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34 祖母が選んだ人

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二日ほどして民宿『海風』に行くといつものように過ごす伶弥りょうやさんがいた。
星名せなちゃんとの約束通り戻ってきていた。
お茶の入ったやかんを手に食堂のお茶のポットにお茶を入れている姿が見え、『心の本業』とやらに励んでいる。
あれは私の夢だったんだ、きっと。

「なにしてるんですか」

「うわっ!納多のださん!」

「驚きすぎです」

納多さんは作業服を着ていて、どうやら今から出勤らしい。
スーツ姿のほうが似合っていたなと思ったけれど、髪の方はどちらを着ていても同じ。
今日も乱れなく黒髪がキッチリ整えられていた。

夏永かえさん。でかけるんですか?」

「あ、はい。今日でおばあちゃんの個展が終わりなので。須麻すまさんから見に来ないかと連絡がありまして」

「須麻さん?」

「祖母がお世話になった繊維メーカーの方で、個展のスポンサーなんです」

「そうですか。台風が来ているので早めに帰ってきたほうがいいですよ」

空を見るとまだ明るかったけれど、雲の流れは早い。
強い風が吹くと島の橋が封鎖されてバスも運休になってしまう。

「お気をつけて」

「納多さんもお仕事がんばってくださいね」

納多さんとそんなやりとりをして別れると私は山道を降りた。
バスに乗り、窓を開けた。
台風前の海は波が高く白いしぶきをあげていた。
それでもまだ晴れていて青い。
納多さんは香水を変えた。
すれ違った時、グリーンノートの香りがして気づいた。
けれど、どうして変えたのか聞けなかった。

「台風が来るのは夜だって言ってたな……」

セルリアンブルーの明るい海を眺めているのに風の強さに前の嵐の夜を思い出して、窓をそっと閉めた。


◇ ◇ ◇ ◇ ◇


「夏永ちゃん。よく来てくれたね」

須麻さんは『やあ』と手を挙げた。
周りにはあきらかに仕事関係者とは思えない女性がいる―――というよりは群がっている。
まるで、須麻さんは花に囲まれる蝶のようだった。
須麻さんが持つ華やかさのせいだろうけど、違和感がない。

「彼女は唄代うたよ先生の孫で後継者なんだ」

私を紹介すると周りの女性は『なんだ、ただの孫か』という目で私を見てきた。
敵視されずにすんで助かるけど、なんとなく馬鹿にされた気がして納得できないものがあった。
……いいけど。

「これ、感想ノートと芳名帳。それから、夏永ちゃんが染めたストールとバッグの代金」

「ありがとうございます」

おばあちゃんが遺してくれた染料で染めたものを売りに出した。
売れ残りはなく、完売でおばあちゃんの知り合いやふらりと立ち寄った人まで買っていってくれたらしい。

「夏永ちゃんも自分の染料を作ったらどうかな」

「私ですか」

「きっと素敵な色になる」

「どうでしょう」

不安定で雑念だらけの私の色なんて、まだ未熟もいいところだ。
おばあちゃんの色には迷いがない。
この色と決めて出しているのではと思うくらい。

「君ならできるよ」

須麻さんはにこっと笑った。

「ランチを食べに行こうか」

「ごちそうになってばかりで悪いですからっ!それに台風がくるので帰らないと……」

「えー?じゃあ、俺のマンションに泊まってく?ホテルがいい?」

「どちらもお断りします」

女の人達から殺意がこもった視線がグサグサ刃物みたいに突き刺さっているんですが。
身の危険を感じて、ススッと須麻さんから離れた。
長生きしたいんですよ、私は。

「仕方ないな。ランチで我慢しておこう」

須麻さんはすっと自然に手をつなぎ、個展会場から外に出た。

「あ、あの」

「なに?」

「手、困ります……」

「嫌?」

須麻さんのことは嫌じゃない。
頼れるお兄さんというか、安心感があるというか。
でもそれは恋人同士ではない。

「そんな顔しないで」

ぱっと須麻さんは手を離してくれた。

「俺は夏永ちゃんを困らせたいんじゃない。幸せでいてほしいって思ってるよ。だから、この間の彼は失格だ。君を苦しめているからね」

斗翔とわが悪いんじゃないんです」

「どうだろうね」

「意地悪ですね。須麻さん」

「優しいのは好きな子にだけだから」

そう言って笑う須麻さんは片目を閉じて見せた。
それは華やかで魅力的だったけど、私は目をそらした。
この人はむやみに人を惹きつけるから危険だ。
気持ちが弱っている時は特に。
須麻さんがモテるのはお金持ちというだけじゃない。
明るい太陽に焦がれるみたいについ彼を見てしまう。
けれど、私には眩しすぎた。
休息が必要な時は静かな暗闇を必要とする時もある。
特に傷つき疲れた人には。

「前よりは元気そうだけど、彼と仲直りでもした?」

「仲直りというか、信じて待つことに決めたんです」

「信じてね」

面白くなさそうな顔をして須麻さんは私に言った。

「せっかく唄代先生が俺にチャンスをくれたと思ったのになー」

「おばあちゃんが?」

「そう。頼まれていたんだよ。俺が君と出会って夏永ちゃんに恋人がいないなら、立候補してくれってね」

お、おばあちゃーん!
なんてこと頼むのよ。
思わず、赤面してしまった。
これだから、身内は恐ろしい。
こんなスペックの高い男の人に平凡を絵に描いたような私をすすめるんじゃないわよー!

「どう?唄代先生が選んだ俺と付き合ってみる?」

明るい太陽のような笑顔で須麻さんは言った。
子供みたいに無邪気で毒のない人。
包容力もあって、気がきいて、非の打ち所がないってこういうことなんだろう。
おばあちゃんがお願いしてしまった気持ちもわかる。
けれど私は―――ごめんね、おばあちゃん。
やっぱりただ一人だけの顔しか思い浮かばない。
今も―――
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