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23 噂
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最近、レムナーク王国ではこんな噂が広まっているらしい。
『氷のように冷たい国王陛下が微笑まれる時があるそうだ』と。
国王陛下の変化について、なにが起きたのか探ろうとしている者が多いとか。
けれど、その秘密が暴かれることなく、王宮で働く人々や貴族達は外部に漏れぬよう固く口を閉ざしていた。
「む、これはリンゴの香り?」
「またアップルパイですかな?」
謁見中に貴族達がそんな言葉をギデオン様にかけている様子が思い浮かぶ。
そして、睨まれて終わるまでが、いつもの流れ。
「懲りないねぇ……」
私がパイ生地をせっせと纏めていると、その横からローナさんが顔を覗かせた。
「今回のアップルパイはひと味違うんです。なにが違うか教えて欲しいですか?」
ふふっと私が悪い顔で笑うと、ローナさんは苦笑した。
「カスタード抜きのアップルパイは失敗だったろう? レーズンをいれたアップルパイの反応もいまいちだったし、甘く煮たチェリーを入れた時はチェリーだけ食べて終わったね」
「そ、そんなこともありましたね」
「毎回、同じことを言って撃沈していないかい?」
「ぐっ……! でも、今回は本当に違うんです!」
ぐるぐると大きな鍋を木製のしゃもじでかき混ぜた。
鍋の中には皮をむき、細かく切ったリンゴがたっぷり入っている。白い湯気から、リンゴの香りがふわりと漂い、昼が近づいた王宮内の空気を甘くする。
くつくつと音が聞こえてくるまで鍋の中でリンゴを煮詰め、クリーム色の果肉が透き通って金色に染まるまでじっくりと待つ。木のしゃもじで煮詰めたリンゴを掬うと、とろりと溢れていく。
「今回はリンゴの形を残さず、ジャムみたいにしたんですよ。もしかしたら、あの中途半端な食感が苦手なのかと思って」
「はーん! なるほどねぇ」
型にパイ生地を広げ、そこへ金色のリンゴジャムを伸ばし、カスタードクリームのように滑らかにしたサツマイモのペーストを被せる。
そして、さらにリンゴを煮たものをのせる。
「パイ生地で蓋をしてっと……」
スイートポテトアップルパイ―――これぞ、私がギデオン様を研究し尽くした結果、生まれた秘策中の秘策。
その名も対ギデオン様用アップルパイ!
誇らしい気持ちでオーブンに入れる。
「アップルパイじゃなくてもいいじゃん」
私がお菓子を作ると、匂いに誘われて ライオネルとロキが台所へやって来る。
アップルパイじゃなくてもいい?
フッとライオネルに微笑んだ。
「うわ、なんだ。あの笑い方、なんか腹立つな」
「ライオネルはわかってないですね。ギデオン様の好物を作れば、私の虜……いえ、メロメロにしてしまうかもしれませんが、それだけじゃ駄目なんです」
私が王宮の台所へ入り浸るようになり、ギデオン様が仕立て屋に追加注文してくれた可愛らしいエプロン。
ライオネルとロキに体を向け、バーンとエプロンを見せつけた。
エプロンは裾に段々のフリルが縫い付けられ、ウエスト部分を結ぶのは長いレースのリボン、お揃いのレースの髪飾りが今日のポイント。
得意顔で私はライオネルとロキに言った。
「私が苦手な食べ物をおいしく作ることで、ギデオン様は自分を深く理解してくれていると、きっと思うでしょう」
「その前にうんざりされなきゃいいけどな」
ライオネルとロキがアップルパイの消化担当として、派遣されたことはわかっている。
いわば、ギデオン様が差し向けた刺客。
「今日こそ、ギデオン様に褒めてもらいますっ!」
「簡単に褒めてくれねーと思うけど。で、そのギデオン様のことだけどさ、ジョシュアがさっき貴族のおっさん達から結婚話の相談をされていたぞ」
「ギデオン様が結婚?」
「らしーな。レムナーク王国の有力貴族から妃を迎えたらどうかって話をしていたみたいだ」
ジョシュアさんを選ぶあたり、相談相手としては間違っていない。
今、すごく不穏なことを耳にしたような気がする。
ギデオン様が妃を迎えるって―――
「げっ! 泣くなよ?」
「泣いてません」
「お、おいっ! どこいくんだよっ!」
泣いている場合じゃない。
ライオネルが言ったことが本当なのかどうか確かめよう思った私は犬の姿になると、台所を飛び出していた。
ギデオン様が結婚―――!
タタタッと王宮の回廊を全力で走る。
ギデオン様に貴族の令嬢が嫁いできたら、私はどうなるの?
木の箱に入れられて町の中に捨てられる?
それとも、ヴィオレットのところへ帰れって言われるとか?
バーンッと謁見の前に飛び込むと、冷たい声が玉座から降ってきた。
「もう一度言ってみろ」
ひんやりとした空気は広間の風通しがいいとか、日陰だからとかいう理由じゃない。
「ですから……その……今すぐというわけではなく、まずは妃候補をお選びになってはどうかと」
「お前達が集めた女の中から俺の妃を選べと?」
重い空気を払拭するべく、ギデオン様のそばへ行くと、その膝の上に乗った。
ギデオン様は慣れたもので、私がやってくると頭を撫でてくれる。
……至福!
なぜ、自分がここにやって来たのか、撫でられ、膝の上の居心地がよすぎて、しばし目的を忘れてしまった。
優しい空気が流れ、雰囲気が和む。
「ギデオン様。お話だけでも聞いていただけませんか」
やんわりとした口調で前に歩みでたのは白いひげを生やした品の良いおじいさんだった。
滅多に見かけることがない貴族の一人だけど、レムナーク王国の重要な位置にいる大貴族で、ギデオン様達からは白ひげ公爵と呼ばれていた。
その方に対してだけはギデオン様はいつもの死刑にしてやるぞという威圧感たっぷりなオーラは感じられず、ただ不機嫌そうにしているだけだった。
「年老いたせいか体も弱り、なかなか伺えずにいましたが、陛下の不名誉な噂を耳にし、やって参りました」
他の貴族とは違い、心からギデオン様のことを心配しているのだとわかる。
「即位から一年経ち、王妃派の人間の炙り出しもほとんど終わった。次にやることはお世継ぎを得ることでしょう」
お世継ぎ―――!
ギデオン様を見上げると、なぜか手で目を隠されて、寝てろというように撫でられた。
ううっ……!
そんなわけにはいかないんですよ。
抵抗しようにも手のひらが心地よく、撫でてくださいと言わんばかりに頭を差し出してしまった。
「世継ぎを作ることが王の役目のひとつだということは承知している」
白ひげ公爵が自分達の味方についたと思ったのか、他の貴族達が勢いづいた。
「それだけではありません。不名誉な噂が流れております」
「なんの噂だ? 言ってみろ」
肘掛けに置いたギデオン様の手に力がこもる。
「王宮に女がおらず、王宮には他国の王女どころか、貴族の令嬢を招く様子もない。男を好んでいるのではという噂でございます」
「そんなわけないだろう」
「わかっております。ですが、噂とは無責任なもので、これが自国だけでなく他国に広まれば、どうなりますか」
ヴィオレットが話を持ってきた時点で、すでに広まっていそうな気がしたけれど、ギデオン様は忙しく、つまらない噂に構っている暇はなかったのだ。
けれど、貴族達は違う。暇を持て余している貴族も多い。
そうでなきゃ、高級娼館『パレ・ヴィオレット』にお客様が大勢やって来るわけがない。
「この噂は女性を王宮に入れることにより、不名誉な噂は改善されます」
「なるほど。俺に女がいるということがわかれば、くだらん噂も消えるか」
ギデオン様の声が急に明るくなった。
それに貴族達も違和感を感じ、なんだ、なにが起きたとざわめいた。
「ギデオン様にお世継ぎができれば、この老いぼれも安心して隠居ができましょう」
白ひげ公爵は目を潤ませた。それはまるで孫の成長を見守るおじいちゃんと変わらない。
つまり、公爵は死ぬ前に孫の顔が見たい―――そういうことですね?
熱い思いをひしひしと感じた。
「そんなことか。それなら、すぐに解消できる」
ちらりとギデオン様は膝の上の私を見た。
あ、あれ、もしかして、私ですか?
目が合った瞬間、嫌な予感がして、ぶんぶんっと力いっぱい首を横に振った。
ここでキスをして人間の姿に戻ったら、私は全裸。
ただの痴女。
「ワワン、ワンっ! (冷静になってください、ギデオン様っ!)」
ギデオン様にそれだけはやめてくださいと、目で訴えかけた。
「わかった。しばらく待て」
「は?」
「え? 陛下?」
なにをしようとしているのか、わかったのは私とジョシュアだけだった。
ジョシュアはギデオン様の行動に驚いていたものの、貴族達の前で動揺を悟られることがないよう気を付けていた。
「ジョシュア、ドレスの用意をしろ」
「ギデオン様。まさか、彼女を表に出すつもりですか」
「噂では俺は不能らしい。俺が世継ぎを作れず、困るというのなら、承知するんだな」
ジョシュアはきっと貴族の美しい令嬢をギデオン様にと考えていたのだと思う。
ギデオン様と貴族達の間には大きな隔たりがあり、その架け橋として有力貴族の娘を王妃にすれば、険悪な関係の改善になるはずだった。
私もきっとそうなるだろうと、頭の中ではわかっていた。わかっていたけど、ギデオン様に妃ができるのが嫌で、感情に任せて走ってきてしまった。
心配するなというように私の頭を撫でる手は暖かい。
ギデオン様はジョシュアを脅してまで、私をそばに置いてくれようとしている。
犬だからこそ、許される大胆さでギデオン様の頬をそっと舐めた。
つまり、キス。
私が一人で照れて悶えていると、呆れた目でジョシュアは私を眺めていた。
なんだか視線が痛い……
「ジョシュア、どうだ?」
私のことを認めなければ、世継ぎは作らないぞと、宣言をし、ジョシュアに意見を求めた。意見というより、これはもう認めろよという命令に他ならない。
「わかりました、わかりましたよ。まったく、一度言い出すと、いうことを聞かないんですから」
ギデオン様は笑みを浮かべると私を抱いたまま、玉座から立ち上がった。そして、謁見の間から一時的に退出した。
近くの部屋に入り、私と向き合う。
「ギデオン様……。私を表に出していいんですか?」
「お前以外に誰がいる」
目が潤み、泣きそうになっているとギデオン様がキスをした。
本当はもうキスをされなくても人間の姿になれる。ギデオン様だって、それを知っている。それでも、私達はキスをする。
「ギデオン様、大好きです」
「知っている」
唇を重ね、ギデオン様が長椅子に私の体を押し倒した瞬間、バンッと扉が開いた。
「いちゃついてないで、早く着替えてください」
ジョシュアがドレスとアクセサリー、靴などの一式を持ってきてくれた。
さすがに私の裸を見られてはと、ギデオン様が隠してくれたけど、気まずいことこの上ない。
「ご、ごめんなさい」
「いえ。ギデオン様は先に謁見の間に戻ってください。ここにいたら、明日の朝まで戻ってこなくなるでしょう」
「わかっているなら、気を利かせろ」
普段、笑わないジョシュアが微笑んだ。
気のせいでなければ、背中に寒気が走った。
「これでも、毎日、気を遣って生きているんです。わかっていただけますか。ギデオン様?」
「……わかった。戻る。怒らせるとお前は痺れ薬を使ってくるからな」
「睡眠薬もです」
青ざめている私に二人は気づかず、部屋から出ていった。
今の会話はなんだったのだろう。
二人にとっては挨拶みたいなものだったのかな。
おはようくらいの気軽さだったような気がする。
物騒な発言をしたジョシュアだったけど、持ってきてくれたドレスは可愛らしい小花柄の緑のストライプドレスにフリルとレースがふんだんに遣われているものだった。
ウエストラインには濃い緑のリボンが大きくつけられている乙女なドレス。
「ジョシュアさんの好みはこんなかんじですか」
ヴィオレットのような美人な女性が好きなのかと思っていたけど、どうやら可愛い系の女性が好きみたいですねと余計なことを考えながら、着替えた。
ドレスに合わせた銀の靴には宝石が星みたいについていて、キラキラしていた。
「髪飾りが……」
さすがに髪飾りまで思い付かなかったようで、私は犬の時に結んでいたレースのリボンを髪に結ぶ。
「これでいいかな?」
鏡の中の私は淑女とまではいかなくても、そこそこ可愛く見えたのは仕立て屋さんの腕のよさ。
緊張気味に扉を開け、私は初めて人の姿でレムナーク王国貴族達の前に立ったのだった。
『氷のように冷たい国王陛下が微笑まれる時があるそうだ』と。
国王陛下の変化について、なにが起きたのか探ろうとしている者が多いとか。
けれど、その秘密が暴かれることなく、王宮で働く人々や貴族達は外部に漏れぬよう固く口を閉ざしていた。
「む、これはリンゴの香り?」
「またアップルパイですかな?」
謁見中に貴族達がそんな言葉をギデオン様にかけている様子が思い浮かぶ。
そして、睨まれて終わるまでが、いつもの流れ。
「懲りないねぇ……」
私がパイ生地をせっせと纏めていると、その横からローナさんが顔を覗かせた。
「今回のアップルパイはひと味違うんです。なにが違うか教えて欲しいですか?」
ふふっと私が悪い顔で笑うと、ローナさんは苦笑した。
「カスタード抜きのアップルパイは失敗だったろう? レーズンをいれたアップルパイの反応もいまいちだったし、甘く煮たチェリーを入れた時はチェリーだけ食べて終わったね」
「そ、そんなこともありましたね」
「毎回、同じことを言って撃沈していないかい?」
「ぐっ……! でも、今回は本当に違うんです!」
ぐるぐると大きな鍋を木製のしゃもじでかき混ぜた。
鍋の中には皮をむき、細かく切ったリンゴがたっぷり入っている。白い湯気から、リンゴの香りがふわりと漂い、昼が近づいた王宮内の空気を甘くする。
くつくつと音が聞こえてくるまで鍋の中でリンゴを煮詰め、クリーム色の果肉が透き通って金色に染まるまでじっくりと待つ。木のしゃもじで煮詰めたリンゴを掬うと、とろりと溢れていく。
「今回はリンゴの形を残さず、ジャムみたいにしたんですよ。もしかしたら、あの中途半端な食感が苦手なのかと思って」
「はーん! なるほどねぇ」
型にパイ生地を広げ、そこへ金色のリンゴジャムを伸ばし、カスタードクリームのように滑らかにしたサツマイモのペーストを被せる。
そして、さらにリンゴを煮たものをのせる。
「パイ生地で蓋をしてっと……」
スイートポテトアップルパイ―――これぞ、私がギデオン様を研究し尽くした結果、生まれた秘策中の秘策。
その名も対ギデオン様用アップルパイ!
誇らしい気持ちでオーブンに入れる。
「アップルパイじゃなくてもいいじゃん」
私がお菓子を作ると、匂いに誘われて ライオネルとロキが台所へやって来る。
アップルパイじゃなくてもいい?
フッとライオネルに微笑んだ。
「うわ、なんだ。あの笑い方、なんか腹立つな」
「ライオネルはわかってないですね。ギデオン様の好物を作れば、私の虜……いえ、メロメロにしてしまうかもしれませんが、それだけじゃ駄目なんです」
私が王宮の台所へ入り浸るようになり、ギデオン様が仕立て屋に追加注文してくれた可愛らしいエプロン。
ライオネルとロキに体を向け、バーンとエプロンを見せつけた。
エプロンは裾に段々のフリルが縫い付けられ、ウエスト部分を結ぶのは長いレースのリボン、お揃いのレースの髪飾りが今日のポイント。
得意顔で私はライオネルとロキに言った。
「私が苦手な食べ物をおいしく作ることで、ギデオン様は自分を深く理解してくれていると、きっと思うでしょう」
「その前にうんざりされなきゃいいけどな」
ライオネルとロキがアップルパイの消化担当として、派遣されたことはわかっている。
いわば、ギデオン様が差し向けた刺客。
「今日こそ、ギデオン様に褒めてもらいますっ!」
「簡単に褒めてくれねーと思うけど。で、そのギデオン様のことだけどさ、ジョシュアがさっき貴族のおっさん達から結婚話の相談をされていたぞ」
「ギデオン様が結婚?」
「らしーな。レムナーク王国の有力貴族から妃を迎えたらどうかって話をしていたみたいだ」
ジョシュアさんを選ぶあたり、相談相手としては間違っていない。
今、すごく不穏なことを耳にしたような気がする。
ギデオン様が妃を迎えるって―――
「げっ! 泣くなよ?」
「泣いてません」
「お、おいっ! どこいくんだよっ!」
泣いている場合じゃない。
ライオネルが言ったことが本当なのかどうか確かめよう思った私は犬の姿になると、台所を飛び出していた。
ギデオン様が結婚―――!
タタタッと王宮の回廊を全力で走る。
ギデオン様に貴族の令嬢が嫁いできたら、私はどうなるの?
木の箱に入れられて町の中に捨てられる?
それとも、ヴィオレットのところへ帰れって言われるとか?
バーンッと謁見の前に飛び込むと、冷たい声が玉座から降ってきた。
「もう一度言ってみろ」
ひんやりとした空気は広間の風通しがいいとか、日陰だからとかいう理由じゃない。
「ですから……その……今すぐというわけではなく、まずは妃候補をお選びになってはどうかと」
「お前達が集めた女の中から俺の妃を選べと?」
重い空気を払拭するべく、ギデオン様のそばへ行くと、その膝の上に乗った。
ギデオン様は慣れたもので、私がやってくると頭を撫でてくれる。
……至福!
なぜ、自分がここにやって来たのか、撫でられ、膝の上の居心地がよすぎて、しばし目的を忘れてしまった。
優しい空気が流れ、雰囲気が和む。
「ギデオン様。お話だけでも聞いていただけませんか」
やんわりとした口調で前に歩みでたのは白いひげを生やした品の良いおじいさんだった。
滅多に見かけることがない貴族の一人だけど、レムナーク王国の重要な位置にいる大貴族で、ギデオン様達からは白ひげ公爵と呼ばれていた。
その方に対してだけはギデオン様はいつもの死刑にしてやるぞという威圧感たっぷりなオーラは感じられず、ただ不機嫌そうにしているだけだった。
「年老いたせいか体も弱り、なかなか伺えずにいましたが、陛下の不名誉な噂を耳にし、やって参りました」
他の貴族とは違い、心からギデオン様のことを心配しているのだとわかる。
「即位から一年経ち、王妃派の人間の炙り出しもほとんど終わった。次にやることはお世継ぎを得ることでしょう」
お世継ぎ―――!
ギデオン様を見上げると、なぜか手で目を隠されて、寝てろというように撫でられた。
ううっ……!
そんなわけにはいかないんですよ。
抵抗しようにも手のひらが心地よく、撫でてくださいと言わんばかりに頭を差し出してしまった。
「世継ぎを作ることが王の役目のひとつだということは承知している」
白ひげ公爵が自分達の味方についたと思ったのか、他の貴族達が勢いづいた。
「それだけではありません。不名誉な噂が流れております」
「なんの噂だ? 言ってみろ」
肘掛けに置いたギデオン様の手に力がこもる。
「王宮に女がおらず、王宮には他国の王女どころか、貴族の令嬢を招く様子もない。男を好んでいるのではという噂でございます」
「そんなわけないだろう」
「わかっております。ですが、噂とは無責任なもので、これが自国だけでなく他国に広まれば、どうなりますか」
ヴィオレットが話を持ってきた時点で、すでに広まっていそうな気がしたけれど、ギデオン様は忙しく、つまらない噂に構っている暇はなかったのだ。
けれど、貴族達は違う。暇を持て余している貴族も多い。
そうでなきゃ、高級娼館『パレ・ヴィオレット』にお客様が大勢やって来るわけがない。
「この噂は女性を王宮に入れることにより、不名誉な噂は改善されます」
「なるほど。俺に女がいるということがわかれば、くだらん噂も消えるか」
ギデオン様の声が急に明るくなった。
それに貴族達も違和感を感じ、なんだ、なにが起きたとざわめいた。
「ギデオン様にお世継ぎができれば、この老いぼれも安心して隠居ができましょう」
白ひげ公爵は目を潤ませた。それはまるで孫の成長を見守るおじいちゃんと変わらない。
つまり、公爵は死ぬ前に孫の顔が見たい―――そういうことですね?
熱い思いをひしひしと感じた。
「そんなことか。それなら、すぐに解消できる」
ちらりとギデオン様は膝の上の私を見た。
あ、あれ、もしかして、私ですか?
目が合った瞬間、嫌な予感がして、ぶんぶんっと力いっぱい首を横に振った。
ここでキスをして人間の姿に戻ったら、私は全裸。
ただの痴女。
「ワワン、ワンっ! (冷静になってください、ギデオン様っ!)」
ギデオン様にそれだけはやめてくださいと、目で訴えかけた。
「わかった。しばらく待て」
「は?」
「え? 陛下?」
なにをしようとしているのか、わかったのは私とジョシュアだけだった。
ジョシュアはギデオン様の行動に驚いていたものの、貴族達の前で動揺を悟られることがないよう気を付けていた。
「ジョシュア、ドレスの用意をしろ」
「ギデオン様。まさか、彼女を表に出すつもりですか」
「噂では俺は不能らしい。俺が世継ぎを作れず、困るというのなら、承知するんだな」
ジョシュアはきっと貴族の美しい令嬢をギデオン様にと考えていたのだと思う。
ギデオン様と貴族達の間には大きな隔たりがあり、その架け橋として有力貴族の娘を王妃にすれば、険悪な関係の改善になるはずだった。
私もきっとそうなるだろうと、頭の中ではわかっていた。わかっていたけど、ギデオン様に妃ができるのが嫌で、感情に任せて走ってきてしまった。
心配するなというように私の頭を撫でる手は暖かい。
ギデオン様はジョシュアを脅してまで、私をそばに置いてくれようとしている。
犬だからこそ、許される大胆さでギデオン様の頬をそっと舐めた。
つまり、キス。
私が一人で照れて悶えていると、呆れた目でジョシュアは私を眺めていた。
なんだか視線が痛い……
「ジョシュア、どうだ?」
私のことを認めなければ、世継ぎは作らないぞと、宣言をし、ジョシュアに意見を求めた。意見というより、これはもう認めろよという命令に他ならない。
「わかりました、わかりましたよ。まったく、一度言い出すと、いうことを聞かないんですから」
ギデオン様は笑みを浮かべると私を抱いたまま、玉座から立ち上がった。そして、謁見の間から一時的に退出した。
近くの部屋に入り、私と向き合う。
「ギデオン様……。私を表に出していいんですか?」
「お前以外に誰がいる」
目が潤み、泣きそうになっているとギデオン様がキスをした。
本当はもうキスをされなくても人間の姿になれる。ギデオン様だって、それを知っている。それでも、私達はキスをする。
「ギデオン様、大好きです」
「知っている」
唇を重ね、ギデオン様が長椅子に私の体を押し倒した瞬間、バンッと扉が開いた。
「いちゃついてないで、早く着替えてください」
ジョシュアがドレスとアクセサリー、靴などの一式を持ってきてくれた。
さすがに私の裸を見られてはと、ギデオン様が隠してくれたけど、気まずいことこの上ない。
「ご、ごめんなさい」
「いえ。ギデオン様は先に謁見の間に戻ってください。ここにいたら、明日の朝まで戻ってこなくなるでしょう」
「わかっているなら、気を利かせろ」
普段、笑わないジョシュアが微笑んだ。
気のせいでなければ、背中に寒気が走った。
「これでも、毎日、気を遣って生きているんです。わかっていただけますか。ギデオン様?」
「……わかった。戻る。怒らせるとお前は痺れ薬を使ってくるからな」
「睡眠薬もです」
青ざめている私に二人は気づかず、部屋から出ていった。
今の会話はなんだったのだろう。
二人にとっては挨拶みたいなものだったのかな。
おはようくらいの気軽さだったような気がする。
物騒な発言をしたジョシュアだったけど、持ってきてくれたドレスは可愛らしい小花柄の緑のストライプドレスにフリルとレースがふんだんに遣われているものだった。
ウエストラインには濃い緑のリボンが大きくつけられている乙女なドレス。
「ジョシュアさんの好みはこんなかんじですか」
ヴィオレットのような美人な女性が好きなのかと思っていたけど、どうやら可愛い系の女性が好きみたいですねと余計なことを考えながら、着替えた。
ドレスに合わせた銀の靴には宝石が星みたいについていて、キラキラしていた。
「髪飾りが……」
さすがに髪飾りまで思い付かなかったようで、私は犬の時に結んでいたレースのリボンを髪に結ぶ。
「これでいいかな?」
鏡の中の私は淑女とまではいかなくても、そこそこ可愛く見えたのは仕立て屋さんの腕のよさ。
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