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7 嵐の庭【唯冬】

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車内でマネージャーの宰田さいだが埋まった俺のスケジュールを眺めて苦笑していた。

「稼ぎますね」

「まあな」

CM音楽から曲の提供まで様々な仕事をするが共通点は一つ。
金払いがいいってことだ。

「喜べ、宰田。今の俺は仕事をどんどんこなすぞ」

「金の亡者ですね。いつものことですけど」

誰が金の亡者だ。
人聞きが悪い。

「小百里さんから聞きましたよ。あの雪元ゆきもと千愛ちささんをおびき寄せるのにスタインウェイのピアノを購入したって」

「おびき寄せるって言うなよ。俺の人間性が疑われるだろ?」

「すでに性格の悪さと腹黒さは周知されてますから、ご心配なく」

なんとでも言えばいい。
雪元千愛が俺を見て話をした。
それだけで、俺にとってどんな嬉しいことなのか宰田にはわからない。

「あのー、ニヤニヤしているとこ悪いんですが、唯冬さん」

「うん?」

「共演のオファーがあるんです。陣川じんかわ結朱ゆじゅさんなんですが、どうしますか」

「結朱と共演?断わっておいてくれ」

「ですよね……。でも、結朱さんは女性で今一番人気のあるピアニストなんですよ」

「ふーん」

宰田はやっぱり断られたかという顔をしていた。

「金は稼ぐ。だが、それだけはやらない」

「知ってます。これは引き受けないっと……」

雑誌のモデルはいいんですねと言われたが、そうじゃない。

「女性と共演するなら、千愛だけと決めている」

「名誉より愛ですか?意外とロマンチストですよね」

うるさい奴だ。

小百里さゆりのところに寄ってから帰る」

「小百里さんですか?いいですねー!俺も挨拶しよっと!」

マンションはカフェの近くだ。
もしかして千愛がきてるのでは?という思いで、時間が空くとつい寄ってしまう。
車から降りて雨にうたれながら、カフェの入口に立った。

「ピアノの音……」

ドアを開けると、そこには大雨が降っていた。
強い雨は土をえぐり、庭の木々の葉にたたきつけ、雨水が土の通路に流れ出る。
庭のレンガの道はから泥を洗い流すほどの雨。
風が木々を揺らし、葉を落とす。
庭を荒らしてしまう。
雨水があふれ、庭で大洪水が起きている。
カフェに入ったなり、そんな曲が怒涛のごとく流れていた。
まるで、体の中に嵐が起きているのではというくらいの激しさで彼女―――雪元ゆきもと千愛ちさが一心不乱に弾いている。
白い鍵盤が跳ね、指を乱暴にたたきつける姿。
滅茶苦茶でまともな曲にはなってなかったけれど、こんなに早くその姿を見れるとは思ってなかった。
もっと聴いていたいと思う気持ちはあった。
けれど―――すっとその手をつかんだ。

「千愛。指を痛める。ピアノも可哀想だ」

汗がにじんだ額で俺を見上げた。
顔を赤らめ、唇を噛んでうつむいた。
俺に聴いて欲しくなかったのかもしれない。

「すみません……」

「庭で溺れるところだったな」

俺の言葉に千愛の細い肩が震えた。

唯冬ゆいとは言い方がきついから」

「怒ってるんじゃない。姉さん、少し席を外して」

「姉さん?」

「そう。この店は俺の姉の小百里さゆりがやってる」

「小百里お姉さんでしょっ!生意気なんだから」

小百里はぷんぷんと怒りながら、クローズの札を店先にかけた。
ひとつしか違わず、しかもあの子供っぽさである。
怒るから姉さんと呼んでいるだけだ。

「どうぞ、ごゆっくりー。唯冬。私のお店の中で変なことしないでよ?」

「するか!」

小百里は疑いのまなざしを向けて店の奥へと入って行った。
なんだ、あの言い方は。
はぁっとため息をついて千愛のほうを見た。
目が合う。
まるでピアノ教師と生徒だな。
叱られると思って身をすくめている子供。
人とあまり接することに慣れてないのか―――

「弾くのはいいが、指は大切にしてくれ」

「……もう弾けないってわかったでしょ」

「ちゃんと弾いてた。ドビュッシーの雨の庭だろう?」

「あんな滅茶苦茶だったのにわかったの?」

「わかる。君のことならなんでもね」

驚いた顔で俺を見上げた。

「あの日、なにを失くしたかも」

コンクールの日のことだと彼女はわかったらしい。
俺を見つめる目がそう告げていた。

「それなら、なおさらわかるはずよ。もう弾けないって!」

この前まではなかった激しさ。
千愛の声が誰もいない店内に響いた。
それでいい。
暗い顔で黙っていられるよりはマシだ。

「弾けるよ。俺と来ればね」

すっと髪をひと房手にとり、口づけた。
彼女がわずかに動揺するのがわかった。
もっと心を震わせたい。
そうすれば、もっと君に響く。
深くまで―――

「どうする?千愛。俺と一緒に来てピアノの道に戻るか、このままピアノとは無縁の世界で暮らすか」

選ばせてあげよう。
でも俺にはわかる。
君がどちらの道を選ぶか。

「そんなの……」

千愛は逃げるように体を離した。

「千愛が弾けなくなった理由を当てようか?弾けないと思ったのは自分の中から音が消えたからだ」

「どうしてわかるの!?」

「君のことならなんでもわかるって言ったのは嘘じゃないよ」

ずっと見てきたんだから当然だ。
あの音を失った日もそばで見ていたと教えてあげたい。
追いかけた俺を一度も見ずに去って行ったあの日のことを。

「教えて欲しいなら俺と一緒にくればいい」

「唯冬さんと一緒に……?」

「唯冬だ。これから俺は千愛の一番近い存在になるんだから、『さん』はないだろう?」

「あなたが私に一番近い存在になるの?」

「そう」

「……ど、どういう意味で?」

動揺する千愛に俺は笑って耳元で囁いた。

「全部ってこと」

顔を赤くして、バッと離れるのを見て脈なしってわけじゃなさそうだなと思いながら、手を差し出した。

「選んで」

千愛は演奏前のようにすうっと息を吸い込んで俺の手を取る。
その時の喜びは言いようがなかった。
戻ってきた。
ここに。

「行こう」

握った手からはお互いの体温が伝わる。
俺の気持ちも伝わればいいのに―――そう思いながら、自分の手を握り返す千愛に微笑んでいた。
やっと千愛は俺を見て、そばにきた。
今はそれだけで十分だ。
店を出ると雨が止み、庭はまた元の静けさを取り戻していた―――
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