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July
30 見つけて、そして呼んで
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梶井さんは私との約束通り、七月終わりのコンサートに合わせて帰ってきた。
私は渡瀬さんから梶井さんのコンサートのチケットをもらっていて、ちゃんとその日は空けてある。
「望未ちゃん、嬉しそうね」
「うん。だって、特別席だって梶井さんが言ってたから、どんな席なのかなって」
「そう。望未ちゃん、そろそろ着替えないとだめじゃない?」
「あ、そうだね」
にやにやしてる場合じゃなかった。
渡瀬さんが迎えにきてくれることになっている。
自分で行けるって言ったけど、梶井さんは絶対にだめだと言って譲らなかった。
『お前は薄着でフラフラするからな』
また父親みたいに言われてしまった。
いつになったら、恋人みたいなセリフに格上げしてくれるのだろうか。
「望未。お届け物ですって言われたんだけど」
玄関で受け取った荷物を持ってお母さんがリビングに入って来た。
明日、梶井さんが家に挨拶に来るから、仕事を休んで大掃除中だった。
そんな気にしなくていいのにって言ったけど、有名人を家に迎えるんだからそうはいかないと言い張って、今日から明日の準備をしている。
それに巻き込まれるようにして、菜湖ちゃんも大掃除に付き合っていた。
「梶井さんからみたいよ」
「なんだろう」
見るからに高そうなプレゼントのラッピングで箱はかなり大きい。
包装紙を丁寧にはがして、箱を開けた。
そこには目も覚めるような深紅のドレスがあった。
靴とバッグ、アクセサリーまである。
大人っぽい。
「素敵なドレスね」
「似合うかな……」
不安そうな私に菜湖ちゃんが笑った。
「似合うわよ。望未ちゃんは身長が低いからロングじゃないほうがいいし、それに目がぱっちりしているから、色がはっきりしている方がよく似合うわよ」
身長低いは言わなくていいのにと思ったけど、ドレスを着てみた。
ノースリーブで胸がブイ字だけど、ちゃんと見えない。
胸が小さくても……
梶井さん、まさかその辺をちゃんと配慮して?
まさかね?
「望未ちゃん。メイクしてあげる」
「うん」
「いいじゃない。お人形さんみたいよ」
お母さんが笑う。
「私、おかしくない?」
「うん」
ちょうど準備が終わった頃にインターホンが鳴り、玄関のドアを開けた。
そこにはグレーのスーツ姿でメガネをかけ、髪を後ろに結んだ渡瀬さんが立っていた。
今日もブレないその安定感は健在で業務的な口調で言った。
「五分前に到着してしまい申し訳ありません。用意はできましたか?」
「はい。こちらこそ、すみません。わざわざ迎えにきていただいて」
「いいえ。私が迎えに来なかったら、リハをサボってでも梶井さんが迎えにきたと思いますよ」
「まさか。そんなことしませんよ」
笑いながら車に乗った。
けれど、渡瀬さんは笑わなかった。
「事実です」
「は、はあ」
パチンとシートベルトをとめた。
「あなたに渡しておいてくれって頼まれているので、今後のスケジュールを渡しておきます」
「ありがとうございます」
八月から先の決まった分のスケジュールを見た。
その瞬間―――心が震えた。
「これ……」
梶井さんは私が見るってわかっていて、わざとそれを書いたに違いない。
「一緒にいたいそうですよ。ああみえて寂しがり屋なところがありますからね」
黙ってスケジュールを見詰めていた私を心配してか、渡瀬さんが声をかけた。
ドイツでのスケジュールで埋まっているのはいつものことだけど、今年のクリスマスが終わった後、長めの休暇が入っていた。
その休暇予定の欄にあったのは私との結婚式と新婚旅行って。
泣きたかったけど、泣けなかった。
せっかく菜湖ちゃんがしてくれたのにメイクが崩れてしまう。
ぎゅっとその紙を握りしめ、飽きることなく眺め続けていた。
「コンサート楽しんで下さいね」
会場についた渡瀬さんは車から降りた私の背中に向かってそんなことを言った。
振り返ると、笑顔を見せていた。
初めて見た渡瀬さんの笑顔。
「深紅のワンピースドレス。大人っぽくて似合ってますよ」
渡瀬さんは車のドアを閉め、去って行った。
深紅のドレスなんて、目立つのでは?と思っていたけど、梶井さんのファン層はそうでもなかった。
私以上の気合が入ったマダムファンが多く、久しぶりの日本でのコンサートにファンの人達は全力でオシャレをしてきていた。
お金持ちマダムが多いのは梶井さんの体質がきっとそんな人を寄せ付けるのかもしれない。
フェロモン振りまきすぎだよ……
「さすが梶井さんのファンは違う……」
そういえば、特別席ってどこなんだろう。
番号を確認し、ホールに入った。
「え?特別……?」
二階席とか中央ではなく、一番前。
席としてはあまりよくない。
梶井さんの姿だけを見ているなら一番前が特別ってこと?
腑に落ちないまま、席に座った。
パンフレットの梶井さんは燕尾服姿で前髪をあげている。
その上、どこか挑発的。
モデルよりかっこいい。
「これは永久保存版」
にやにやしてそのパンフレットを眺めていると開演の時間になった。
ざわざわしていた会場は一瞬で静まり返った。
ゆっくりと幕があがり、全員が最初の音を待つ。
この瞬間がたまらない。
オーケストラがいても梶井さんの姿はすぐに見つけることができる。
圧倒的な存在感とその音―――ピアノの音から始まり、滑らかなチェロの音色が会場に響き渡った。
曲はサンサーンスの白鳥。
この曲は梶井さんにとって特別な曲だった。
白鳥を聴いてすぐに音色が違うことに気づいた。
梶井さんのサンサーンスの白鳥は以前とは違う。
今までの切なく、重たい悲しみは感じられなかった。
静かな湖面、夜の闇の中で聴きたくなるような穏やかな音。
それは傷ついた白鳥の傷を癒すような響きだった。
この曲は―――白鳥はもうレクイエムじゃない。
音が変わったのはわたしのせい?
梶井さんが弾く姿を食い入るように見た。
視線が重なる。
くすりと梶井さんが笑ったような気がした。
どうして?笑うの?
ドレス似合ってなかったとか?
やっぱり私には大人すぎたなとか思ってるんじゃない?
そんなことを考えているうちに白鳥が終わってしまった。
「次の曲はファリャの火祭りの踊りですって」
「新しい曲ね」
ファンの間からそんな声が聞こえてきた。
梶井さんが立ち上がり、客席を見下ろした。
今からなにが始まるのだろうと観客の視線が梶井さんに集まった。
「一緒に弾きたい人がいて、この曲を選びました」
ざわっと客席がざわめいた。
え、嘘……これってまさか。
『死ぬ気で練習しておけよ』
確かにそう言っていたけど―――
「望未、こいよ」
まさか舞台でなんて思ってなかった。
でも、あなたが私の名前を呼ぶ声に私は逆らえない。
その声は魔術みたいに私をからめとり操る。
緊張感より、高揚感。
私の名前をもっと呼んで。
その声で。
私は渡瀬さんから梶井さんのコンサートのチケットをもらっていて、ちゃんとその日は空けてある。
「望未ちゃん、嬉しそうね」
「うん。だって、特別席だって梶井さんが言ってたから、どんな席なのかなって」
「そう。望未ちゃん、そろそろ着替えないとだめじゃない?」
「あ、そうだね」
にやにやしてる場合じゃなかった。
渡瀬さんが迎えにきてくれることになっている。
自分で行けるって言ったけど、梶井さんは絶対にだめだと言って譲らなかった。
『お前は薄着でフラフラするからな』
また父親みたいに言われてしまった。
いつになったら、恋人みたいなセリフに格上げしてくれるのだろうか。
「望未。お届け物ですって言われたんだけど」
玄関で受け取った荷物を持ってお母さんがリビングに入って来た。
明日、梶井さんが家に挨拶に来るから、仕事を休んで大掃除中だった。
そんな気にしなくていいのにって言ったけど、有名人を家に迎えるんだからそうはいかないと言い張って、今日から明日の準備をしている。
それに巻き込まれるようにして、菜湖ちゃんも大掃除に付き合っていた。
「梶井さんからみたいよ」
「なんだろう」
見るからに高そうなプレゼントのラッピングで箱はかなり大きい。
包装紙を丁寧にはがして、箱を開けた。
そこには目も覚めるような深紅のドレスがあった。
靴とバッグ、アクセサリーまである。
大人っぽい。
「素敵なドレスね」
「似合うかな……」
不安そうな私に菜湖ちゃんが笑った。
「似合うわよ。望未ちゃんは身長が低いからロングじゃないほうがいいし、それに目がぱっちりしているから、色がはっきりしている方がよく似合うわよ」
身長低いは言わなくていいのにと思ったけど、ドレスを着てみた。
ノースリーブで胸がブイ字だけど、ちゃんと見えない。
胸が小さくても……
梶井さん、まさかその辺をちゃんと配慮して?
まさかね?
「望未ちゃん。メイクしてあげる」
「うん」
「いいじゃない。お人形さんみたいよ」
お母さんが笑う。
「私、おかしくない?」
「うん」
ちょうど準備が終わった頃にインターホンが鳴り、玄関のドアを開けた。
そこにはグレーのスーツ姿でメガネをかけ、髪を後ろに結んだ渡瀬さんが立っていた。
今日もブレないその安定感は健在で業務的な口調で言った。
「五分前に到着してしまい申し訳ありません。用意はできましたか?」
「はい。こちらこそ、すみません。わざわざ迎えにきていただいて」
「いいえ。私が迎えに来なかったら、リハをサボってでも梶井さんが迎えにきたと思いますよ」
「まさか。そんなことしませんよ」
笑いながら車に乗った。
けれど、渡瀬さんは笑わなかった。
「事実です」
「は、はあ」
パチンとシートベルトをとめた。
「あなたに渡しておいてくれって頼まれているので、今後のスケジュールを渡しておきます」
「ありがとうございます」
八月から先の決まった分のスケジュールを見た。
その瞬間―――心が震えた。
「これ……」
梶井さんは私が見るってわかっていて、わざとそれを書いたに違いない。
「一緒にいたいそうですよ。ああみえて寂しがり屋なところがありますからね」
黙ってスケジュールを見詰めていた私を心配してか、渡瀬さんが声をかけた。
ドイツでのスケジュールで埋まっているのはいつものことだけど、今年のクリスマスが終わった後、長めの休暇が入っていた。
その休暇予定の欄にあったのは私との結婚式と新婚旅行って。
泣きたかったけど、泣けなかった。
せっかく菜湖ちゃんがしてくれたのにメイクが崩れてしまう。
ぎゅっとその紙を握りしめ、飽きることなく眺め続けていた。
「コンサート楽しんで下さいね」
会場についた渡瀬さんは車から降りた私の背中に向かってそんなことを言った。
振り返ると、笑顔を見せていた。
初めて見た渡瀬さんの笑顔。
「深紅のワンピースドレス。大人っぽくて似合ってますよ」
渡瀬さんは車のドアを閉め、去って行った。
深紅のドレスなんて、目立つのでは?と思っていたけど、梶井さんのファン層はそうでもなかった。
私以上の気合が入ったマダムファンが多く、久しぶりの日本でのコンサートにファンの人達は全力でオシャレをしてきていた。
お金持ちマダムが多いのは梶井さんの体質がきっとそんな人を寄せ付けるのかもしれない。
フェロモン振りまきすぎだよ……
「さすが梶井さんのファンは違う……」
そういえば、特別席ってどこなんだろう。
番号を確認し、ホールに入った。
「え?特別……?」
二階席とか中央ではなく、一番前。
席としてはあまりよくない。
梶井さんの姿だけを見ているなら一番前が特別ってこと?
腑に落ちないまま、席に座った。
パンフレットの梶井さんは燕尾服姿で前髪をあげている。
その上、どこか挑発的。
モデルよりかっこいい。
「これは永久保存版」
にやにやしてそのパンフレットを眺めていると開演の時間になった。
ざわざわしていた会場は一瞬で静まり返った。
ゆっくりと幕があがり、全員が最初の音を待つ。
この瞬間がたまらない。
オーケストラがいても梶井さんの姿はすぐに見つけることができる。
圧倒的な存在感とその音―――ピアノの音から始まり、滑らかなチェロの音色が会場に響き渡った。
曲はサンサーンスの白鳥。
この曲は梶井さんにとって特別な曲だった。
白鳥を聴いてすぐに音色が違うことに気づいた。
梶井さんのサンサーンスの白鳥は以前とは違う。
今までの切なく、重たい悲しみは感じられなかった。
静かな湖面、夜の闇の中で聴きたくなるような穏やかな音。
それは傷ついた白鳥の傷を癒すような響きだった。
この曲は―――白鳥はもうレクイエムじゃない。
音が変わったのはわたしのせい?
梶井さんが弾く姿を食い入るように見た。
視線が重なる。
くすりと梶井さんが笑ったような気がした。
どうして?笑うの?
ドレス似合ってなかったとか?
やっぱり私には大人すぎたなとか思ってるんじゃない?
そんなことを考えているうちに白鳥が終わってしまった。
「次の曲はファリャの火祭りの踊りですって」
「新しい曲ね」
ファンの間からそんな声が聞こえてきた。
梶井さんが立ち上がり、客席を見下ろした。
今からなにが始まるのだろうと観客の視線が梶井さんに集まった。
「一緒に弾きたい人がいて、この曲を選びました」
ざわっと客席がざわめいた。
え、嘘……これってまさか。
『死ぬ気で練習しておけよ』
確かにそう言っていたけど―――
「望未、こいよ」
まさか舞台でなんて思ってなかった。
でも、あなたが私の名前を呼ぶ声に私は逆らえない。
その声は魔術みたいに私をからめとり操る。
緊張感より、高揚感。
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その声で。
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