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11 【ライラック】油断ならない仕立て屋

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ルチアさんがこの町に仕立て屋を開いたのは私が森に工房を構えてから少し後のこと。私とほとんど同時期にこの町へやって来て、町に溶け込んでいるのがうらやましく、そちらに気を取られて疑問に思ったことがなかった。
 
「ルチアさんは王都で仕立ての勉強をしていたって聞きました。この地域は織物が盛んなので、布が安く手に入るんですよ。だから、この町にしたんだと思っていましたけど……」

 周辺の村や町から集められた布は、この町の港から王都に運ばれている。
 多様な布の数々を目にすることができ、露店でも布の切れ端が安く出回る。他の町よりも布は安く手に入ると思う。

「ルチアさんがデザインするドレスや小物は王都風で洗練されているって女の子達にすっごく人気があるんですよ」
「ふーん」

 ラウリはドレスにはまったく興味がないようだった。
 店の前を通るだけで女の子達を魅了するルチアさんの仕立て屋は大きなガラス窓から中が見えるようになっている。
 今日も素敵なドレスがショーウィンドウに飾られ、青と黄色のチェック柄のドレスに花の飾りがついた帽子、革靴と銀の留め金がついた素敵なバスケットの旅行鞄。三連の真珠のネックレス、アクアマリンの指輪やイヤリングが小物として飾られている。
 しっかり季節を先取りしていて次のシーズンに使いたいものばかり。

「うわぁ……素敵な旅行スタイル。夏の避暑地に行くのにぴったりですね」
「なんだ。黒マントがお気に入りなのかと思ったが、センスは普通なんだな」
「可愛いって思う気持ちは普通の女の子並みに持っているんですっ! 黒マントとフードはおしゃれのためじゃなくて、私の瞳を隠すためなんです」
「瞳?」
「虹色をしているでしょう」

 ラウリは私の顔をひょいっと覗き込んだ。
 そして、しばらく沈黙した後、首を傾げる。私の瞳を見ることに飽きたのか欠伸しそうになって堪えたところを私は見逃さなかった。

「なるほど。そう言われたらそうだな」
「えっ……そ、それだけですか?」
「他になんの感想がいる」
「いえ……」

 ラウリの黒曜石のような瞳や髪、竜の姿になれば宝石以上に美しい鱗を持つ彼にとって、私の虹色の瞳は平凡すぎたらしい。
 竜人の国にラウリのような竜がたくさんいるのなら、私の多少変わった目の色なんて、確かにどうでもいい話だった。

「早く用事を済ませて帰るぞ。掃除する場所がまだあるんだ。のんびりしている暇はない」
「はっ、はい!」

 ラウリに言われて、慌ててルチアさんの店のドアを開けた。
 いつものようにドアのカウベルが鳴り響き、誰もいない店内からお針子達がいる奥の作業場へとお客が来たことを知らせる。今日の店内には誰かがドレスを仕立てたのか、トルソーに新作のドレスが飾ってあった。

「わぁ! 私がこの間、染めたライラック色の布! すごく素敵なドレスになってる!」

 海沿いを歩いた時、フリルの裾が風になびくように仕上げた袖と足元、同じ色の布で作られた帽子はライラックの花を模した飾りがついている。
 これにレースの白いパラソルを持って歩けば、とても素敵な夏の旅行になりそう。
 うっとりとドレスを眺めていると、奥からルチアさんが顔を出した。

「アリーチェちゃん。いらっしゃい」
「あっ、ルチアさん。こんにちは。このライラックのドレス、とても素敵ですね」
「ふふっ。ありがとう」

 私が染めたライラック色のドレスにはレースやリボン、フリルがふんだんにあしらわれ、ご令嬢が着てもおかしくないようなドレスに仕立てられていた。

「花をイメージしてデザインしたのよ。良さをわかってくれて嬉しいわ……って、その新種のコウモリはなんなのかしら?」

 ラウリがイラッとしたのが伝わってきた。コウモリと呼ばれ、竜としてのプライドが傷ついたに違いない。

「えっと、森で拾ったんです」
「竜じゃないわよね?」
「りゅ、竜だとなにかまずいことでもあるんですか?」
「まずいわよぉ。この町には竜の伝説があるでしょ」
「伝説?」

 ここに詳しくない私は竜の伝説を知らない。
 ルチアさんはいつになく、真剣な顔をして私に語り始めた。

「昔、ここら一帯で水が枯れたことがあったの。海水じゃ農業もできないし、飲み水にならない。町はもうおしまいだ、人も生き物も死に絶えるだろうという危機的状況に追い込まれ、町は絶望に包まれた……」

 ルチアさんの声が怖すぎて、ぶるぶると震えてしまった。死に絶えるというくだりで泣きそうになった。

「けれど、そんな時、青い竜が現れたのよ。水のように透き通った瞳、鱗はサファイアより美しい」

 宝石のような鱗――まさか、それは竜人族の竜の姿では?
 ハッとして思わず、ラウリを見てしまった。
 ラウリの振り回した尻尾が私のおでこをぺちっと叩き、慌てて目を逸らした。
 こちらにいるのは新種のコウモリではなく、竜ですよと告白しているのと同じ。
 危うくルチアさんにラウリのことがバレるところだった。誤魔化すために首をぶんぶんと横に振って、首の運動中だということをアピールしておいた。

「美しいけれど、それは悪い竜だったの。竜は一人の乙女を生け贄に差し出せと要求したのよ。けれど、そこへ王子がやって来て、その悪い竜を討伐し、乙女を救った。すると、町の至るところから水が湧き出して、町は潤い再び平和が訪れた。そして、救われた乙女は王子と結ばれて、めでたしめでたしってわけよ」
「竜を殺したんですか……」
「そうよ。その伝説の名残として、現在もエルヴァルト王国は三大魔術師を三賢人として扱い、敬っているのよ。竜を殺したのは王子と三人の魔術師だったから」

 ルチアさんは得意顔で伝承を語ってくれた。
 でも、私はその伝承を聞いて、なんだか複雑な気持ちになった。

「なにもしていない竜を殺した人間のほうが悪いと思うのだが?」
「え? 今なんて?」
「な、な、なんでもないですっ! 明日の天気は悪そうだなー。なんちゃってっ!」

 ムギュッとラウリの口を手で塞いだ。
 この伝承がまだ町に残っているということは町の人達にとって竜は天敵。もし、ラウリが竜だとバレたら、最悪、王都から討伐隊がやって来てしまう。

「明日は晴れよ」
「晴れなんですねっ! よーし、明日はなにか染めちゃおうかなっ」

 ラウリは不満そうな顔をしていたものの、竜人の国に連れ戻されたくはないらしく、おとなしくなった。

「そうそう。ヨルン様からの依頼を預かっているの」

 ルチアさんから依頼内容が書かれた書類と布を手渡され、受け取る。そんな重くはないはずなのにそれは私の手の中でずしりと重たく感じた。

「アタシの店の依頼は後回しでいいから、ヨルン様の依頼を優先して構わないわよ」
「はい。ありがとうございます……」

 ルチアさんにお礼を言うと、用事が済んだ私は余計なことを一切言わないようにして、そのまま店の外に出た。
 ヨルン様からの依頼の内容が気になって、店から出るなり依頼が書かれた紙を広げた。
 私が思っていた通り、依頼の内容はドレスや帽子に使われるような染物ではなく、術のための染物。
 つまりこれは――

「どうした。気に入らない依頼か?」
「うっ、ううん! 大丈夫……」

 ラウリに依頼内容を見られるわけにはいかず、すぐに籠の中へと押し込んだ。秘密にしなくてはいけないという理由もあったけど、ラウリに見られたくなかった。
 術の内容は戦闘用の術ばかりだった。誰かを傷つけるための布を染める――つまり、暗殺か戦争か。
 依頼の色はめくらまし用の術となる闇色。その闇色の術は私の心を黒く染め、気持ちを暗くさせた。
 本当は私の染物を戦いの道具にされたくない。
 そう思っているのは私だけじゃなく、ロク先生も同じ。ロク先生が放浪している一番の理由は力を利用されないためだった。
 弟子を増やせと言われないようエルヴァルト王家から逃げ、私を唯一の弟子とした。幸か不幸か、私に教える才能はなく、講義の終わりには居眠りする人達が続出してしまう――自分が睡眠の魔術を使えるのかと勘違いしたくらいで、二度と私に先生の依頼はこなかった。 
 真剣に教えていたのに……

「嫌だったとしても、これが私の仕事だから断れません。引き受けないとダメなんです」
「お前が嫌なら――」

 私の言葉を聞いたラウリが口を開いたその時。

「こんにちは。あなたもなにか服を仕立てたの?」

 ふわふわのコットンキャンディのような珊瑚色髪とさくらんぼみたいな唇。明るい空色の瞳で私を見つめ、春の日差しのような微笑みを浮かべた少女がそこにはいた。
 
「ま、ま、ま、まっ……」

 マリエッタだった。
 町で一番人気のマリエッタが私に声をかけてくれるとは思わず、通報されそうなほどの不審者ぶりを見せてしまった。
 返事をしようと、懸命に頭をフル回転させる。
 マリエッタさん、それともマリエッタちゃんだろうか――マリエッタと呼んでみる? 
 いやいや、さすがに馴れ馴れしすぎるかもしれない。
 突然のことに胸の動悸が激しくなり、頭の中にぐるぐると『こんにちは』がワルツを踊り、私に挨拶をするよう促している。
 でも、マリエッタが私に話しかけているんだから、挨拶だけで済ませるのはおかしい。
 前回と違って、マリエッタから発せられたのはこんにちはプラス会話、文法、疑問形!
 これは一気に距離を詰めるビックチャンス到来。
 そのチャンスを生かすべく、挨拶をしなくちゃと思っているのに死にかけの魚みたいにパクパクと口を動かすだけで、挨拶すらできない。
 このままでは親しくなるチャンスを逃してしまう。
 そう思った瞬間、ラウリの尻尾が私の背中に叩きつけられ、体が前のめりになった。

「ぎゃっ! こ、こんにちはっ!」

 マリエッタの目を直視することは叶わなかったけど、背中を叩かれた衝撃で口の中に溜めてあった『こんにちは』を吐き出すことができた。

「私、ルチアさんのお店でライラック色のドレスを頼んであるの。それを見ようと思って来たのよ」

 ルチアさんの店の入り口前でマリエッタが私に手を振っている。
 ぽやんとした夢心地な顔で私も手を振り返す。
 カウベルが鳴るドアを開け、マリエッタが店の中へ入って行くまで彼女の姿を見送った。
 私にマリエッタが友達みたいにたくさん話しかけてくれるなんて……これは乙女の秘密日記に書きとめなくては。
 
「今のは友達か?」
「そんなっー! 友達だなんてっ!」

 ドンッとラウリを両手で突き飛ばすと、私が思っていた以上に吹き飛んで行った。意外と子竜の姿だと重みがないらしい。
 危うく水路に落ちかけたところで、ギリギリ押しとどまり、じろりとにらまれた。

「ご、ごめんなさい。つい、憧れのマリエッタと会話できたのが嬉しくて、力の加減ができませんでした」
「会話? 今のは挨拶だったような気がするんだが?」
「いえ、ちゃんとした会話でしたよね?」
「あ、ああ、うん。そうか……」
「そんな憐れみの目で見ないでください」
「別に憐れんでいるわけではないが、そろそろ帰るぞ。これで買い物も用事も終わっただろう?」
「は、はいっ……!」

 ラウリは大きな竜の姿になっていた。
 その背中にはたくさんの荷物を乗せることができる。でも、誰かに見られたら危険だということを知ってしまった今となっては、その竜の姿を見てハラハラした。

「ラウリ。竜の姿なんて危険ですよ! 王都から討伐隊が来たらどうするんですか?」
「いいから早く乗れ。本当なら、俺が動物の真似事をして人を背中に乗せることはないんだからな。光栄に思えよ」
「空を飛ぶんですか?」
「歩くわけないだろう。徒歩で帰ったら、日が暮れる。お前の徒歩は一般的な人間よりも遅すぎる」

 人を乗せない主義のラウリの心を変えさせるくらい遅い私の足よ……
 申し訳ないような、情けないような、複雑な心境になった。

「早く乗れよ」
「はい」

 ノロノロしていたら、ラウリから怒られそうな気がして、その言葉に素直に従った。子竜の時と違って、大きな尻尾で背中を叩かれたら、骨が折れるだろうし、下手したら死……

「今の姿の時に尻尾で叩くのはやめてくださいね」

 念のため、お願いしておいたけど、ラウリは無言だった。
 つまり、モタモタしていたら尻尾アタックをぶちかますぞという脅しだろうか。
 急いで背中に乗ると、ラウリは翼を大きく広げて風を巻き起こし、ドンッと大地を大きな足で蹴る。蹴った衝撃はそれほどなく、巨体で重そうなのに鳥達を追い越し、高く軽やかに飛び立つ。
 あっという間に人や建物が豆粒のようになり、港を行き交う船が見えた。
 海の水平線を目にすることができるくらいまで上昇すれば、もう地上からはカラスが飛んでいるくらいにしか認識できない。
 ごうごうと風は音をたて、耳の横を通り過ぎていく。
 その風の音に混じって、ラウリの声が聞こえて来た。

「お前は嫌な仕事でも文句ひとつ言わずに引き受けるんだな」
「そうですね。私の取り柄は仕事だけですから」
「子供だと思っていたが、そうでもなさそうだ」
「こっ、こっ、子供っ?」
「お前は偉いな。アリーチェ」

 ラウリに初めて名前を呼ばれた私は驚きと嬉しさでなにも言えなくなった。
 偉いと褒められたのはロク先生とヨルン様以外で初めてのことだったから、私は不意に泣きそうになった。褒められて泣くなんて、おかしいと思うかもしれないけど、トロくて鈍くて普段の生活の中で失敗ばかりの私にとって、ささやかな言葉も勲章と同等。
 涙声になっているのをラウリに悟られたくなくて、私は言葉を返さず、答えの代わりにラウリの背中に顔を寄せ、この幸せな時間が少しでも続いて欲しいと祈るように目を閉じたのだった。
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