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3 女主人ヴィオレット

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 紫水晶のような瞳に紫がかった黒髪、体のラインに沿って作られた東洋風の漆黒のドレスには大きくスリットが入り、艶かしい白い脚が覗いて見える。
 金糸の刺繍に毛皮のショール、大粒の真珠のネックレスの白が黒いドレスに映え、娼婦や芸妓達とは違う地味めなドレスなのにゴージャスさを失わせない。
 艶やかな髪さえ、彼女の美しさを際立たせるために備わっているかのようだった。
『私は裸が一番美しいの』と、言うだけあって、芸妓や娼婦のように着飾らなくても目を引く。
 ヴィオレットの出現によって、ベアトリーチェとオディロンは慌てて体を離した。

「『パレ・ヴィオレット』へようこそ。オディロン様。無粋な真似をしてしまったかしら?」
「いや……」

 さすがに一度、出入りを禁じられているだけあって、懲りているのか、オディロンはヴィオレットの目をまっすぐ見ることができなかった。

「わたくし、二人の仲を引き裂くつもりはなくてよ。でも、ベアトリーチェの身請け人は決まっているの。だから、傷をつけられては困るわ」

 フロアがざわめいた。
 オディロンがベアトリーチェを身請けするろうと、誰も疑っていなかった。
 二人は恋人として付き合っているようだったし、ヴィオレットもそれを黙認しているように見えたから。
 だから、全員が驚いた。
 ベアトリーチェ自身も自分の身請け先が決まっていたとは知らなかったようで、呆然と立ち尽くしていた。

「待ってくれ! いったい誰が……!」
「貿易商のホスキンズ様よ。ベアトリーチェをどうしても身請けしたいとおっしゃられたの。ホスキンズ様からは身請け金とは別に船一隻と現金をいただいているわ」

 ヴィオレットは自分の世話をする少女から、芙蓉の花が彫られた銀の煙管を手渡され、吸い口に口をつけた。長い煙管を差し指で支えて下から持ち、吟味するようにオディロンを見下ろす。
 その隣では世話係の少女が火皿を持ち、ヴィオレットのそばに侍っていた。世話係の少女はまだ娼館に来たばかりの子で名前は私も知らない。
 大抵、幼い子はヴィオレットのそばで教育を受けてから、芸妓か娼婦かの道を選択する。
 私のような落ちこぼれは滅多にいない。
 ヴィオレットの困った顔を今でも思い出せる。あんな顔をさせたのは私くらいだ。
 硬い表情の少女を眺め、そんな昔を思い出していた。
 ヴィオレットは煙管から口を離し、白く煙る息をふうっと吐き、煙を散らした。

「ホスキンズ様はわたくしに真心を見せてくださったけど、貴方はどうかしら?」

 ヴィオレットは『さあ、貴方はいくらだせる?』と妖艶な笑みを浮かべ、白く細い指を自分の唇にあてた。

「ホスキンズめ!」

 ホスキンズ様の名前を聞いて、オディロンは毒づいた。

「ヴィオレット、私は嫌よ! ホスキンズ様って、あの太った気持ちの悪いおじさんでしょ! 奴隷商人だって黒い噂もあるのに!」
「そうよ。ヴィオレット。ベアトリーチェが可哀想だわ」
「ヴィオレット。オディロンでは駄目なの?」

 ヴィオレットはベアトリーチェを庇う娼婦や芸妓を窘めることも怒ることもせずに微笑みを絶やさず、無言という返事を返した。
 たったそれだけで、非難の声が小さくなる。
 ヴィオレットは誰であろうと『様』付けで自分を呼ばせない。自分は上等な人間ではないからという理由からだった。
 だから、私もヴィオレットと呼ぶ。

「ヴィオレット。俺のベアトリーチェへの気持ちを知っていて、なぜ……!」
「ならば、貴方はわたくしの気持ちを知りなさい。わたくしが身請け先を決めるのは不幸にさせないためよ」

 きっぱりとヴィオレットは言い切った。
 ヴィオレットは自分が面倒を見ると決めたなら、絶対に見捨てない人だった。
 私のような役立たずにでさえ、食事も寝る場所にも困らないくらいだけのことをしてくれる。彼女の元にいる者達は安心して暮らせる。
 この『パレ・ヴィオレット』の女主人にして、絶対的に君臨する女王様。港町に住む誰もが尊敬し、敬愛するヴィオレット。
 彼女に逆らえる者は『パレ・ヴィオレット』にはいない。

「ベアトリーチェ」

 ヴィオレットの強くないけど、相手を黙らせる不思議な声音に全員が黙った。
 
「『パレ・ヴィオレット』にはルールがある。言ってごらんなさい」

 誰もヴィオレットに逆らえない。
 人気があると言っても、それは『パレ・ヴィオレット』の名前が人気を後押ししているからで、ベアトリーチェが他の安い娼館へ行けば、美しいだけの娼婦になるだけだった。
 どれだけ稼いでも終わらない借金を返済し続け、自由になれずに死ぬ。
 みんな、そのことをわかっている。
 悔しそうにベアトリーチェは唇を震わせた。

「『パレ・ヴィオレット』の身請けはヴィオレットが認めた人間であることと、高値を支払った者が正当な身請け人です……」
「そのとおりよ。ベアトリーチェ」

 お金がすべてだと公言するヴィオレットだけど、身請け後も暮らしに困らない相手であるか、見極めて決めているのだ。
 手に入れた瞬間、飽きて捨てられるような相手をヴィオレットは身請け先には選ばない。
 だから、ホスキンズ様はヴィオレットから、身請け人として、合格点をもらえたということだ。
 そして、オディロンは不合格―――

「ねえ、オディロン様。ベアトリーチェを奪われたくないというのなら、財を捨てて身請けすればよろしいわ」

 煙管を吹かし、ヴィオレットは階段をゆっくりと降りてくる。

「今持っている財産を手放して。ゼロからやり直せば、二人で質素ながらも餓えない程度に仲睦まじく暮らせてよ」
「それは……」

 オディロンはぐっと言葉に詰まった。
 私はベアトリーチェの身請けがオディロンでなく、ホッとした。
 ホスキンズ様は見た目こそ悪いけれど、私に猟銃を向けることはないし、下働きをしている私や見習い芸妓達にも分け隔てなく、珍しいお土産やおいしいお菓子をくれる親切なお客様だった。
 でも、奴隷を扱っているなんてこと、私はまったく知らなかった。
 私と違って、ベアトリーチェは常連のお客様から、色々な話を聞き、情報を得ているらしい。
 ここでも、私とベアトリーチェの差がある。
 私なら、なにもわからず、『はい、そうですか』と返事をしてしまいそうだった。

「どうして私なの……! 今まで、ホスキンズ様に決まった相手はいなかったのに!」
 
 ホスキンズ様はカジノや酒場は使うけど、娼婦は買ったことがない。
 なぜ、今になって?―――ベアトリーチェじゃなくても、そう思ってしまう。

「嫌よ、嫌っ! お願い。ヴィオレット。私はオディロン様がいいのっ」

 駄々をこねるベアトリーチェにヴィオレットは冷めた目を向けた。野イチゴくらいはありそうなルビーの指輪をはめた指がすぅっと伸び、その長い指先を目で追い続けると、指はベアトリーチェの顎を掴んだ。

「珍しい女性をと、ホスキンズ様がご所望だったからよ。ベアトリーチェのことをホスキンズ様に薦めたのはわたくし。なにが不満なのか言ってご覧なさい」
「う……ううっ……」

 ヴィオレットの指先に力がこもり、紫色の瞳が細められた。

「感謝し、喜びなさい。ベアトリーチェ。あなたの価値を見出だし、与えられる恩恵に」

 獣人であることが理由で選ばれたらしい。
 ホスキンズ様がベアトリーチェを愛しているからではなく―――オディロンを見ると、諦めたのか、なにも言わずにベアトリーチェから目を逸らしていた。
 財を捨ててまで身請けする気はないようだった。
 オディロンが、ベアトリーチェを今のうちに身請けしようと焦っていた理由は私にでもわかる。
 これ以上、ベアトリーチェに人気が出るとオディロンの財力では手が出せなくなるから。

「ヴィオレット、どうしても無理か」

 懇願するオディロンをヴィオレットは横目で見て、くすりと笑った。

「オディロン。貴方は素敵な男性よ。でも、残念ね。身を滅ぼしたくないのであれば、お利口になって『パレ・ヴィオレット』で遊ぶだけになさい。貴方に女の世話はまた早いわ」

 大型商船を持ち、来るたびに花火を打ち上げるくらいお金持ちなのに遊ぶだけにしなさいって、どういうことだろう。

「武器商人の辛いところよね。今は商売が苦しい時だから」
「レムナーク王国が強すぎて、小競り合いすら起きないもの。今の情勢は武器商人には辛いところよ」
「この間なんて、レムナーク王国の船が近くを通っただけで、この港にアシエブルグ王国の船が逃げ込んできていたものね」

 ここはアシエブルグ王国領内にある港町だった。アシエブルグ王国の隣国レムナーク王国は豊かな大地が広がり、裕福な暮らしをしている人が多いと聞いている。けれど、国王陛下は残酷で恐ろしい人らしい。
 今のレムナーク王が即位したのは一年前。
 即位すると、自分の周りの反対勢力を皆殺しにし、攻めてきた国を滅ぼした。そして、邪魔な王族や貴族は粛清したとか。
 ここの娼館に出入りしていた貴族も数人、いなくなった。
 この世から―――怖すぎる。
 恐ろしい話を思い出して、ぶるぶると震えた。

「レムナークは自国で武器を開発してるから、武器商人は相手にされないのよ」
「それだけじゃないわよ。レムナークには化け物がいて、人間を骨まで食い尽くすらしいのよ」
「知ってるわ。国王陛下が裏切った貴族を化け物に食わせたって有名な話だもの!」
「それも宮廷に貴族を集めた目の前でよ」

 その話を聞いて、恐怖でまた犬の姿になってしまいそうだった。
 ぜっっっったい私はレムナーク王国には近づかないでおこうと心に決めた。

「武器商人のオディロン様は落ち目よね」
「レムナーク王国の王宮に出入りしたい商人は大勢いるけど、オディロン様は無理でしょうね」

 オディロンは前ほど儲かっていないようだった。

「オディロン。わかっていただけたかしら?」

 ヴィオレットの指がオディロンの頬に触れ、頬の傷を撫でた。

「ベアトリーチェは貴方に渡せないの。他の可愛い子を探して、貴方のお気に入りにしなさい」
「ヴィオレット……」

 指がオディロンの体に這う。
 ヴィオレットは指だけで妖艶に男を誘った。オディロンはヴィオレットに魅了され、指ひとつ動かせない。
 体に這わされたヴィオレットの白い蛇のような指にオディロンは恍惚とした表情を浮かべた。
 その様子を眺め、どうすることもできないベアトリーチェは悔しげに唇を噛みしめて憎悪のこもった目をヴィオレットに向けた。
 さっきまで情熱的なキスをしていた二人の唇の上の熱は跡形もなく、すっかり消えてなくなっていた。
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