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6 貢ぎ物

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 私の朝の始まりは波の音、海鳥の鳴く声で目が覚める。
 少しずつ、頭が明瞭になってくると、海からの風で船が揺れる音に気づき、近くの市場に野菜を運ぶ荷馬車が忙しなく走って行くのがわかる。
 遠くでニャアと猫の鳴声がして、朝ごはんをあげなくちゃと思った。
 寝台から起き上がり、床下にある部屋から這い出て身支度を整えてから窓を開ける。港街はミルク色の霧の中に沈み、頬に冷たい空気が触れる。霧が晴れる前に暖炉の火を起こし、お湯を沸かす。
 お昼近くに起きてくる娼館のみんなのためのお茶を入れ、食事を作る―――はずだった。

「う……」

 甘い薔薇の香りとふかふかのクッション、足に繋がれた銀の鎖に気づいた。動くとじゃらりと重たい鎖の音がする。
 鎖を目にしてオディロンに薬を飲まされたことを思い出した。
 特に具合の悪い所はなく、ただの睡眠薬だったようで今まで深く眠っていたらしい。頭の中はぼんやりとしたままで完全に覚醒できていなかった。
 絹のクッションから身を起こし、顔をあげると鳥籠を覆うシフォン生地の布が目に入った。薄く柔らかいシフォン生地は微かな風で揺れている。
 覆われた布のせいで外は見えないものの、明るさや人の影はぼんやりとわかる。
 私はどれだけ眠ってしまったのだろう。
 そして、ここはどこなのか。
 隙間から入り込む風はいつもの潮風じゃない。
 吹き抜ける寒々しい風は自分がどこか広い大広間のようなところに連れて来られたということだけわかった。
 ふわりと浮いた布の隙間から、外を覗いてみた。

「えっ……!」

 驚きすぎて、ズサッと鳥籠の端っこに寄ってしまった。
 こ、こ、これは私の見間違い?
 ベアトリーチェはホスキンズ様に身請けされたのよね?
 私がいるのはホスキンズ様のお屋敷のはず。

「ま、待って、どういういこと?」

 今になり、やっと気が付いたけれど、私は台車に乗せられ運ばれている。
 その台車が進んでいるのは長い回廊で、金の装飾とクリスタルのシャンデリアが続き、両側には金の燭台が並ぶ。
 私は『パレ・ヴィオレット』で豪奢な調度品や装飾品を見慣れている。
 そんな私でさえ、今いる場所の荘厳で優美な内装に言葉を失った。
 あの『パレ・ヴィオレット』でもガラスのシャンデリアだったというのに私が今いるここはクリスタルのシャンデリアで、象牙色の壁には金の装飾が施され、同色の柱一本にしても花や葉、蔓が彫られていて芸術の域。
 柱の大きさからいって、ここは商人が住むお屋敷レベルじゃない。

「ホスキンズ様のお屋敷にしては大きすぎるような……」
「ん? 起きたのかい。ベアトリーチェ」

 私の呟いた声が聞こえたらしく、ホスキンズ様が布越しから私に話しかけた。

「昨晩は鳥籠の演出に驚いたが、鳥の獣人を披露するなら、これくらいでちょうどよかったかもしれないな。さすが『パレ・ヴィオレット』だ。気が利く」
「あのっ! 身請け人はホスキンズ様ですよね?」
「もちろんそうだ」

 じゃあ、ここは……?
 もう一度、確認しようと布の隙間を覗く。
 でっぷりした体つきのホスキンズ様が前を歩いていた。
 ホスキンズ様の服装は『パレ・ヴィオレット』に訪れる時より立派で、銀糸や金糸が施された上着とオニキスのように光る革靴をはき、金の懐中時計をぶらさけている。
 オディロンよりも身なりは遥かにいい。
 でも、こんな宮殿に住むほどの財力があるとは思えない。

「あ、あのぅ、ここはどこですか……?」
「ん? ヴィオレットから聞いていなかったのか。ここはレムナーク王国の王宮だ」
「レムナーク王国? おっ、王宮っ……?」
「珍しく美しい獣人の女性なら、国王陛下の氷のような心を溶かし、気を引くことができるんじゃないかと思ってな」

 今なんて……?
 国王陛下って言いませんでしたか?
 聞き間違えですよねって、言いたいけど言えない。
 私の耳はすごくいい。
 犬だけあって聴力には自信があった。
 遠くで鳴る雷だってわかるくらい。だから、外に干してある洗濯物は一度だって雨に濡らしたことがない。

「私を貢ぎ物にしたんですか?」
「うむ。レムナーク国王陛下はなにを差し上げても喜んでくれない方でな。困っていたんだ。だが、獣人となれば、希少な存在だ。喜ばずとも興味は引けると思ってね」

 人をまるで物のように扱うホスキンズ様の感覚に気づいた。
 ベアトリーチェが言っていたホスキンズ様が奴隷商をやっているという噂は本当だったのかもしれない。
 心臓がバクバクと音をたて体が震えた。
 確かに獣人は珍しいけど、こんな扱いされるとは思わなかった。

「獣人の一族は隠れ住んでいて、どこにいるかもわからない。たまに子供を売って生き延びているようだが、獣人が市場に出回るのは、ごくまれだからな」

 ホスキンズ様が言う市場とは奴隷を扱っている場所のことだろう。彼が奴隷商であることは確定した。
 私とベアトリーチェが生まれた故郷の場所はわからない。故郷を出る時に目隠しをされ、知らない人に手を引かれて馬車に乗せられた。馬車は一日中、走り続けて大きな町に辿り着いた。
 そこで出会ったのが『パレ・ヴィオレット』の女主人ヴィオレットだった。
 そういえば、ヴィオレットは何歳なのだろう。
 誰も彼女の本当の年齢を知らない。若々しく、老いることがないように思えるヴィオレット。
 いったい何者なのか―――

「ベアトリーチェ、お前は運がいい。ヴィオレットに拾われ、いい暮らしができたんだ。他の場所ならこうはいかない」

 ははっと軽快な笑い声が響いた。
 私は全然笑えなかったけど、ホスキンズ様は獣人を手に入れた自分の手腕に満足らしく、足取りも軽やかだ。

「レムナーク王国の国王陛下に謁見できるなどと、滅多にないことだぞ。光栄だろう?」
「ヴィオレットは知っているの?」

 こんなことヴィオレットが許すとは思えなかった。今まで身請けされた姐さん達は裕福に暮らしているし、奴隷になったなんて、一度も聞いたことがない。

「もちろん、身請けしたのは私だが、その後はレムナーク王国の王宮に連れて行くとヴィオレットにはきちんと断ってある」

 つまり、ヴィオレットも貢ぎ物にされると知っていて、この身請けを了承したっていうの?
 あり得ない、あり得ないよ―――!
 ぺたんと手をついた。
 冷えた金属の感触が私をより一層孤独にさせた。
 私がいたアシエベルグ王国に比べ、レムナーク王国は豊かで裕福、強い軍事力がある国だと聞いている。
 今、『パレ・ヴィオレット』に通うお客様の中にレムナーク王国の王族や貴族はいない。
 なぜなら、通っていた貴族は全員処刑されたから。
 姐さん達の話では、今の国王陛下はすぐに人を殺すし、冷酷で人を人とも思わないって―――それから、王宮には化け物がいて人間を頭からバリバリ食べると言っていた。
 そんな噂話を思い出し、恐怖でガタガタと体が震えだした。
 美しいベアトリーチェならまだしも、外見が地味な上、芸の一つもできない私に生き延びる手段はあるのだろうか。
 ない、なさすぎる。
 この鳥籠を覆う布が外され、登場するのが淡い茶色の髪と黒い瞳の平凡な女だとわかったら返品どころか、死刑。こんなの、いらないって言われて、その場で首を刎ねられるに決まってる。

「さあ、国王陛下にお披露目だぞ」

 ぎぃっと重たい扉の開く音が聞こえてきた。
 それは私にとって死刑場の扉と同じ。
 扉の向こう側に人の気配がした。
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