拳に凄い勢いでチャージされてゆく力の凝縮を!
「ルシフェリック・マグナム!!」
バコオオオオーーーーンン!!
次の瞬間。
ルシオンの放った光の拳が、リュトムスの構えた両腕を空中に吹き飛ばしていた。
ルシオンの渾身のフィニッシュブローが、食屍鬼の両手をもぎ取って彼の胸に叩き込まれていた!
「ガアアアアアアッ!」
悲鳴を上げてフッ飛ばされるリュトムスの体。
ルシオンの一撃で胸に大穴を空けたリュトムスが、地面スレスレを10メートル以上飛んでそのまま鉄柵に激突した。
……すごい!
ルシオンの中のソーマも思わずそう叫んだ。
さっきまで手も足も出なかった、あの恐ろしい食屍鬼を。
コゼットの援護があったとはいえ、ルシオンは正面から叩きのめしたのだ。
両腕を失って胸に大穴を空けたリュトムスは、もう再起不能に見えた。
だが、その時だった。
「グ……ウウウ……!」
……嘘だろ!?
10メートル向こうに目をやって、ソーマは驚きの声を上げた。
リュトムスが、フラついた足どりで地面から立ち上がっていた。
全身ボロボロになりながら。
だが食屍鬼はまだ、生きていた!
「ああクソ! わたしの腕が……!」
リュトムスが忌々しげに首を振って、ルシオンの方を向いた。
「やってくれましたね王女様……!」
「あいつ、まだ……!」
リュトムスが、ものすごい形相でルシオンをにらんでいた。
ルシオンのホタルが、リュトムスに照準を定める。
「私としたことが。あなたを見くびっていたようだ……『食事』の続きはまたの機会にしましょう。今度はコゼット殿と一緒に、最後まで美味しくいただきます……」
リュトムスはルシオンとコゼットを交互に見回して、ニタリと笑った。
そして……。
「プリエル殿!」
フードコートの一角を向いて、食屍鬼はそう叫んだ、次の瞬間。
ザザアアアアアアアア……
フードコートの奥から、何かが這い出してきた。
「何だアレは……!?」
ルシオンに銃を向けながら、彼女とリュトムスの戦いを呆然と見ていた兵士たちが戸惑いの声を上げた。
這い出してきたのは、何百……いや何千匹もの真っ赤なヘビの塊だった。
ヘビたちは絡みあり、蠢きながら路上に躍り出てくる。
まるでソレ自体が1つの生物であるかのように。
そして、その異様な蛇の塊の上には、更に異様なモノが乗っていた。
それはゆったりとした桃色のケープで上半身を隠した、小さな少女の姿だった。
少女の下半身は、蠢くヘビの塊に腰まで浸かっていた。
長く伸ばした燃えたつ炎の様な紅色の髪が、ヘビと一体化してザワザワと揺らいでいた。
「うあああああ! バケモノ!」
「撃て! 撃て!」
少女の……這い出してきたプリエルの異様な姿に兵士たちの悲鳴が響く。
兵士の射撃が次々ヘビの塊に突き刺さっていく。
だが2、3匹蛇が千切れるだけで大したダメージは受けていないようだった。
「まったく仕方がありませんねリュトムス。威勢の良いことを言っていたのに、なんですその姿は……」
「面目ありませんプリエル殿。この借りは必ず返しますので、私の腕の回収をお願いできませんか……?」
リュトムスが、プリエルに向かって慇懃に頭を下げた次の瞬間。
ブワァアッ!
プリエルの乗っていたヘビの塊が、一斉に膨れ上がった。
#
「なんだっ!」
ルシオンが目を見開いて驚きの声。
路上に這い出して来たプリエルの乗った無数のヘビたち。
プリエルの紅色の髪が変身した『アビムの赤蛇』。
そのヘビの塊が、ルシオンと兵士たちの目の前でいきなりまき散らされた!
そして……。
「ギャアアアアッ!」
「助けて! 助けて!」
ギュンッ! ギュンッ! ギュンッ!
兵士たちの絶叫と、でたらめに飛び交う銃声と銀色の光弾。
プリエルから解き放たれ路上に溢れかえったヘビが、ルシオンと兵士たちに一斉に襲い掛かったのだ!
「クッ! あいつ何を!?」
忌々しげに頭を振りながら、ルシオンは自分の矢で次々にヘビたちを撃ち抜いていく。
「落ち着け! コンバットスーツは安全だ! 落ち着いて1匹ずつ始末しろ!」
兵士のリーダーが、部下たちに必死でそう呼びかける。
だが、一度始まったパニックは、簡単には収まらないようだった。
真っ赤なヘビたちに絡みつかれて、悲鳴を上げて逃げまどう彼の部下たち。
「それでは王女様。またの機会に……」
「リュトムス! 待て!」
リュトムスの姿が、溢れかえるヘビの合間に消えてゆく。
ルシオンは食屍鬼を追いかけようとするいが、襲い掛かるヘビたちに阻まれて身動きが出来なかった。
その時だった。
「ルシオン様。ここはわたくしにお任せください!」
「コゼット!」
バサアッ!
ルシオンの頭の上で、翅のしなる音がした。
ルシオンが声の方を見上げると、そこには銀色の鎧をまとったコゼットの姿があった。
コゼットは青紫の優美な翅をはばたかせて、空からヘビたちを見下ろしている。
コゼットの翅からまき散らされた輝く鱗粉が、ふたたび辺りに漂っていた。
そしてコゼットが自分の頭上に高々とかざしているのは右手に持った銀色の戦槌だった。
「ルシオン様。そしてみなさま方。少しシビレますけど我慢ですよー!」
「わっ! アレをやるのかコゼット!?」
ルシオンと兵士たちを見回しながら優雅に微笑むコゼット。
ルシオンの顏が、オロオロしていた。
『裁きの聖槌!』
戦槌を高々と掲げたコゼットが空中でそう叫ぶと……!
バチンッ!
ビリビリビリビリビリビリビリビリ……
コゼットの手の中で、眩い光が炸裂した。
戦槌から放たれた黄金の稲妻。
その稲妻がコゼットの鱗粉に乱反射しながら、地上の蛇たちを一斉に貫いてゆく!
「ぐうううう!」
「わぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃッ!」
苦痛に耐えるルシオンの声。
地面を転げまわって痙攣する兵士たちの悲鳴。
そしてコゼットの放った稲妻がすっかり消え去る頃には、地上で生きて動いてるヘビは1匹もいなかった。
みんなコゼットの稲妻に打たれて、地面に散らばっている。
ヘビたちは全て死んでいた。
「ああ痛つつつつつ……こらコゼット! アレをやるなら先に言え! めちゃくちゃビリビリしたぞ!」
「申し訳ありませんルシオン様。ですが『アビムの赤蛇』には、わたくしの雷撃が一番キクのです。犠牲を最小に収めるために、とっさのご無礼を……」
拳を振り上げてプンプンするルシオンに、コゼットは澄ました顔でそう答えた。
ルシオンが周りを見回せば、兵士たちはみな地面に転がってピクピク痙攣していた。
死んではいないようだが、完全に気絶しているようだった。
食屍鬼リュトムスの姿は、もうこの場にはなかった。
ルシオンがもぎ取ったリュトムスの両腕も。
蛇を放ったプリエルの姿も。
蛇にまぎれて、何処かに逃げ去ったのだろうか。
「ルシオン様。よく頑張りましたね。あのリュトムスをご自身の手で!」
「ウウウウウ……コゼット。すごく……怖かったぞ……!」
そして、ルシオンの前に降り立ったコゼットが、ニッコリ微笑んでルシオンの頭をナデナデした。
さっきまでの冷たい声とは様変わりした、いつもの優しいコゼットの声だった。
ルシオンは、半分涙目になりながらコゼットの手をキュッと握った。
#
いったい何が起きた!
彼は暗闇の中で自分の体をチェックする。
いきなり目の前に溢れかえったヘビの群れ。
パニックに陥った部下たち。
そして、空から炸裂した金色の稲妻。
まだ体が痺れる。
目の前が真っ暗だ。
視覚センサーが、さっきの攻撃で壊れてしまったようだ。
彼は痺れる体にどうにか力を込める。
まだ任務は終わっていない。
アイツを、標的を仕留めるまでは。
罪もない市民の命を無差別に奪い去った、アイツの命を仕留めるまでは!
#
「グググ……待てキサマ!」
「お前? まだ……!?」
路上から苦しげな声を上げながら立ちあがった者の姿に、ルシオンは息を飲んだ。
立ち上がり、ルシオンに銃を向けているのは雷撃で気絶したはずの兵士の1人。
さっきルシオンへの銃撃を命令した兵士たちのリーダーだった。
リーダーは、自分のヘルメットを脱ぎ捨てていた。
センサーが故障して視界を遮っていたモノを脱ぎ捨てて、この場に素顔を晒していた。
……あっ!!!
その素顔を目にして、ソーマは愕然として息を飲んだ。
そいつは、ソーマにも見覚えのある顔だった。
いや、見覚えがあるどころの話じゃない。
彼のクラスメートだった。
ルシオンを厳しい顔でにらみつけているのは、氷室マサムネだった。
……マサムネ!
「なんだコイツ。今日ガッコウにいたヤツじゃないか?」
驚いてマサムネの名を呼ぶソーマに、ルシオンも不思議そうに首をかしげた。
「逃がさない! 逃がさない! 逃がさない!」
マサムネが怒りの声を上げて、ルシオンに近づいて来た。
ルシオンに構えられたアサルトライフルの引き金に力がこもる。
だが、ギュン……
ライフルから光弾は発射されなかった。
エネルギーが尽きたのだろうか。
コゼットの雷撃で故障したのだろうか。
一瞬にぶい音を上げて、アサルトライフルはそのまま沈黙した。
と同時に、ガクン。
マサムネが地面に膝をついた。
今の一撃で力を使い果たしたのか、苦しそうに息を吐いて再びマサムネの体が路上に転がった。
マサムネ!
マサムネ!
「わっ! いきなりなんだ」
ソーマはルシオンの体を操って、マサムネに駆け寄った。
マサムネを抱き起し安否を確かめる。
息はしている。
怪我もないようだ。
ただ、再び気を失っているだけみたいだった。
「マサムネ。どうしてお前が……!」
ソーマがマサムネの顔を見つめて、呆然とそう呟いた。
その時だった。
パラパラパラパラ……
上空から、回転翼の乾いた響きが接近してきた。
銀色のヘリコプターが、クロスガーデン御珠の真ん中に着陸しようとしている。
「あれは人間の……援軍でしょうか?」
コゼットが不安げな声を上げる。
この場から、身を隠した方がよさそうだ。
ソーマはマサムネの体をその場に横たえて、立ち上がった。
そして……。
#
「マサムネ! マサムネ!」
「……あっ!」
銀色のヘリコプターから降り立ってマサムネに駆け寄る者がいた。
自分の姿に戻って物陰に身を潜めていたソーマは、そいつの姿を見て思わず驚きの声を漏らした。
マサムネに駆け寄った人物。
高級そうなグレイのスーツに身をつつんだ長身。
綺麗に撫でつけた半白の髪。
2日前のあの夜。
御魂山でルシオンたちの剣を持ち去った、あの男だった。
「『所長』……!」
マサムネを抱き上げるその男を見て、ソーマはうめいた。
#
「父さん……!」
『所長』の腕の中。
薄っすらと目を開けたマサムネは、苦しげな息を吐きながら小さくそう呟いていた。
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