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9 【紫黒】の王子
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今日は馬車のカーテンが開き、外を眺めることができるようになっている。
その馬車の窓越しで人影が動き、降りようとしていることに気づいた御者がすばやく馬車のドアを開く。
身なりのいい御者は馬車の中から現れた人物に恭しくお辞儀をした。
「やあ、可愛いアリーチェ」
キラキラした笑顔、町の人達の驚きの声にも動じることなく、白い手袋をはめた手を振り、周囲に応える姿はまさに王子。
「黒いマントとフードをかぶっていたから、君だと気がつかなかったよ」
私に挨拶をした彼はこの国唯一の王子にして、次期王位継承者のヨルン様だった。
紫黒色の瞳、紫水晶のような髪、白いコートには銀糸や金糸の見事な刺繍が、そして、王族であることを示す王家の紋章が入ったタイ。
馬車から降りる姿さえも気品にあふれ、優雅だった。
町の女性達がうっとりとした目でヨルン様を見つめ、頬を染めて手を振っている。そんな彼女達にヨルン様は慣れた様子で手を振り返していた。
「なんだ、こいつは」
隣にいたラウリが低い声で私に尋ねてきた。本人を目の前にして詳しい説明はできなかったため、声をひそめて答えた。
「エルヴァルト王国の王子です」
「この国の王子か」
ラウリはそれだけ言うと、黙り込んで声を一切出さなかった。
竜人族であるということを隠しているのかもしれない。
色々な文献や書物を読んできた私でさえ、ラウリが初めて見た竜人族だったから、ヨルン様が私の隣に飛んでいる子竜が竜人族だと気づくとは思えない。だけど、竜だということはわかると思う。
竜人族というだけでなく、稀少な存在の竜であるというだけで貴重だから、ラウリが人間を警戒はしてしまう気持ちはわかる。
『エルヴァルト王国の王子と竜人族が出会い、竜狩りが始まった』なんて、血みどろの恐ろしい歴史のきっかけを私が作ってしまったら?
そうなると、だいぶ話が変わっ……ベシッと尻尾が私の後頭部に叩きつけられ、振り返ると、ラウリが冷ややかな目で私を見ている。
怯えているとか、恐れているというわけではないということをラウリは態度で示してきた。
後頭部をさすりながら、ラウリのプライドを傷つけないようにわかりましたとうなずいた。
「アリーチェ、元気にしてたかい? たまたま近くに寄ったから、君の顔を見て帰ろうと思ったんだよ」
ヨルン様が一通り町の女性に手を振り終えると、私のほうへと向き直り、紫黒の瞳でジッと見据える。観察されているような気がして落ち着かず、後ろめたいこともないのにおどおどとして挙動不審になってしまう。
「かっ、顔ですか? 私の顔に特別な変化はありませんが……」
「そんなことないよ。離れている間にまた少し大人っぽくなった」
「は……はあ……」
ヨルン様と偶然、森で出会ったのは先月のこと。その時、偶然出会った私達は立ち話をして別れた。
そんなに日数があいていないにも関わらず、大人っぽくなったなんておかしい。
ラウリとのゴミか否かの攻防戦で疲労困憊、へとへとになって老けたとか?
それなら話はわかっ……バシッとまたラウリの尻尾が後頭部に直撃した。
「ぎゃっ!」
「アリーチェ、どうかした? 君を刺すような悪い蜂でもいた? この辺りの蜂をすべて抹殺しようか?」
「い、いいえっ。ちょっと、こう……えっと、フクロウの泣き声の真似をしただけです」
「フクロウはそんな声で鳴いた?」
「森のフクロウはそうです」
「そうなんだ。アリーチェは物知りだね」
なんとか蜂の大量殺戮は免れ、蜂蜜の高騰を避けることができた。ヨルン様は時々、度を知らず徹底的に敵を潰すことがあり、言ったことを本気でやるから怖い。
私には優しいけど、どんなに優しくてもヨルン様はこの国の王子なんだと思い、心の壁を消すことは難しかった。
「い、いえ、私が物知りなんて、そんなことは……」
「実はね、君に会うためにお忍びで町に入ったんだよ」
「なにか政治的なことか、難しい問題が起きたんですか?」
「そうじゃないよ、アリーチェ……」
はぁっとヨルン様はため息をついた。
きっと王国の機密に関わる話せないようなことを私は尋ねてしまったに違いない。
これだから、私はだめなのだ。ロク先生のようにうまく取引できず、独立したとはいえ、まだまだ未熟な部分が多くあった。
もともとヨルン様はロク先生のお客様で、王都で暮らしていた頃、ヨルン様はロク先生を訪ね、工房に顔を出し、普通の染物ではなく、特別な仕事を依頼をして帰った。
ヨルン様から依頼されるのはすべて術の依頼だけ――ヨルン様には気を付けなければいけない。
「でも、アリーチェが元気そうでよかったよ。王都から田舎へ工房を移したと、人づてに聞いた時は驚かされたけどね。王都の工房に不満があったというのなら、僕に相談してくれてもよかったんじゃないかな?」
「いえっ! 不満なんてありません。ただ……その、あそこはロク先生の工房ですし、独立をきっかけに自分の力を試したかったんです」
「そうなんだ。てっきりアリーチェは僕を嫌って田舎に逃げたのかと思ったけど、僕の気のせいだったのかな」
「もっ、もちろんですっ!」
ヨルン様は笑顔だったけど、私がなにも言わずに黙って王都を去ったことをよく思っていないらしく、会うたびにチクチクと嫌味を言ってくる。
その気まずさから、うつむきがちにしていると、町の人達はヨルン様が悪い魔女を尋問しているふうに見えたのか――
「さすがヨルン様ね! 心強いわぁ」
「なんて、勇気のある方かしら」
「使い魔をやっつけてくれないかなぁ」
なんて、子供から大人まで言っているのが聞こえてくる。そんな声を耳にしたヨルン様は憂いを帯びた表情を浮かべ、私に言った。
「ああ……君の仕事に理解のない田舎町では暮らしにくいよね。そろそろ王都へ戻ったらどうかな?」
いまだに私が町に溶け込めてないのをヨルン様は察し、王都へ戻るよう言われた。今までも幾度となく、ここを離れ、王都の工房を使うよう勧められたけど、私はまだ諦めていない。
「いえっ! ロク先生の名前でなく、染物師アリーチェとして、どこにいてもしっかりやれるということを証明したいんです。それが、私を拾ってくれたロク先生への恩返しになりますからっ!」
「その志は立派だけどね」
ちらりとヨルン様は周囲に視線を走らせた。
ヨルン様は国民から人気があり、自然と人々が集まって来る。けれど、私がいるせいで誰も近寄らない。そのことが申し訳なくて、身を縮こまらせた。
「それに僕はアリーチェを心配しているんだよ。王都へ戻らず、町の宿に泊まっていたのも君の家がある森で術の気配を感じたからなんだ。行ってみたら、道が途中で消えていてね」
ヨルン様が私の家に訪れようとしていたことを知った。
けれど、ラウリを守るために使った術によって、私の家に辿り着くことを阻まれ、なにか事件があったのではと思われたらしい。
術の発動に気づいたヨルン様は異変を感じ、急遽お忍びを取りやめ、兵士を集めたのだろう。
「それで、術を使わねばならないような危険なことがあったのかな?」
竜人族のラウリのことをヨルン様に言うべきか言わないべきか迷ったけれど、私は言わないことを選んだ。
だって、ラウリは逃げているし、捕まったら連れ戻されて、彼は狭い世界でずっと生きていかなくちゃいけなくなる。
もっと世界を知りたいという夢があるラウリを守らなくてはと思った。
「え、えっと……違うんです。術を試すには人のいない場所でないと迷惑がかかってしまうので……そのっ、誰もいない森の中で試しただけです」
ヨルン様はうーんと腕を組み、天を仰いで唸った。納得していないようだったけど、私の言い分におかしな点はない。
だから、術について言及されることはなく、怪しまれたくらいで終わった。
なんとか、ヨルン様をかわし、ホッとしていたのも束の間。次はラウリのほうへとヨルン様の興味が移る。
「この生き物は?」
「森の道端で転がっているのを拾いました!」
「転がっていたって、石ころみたいに?」
「そうです。そのへんに落ちていたので持って帰りました」
嘘じゃないから、正々堂々と胸を張って答えることができた。
でも、ラウリのほうは私の返答が気に入らないようで、尻尾を不機嫌そうにぶんぶん振り子のように振り、私の後頭部を狙っている。
「なるほどね。けれど、危険なものかもしれないよ? なんなら引き取って調べようか?」
ラウリをヨルン様が引き取るというか、引き渡すような空気になってしまった。
「だっ、だめです! 私の大事な鱗っ……じゃなくて、その、ペットですから。信頼関係もすでに構築されてます」
スッと手をラウリに差し出した。そして、ラウリに目で合図する。犬がよくやるアレですよ、と。
凄味をきかせた目でラウリが睨んできた。視線だけでカエルくらいなら息の根を止めることができそうな目だった。
「あれ? 信頼関係はどうしたのかな?」
「そ、そ、そ、それはっ……」
どうしようと焦っていると、ラウリは翼を閉じ、ドスンッと私の頭の上に乗っかった。
「ぶっ! お、重っ……!」
油断していたから、首を痛めるところだった。犬の真似事をしろと私が言ったことへの逆襲だろうか。
ラウリは偉そうな態度でヨルン様と対峙する。
「ふぅん、懐いてはいるようだね」
「そうなんです。私達、仲良しなんですっ!」
ラウリは黙っているけど、きっと心の中じゃ、誰が仲良しだと毒づいているに違いない。勝手に仲良し扱いしてしまって、ごめんなさいと謝った。
「アリーチェ。なにか危険なことがあれば、すぐに言うんだよ?」
「は、はあ……。いつも気にかけてくださりありがとうございます」
「僕とアリーチェの仲だろう? 遠慮はいらないよ」
「いいえ。昔馴染みとはいえ、ヨルン様はこのエルヴァルト王国の王子ですからっ! 私ごときが馴れ馴れしく口をきくことも本来なら、よくないってわかってます」
私のような人付き合いが下手くそな人間が雲の上の人と会話しているだけでも奇跡。
そもそも、私がロク先生の弟子でなかったら、ただのトロい少女で平凡どころか、平凡以下。普通に生きていれば、ヨルン様と顔を合わせる機会すらなかったはずだ。
「アリーチェはいつも冷たいね」
そう言ったヨルン様の顔は少しだけ悲しそうに見えた。
けれど、その表情はすぐに消え、サッと作り笑いを浮かべる。まるで、本心を悟られることが罪だとでも言うように。
町の人達が王子がいると聞き付けて集まり出し、ヨルン様を取り囲み、歓声があがる。特に若い女性達からの声が多く、ドレスを着替えた女性までいた。
「ヨルン様ぁー!」
「またこの町にいらしてくださって嬉しいです」
「もしかして、私に会いに来てくれたとか……?」
「なに言ってるのよ。私に決まってるでしょ!」
なんて、大騒ぎになり、町の通りは一気に賑やかで華やかな空気に包まれた。ヨルン様は微笑みを彼らに向け、手を振りながら私に言った。
「残念だ。アリーチェとお茶でも飲めるかと思って、せっかくお忍びで来たのに正体を明かしたから人が集まってきてしまった。お茶は無理そうだね」
王子に挨拶をと、町長や商人達の一団がぞろぞろとやって来るのが見える。そのうち、貴族達まで集まり、王子を屋敷へ招待しようと躍起になるだろう。
エルヴァルト王国は世界で最も権勢を誇る国。その国の王子であり、次期王位継承者であるヨルン様を放って置く人間なんて誰一人としてこの国にはいないのだから。
「アリーチェ。ルチアの店に依頼品を置いてある。仕事を頼む」
「はい……」
王家からの依頼は絶対に断れない。
どんな依頼なのか、わからないけれど、私は承諾するしかなかった。
ヨルン様はまたねと、また会いに来るつもりなのか、私に軽く挨拶をすると、集まって来た女性達に握手を始めた。
「歓迎してくれてありがとう。可愛い子達に出迎えてもらえて嬉しいよ」
「きゃっー!」
「ヨルン様っー!」
ヨルン様お得意の軽やかさで人々の心を掴んでいく。春の陽気を思わせる明るさで、あっという間に町の人々の心を掌握し、大人気となった。
「……私にもあんな人を魅了する力があればいいのに」
私はヨルン様がみんなから、慕われているのを眺め、羨望のまなざしを向けつつも、その場を離れた。
自分がまた魔女だと大騒ぎされ、惨めになる前に足早に立ち去ったのだった。
その馬車の窓越しで人影が動き、降りようとしていることに気づいた御者がすばやく馬車のドアを開く。
身なりのいい御者は馬車の中から現れた人物に恭しくお辞儀をした。
「やあ、可愛いアリーチェ」
キラキラした笑顔、町の人達の驚きの声にも動じることなく、白い手袋をはめた手を振り、周囲に応える姿はまさに王子。
「黒いマントとフードをかぶっていたから、君だと気がつかなかったよ」
私に挨拶をした彼はこの国唯一の王子にして、次期王位継承者のヨルン様だった。
紫黒色の瞳、紫水晶のような髪、白いコートには銀糸や金糸の見事な刺繍が、そして、王族であることを示す王家の紋章が入ったタイ。
馬車から降りる姿さえも気品にあふれ、優雅だった。
町の女性達がうっとりとした目でヨルン様を見つめ、頬を染めて手を振っている。そんな彼女達にヨルン様は慣れた様子で手を振り返していた。
「なんだ、こいつは」
隣にいたラウリが低い声で私に尋ねてきた。本人を目の前にして詳しい説明はできなかったため、声をひそめて答えた。
「エルヴァルト王国の王子です」
「この国の王子か」
ラウリはそれだけ言うと、黙り込んで声を一切出さなかった。
竜人族であるということを隠しているのかもしれない。
色々な文献や書物を読んできた私でさえ、ラウリが初めて見た竜人族だったから、ヨルン様が私の隣に飛んでいる子竜が竜人族だと気づくとは思えない。だけど、竜だということはわかると思う。
竜人族というだけでなく、稀少な存在の竜であるというだけで貴重だから、ラウリが人間を警戒はしてしまう気持ちはわかる。
『エルヴァルト王国の王子と竜人族が出会い、竜狩りが始まった』なんて、血みどろの恐ろしい歴史のきっかけを私が作ってしまったら?
そうなると、だいぶ話が変わっ……ベシッと尻尾が私の後頭部に叩きつけられ、振り返ると、ラウリが冷ややかな目で私を見ている。
怯えているとか、恐れているというわけではないということをラウリは態度で示してきた。
後頭部をさすりながら、ラウリのプライドを傷つけないようにわかりましたとうなずいた。
「アリーチェ、元気にしてたかい? たまたま近くに寄ったから、君の顔を見て帰ろうと思ったんだよ」
ヨルン様が一通り町の女性に手を振り終えると、私のほうへと向き直り、紫黒の瞳でジッと見据える。観察されているような気がして落ち着かず、後ろめたいこともないのにおどおどとして挙動不審になってしまう。
「かっ、顔ですか? 私の顔に特別な変化はありませんが……」
「そんなことないよ。離れている間にまた少し大人っぽくなった」
「は……はあ……」
ヨルン様と偶然、森で出会ったのは先月のこと。その時、偶然出会った私達は立ち話をして別れた。
そんなに日数があいていないにも関わらず、大人っぽくなったなんておかしい。
ラウリとのゴミか否かの攻防戦で疲労困憊、へとへとになって老けたとか?
それなら話はわかっ……バシッとまたラウリの尻尾が後頭部に直撃した。
「ぎゃっ!」
「アリーチェ、どうかした? 君を刺すような悪い蜂でもいた? この辺りの蜂をすべて抹殺しようか?」
「い、いいえっ。ちょっと、こう……えっと、フクロウの泣き声の真似をしただけです」
「フクロウはそんな声で鳴いた?」
「森のフクロウはそうです」
「そうなんだ。アリーチェは物知りだね」
なんとか蜂の大量殺戮は免れ、蜂蜜の高騰を避けることができた。ヨルン様は時々、度を知らず徹底的に敵を潰すことがあり、言ったことを本気でやるから怖い。
私には優しいけど、どんなに優しくてもヨルン様はこの国の王子なんだと思い、心の壁を消すことは難しかった。
「い、いえ、私が物知りなんて、そんなことは……」
「実はね、君に会うためにお忍びで町に入ったんだよ」
「なにか政治的なことか、難しい問題が起きたんですか?」
「そうじゃないよ、アリーチェ……」
はぁっとヨルン様はため息をついた。
きっと王国の機密に関わる話せないようなことを私は尋ねてしまったに違いない。
これだから、私はだめなのだ。ロク先生のようにうまく取引できず、独立したとはいえ、まだまだ未熟な部分が多くあった。
もともとヨルン様はロク先生のお客様で、王都で暮らしていた頃、ヨルン様はロク先生を訪ね、工房に顔を出し、普通の染物ではなく、特別な仕事を依頼をして帰った。
ヨルン様から依頼されるのはすべて術の依頼だけ――ヨルン様には気を付けなければいけない。
「でも、アリーチェが元気そうでよかったよ。王都から田舎へ工房を移したと、人づてに聞いた時は驚かされたけどね。王都の工房に不満があったというのなら、僕に相談してくれてもよかったんじゃないかな?」
「いえっ! 不満なんてありません。ただ……その、あそこはロク先生の工房ですし、独立をきっかけに自分の力を試したかったんです」
「そうなんだ。てっきりアリーチェは僕を嫌って田舎に逃げたのかと思ったけど、僕の気のせいだったのかな」
「もっ、もちろんですっ!」
ヨルン様は笑顔だったけど、私がなにも言わずに黙って王都を去ったことをよく思っていないらしく、会うたびにチクチクと嫌味を言ってくる。
その気まずさから、うつむきがちにしていると、町の人達はヨルン様が悪い魔女を尋問しているふうに見えたのか――
「さすがヨルン様ね! 心強いわぁ」
「なんて、勇気のある方かしら」
「使い魔をやっつけてくれないかなぁ」
なんて、子供から大人まで言っているのが聞こえてくる。そんな声を耳にしたヨルン様は憂いを帯びた表情を浮かべ、私に言った。
「ああ……君の仕事に理解のない田舎町では暮らしにくいよね。そろそろ王都へ戻ったらどうかな?」
いまだに私が町に溶け込めてないのをヨルン様は察し、王都へ戻るよう言われた。今までも幾度となく、ここを離れ、王都の工房を使うよう勧められたけど、私はまだ諦めていない。
「いえっ! ロク先生の名前でなく、染物師アリーチェとして、どこにいてもしっかりやれるということを証明したいんです。それが、私を拾ってくれたロク先生への恩返しになりますからっ!」
「その志は立派だけどね」
ちらりとヨルン様は周囲に視線を走らせた。
ヨルン様は国民から人気があり、自然と人々が集まって来る。けれど、私がいるせいで誰も近寄らない。そのことが申し訳なくて、身を縮こまらせた。
「それに僕はアリーチェを心配しているんだよ。王都へ戻らず、町の宿に泊まっていたのも君の家がある森で術の気配を感じたからなんだ。行ってみたら、道が途中で消えていてね」
ヨルン様が私の家に訪れようとしていたことを知った。
けれど、ラウリを守るために使った術によって、私の家に辿り着くことを阻まれ、なにか事件があったのではと思われたらしい。
術の発動に気づいたヨルン様は異変を感じ、急遽お忍びを取りやめ、兵士を集めたのだろう。
「それで、術を使わねばならないような危険なことがあったのかな?」
竜人族のラウリのことをヨルン様に言うべきか言わないべきか迷ったけれど、私は言わないことを選んだ。
だって、ラウリは逃げているし、捕まったら連れ戻されて、彼は狭い世界でずっと生きていかなくちゃいけなくなる。
もっと世界を知りたいという夢があるラウリを守らなくてはと思った。
「え、えっと……違うんです。術を試すには人のいない場所でないと迷惑がかかってしまうので……そのっ、誰もいない森の中で試しただけです」
ヨルン様はうーんと腕を組み、天を仰いで唸った。納得していないようだったけど、私の言い分におかしな点はない。
だから、術について言及されることはなく、怪しまれたくらいで終わった。
なんとか、ヨルン様をかわし、ホッとしていたのも束の間。次はラウリのほうへとヨルン様の興味が移る。
「この生き物は?」
「森の道端で転がっているのを拾いました!」
「転がっていたって、石ころみたいに?」
「そうです。そのへんに落ちていたので持って帰りました」
嘘じゃないから、正々堂々と胸を張って答えることができた。
でも、ラウリのほうは私の返答が気に入らないようで、尻尾を不機嫌そうにぶんぶん振り子のように振り、私の後頭部を狙っている。
「なるほどね。けれど、危険なものかもしれないよ? なんなら引き取って調べようか?」
ラウリをヨルン様が引き取るというか、引き渡すような空気になってしまった。
「だっ、だめです! 私の大事な鱗っ……じゃなくて、その、ペットですから。信頼関係もすでに構築されてます」
スッと手をラウリに差し出した。そして、ラウリに目で合図する。犬がよくやるアレですよ、と。
凄味をきかせた目でラウリが睨んできた。視線だけでカエルくらいなら息の根を止めることができそうな目だった。
「あれ? 信頼関係はどうしたのかな?」
「そ、そ、そ、それはっ……」
どうしようと焦っていると、ラウリは翼を閉じ、ドスンッと私の頭の上に乗っかった。
「ぶっ! お、重っ……!」
油断していたから、首を痛めるところだった。犬の真似事をしろと私が言ったことへの逆襲だろうか。
ラウリは偉そうな態度でヨルン様と対峙する。
「ふぅん、懐いてはいるようだね」
「そうなんです。私達、仲良しなんですっ!」
ラウリは黙っているけど、きっと心の中じゃ、誰が仲良しだと毒づいているに違いない。勝手に仲良し扱いしてしまって、ごめんなさいと謝った。
「アリーチェ。なにか危険なことがあれば、すぐに言うんだよ?」
「は、はあ……。いつも気にかけてくださりありがとうございます」
「僕とアリーチェの仲だろう? 遠慮はいらないよ」
「いいえ。昔馴染みとはいえ、ヨルン様はこのエルヴァルト王国の王子ですからっ! 私ごときが馴れ馴れしく口をきくことも本来なら、よくないってわかってます」
私のような人付き合いが下手くそな人間が雲の上の人と会話しているだけでも奇跡。
そもそも、私がロク先生の弟子でなかったら、ただのトロい少女で平凡どころか、平凡以下。普通に生きていれば、ヨルン様と顔を合わせる機会すらなかったはずだ。
「アリーチェはいつも冷たいね」
そう言ったヨルン様の顔は少しだけ悲しそうに見えた。
けれど、その表情はすぐに消え、サッと作り笑いを浮かべる。まるで、本心を悟られることが罪だとでも言うように。
町の人達が王子がいると聞き付けて集まり出し、ヨルン様を取り囲み、歓声があがる。特に若い女性達からの声が多く、ドレスを着替えた女性までいた。
「ヨルン様ぁー!」
「またこの町にいらしてくださって嬉しいです」
「もしかして、私に会いに来てくれたとか……?」
「なに言ってるのよ。私に決まってるでしょ!」
なんて、大騒ぎになり、町の通りは一気に賑やかで華やかな空気に包まれた。ヨルン様は微笑みを彼らに向け、手を振りながら私に言った。
「残念だ。アリーチェとお茶でも飲めるかと思って、せっかくお忍びで来たのに正体を明かしたから人が集まってきてしまった。お茶は無理そうだね」
王子に挨拶をと、町長や商人達の一団がぞろぞろとやって来るのが見える。そのうち、貴族達まで集まり、王子を屋敷へ招待しようと躍起になるだろう。
エルヴァルト王国は世界で最も権勢を誇る国。その国の王子であり、次期王位継承者であるヨルン様を放って置く人間なんて誰一人としてこの国にはいないのだから。
「アリーチェ。ルチアの店に依頼品を置いてある。仕事を頼む」
「はい……」
王家からの依頼は絶対に断れない。
どんな依頼なのか、わからないけれど、私は承諾するしかなかった。
ヨルン様はまたねと、また会いに来るつもりなのか、私に軽く挨拶をすると、集まって来た女性達に握手を始めた。
「歓迎してくれてありがとう。可愛い子達に出迎えてもらえて嬉しいよ」
「きゃっー!」
「ヨルン様っー!」
ヨルン様お得意の軽やかさで人々の心を掴んでいく。春の陽気を思わせる明るさで、あっという間に町の人々の心を掌握し、大人気となった。
「……私にもあんな人を魅了する力があればいいのに」
私はヨルン様がみんなから、慕われているのを眺め、羨望のまなざしを向けつつも、その場を離れた。
自分がまた魔女だと大騒ぎされ、惨めになる前に足早に立ち去ったのだった。
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