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第2章 深幻想界〈シンイマジア〉

ソーマとルシオン

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 チュンチュン……チュン……

 庭先からスズメの鳴く声が聞こえる。
 窓からさす朝日がまぶしかった。

「んんぁあああああ……もう朝かぁああ……」
 目を覚ましたソーマは、思い切り伸びをした。
 起き上がると、そこはいつものベッドの上ではなくリビングのソファーの上。

 そうか。
 昨日の夜はコゼットと……。
 コゼットの体の温もりが、ソーマの記憶によみがえってきた。

「コゼット……コゼット?」
 ソーマはリビングを見回す。
 ルシオンの侍女、かわいい金髪のメイドの名前を呼ぶ。

 だがソーマの声に応える者はいなかった。
 リビングには誰もいない。
 
 ひょっとして……
 昨日の事は夢だったんじゃないか?
 ルシオンのことも、コゼットのことも……!
 全部、全部、夢だったのか!?

「…………!」
 ソーマは何かに駆り立てられるように、ソファーから跳び上がった。

「おいルシオン!」
 わけのわからない強烈な不安・・を感じて、ソーマはリビングの壁掛け鏡の前に飛び出した。

 鏡に映っているのは、ルシオンの姿だった。

「ほぉおおおお……」
 ソーマは安心して、深く息を吐いた。

 昨日のことは夢じゃなかった。

 ……って、安心?
 なに安心してるんだよ俺!
 
 さっき自分の中から湧きあがった感情に、ソーマは困惑して頭を振った。

 安心なんかしてる場合じゃないのに。
 ソーマの体は、異界の王女ルシオンに吸収されたままだった。
 ソーマが彼女から離れて、人間の生活を取り戻すあては、まったく無いのだ。

 あれ……?
 突然ソーマは、ある事に気づいて首をかしげた。

 何か妙だ。
 静かすぎる。
 そうだ、聞こえない。
 頭の中で、ルシオンの声が!

 体の中に、ルシオンの気配が感じられないのだ。

「ルシオン……? ルシオン!」
 ソーマは再び不安になって、何度もルシオンの名前を呼んだ。
 すると……。

(んーむにゅにゅぅう……ひ……ひざがしらはソコがイイ……)
 頭の中に響いてくる、ルシオンの気怠そうな声。

 ……寝言?
 まだ寝てるのか?
 ……つーかいったい、どんな夢見てんだ……!?

 ルシオンのおかしな寝言に、ソーマは呆れて首を振る。
 彼女が眠っているうちは、ルシオンの体はソーマの自由になるようだった。

 それにしても……。

 ソーマは鏡に映った自身の姿を見つめて、ホーッと息をつく。
 昨日の夜はそれどころではないから、まったく気にもしていなかった。

 改めて見回すルシオンの姿は本当に綺麗だった。

 黒鳥のような衣。
 背中から生えた透明な翅。
 銀色に輝く髪。
 
 まるで雪の様な白い肌。
 ばら色に染まった頬。
 桜色の唇。
 紅玉ルビーみたいな真っ赤な瞳。
 
 ごくごく控え目な言い方をしても。
 姉のリンネを除けばソーマが生まれてこれまで、出会った事もない凄い美少女だった。

「これで態度や言葉使いが、もう少し可愛いければ……」
 ソーマはため息をついて、肩を落とす。
 
 起きている時のルシオンは、とにかく偉そうで何かにつけてソーマのマウントを取ろうとする。
 美貌に見とれている暇もない。

「こんな小さな体で、よく異世界を飛び回ったり竜をやっつけたり……出来るよな……?」
 ソーマは自分の胸に手を当てて、ひとり感嘆の声を上げていた。
 
 その時だった。

 ムニュ……

 ん?

 ソーマは首をかしげた。
 右手に、慣れない柔らかさが伝わって来た。

「わあっ!」
 ソーマは悲鳴を上げて、右手を胸から離した。
 柔らかな感触は、ルシオンから盛り上がった形のいい胸からだった。

 な……な……なにやってるんだ俺!
 ルシオンが寝てる隙に、ルシオンの体に……なんて事してんだこの変態!

 いや待て。
 これは俺の体でもある。
 自分の体を自分で触ったって別に悪くもなんともないのでは……?

 ちょっとだけ……ちょっとだけなら。
 ……って違う違う!

 鏡の前で、綺麗な顏を真っ赤にしながらソーマは身悶えしていた。

 その時だった。

 ピンポーン……
 玄関のチャイムの音がした。
 
「ん……?」
 ソーマは鏡を離れて、玄関先を向いた。

 ソーマがのぞいたドアホンのモニターに、見慣れた顏が映っていた。
 隣家に住む幼馴染の顔。

 嵐堂ユナの顔だった。

「わっ! ユナ!?」
 ソーマは置き時計に目をやった。

 時刻はまだ6時半。
 登校の迎えに来るにしたって、早すぎる時刻だ。

 ソーマのスマホは、昨日の事故で消滅してしまっていた。
 電話のつながらないソーマが気になって、家まで見に来たのだろうか?

「どうする……どうする……!?」
 ルシオンの姿のまま、ソーマは頭を抱える。

 ソーマは行方不明。
 家にいるのは得体の知れない少女。
 そんなことがユナに知られたら、大変な騒ぎになるだろう。

 チャイムを無視してやり過ごすか?
 これもその場しのぎに過ぎない。
 不審に思ったユナは、いずれはユナの家族や学校、そしてソーマの父親に連絡するに違いない。

「ユナ……」
 玄関先に立った幼馴染の顔を見つめて、ソーマは胸がしめつけられる気持ちだった。

 ユナに会いたい。
 いつもみたいに。
 昨日の冒険の事を話したい。
 コウやナナオと経験した不思議な体験を。
 自分の身に起きたとんでもない出来事を。

 けれどもそれはかなわない。

 この体さえ……この体さえ元に戻れば……!
 ソーマは自分の肩をギュッと抱いて、強くそう思った。

 その時だった。
 シュウゥウウウウ……

「ん!?」
 ソーマは異変に気づいて、思わず声を上げた。
 自分の体が、ボンヤリした緑色の光に包まれていた。

 光がだんだん輝きを増していく。
 ソーマはまぶしさに耐え切れず目を閉じた。
 そして、気がつくと……

「これは……!」
 目を開けたソーマは、唖然として自分の両手を見つめる。
 両手はルシオンのものではなかった。
 慌ててソーマは、鏡の前に立った。

「……戻った!?」
 そう呟くソーマの頬を、涙が一筋伝っていた。
 それは安堵の涙だった。

 鏡に映っているのはルシオンの姿ではなかった。
 もとのソーマの体だった。

「戻った……戻った! ユナ! 戻った!」
 ソーマが歓声を上げながら、玄関口へ駆けてゆく。

 ガチャリ。
 ユナの顔を見るために、ソーマは玄関の鍵を開けて外に飛び出した。
 次の瞬間。

「キャアアアアアアアアアアッ!」
 閑静な朝の住宅街に、ユナの悲鳴が響き渡った。

 ソーマは、何も身に着けていなかった。
 生まれたままの姿で、幼馴染の前に飛び出したのだ。

  #

「まったく……『寝ぼけて服を着てないことに気づかなかった』……? どんな変態よ? ヌーディストか!」
「ごめん、ユナ。本当に悪かった」
 リビングで、ユナが顔を真っ赤にしながら怒りが収まらない様子だった。
 自室に駆け戻ってしっかりジャージを着こんで来たソーマが、ユナに向かって平謝り。

 それでも……
 ぺこぺこユナに頭を下げながら、それでもソーマは嬉しかった。

 もうこのまま一生ソーマに戻れなかったら、一生ユナと別れて生きなければいけなかったかも知れない。
 ユナにもコウにもナナオにも……

 また『御崎ソーマ』として出会うことができる!
 その嬉しさに、ソーマの頭の中から一瞬ルシオンの存在が飛んでいた……その時だった。

(ムニャムニャ……ん……。わー! なんだこの体は!?)
 頭の中で、パニくったルシオンの悲鳴が響いた。

「ルシオン……今ごろ起きたのか……!」
 ソーマはユナに気付かれないくらいの小声でそう呟いて苦笑した。

(わたしの寝ている間に……勝手に『転身トゥマイヤ』を行ったな……!?)
「トゥマイヤ……? なんの事かわかんねーよ……」
 ソーマは本気で首をかしげた。

「ところでさユナ……どうしたんだ? こんな朝早くに?」
 ソーマはユナの方に向き直って、素朴な疑問を幼馴染にぶつけた。

「うん……ソーマくん、最近色々だらしないでしょ? ろくなご飯も食べてないし不健康だし。だから……」
 ユナが、ショートレイヤーの黒髪を弾ませながら少しはにかんで、ソーマの顔を見た。

「リンネさんが帰って来るまで、わたしがリンネさんの代わりになることにした。とりあえずは、朝食夕食の支度からね……!」
 ユナはそう言ってニッコリ笑った。


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