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16 嫉妬?
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役立たずと言われ続けた私―――そんな私ができることって、なんだろう。
そう考えた結果、私は食事の質の向上に努めようと王宮の台所に立った。しかし、ここには台所の番人にして鉄壁の守り、最強最大のライバルとなるかもしれない存在がいた。
「あー、ダメダメ! ギデオン様はお小さい頃から、アップルパイがお嫌いでねぇ」
「ま、待ってください! 私のアップルパイは『パレ・ヴィオレット』でも絶賛されるくらいなんですよ」
ギデオン様の乳母だったローナさんとバチバチと火花を散らしていた。
仲が悪いわけではなく、ギデオン様への愛と愛がぶつかり合って激しい攻防戦になっているだけで、ローナさんは明るくて気さくな年配女性だった。
そのローナさんの体はふくよかで、体型からは想像できないくらい素早く動く。
服装は動きやすい裾の短いスカートに白いエプロンをつけ、黄色のネッカチーフをつけている。
その姿は宿屋の女主人か、市場でよく見る気の強い農家のおかみさん。市場の値引きに負けがちだった私だけど、ここは負けられない。
「まあ、ライオネル様があんたのアップルパイを食べたいと言っていたから、作るのは止めやしないよ。ライオネル様の好物がアップルパイだったとは初耳だけどね」
台所を任されているローナさんが初耳なのも無理はない。
アップルパイが好きというのは私が台所を使うためにライオネルがローナさんは納得させるために作った口実だった。
王宮の人手不足に気が付いた私はギデオン様の部屋の掃除から始めた。
カーテンを開け、明るい日差しを取り入れ、散らばった本や服を片付ける。
けれど、それが出来たのは初日だけ。
次の日からはローナさんの下で働く侍女がやってきて綺麗に掃除されてしまった。
「居心地が悪かったか」
そう言って、ギデオン様は過ごしやすいように部屋を整えさせた。
ふわふわの羽根入り高級クッションが届き、絨毯は厚みのある硬い絨毯からふわふわの絨毯に変更された。
クッションカバーはレースの縁取りにフリル、リボンがたくさん縫い付けられたお姫様みたいな贅沢なクッション。
これはもしや、お昼寝用とか……?
外が見える窓際の一番いい場所にクッションは置かれ、疑惑は確信に変わった。
けれど、犬の姿となり、暖かい日差しの中、ふわふわの羽根クッションに包まれて眠るのは最高だった。
毎日、ここでお昼寝なんて最高!
そう思ったけど、すぐにその考えを改めた。
みんなが忙しそうにしている中、一人(一匹)だけ微睡んでいるわけにはいかないんですよ!
そんなわけで、掃除ができなくなった私は冷めた料理しか出てこない食卓の改善に乗り出したのだった。
「台所? ローナに任せておけ」
台所を使いたいと、ギデオン様にお願いするとそんな言葉が返って来た。
私がギデオン様のためになにかしたいと申し出ると、ギデオン様は犬の姿の私を優しく撫でてくれて幸せな気分になり、お昼寝コースへまっしぐら。
そして、最終的にお腹を見せるというあられもない姿を晒してしまう。
思い出すだけで恥ずかしすぎて、手で顔を覆った。
このままだと、いつまで経っても私は犬のまま。
人間の私も役立つということをギデオン様にわかってもらわねばならない。
それで作戦を変更し、ライオネルに頼んだという流れだった。
ライオネルはローナさんにうまく言ってくれたようで、台所への侵入をようやく果たせた。
そうじゃなかったら、私は永久にここの強固な砦を突破できなかったと思う。
くつくつと大鍋の中でリンゴが音をたてている。リンゴを煮ている私の隣に立ち、私のことをローナさんはずっと見張っていた。
さすが砦の番人……
切ったリンゴが鍋の中で透き通って金色になるまで煮詰めていく。この煮詰めたリンゴと、たっぷりのカスタードクリームを入れてパイ生地をかぶせて焼く。
私が焼くサクサクでとろりとしたアップルパイは『パレ・ヴィオレット』でも人気のメニューで、贅沢に慣れたお客様にも好評をいただいていた。
自信のあるお菓子で、まずは勝負していこうと思ったのにギデオン様はアップルパイが苦手らしい。
「ギデオン様は召し上がられるかねぇ。それにギデオン様の口に入る物はジョシュア様が一旦、口にされるからね」
ギデオン様が食べる食事はローナさんが作れるものだけに限られており、素朴で質素な食事が多かった。
他の人間に任せると毒を入れられるからという理由で食事は常にローナさんが作り、念には念をということで、ジョシュアが必ず毒見をするというのが決まりらしい。
「それでも作るというのなら、私は止めないよ」
「……わかりました」
諦めたわけじゃないけれど、これは信頼してもらうための第一歩だと思おう。
道は険しく、まだ名前も呼んでもらえてない現実が悲しい。
そういえば、キメラって甘い物も食べるのだろうか。
ロキに関しては謎だらけだった。
温まったのを確認し、アップルパイを大きなオーブンに入れて待つ。
「エルヴィーラだっけ? あんた、なかなか見込みがあるよ」
「台所仕事は『パレ・ヴィオレット』でもしていたので、慣れているんです」
「そうじゃないよ。ギデオン様達に気に入られたことを言ってるんだよ」
ローナさんは木の椅子をオーブンのそばまで持って来て、私に座るよう勧めてくれた。
「どうやってギデオン様に近づいたんだい? 色仕掛けできそうな体でもなさそうだっていうのに不思議だねぇ」
「そんなことないですっ! ギデオン様は可愛いって褒めてくれますし、毛質だって滑らかで撫で心地がいいって言われるんですから」
「そこまで生々しいことは言わなくていいよ」
「生々しい?」
撫でられるのが、そんなに生々しいことだとは思えなかった。
毎日のブラッシングの後には可愛い、素晴らしいと絶賛してくれる。
一日で一番幸せなひとときだった。
「それと、あの白い犬。どこで拾ってきたんだか。犬のおかげで威圧感が和らいで、ギデオン様が人間らしくなったと評判だから構わないけど、犬をあんなに可愛がるとは意外だねぇ」
ローナさんは私が犬の獣人だということを知らない。
その噂なら私も知っている。
犬の姿で王宮内をうろうろしていると衛兵達が話しているのが、自然に聞こえてくる。
新しい侍女が入ったと―――思い出して落ち込んでしまった。
言われなくてもわかってる。
ギデオン様の隣に突然現れた平凡な女。
見目麗しく彫刻のように美しいギデオン様のに似合うの女性なんて、ヴィオレットくらいかもしれない。
二人が並んでいるところを想像すると、迫力十分で世界を滅ぼしそうな組み合わせだった。
「なに青い顔しているんだい? 熱いお茶が入ったよ」
ローナさんは私に熱い紅茶が入ったカップを手渡してくれた。香りのいい紅茶がなみなみとカップに入っている。
「ありがとうございます」
ここに来てから当たり前に親切にされることが多くて嬉しい。
こんなふうに人から扱われたことがなかった私にはひとつひとつが特別に感じていた。
そして、紅茶の葉は上等のものだった。
さすが王宮は違う。
今飲んでいる紅茶の葉は東の地方の島のみで栽培される几帳な茶葉だった。
「海路でしか手に入らない珍しい紅茶なのに私が飲んでよかったんですか?」
「そうなのかい? これは私の私物だよ。むしろ、海路のほうが手に入りやすいけどね」
「はあ?」
海路の方が手に入りやすい?
そんなものなのだろうか。
お酒は飲めないので、おいしいお茶が飲めるのは私にとっては贅沢に感じた。
「ギデオン様のそばに人が増えることはいいことだよ。一人でも多く信用できる人間が増えればいいんだけどねぇ」
「そうですね」
貴族達とのやり取りを見ている限りでは増えそうにない。
お世辞にも良好な関係だとは言えなかった。
「ギデオン様は幼少の頃から嫉妬で狂った王妃に命を狙われ続けてきてね。王にはアンジェリカ様以外の女の子が数人いたけど、その女の子達も姿を消したよ」
「他の王女はどこへ行ったんですか?」
「王妃の嫉妬による殺害を恐れて逃げたよ」
ゴクッと紅茶を飲み込んだ。
それって、自分の子以外は認めないだけじゃなく、命まで保証しないってことですよね……
逃げられた子達はよかったけれど、ギデオン様はただ一人の王子。
ここから逃げることはできなかったのだろう。
そして、母親を殺された―――
「ディアドラはギデオン様を戦死させるため、戦場では常に前線で戦わせるよう仕向けてきたんだよ」
「戦死なら暗殺にならないからですか?」
「そうさ。ディアドラは本当に悪い女だったよ! でもね、長く戦場にいたおかげでギデオン様をじかに知り、忠義を誓う者が軍に大勢いる。戦場の方が王宮より安全だったことを思えば、ギデオン様のがいかに危険な目に遭ってきたか、わかるだろう?」
ギデオン様は裏切り者には苛烈なまでの仕打ちをするけど、味方には優しい。私はそれを身をもって知っている。
自分の着ているドレスをなでた。下働きだった私は粗末なドレスしか着たことがなかった。
芸のひとつもできない私を可愛いと言ってくれるのはギデオン様だけ。
「生きていてくれてよかったです」
「本当だよ。ギデオン様は有能でいらっしゃるし、頭の悪い貴族をのさばらせないからね。そうそう。うちの息子は海軍にいるんだよ。大活躍していてねぇ」
そこから先はローナさんの息子自慢が始まった。息子自慢をアップルパイが焼きあがるまで延々と聞くはめになった。
バターたっぷりのパイ生地が焼けた香ばしい匂いと甘い香りが広がる頃、ようやくローナさんから解放された。
オーブンから取り出したアップルパイはカリッとキツネ色に焼けていて、上等の出来栄えにうっとりした。
その香りにつられて、ライオネルとロキが顔を出した。
「やっほー。アップルパイ、焼けた? ロキがそわそわしてたから、もうできた頃かと思ってたよ」
「ちょうど焼けましたよ」
「ほーら、ロキ。アップルパイだぞー!」
「ふふっ。今、お茶を用意しますね」
お湯もたっぷり沸いている。
ローナさんが棚から食器を出してくれた。
人数が少ないとはいえ、最小限の護衛のため、王宮内に兵を置いている。その人達の食事はローナさんが連れて来たという信用できる人間だけで、王宮なのに家庭的な雰囲気が漂っていた。
そのおかげで私も緊張せずにいられる。
ローナさんの家庭は和やかで楽しい家庭なんだろうなぁ。
そう思っていると、私を探しに来たらしいギデオン様が顔を覗かせた。
「ここにいたのか」
「はい。アップルパイを作っていました」
アップルパイがのった皿をギデオン様に見せた。けれど、ギデオン様の目はアップルパイを食べているライオネルに向けられていた。
「あ、ギデオン様。なにかありました?」
「いや。犬を探しにきただけだ。お前はなにをしているんだ」
犬って、もしかしなくても私のことですか?
アップルパイを持ったまま、私は頬をひきつらせた。
いつになったら、名前で呼んでくれるんだろう。
もしかして、ずっと犬?
「俺はねー。ロキと一緒にエルヴィーラが作ってくれたアップルパイを食べてたとこー」
ライオネルの返事をギデオン様が聞いた瞬間、びゅうっと寒々しい風が吹いた。今日は天気も良くて暖かい日なのにおかしい。
「ギデオン様。エルヴィーラの焼き立てアップルパイ、カスタードクリームたっぷりでうまいよ」
「そうか……。それで、いつの間に仲良くなったんだ?」
「俺達、けっこう前から仲良しだよねっ」
「そうですね」
ライオネルはなにかと私のことを気にかけてくれて、今日も王宮の台所へ入れるようにしてくれた。ライオネルはとても親切だし、ロキも慣れれば怖くない。
怖くないよね……?
ロキは鋭い牙を私に見せてきた。
どうして威嚇するのっー!
アップルパイで餌付けできたと思ったのに誤算だった。
「……ふーん」
ギデオン様はライオネルじゃなくて、私をじろりと私を見る。
この突き刺すような視線はなんだろう?
不機嫌になる理由がわからず、笑って誤魔化そうと思ったけど、うまく笑えなくて引きつった笑みを浮かべた。
もしかして、アップルパイになにかトラウマをお持ちとか?
食べた時に毒が入っていて、酷い目にあった?
それなら、納得がいく。
「まあまあっ! ギデオン様! 国王陛下になられたんですから、こんなところにいらっしゃってはいけません!」
ローナさんが慌ただしくやってきて、ギデオン様を見つけるなり、台所から追い出そうとした。
貴族の前では強気だったギデオン様もローナさんには敵わないらしく、入口まで追いやられてしまった。
やはり、最強の番人と私が認めただけある。
もったいないので、ギデオン様の分のアップルパイを食べていると、ますます怖い顔をしてきた。
「あの……アップルパイを食べますか? まだ、たくさんありますから、部屋にお持ちしますね」
「いや、それは」
ギデオン様がなにか言いかけた瞬間、回廊からジョシュアの声が響いた。
「ギデオン様、こちらにいらしたんですか」
「どうした」
「アシエベルグとの国境で不穏な動きがありました。武器商人から武器を買い集め、レムナークへ入る一団がいると」
「わかった。すぐに行く」
和やかな雰囲気が消え、冷たい表情に変わった。
それはライオネルやローナさんも同じで笑顔がなくなり、ライオネルがぺろりと唇を舐めた。
「ロキ、俺達も行こうか。楽しいお食事の時間だよ? 他の子達も呼んであげようね」
そんなライオネルを見て、ギデオン様がフッと笑い、ジョシュアも同じように笑う。
三人とも目が笑っていない。
「ローナ。ここを頼んだぞ」
ローナさんは私を見て頷いた。
私のことを心配してくれているのだろうか。
初めてギデオン様と離れることに不安を覚え、ぎゅっとマントを握った。
できることなら、一緒に行きたい。そばにいたいと思ってしまう。
心細くなっている私に気づいてか、私の頭をギデオン様がぽんぽんと叩いた。
「戻ったら、お前が作ったアップルパイを食べる。俺の分を残しておけ」
「はい」
「それから、王宮の奥にいる時はいいが、奥から出る時は必ず犬の姿になれ。人間の姿は禁止だ」
「えっ? 人前に出る時は犬の姿限定ですか?」
「誰が見ているかわからない」
私が不思議に思って首を傾げ、返事をしないでいると、念を入れるようにしてギデオン様は言ってきた。
「いいから犬になれ」
「誰にも見せたくないって素直に言えばいいと思うよ」
ライオネルがお茶を飲みながら小声でなにかつぶやいていた。
けれど、ギデオン様はそれには答えず、ふいっと顔を背けた。
「はぁ……。独占欲が強くて大変だねぇ」
ローナさんの声が背後でしたけど、それは私のことなのか、ロキがライオネルと仲良くする私に嫉妬していたからなのか、わからなかった。
「わかりました。ギデオン様が無事に帰ってくるのをお待ちしています」
「ああ」
ギデオン様の目が僅かに優しいものになったような気がした。
そう考えた結果、私は食事の質の向上に努めようと王宮の台所に立った。しかし、ここには台所の番人にして鉄壁の守り、最強最大のライバルとなるかもしれない存在がいた。
「あー、ダメダメ! ギデオン様はお小さい頃から、アップルパイがお嫌いでねぇ」
「ま、待ってください! 私のアップルパイは『パレ・ヴィオレット』でも絶賛されるくらいなんですよ」
ギデオン様の乳母だったローナさんとバチバチと火花を散らしていた。
仲が悪いわけではなく、ギデオン様への愛と愛がぶつかり合って激しい攻防戦になっているだけで、ローナさんは明るくて気さくな年配女性だった。
そのローナさんの体はふくよかで、体型からは想像できないくらい素早く動く。
服装は動きやすい裾の短いスカートに白いエプロンをつけ、黄色のネッカチーフをつけている。
その姿は宿屋の女主人か、市場でよく見る気の強い農家のおかみさん。市場の値引きに負けがちだった私だけど、ここは負けられない。
「まあ、ライオネル様があんたのアップルパイを食べたいと言っていたから、作るのは止めやしないよ。ライオネル様の好物がアップルパイだったとは初耳だけどね」
台所を任されているローナさんが初耳なのも無理はない。
アップルパイが好きというのは私が台所を使うためにライオネルがローナさんは納得させるために作った口実だった。
王宮の人手不足に気が付いた私はギデオン様の部屋の掃除から始めた。
カーテンを開け、明るい日差しを取り入れ、散らばった本や服を片付ける。
けれど、それが出来たのは初日だけ。
次の日からはローナさんの下で働く侍女がやってきて綺麗に掃除されてしまった。
「居心地が悪かったか」
そう言って、ギデオン様は過ごしやすいように部屋を整えさせた。
ふわふわの羽根入り高級クッションが届き、絨毯は厚みのある硬い絨毯からふわふわの絨毯に変更された。
クッションカバーはレースの縁取りにフリル、リボンがたくさん縫い付けられたお姫様みたいな贅沢なクッション。
これはもしや、お昼寝用とか……?
外が見える窓際の一番いい場所にクッションは置かれ、疑惑は確信に変わった。
けれど、犬の姿となり、暖かい日差しの中、ふわふわの羽根クッションに包まれて眠るのは最高だった。
毎日、ここでお昼寝なんて最高!
そう思ったけど、すぐにその考えを改めた。
みんなが忙しそうにしている中、一人(一匹)だけ微睡んでいるわけにはいかないんですよ!
そんなわけで、掃除ができなくなった私は冷めた料理しか出てこない食卓の改善に乗り出したのだった。
「台所? ローナに任せておけ」
台所を使いたいと、ギデオン様にお願いするとそんな言葉が返って来た。
私がギデオン様のためになにかしたいと申し出ると、ギデオン様は犬の姿の私を優しく撫でてくれて幸せな気分になり、お昼寝コースへまっしぐら。
そして、最終的にお腹を見せるというあられもない姿を晒してしまう。
思い出すだけで恥ずかしすぎて、手で顔を覆った。
このままだと、いつまで経っても私は犬のまま。
人間の私も役立つということをギデオン様にわかってもらわねばならない。
それで作戦を変更し、ライオネルに頼んだという流れだった。
ライオネルはローナさんにうまく言ってくれたようで、台所への侵入をようやく果たせた。
そうじゃなかったら、私は永久にここの強固な砦を突破できなかったと思う。
くつくつと大鍋の中でリンゴが音をたてている。リンゴを煮ている私の隣に立ち、私のことをローナさんはずっと見張っていた。
さすが砦の番人……
切ったリンゴが鍋の中で透き通って金色になるまで煮詰めていく。この煮詰めたリンゴと、たっぷりのカスタードクリームを入れてパイ生地をかぶせて焼く。
私が焼くサクサクでとろりとしたアップルパイは『パレ・ヴィオレット』でも人気のメニューで、贅沢に慣れたお客様にも好評をいただいていた。
自信のあるお菓子で、まずは勝負していこうと思ったのにギデオン様はアップルパイが苦手らしい。
「ギデオン様は召し上がられるかねぇ。それにギデオン様の口に入る物はジョシュア様が一旦、口にされるからね」
ギデオン様が食べる食事はローナさんが作れるものだけに限られており、素朴で質素な食事が多かった。
他の人間に任せると毒を入れられるからという理由で食事は常にローナさんが作り、念には念をということで、ジョシュアが必ず毒見をするというのが決まりらしい。
「それでも作るというのなら、私は止めないよ」
「……わかりました」
諦めたわけじゃないけれど、これは信頼してもらうための第一歩だと思おう。
道は険しく、まだ名前も呼んでもらえてない現実が悲しい。
そういえば、キメラって甘い物も食べるのだろうか。
ロキに関しては謎だらけだった。
温まったのを確認し、アップルパイを大きなオーブンに入れて待つ。
「エルヴィーラだっけ? あんた、なかなか見込みがあるよ」
「台所仕事は『パレ・ヴィオレット』でもしていたので、慣れているんです」
「そうじゃないよ。ギデオン様達に気に入られたことを言ってるんだよ」
ローナさんは木の椅子をオーブンのそばまで持って来て、私に座るよう勧めてくれた。
「どうやってギデオン様に近づいたんだい? 色仕掛けできそうな体でもなさそうだっていうのに不思議だねぇ」
「そんなことないですっ! ギデオン様は可愛いって褒めてくれますし、毛質だって滑らかで撫で心地がいいって言われるんですから」
「そこまで生々しいことは言わなくていいよ」
「生々しい?」
撫でられるのが、そんなに生々しいことだとは思えなかった。
毎日のブラッシングの後には可愛い、素晴らしいと絶賛してくれる。
一日で一番幸せなひとときだった。
「それと、あの白い犬。どこで拾ってきたんだか。犬のおかげで威圧感が和らいで、ギデオン様が人間らしくなったと評判だから構わないけど、犬をあんなに可愛がるとは意外だねぇ」
ローナさんは私が犬の獣人だということを知らない。
その噂なら私も知っている。
犬の姿で王宮内をうろうろしていると衛兵達が話しているのが、自然に聞こえてくる。
新しい侍女が入ったと―――思い出して落ち込んでしまった。
言われなくてもわかってる。
ギデオン様の隣に突然現れた平凡な女。
見目麗しく彫刻のように美しいギデオン様のに似合うの女性なんて、ヴィオレットくらいかもしれない。
二人が並んでいるところを想像すると、迫力十分で世界を滅ぼしそうな組み合わせだった。
「なに青い顔しているんだい? 熱いお茶が入ったよ」
ローナさんは私に熱い紅茶が入ったカップを手渡してくれた。香りのいい紅茶がなみなみとカップに入っている。
「ありがとうございます」
ここに来てから当たり前に親切にされることが多くて嬉しい。
こんなふうに人から扱われたことがなかった私にはひとつひとつが特別に感じていた。
そして、紅茶の葉は上等のものだった。
さすが王宮は違う。
今飲んでいる紅茶の葉は東の地方の島のみで栽培される几帳な茶葉だった。
「海路でしか手に入らない珍しい紅茶なのに私が飲んでよかったんですか?」
「そうなのかい? これは私の私物だよ。むしろ、海路のほうが手に入りやすいけどね」
「はあ?」
海路の方が手に入りやすい?
そんなものなのだろうか。
お酒は飲めないので、おいしいお茶が飲めるのは私にとっては贅沢に感じた。
「ギデオン様のそばに人が増えることはいいことだよ。一人でも多く信用できる人間が増えればいいんだけどねぇ」
「そうですね」
貴族達とのやり取りを見ている限りでは増えそうにない。
お世辞にも良好な関係だとは言えなかった。
「ギデオン様は幼少の頃から嫉妬で狂った王妃に命を狙われ続けてきてね。王にはアンジェリカ様以外の女の子が数人いたけど、その女の子達も姿を消したよ」
「他の王女はどこへ行ったんですか?」
「王妃の嫉妬による殺害を恐れて逃げたよ」
ゴクッと紅茶を飲み込んだ。
それって、自分の子以外は認めないだけじゃなく、命まで保証しないってことですよね……
逃げられた子達はよかったけれど、ギデオン様はただ一人の王子。
ここから逃げることはできなかったのだろう。
そして、母親を殺された―――
「ディアドラはギデオン様を戦死させるため、戦場では常に前線で戦わせるよう仕向けてきたんだよ」
「戦死なら暗殺にならないからですか?」
「そうさ。ディアドラは本当に悪い女だったよ! でもね、長く戦場にいたおかげでギデオン様をじかに知り、忠義を誓う者が軍に大勢いる。戦場の方が王宮より安全だったことを思えば、ギデオン様のがいかに危険な目に遭ってきたか、わかるだろう?」
ギデオン様は裏切り者には苛烈なまでの仕打ちをするけど、味方には優しい。私はそれを身をもって知っている。
自分の着ているドレスをなでた。下働きだった私は粗末なドレスしか着たことがなかった。
芸のひとつもできない私を可愛いと言ってくれるのはギデオン様だけ。
「生きていてくれてよかったです」
「本当だよ。ギデオン様は有能でいらっしゃるし、頭の悪い貴族をのさばらせないからね。そうそう。うちの息子は海軍にいるんだよ。大活躍していてねぇ」
そこから先はローナさんの息子自慢が始まった。息子自慢をアップルパイが焼きあがるまで延々と聞くはめになった。
バターたっぷりのパイ生地が焼けた香ばしい匂いと甘い香りが広がる頃、ようやくローナさんから解放された。
オーブンから取り出したアップルパイはカリッとキツネ色に焼けていて、上等の出来栄えにうっとりした。
その香りにつられて、ライオネルとロキが顔を出した。
「やっほー。アップルパイ、焼けた? ロキがそわそわしてたから、もうできた頃かと思ってたよ」
「ちょうど焼けましたよ」
「ほーら、ロキ。アップルパイだぞー!」
「ふふっ。今、お茶を用意しますね」
お湯もたっぷり沸いている。
ローナさんが棚から食器を出してくれた。
人数が少ないとはいえ、最小限の護衛のため、王宮内に兵を置いている。その人達の食事はローナさんが連れて来たという信用できる人間だけで、王宮なのに家庭的な雰囲気が漂っていた。
そのおかげで私も緊張せずにいられる。
ローナさんの家庭は和やかで楽しい家庭なんだろうなぁ。
そう思っていると、私を探しに来たらしいギデオン様が顔を覗かせた。
「ここにいたのか」
「はい。アップルパイを作っていました」
アップルパイがのった皿をギデオン様に見せた。けれど、ギデオン様の目はアップルパイを食べているライオネルに向けられていた。
「あ、ギデオン様。なにかありました?」
「いや。犬を探しにきただけだ。お前はなにをしているんだ」
犬って、もしかしなくても私のことですか?
アップルパイを持ったまま、私は頬をひきつらせた。
いつになったら、名前で呼んでくれるんだろう。
もしかして、ずっと犬?
「俺はねー。ロキと一緒にエルヴィーラが作ってくれたアップルパイを食べてたとこー」
ライオネルの返事をギデオン様が聞いた瞬間、びゅうっと寒々しい風が吹いた。今日は天気も良くて暖かい日なのにおかしい。
「ギデオン様。エルヴィーラの焼き立てアップルパイ、カスタードクリームたっぷりでうまいよ」
「そうか……。それで、いつの間に仲良くなったんだ?」
「俺達、けっこう前から仲良しだよねっ」
「そうですね」
ライオネルはなにかと私のことを気にかけてくれて、今日も王宮の台所へ入れるようにしてくれた。ライオネルはとても親切だし、ロキも慣れれば怖くない。
怖くないよね……?
ロキは鋭い牙を私に見せてきた。
どうして威嚇するのっー!
アップルパイで餌付けできたと思ったのに誤算だった。
「……ふーん」
ギデオン様はライオネルじゃなくて、私をじろりと私を見る。
この突き刺すような視線はなんだろう?
不機嫌になる理由がわからず、笑って誤魔化そうと思ったけど、うまく笑えなくて引きつった笑みを浮かべた。
もしかして、アップルパイになにかトラウマをお持ちとか?
食べた時に毒が入っていて、酷い目にあった?
それなら、納得がいく。
「まあまあっ! ギデオン様! 国王陛下になられたんですから、こんなところにいらっしゃってはいけません!」
ローナさんが慌ただしくやってきて、ギデオン様を見つけるなり、台所から追い出そうとした。
貴族の前では強気だったギデオン様もローナさんには敵わないらしく、入口まで追いやられてしまった。
やはり、最強の番人と私が認めただけある。
もったいないので、ギデオン様の分のアップルパイを食べていると、ますます怖い顔をしてきた。
「あの……アップルパイを食べますか? まだ、たくさんありますから、部屋にお持ちしますね」
「いや、それは」
ギデオン様がなにか言いかけた瞬間、回廊からジョシュアの声が響いた。
「ギデオン様、こちらにいらしたんですか」
「どうした」
「アシエベルグとの国境で不穏な動きがありました。武器商人から武器を買い集め、レムナークへ入る一団がいると」
「わかった。すぐに行く」
和やかな雰囲気が消え、冷たい表情に変わった。
それはライオネルやローナさんも同じで笑顔がなくなり、ライオネルがぺろりと唇を舐めた。
「ロキ、俺達も行こうか。楽しいお食事の時間だよ? 他の子達も呼んであげようね」
そんなライオネルを見て、ギデオン様がフッと笑い、ジョシュアも同じように笑う。
三人とも目が笑っていない。
「ローナ。ここを頼んだぞ」
ローナさんは私を見て頷いた。
私のことを心配してくれているのだろうか。
初めてギデオン様と離れることに不安を覚え、ぎゅっとマントを握った。
できることなら、一緒に行きたい。そばにいたいと思ってしまう。
心細くなっている私に気づいてか、私の頭をギデオン様がぽんぽんと叩いた。
「戻ったら、お前が作ったアップルパイを食べる。俺の分を残しておけ」
「はい」
「それから、王宮の奥にいる時はいいが、奥から出る時は必ず犬の姿になれ。人間の姿は禁止だ」
「えっ? 人前に出る時は犬の姿限定ですか?」
「誰が見ているかわからない」
私が不思議に思って首を傾げ、返事をしないでいると、念を入れるようにしてギデオン様は言ってきた。
「いいから犬になれ」
「誰にも見せたくないって素直に言えばいいと思うよ」
ライオネルがお茶を飲みながら小声でなにかつぶやいていた。
けれど、ギデオン様はそれには答えず、ふいっと顔を背けた。
「はぁ……。独占欲が強くて大変だねぇ」
ローナさんの声が背後でしたけど、それは私のことなのか、ロキがライオネルと仲良くする私に嫉妬していたからなのか、わからなかった。
「わかりました。ギデオン様が無事に帰ってくるのをお待ちしています」
「ああ」
ギデオン様の目が僅かに優しいものになったような気がした。
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