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11 変わりたいなら

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朝食を食べ、会社まで送ってもらったけれど一緒にいることに対して違和感がない。
他人なんだから、もっと壁があってもいいはずなのに。
しかも、私と唯冬ゆいとはほとんど初対面。
ずっと前から一緒にいるような感覚だった。
私のことならなんでもわかってる。
もしかすると私以上に―――
はぁっとため息をつきながら、データを打ち込んだ。

雪元ゆきもとさん、今日はどうしたの?」

「え、えっ!?なにか私、おかしいですか!?」

動揺して声が上ずってしまった。

「いつもより明るい表情をしているから」

「そうですか?」

「ええ。いつも難しい顔で仕事をしてるのに今日は力が抜けているっていうか」

「す、すみません。しまりがない顔で」

「暗い顔をしているよりいいわ」

向かいの席にいる先輩は毎日私の顔を見ていたせいか、ちょっとした変化にも気づいてしまうらしい。
難しい顔、暗い顔―――そうかもれない。    
色々、考えることはあったけど、仕事はいつもより順調で定時きっかりに終わることができた。
早くピアノが弾きたい。
人前じゃ演奏なんてできないレベルでただの趣味だけど……
今はその微かに生まれた気持ちを大事にしたい。
ロッカールームで着替えてスマホを確認した。
唯冬から楽器屋で待ち合わせをしようとメッセージが入っていた。

『千愛の弾きたい曲を一緒に選ぼう』

「私の弾きたい曲……?」

それを考えるのも今の私には難しい。
勢いで雨の庭を弾いただけだったから。
さらに私を難しいと思わせるのは男の人と待ち合わせなんていうシチュエーション。
恋人みたい―――
もう両親が私に恋愛を禁止しているわけでもないし、誰と付き合おうが自由。
そのはずだけど慣れてないせいか、緊張する。
いつになく浮かれた気持ちで会社を出て、電車に乗り楽器店に向かった。

「まだみたいね」

楽器店に着くと店の入り口から奥まできょろきょろとあたりを見回した。
けれど、唯冬の姿はない。
先に少し見ていようかと思い、楽譜コーナーに向かおうとした瞬間、名前を呼ばれた。

「もしかして、雪元ゆきもと千愛ちささんじゃない?」

振り返るとそこにはつい昨日、会ったばかりの陣川じんかわ結朱ゆじゅさんがいた。
スタイルのいい綺麗な女の人で華やかな容姿はお兄さんの知久ともひささんによく似ている。

「こんにちは。結朱ゆじゅさんでしたよね?」

そう名前をたずねると表情を曇らせた。

「そう、私のことなんて覚えていないわよね。天才少女さんは」

トゲのある言い方に驚いていると結朱さんはふっと私を見て笑った。

「私、あなたと同じ菱水ひしみず音大附属高校の音楽科の同級生よ。それにあなたが出場した最後のコンクールで一緒に最終選考に残っていたんだけど?」

「えっ!?そ、そうだったんですか。ごめんなさい。私、あの頃はピアノを弾くだけで……他のことはまったく疎くて」

「そういうところが妹さんの虹亜こあさんに嫌われて、悪口を言いふらされる原因なんじゃない?」

「虹亜が私の悪口を?」

「両親から捨てられて、小汚ないアパートで一人暮らし。今はただの会社員でひっそり地味にくらしてるって言われているわよ」

「それに関しては否定のしようがありませんが、普通に暮らしていただけです。馬鹿にされるようなことじゃありません」

それを聞いて馬鹿にするほうがどうかしている。
反論したのが気に入らなかったのか、嫌な顔をされた。

「はっきり思っていることは言うのね。だから、両親からも嫌がられて部屋に閉じ込められたんでしょうね」

部屋に閉じ込められたことも知っている?
そこまで知っているということは私の身内の誰かと親しくしていないとわからないはずだ。
もしかして、結朱さんは私の悪口を聞かされているんじゃと思い至った。
そうじゃなきゃ、こんな攻撃的な態度をとられる理由がない。

「虹亜さんが言っていたわよ。両親にあれだけ尽くしてもらったくせに生意気な口をきくから、両親から経済的な援助も断られたって」

「もしかして、結朱さんは虹亜と友達なんですか」

「ええ。高校の後輩だし、私のこと慕ってくれてるから」

「だからって片方の話だけしか聞かないで、それが正しいって決めつけないで下さい」

「そうね、それに関してはごめんなさい。あなたの話は聞いてなかったわね」

口では謝っているのに私への敵意を感じた。
楽器店の店員さんが私達の不穏な空気を感じたのか、何事かと近寄ってきた。
仲裁しようと思ったのかもしれなかったけれど、結朱さんの顔を見るとそんな気持ちはなくなってしまったようだった。

「うわっ!もしかして、ピアニストの陣川結朱さんじゃないですか?」

「そうよ」

結朱さんは私のほうをちらりと見てから、にっこりと店員さんに微笑んだ。

「感激だな。えーと、サイン!サインしてもらってもいいですか」

「ええ」

人が集まってきて、結朱さんは何人かにサインをしていると店員さんがピアノを指差した。

「もし、よかったから一曲だけでも弾いてもらえませんか?」

「私に?」

「できたら!」

店員さんが嬉しそうな顔でうなずくのを見て、くすりと意地悪く笑った。

「でも、私よりそこにいる雪本千愛さんのほうがいいんじゃないかしら?彼女、天才少女って呼ばれていたのよ」

その言葉に周囲が戸惑いざわめいた。

「誰?」

「知らないわよ」

店員さんは苦笑した。

「いやぁ、陣川さんにぜひ」

「そう?じゃあ、雪元さんの次に弾くわ」

さあ、どうぞと結朱さんが手で指ししめしたけれど、背中に汗がつたった。
弾けない。
私は弾けないんですと言いたいのにうまく言葉がでてこなかった。
店員さんは渋々、私に『お願いします』と言ったけれど、それにも答えられずにいると高く笑う声がした。

「やだ。なんの騒ぎかと思ったら、千愛お姉ちゃんじゃない」

結朱さんの隣に立ったのは虹亜だった。
二人で買い物にでもきたのか、手にCDを持っていた。
そのCDのジャケットには唯冬と陣川さん、深月みづきさんの姿が見える。
三人は有名なんだと今、知った。
それに比べて私は―――

「弾けないくせに楽器店?なにしにきたの?まさか楽譜を買いにきたとか言わないでよ」

そうだと言えずにぐっと拳を握りしめた。
うつむいた私の隣に大きな影が立つ。

「俺とのデートだけど?」

ひょいっと私の肩に手を置き、頭上から顔をだしたのは唯冬だった。
ふわりと爽やかな香りがして、上を向くとにっこりと唯冬が微笑んでいた。

「ごめん。待たせた」

虹亜はえっ?と驚いた声をあげて手元のCDを何度も見、結朱さんは衝撃を受けた顔をしていた。

「唯冬さん……?デートってどういうこと……」

青い顔をして結朱さんは唯冬を見つめていた。

「俺は千愛と付き合いたいって思ってる」

私の顔が赤くなるのが分かった。
みんなの前で宣言しなくても……
唯冬が来てホッとした。
でも、それと同時に私は悲しいくらいに自分の無力さを呪っていた。
なにもできなかった自分自身を。

  
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