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6 【深緑】竜を撃退して、ゴミヒロイン返上です!
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小走りで家の中へ戻り、緑の布を持ってくる。見た目はなんの変哲もない緑の布で、大きさはハンカチくらいしかない布だった。
「なにをするつもりだ?」
えへんっと私は胸を張った。ちょっと年齢にしたら、小さい胸だけど、まあ、そこはご愛敬。
「守って欲しいですか?」
「俺は誰かに守られたことなどない。だが、俺を守るというのなら、おもしろい。できるものならやってみろよ」
馬鹿にしたようにラウリは私に言った。したようにではなく、きっと馬鹿にしていたんだろうけど、それは私の力を見るまでのこと。
「わかりました。その依頼、染物師アリーチェが引き受けましょう」
緑の布を空に向かって広げる。
太陽が高い場所まで昇り、白い光が目に入る。青い空には雲ひとつなく、森の木々の葉との境界をくっきりと作り出す。
そんな空へと向かって、私は叫ぶ。
「染色術、森の【緑】っ!」
声と同時に布が浮かび上がり、大気中に色が溶ける。
緑色の布は薄い膜のようにどんどん広がり、家を覆って森の色に似た深緑色にへんかする。
緑の膜が頭上に広がり、太陽の日差しで髪も肌も白いエプロンも淡い緑に染まって見えた。
こちら側からは薄い天幕のヴェールに包まれているかのように見えるけど、上から見ると森の木々と同じようにしか見えない。
森の幻影を作り出し、ラウリを私と私の家ごと隠したのだ。
「なんだ。これは……」
ラウリはすごく驚いていた。
私の力をどうやら思い知ったらしい。
緑色の淡い光が服や肌を染めているのをラウリは不思議そうに眺めていた。実際に緑色には染まっているわけじゃないから、不思議に思うのも無理はない。
ただ緑の薄いヴェールに覆われているというだけ。
「幻術か?」
「そうです。これはすべて幻影です。家は空からだけじゃなく、地上からも森の風景と同化したので侵入できません。これで安心ですよ。この効果はしばらく続きますから、追っ手をかわすことができますね」
これで、ゴミヒロイン撤回です!
得意顔で私はエプロンのポケットから請求書を取り出した。
「では、お代を……」
「お代? 金をとるのかよ」
「はいっ! 術のレベルにもよりますけど、術の媒体となる染物は短いものでも二週間、長いものだと一年かかります」
スッとお代を書いた紙をラウリに渡す。笑顔を浮かべる私の顔をラウリが見る。
「今の俺は無一文だぞ」
「えっ! 嘘っ!」
「全裸だったのを忘れたのか」
まじまじとラウリを見つめる。
ロク先生の服を着て、足元はギリギリなんとか履けたサンダル。
ペタペタとその体に触ってみるけど、お金の気配はない。
「おい。気安く触るな」
「なにが気安くですかっ! 無一文なんて聞いてません!」
「人助けに報酬を求めるなよ」
「人じゃなくて竜人じゃないですか」
「そうだな。人より高貴な存在だった」
「払えるお金もなくて、なにが高貴ですか」
しくしくとエプロンの裾で涙をぬぐった。
タダ働きほど悲しいものはない。私が一ヶ月もかけて染めた布が一瞬で消えたのだ。
こんなの泣かずにいられない。
「おい。マジ泣きするなよ」
「だ、だって……私、これで食べているんですよ。この術を売って、生活費と素材を購入するつもりだったんですから」
普通の染物の依頼はルチアさんからしか受けておらず、それだけで暮らせない。こう見えて森の家を維持するだけでも大変なのだ。
「押し売りだろ」
「承諾したじゃないですかー!」
「まあな。なにをするか気になったからな」
「好奇心だけで弄ばれた女、アリーチェ。お代を払ってもらえず、ポイ捨て状態。これが悪い男に遊ばれた女の成れの果て」
ラウリが冷たい目で私を見る。その目は『なんだ、こいつは図々しい』なんて目をしている。
口にはしなくても伝わる言葉ってあるんですよっ!
キッとラウリを涙目で睨みつけた。
「わかった。人間の世界だと、無銭飲食は皿洗いをするんだったな」
どこ経由で仕入れた情報と認識なのかわからないけど、間違ってはいないのでうなずいた。
「俺の旅に目的も用事もないし、ゴミ小屋を綺麗に片付けてやるよ」
「家事ができるんですか?」
「お前よりはな」
「お前じゃなくて、アリーチェですっ!」
私が懸命に訂正しているというのにラウリは知らん顔をして言った。
「国を出る前から俺はけっこう人里に降りて人の姿で遊んでいたからな。宿屋や料理屋で働いたこともある」
「そんな経験が……」
旅に出る前から、ラウリはきっと広い世界を夢見ていたに違いない。狭い世界を嫌って飛び出した夢追い人ラウリ。
人を成長させる大事な人生のスパイス――それは夢。
私の中でラウリの物語がミュージカルのように始まっていた。
安寧を約束された竜人族でありながら、狭い世界ではいられないと外へ飛び出すオブシディアンドラゴン。
そこで出会う人々との交流と成長、そして別れよ。
彼はようやく森の一軒家へたどり着く。
そこには染物師の少女が住んでいた。心優しい彼女は彼を守るため特別な術を使った!
次回へ続く。
ジャジャーンと吟遊詩人(妄想)の歌声と音楽が頭の中で響いた。
「素敵です……」
両手を胸の前に組み、うっとりとした。
「首の運動か? 俺は家の中に入るぞ」
「は? 首の運動? えっ、は、はいっ!」
人生と夢の壮大なミュージカルを終え、ウンウンと一人うなずいていた私をあっさり置き去りにし、ラウリはスタスタと家の中へ入って行く。
これから、人生について語り合おうと思っていたのにラウリが私に見せたのは、情緒のカケラもない態度だった。
「ま、待ってくださいっ」
モタモタしている私のことは完全無視。ラウリを追って家の中に入ると、彼は散らかった居間と台所を眺めて、深く重いため息をついた。
「はぁ……。寝室はまだマシなほうだったんだな。寝る場所を確保するためか」
「え? なにがですか?」
「なにがですかじゃない。草と木の実が散らばっている上に野菜の皮まで集めているのか?」
「はい。布を染めるのに使うんです」
「なるほど。それで、こんな大量な雑草と干からびた果物の皮があるわけか」
果物の皮は使おうと思って、残したまではよかったけれど、結局使わなかった。
干からびた果物の皮はもう染料の素材にはできない。それを言うとラウリが怒りそうだったので、口には出さず、自分の胸の内にソッと仕舞った。
「まあ、いい。しかし、食料もひどいもんだな。朝食を作ろうにも肉とパンだけってどうなんだ」
「塩と砂糖もあります」
「いや、俺が言ってるのは食材の話なんだが」
「料理は苦手なのでありません!」
正々堂々と胸を張って答えた。
仕事中は忙しくて食べているヒマはない。
それにパンとコーヒーなら片手で食べながら本を読めるし、作業もできる。
「えっと、待ってくださいね」
お客様用にテーブルを空けるため、散らばっていた本を積み重ね、草が入った籠を積み重ねた本の上に置く。
バランスが悪かったのか、籠が転がり、草が床の上に散らばった。
「はい、どうぞ。片付けたので、こちらの椅子に座ってください。今、コーヒーをいれますね」
「いやいやいや? 待て待て! 草が散らばっているぞ!」
「散らばってますね。あ、踏まないように気を付けてください」
「そうじゃないだろ?」
ラウリはお腹が空いているのか、大騒ぎしていた。
「もう少しでお湯が沸きますからね。ちょっと静かに待っていてください」
オブシディアンドラゴンがラウリの本性だというのなら、体は人より大きいし、食べ物も人一倍必要とするのだろうか。
パンとコーヒーで足りるか心配になってきた。
「朝食ですけど、足りなかったら、森にウサギやイノシシがいるのでセルフでお願いしますね」
ご自由におとりくださいってことですよと、私は窓を開け、自然溢れる森を指し示した。
「自分で狩ってこいとか、どういうサービスだよ」
昨日、買ってきたパンをそのまま出して、コーヒーを入れた。
これだけじゃ申し訳ないので、染料に使おうと思っていた草が台所にあるのに気づき、草を添えた。
一応、食べられる草だし、食物繊維はたっぷり入っている。
緑があると、朝食らしくなったような気がする。ドレッシングやソースはないので塩が入った壺をどんっと置いた。
「ふう……。なんとかごちそうになったわ」
「ごちそうか……」
ラウリは額に手をあて、険しい表情を浮かべ、テーブルの上を見ていた。
「次からは俺が作る」
「えっ? なにか問題ありましたか?」
ラウリは木の器に入ったコーヒーを飲み、木製のトレイの上に置いたパンをかじる。
「この家にコーヒーカップや皿はないのか?」
「あ、すみません。カップもお皿も全部、出払っちゃってて……」
流し台の中に食器類が山積みになっている。そのうち洗おうと思っていたけど、そのうちが私の中でやってこなくて、まだ洗ってない。
「カップもそこか」
「たぶん、そうですね。掘り起こしてみないとわからないですけど。私が入れたコーヒーはどうですか。おいしいでしょう」
「雑味が多い上に薄い」
「えっ? そうですか? ミネラルですかね?」
「俺はコーヒーじゃなくて、ミネラル成分を含んだ黒い水を飲んでいるのか、なるほど」
森の水が新鮮だと言いたいのだろうか。染物をするには水が必要だから、そばの川の水や井戸水を使っている。コーヒーのお湯も同じ水だから、たぶん綺麗なはずだ。水は。
ラウリの眉間の皺が増えた。
「一時的に俺がこの家の家政夫になってやる。ただし、あの術の代金分までだ」
「えっ? それって同居ってことですか? こんなうら若き乙女がはぐれ不良竜と同居なんて、危険すぎます!」
私の貞操の危機到来。お色気シーンをバンバン採用されちゃうアレですか?
大人しか読んじゃダメなやつ……
「心配するな。子供に手を出す趣味はない。十三歳くらいだろ?」
昨日、拾ったリンゴを手にした私の動きが止まる。リンゴを剥こうとナイフを探していた私にナイフが突き刺さったのではないかと錯覚するくらい、その言葉はグッサリとハートを傷つけた。
「違いますっ! 十六歳ですっ!」
「はぁ? 冗談だろ? そんな小さいのにか?」
「ちっ、小さい? 私は染物師として独立した立派な大人ですよっ! 家政夫なんてお断りです。出ていってください」
「出ていっていいのか? 俺は構わんが」
ラウリが言わんとしていることに私はやっと気がついた。
このままだと私はタダ働きになってしまう。
あの長い時間をかけて染めた布が全部、無駄に……
「ぐっ……。で、でも……」
「断言しよう。少なくともお前より俺のほうが家事をこなせる」
本の山に囲まれ、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた本棚を背にしたラウリは自信たっぷりな態度できっぱり言い切った。足元には草がまだ散らばっている。
「わかりました。でも、捨てる時は私の了承を得てからにしてくださいね?」
「………………ああ」
返事をするまでに結構、間があったのが気になったけど、返事はしてくれたから私も黙って引いた。
「まさかこの俺が家政夫になるとは思わなかった。他の竜人達が聞いたら卒倒するな」
そんなことを呟いたラウリは嫌そうな顔をしているのかと思ったら、その顔は楽しそうに見えた。
ラウリは狭い世界から飛び出した竜人族。
家事も新鮮に感じているのかもしれない。貴重な経験と体験――それは私も同じ。
誰かと暮らすのはロク先生以来。ロク先生は私といつも一緒にいてくれたわけではない。ほとんど旅に出ていて不在なことが多く、私に課題を与えるとすぐに姿を消した。
だから私はラウリが家政夫になると言ってくれた時、本当は嬉しかったのだ。
一人じゃない生活が始まることが――こうして、私は竜の家政夫と同居することになったのだった。
◇◇◇◇◇
「なにをするつもりだ?」
えへんっと私は胸を張った。ちょっと年齢にしたら、小さい胸だけど、まあ、そこはご愛敬。
「守って欲しいですか?」
「俺は誰かに守られたことなどない。だが、俺を守るというのなら、おもしろい。できるものならやってみろよ」
馬鹿にしたようにラウリは私に言った。したようにではなく、きっと馬鹿にしていたんだろうけど、それは私の力を見るまでのこと。
「わかりました。その依頼、染物師アリーチェが引き受けましょう」
緑の布を空に向かって広げる。
太陽が高い場所まで昇り、白い光が目に入る。青い空には雲ひとつなく、森の木々の葉との境界をくっきりと作り出す。
そんな空へと向かって、私は叫ぶ。
「染色術、森の【緑】っ!」
声と同時に布が浮かび上がり、大気中に色が溶ける。
緑色の布は薄い膜のようにどんどん広がり、家を覆って森の色に似た深緑色にへんかする。
緑の膜が頭上に広がり、太陽の日差しで髪も肌も白いエプロンも淡い緑に染まって見えた。
こちら側からは薄い天幕のヴェールに包まれているかのように見えるけど、上から見ると森の木々と同じようにしか見えない。
森の幻影を作り出し、ラウリを私と私の家ごと隠したのだ。
「なんだ。これは……」
ラウリはすごく驚いていた。
私の力をどうやら思い知ったらしい。
緑色の淡い光が服や肌を染めているのをラウリは不思議そうに眺めていた。実際に緑色には染まっているわけじゃないから、不思議に思うのも無理はない。
ただ緑の薄いヴェールに覆われているというだけ。
「幻術か?」
「そうです。これはすべて幻影です。家は空からだけじゃなく、地上からも森の風景と同化したので侵入できません。これで安心ですよ。この効果はしばらく続きますから、追っ手をかわすことができますね」
これで、ゴミヒロイン撤回です!
得意顔で私はエプロンのポケットから請求書を取り出した。
「では、お代を……」
「お代? 金をとるのかよ」
「はいっ! 術のレベルにもよりますけど、術の媒体となる染物は短いものでも二週間、長いものだと一年かかります」
スッとお代を書いた紙をラウリに渡す。笑顔を浮かべる私の顔をラウリが見る。
「今の俺は無一文だぞ」
「えっ! 嘘っ!」
「全裸だったのを忘れたのか」
まじまじとラウリを見つめる。
ロク先生の服を着て、足元はギリギリなんとか履けたサンダル。
ペタペタとその体に触ってみるけど、お金の気配はない。
「おい。気安く触るな」
「なにが気安くですかっ! 無一文なんて聞いてません!」
「人助けに報酬を求めるなよ」
「人じゃなくて竜人じゃないですか」
「そうだな。人より高貴な存在だった」
「払えるお金もなくて、なにが高貴ですか」
しくしくとエプロンの裾で涙をぬぐった。
タダ働きほど悲しいものはない。私が一ヶ月もかけて染めた布が一瞬で消えたのだ。
こんなの泣かずにいられない。
「おい。マジ泣きするなよ」
「だ、だって……私、これで食べているんですよ。この術を売って、生活費と素材を購入するつもりだったんですから」
普通の染物の依頼はルチアさんからしか受けておらず、それだけで暮らせない。こう見えて森の家を維持するだけでも大変なのだ。
「押し売りだろ」
「承諾したじゃないですかー!」
「まあな。なにをするか気になったからな」
「好奇心だけで弄ばれた女、アリーチェ。お代を払ってもらえず、ポイ捨て状態。これが悪い男に遊ばれた女の成れの果て」
ラウリが冷たい目で私を見る。その目は『なんだ、こいつは図々しい』なんて目をしている。
口にはしなくても伝わる言葉ってあるんですよっ!
キッとラウリを涙目で睨みつけた。
「わかった。人間の世界だと、無銭飲食は皿洗いをするんだったな」
どこ経由で仕入れた情報と認識なのかわからないけど、間違ってはいないのでうなずいた。
「俺の旅に目的も用事もないし、ゴミ小屋を綺麗に片付けてやるよ」
「家事ができるんですか?」
「お前よりはな」
「お前じゃなくて、アリーチェですっ!」
私が懸命に訂正しているというのにラウリは知らん顔をして言った。
「国を出る前から俺はけっこう人里に降りて人の姿で遊んでいたからな。宿屋や料理屋で働いたこともある」
「そんな経験が……」
旅に出る前から、ラウリはきっと広い世界を夢見ていたに違いない。狭い世界を嫌って飛び出した夢追い人ラウリ。
人を成長させる大事な人生のスパイス――それは夢。
私の中でラウリの物語がミュージカルのように始まっていた。
安寧を約束された竜人族でありながら、狭い世界ではいられないと外へ飛び出すオブシディアンドラゴン。
そこで出会う人々との交流と成長、そして別れよ。
彼はようやく森の一軒家へたどり着く。
そこには染物師の少女が住んでいた。心優しい彼女は彼を守るため特別な術を使った!
次回へ続く。
ジャジャーンと吟遊詩人(妄想)の歌声と音楽が頭の中で響いた。
「素敵です……」
両手を胸の前に組み、うっとりとした。
「首の運動か? 俺は家の中に入るぞ」
「は? 首の運動? えっ、は、はいっ!」
人生と夢の壮大なミュージカルを終え、ウンウンと一人うなずいていた私をあっさり置き去りにし、ラウリはスタスタと家の中へ入って行く。
これから、人生について語り合おうと思っていたのにラウリが私に見せたのは、情緒のカケラもない態度だった。
「ま、待ってくださいっ」
モタモタしている私のことは完全無視。ラウリを追って家の中に入ると、彼は散らかった居間と台所を眺めて、深く重いため息をついた。
「はぁ……。寝室はまだマシなほうだったんだな。寝る場所を確保するためか」
「え? なにがですか?」
「なにがですかじゃない。草と木の実が散らばっている上に野菜の皮まで集めているのか?」
「はい。布を染めるのに使うんです」
「なるほど。それで、こんな大量な雑草と干からびた果物の皮があるわけか」
果物の皮は使おうと思って、残したまではよかったけれど、結局使わなかった。
干からびた果物の皮はもう染料の素材にはできない。それを言うとラウリが怒りそうだったので、口には出さず、自分の胸の内にソッと仕舞った。
「まあ、いい。しかし、食料もひどいもんだな。朝食を作ろうにも肉とパンだけってどうなんだ」
「塩と砂糖もあります」
「いや、俺が言ってるのは食材の話なんだが」
「料理は苦手なのでありません!」
正々堂々と胸を張って答えた。
仕事中は忙しくて食べているヒマはない。
それにパンとコーヒーなら片手で食べながら本を読めるし、作業もできる。
「えっと、待ってくださいね」
お客様用にテーブルを空けるため、散らばっていた本を積み重ね、草が入った籠を積み重ねた本の上に置く。
バランスが悪かったのか、籠が転がり、草が床の上に散らばった。
「はい、どうぞ。片付けたので、こちらの椅子に座ってください。今、コーヒーをいれますね」
「いやいやいや? 待て待て! 草が散らばっているぞ!」
「散らばってますね。あ、踏まないように気を付けてください」
「そうじゃないだろ?」
ラウリはお腹が空いているのか、大騒ぎしていた。
「もう少しでお湯が沸きますからね。ちょっと静かに待っていてください」
オブシディアンドラゴンがラウリの本性だというのなら、体は人より大きいし、食べ物も人一倍必要とするのだろうか。
パンとコーヒーで足りるか心配になってきた。
「朝食ですけど、足りなかったら、森にウサギやイノシシがいるのでセルフでお願いしますね」
ご自由におとりくださいってことですよと、私は窓を開け、自然溢れる森を指し示した。
「自分で狩ってこいとか、どういうサービスだよ」
昨日、買ってきたパンをそのまま出して、コーヒーを入れた。
これだけじゃ申し訳ないので、染料に使おうと思っていた草が台所にあるのに気づき、草を添えた。
一応、食べられる草だし、食物繊維はたっぷり入っている。
緑があると、朝食らしくなったような気がする。ドレッシングやソースはないので塩が入った壺をどんっと置いた。
「ふう……。なんとかごちそうになったわ」
「ごちそうか……」
ラウリは額に手をあて、険しい表情を浮かべ、テーブルの上を見ていた。
「次からは俺が作る」
「えっ? なにか問題ありましたか?」
ラウリは木の器に入ったコーヒーを飲み、木製のトレイの上に置いたパンをかじる。
「この家にコーヒーカップや皿はないのか?」
「あ、すみません。カップもお皿も全部、出払っちゃってて……」
流し台の中に食器類が山積みになっている。そのうち洗おうと思っていたけど、そのうちが私の中でやってこなくて、まだ洗ってない。
「カップもそこか」
「たぶん、そうですね。掘り起こしてみないとわからないですけど。私が入れたコーヒーはどうですか。おいしいでしょう」
「雑味が多い上に薄い」
「えっ? そうですか? ミネラルですかね?」
「俺はコーヒーじゃなくて、ミネラル成分を含んだ黒い水を飲んでいるのか、なるほど」
森の水が新鮮だと言いたいのだろうか。染物をするには水が必要だから、そばの川の水や井戸水を使っている。コーヒーのお湯も同じ水だから、たぶん綺麗なはずだ。水は。
ラウリの眉間の皺が増えた。
「一時的に俺がこの家の家政夫になってやる。ただし、あの術の代金分までだ」
「えっ? それって同居ってことですか? こんなうら若き乙女がはぐれ不良竜と同居なんて、危険すぎます!」
私の貞操の危機到来。お色気シーンをバンバン採用されちゃうアレですか?
大人しか読んじゃダメなやつ……
「心配するな。子供に手を出す趣味はない。十三歳くらいだろ?」
昨日、拾ったリンゴを手にした私の動きが止まる。リンゴを剥こうとナイフを探していた私にナイフが突き刺さったのではないかと錯覚するくらい、その言葉はグッサリとハートを傷つけた。
「違いますっ! 十六歳ですっ!」
「はぁ? 冗談だろ? そんな小さいのにか?」
「ちっ、小さい? 私は染物師として独立した立派な大人ですよっ! 家政夫なんてお断りです。出ていってください」
「出ていっていいのか? 俺は構わんが」
ラウリが言わんとしていることに私はやっと気がついた。
このままだと私はタダ働きになってしまう。
あの長い時間をかけて染めた布が全部、無駄に……
「ぐっ……。で、でも……」
「断言しよう。少なくともお前より俺のほうが家事をこなせる」
本の山に囲まれ、ぎゅうぎゅうに詰め込まれた本棚を背にしたラウリは自信たっぷりな態度できっぱり言い切った。足元には草がまだ散らばっている。
「わかりました。でも、捨てる時は私の了承を得てからにしてくださいね?」
「………………ああ」
返事をするまでに結構、間があったのが気になったけど、返事はしてくれたから私も黙って引いた。
「まさかこの俺が家政夫になるとは思わなかった。他の竜人達が聞いたら卒倒するな」
そんなことを呟いたラウリは嫌そうな顔をしているのかと思ったら、その顔は楽しそうに見えた。
ラウリは狭い世界から飛び出した竜人族。
家事も新鮮に感じているのかもしれない。貴重な経験と体験――それは私も同じ。
誰かと暮らすのはロク先生以来。ロク先生は私といつも一緒にいてくれたわけではない。ほとんど旅に出ていて不在なことが多く、私に課題を与えるとすぐに姿を消した。
だから私はラウリが家政夫になると言ってくれた時、本当は嬉しかったのだ。
一人じゃない生活が始まることが――こうして、私は竜の家政夫と同居することになったのだった。
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